ギフテッド

路地裏乃猫

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2章

38話 キュレーター

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 支給されたばかりのスーツに袖を通す。

 協会専属の老舗スーツ屋に仕立てさせたというオーダーメイドは、身につけたそばから漣の身体に吸いつくように馴染んだ。ストレッチ素材でもないのに、いくら肩を回しても背中や肩に窮屈さを覚えることはない。

 部屋を出る前に、念のため玄関前の姿見で全身のチェック。……ああ、美しい。流行りのスリム系ではなく、どちらかといえば古風なゆったり仕立てだが、胸板を大きく見せる工夫や腰の絞り方、脇下や股下から流れる皺の計算された美しさに、これを仕立てた職人の強烈な美意識が反映されている。そう、衣服もまたアートなのだ。

 本当なら、成人式の日に着るはずだったんだよな。

 そんなことを、鏡の前でふと漣は思う。おそらく父の知り合いの仕立て屋で、とりあえず見苦しくない程度のスーツを仕立て、それを着て家族で集合写真なんかを撮っただろう。今はまだ十一月。漣の本来の成人式は二ヶ月近くも先だが、そんな未来はもう決して訪れないことを、すでに漣は知っている。

 玄関を出ると、騒々しいモーター音と乾いた掘削音とが廊下に響いていた。案の定、エレベーターに向かっていると、途中の廊下でオーバーオール姿の三原と出くわした。例によってチェーンソーで丸太を短く刻んでいる。

 その目がふと漣を捉え、うげっ、とあからさまに嫌そうな顔をする。

「んだよ、その恰好」

「あ……協会に支給されたんです。キュレーターの試験に合格したので……」

「知ってるよ。……ったく、あれだけ止めたのに」

 小さく舌打ちをすると、三原はチェーンソーを止めて漣に向き直る。何かを言いたげな顔。ただ、それを彼女が決して口にしないことも漣は知っている。

 瑠香とは、相変わらずぎくしゃくとした状態が続いていた。すくなくとも、瑠香の方から漣に声をかけてくれたことは、この数か月、一度もなかった。おそらく、キュレーターを目指す漣への瑠香なりの抗議だったのだろう。が、結局、漣はキュレーターになり、そして今日、その辞令を正式に受ける。

 三原の言う通り、やはり彼女とは最初から出会うべきではなかったのだ。

「まぁ……その、あれだ。死ぬなよ、マジで……」

 そして三原はふたたびチェーンソーを起動すると、目まぐるしく動く切っ先をふたたび丸太に押し当てる。その横顔は、すでに素材と向き合うアーティストのそれに戻っていて、漣はそっと退散する。

 エレベーターで二十階に上り、所長室に向かう。と、部屋の前に見慣れた人影があり、驚き半分で漣は足を止める。確か……ここ半月は沖縄に飛んでいたはず。

 その嶋野は、漣の姿を認めるなり切れ長の目をやんわりと細める。

「スーツ、よく似合っていますね」

「あ、どうも……」

「でも、ネクタイが少し曲がっていますね。君なりに頑張ったんでしょうけど――失礼」

 いうなり嶋野は漣の首元に手を伸ばすと、ついさっき漣が四苦八苦して結んだネクタイをするりと解き、慣れた手つきで手早く結び直す。器用に動く細い指先。人形じみた長い睫毛。

 やがて結び終えると、嶋野は漣の胸板をぽんと叩く。

「はい、できました」

「えっ、あ……すみません。どうも結び慣れなくて……」

「いいんです。僕も最初はひどいものでしたから。ええ、せっかく結んだのに結び直されて――……さ、行きましょう」

「あ……はい」

 扉に向き直る間際、不自然な間があった。おそらく……その、結び直した人物とは渡良瀬のことだったのだろう。が、あえて指摘はせず、漣は大人しく扉に向かう。

 扉の向こうでは、例によって高階が漣を待ちわびていた。背後の窓には晩秋の冷たく澄んだ青空。その眩い青を細く切り取るように、高階の鶴のような痩躯が立っている。

「キュレーター試験、合格おめでとう。海江田漣」

「……ありがとうございます」

 恭しく、漣は腰を折る。

 今回、漣が所長室に呼び出されたのは、すでに内定するキュレーターの辞令を正式に受けるためだった。

 一か月前に行なわれた審美眼5のテストで、漣は、入所五か月目にして異例のスピード合格を果たした。続いて行なわれたキュレーター採用試験にも合格。これは、協会の日本支部が開かれて以来の快挙だったらしい。……もっとも、漣に言わせれば、医学部入試の受験勉強に比べれば大した苦労ではなかった。その意味では嶋野の言葉どおり、これまでの積み重ねは決して無駄にはならなかったのだ。

 ともあれ今日、漣は正式にその辞令を受ける。この辞令をもって、漣は正式にキュレーターとして協会に登録される。キュレーターに登録すると、さまざまな特典が与えられる。まず、ギフテッドにとって何より大きな外出の自由。これが、オペレーターへの事前申請とX線によるボディチェックだけで楽に出入りできるようになる。

 特典はもう一つ。キュレーターには、外でギフトを用いてもいい、という特例が与えらえる。ただ、これは個々のギフテッドに対し、ギフトごとの性質や発動条件をふまえた上で、所長を含む上級職が会議の上で定めるもので、条件はかなり限定されるうえ、事後の報告が義務付けられる。ただ……ギフトの性質をふまえると、漣に限っては、この二つ目の恩恵はまず与えられないものと考えた方が良さそうだ。

「入所から半年でのキュレーターへの登録は、まさに異例、と呼んでもよいでしょう。頑張ったわね。そこは素直に賞賛するわ」

 そうは言いながら、やはり高階の表情はどこか冴えない。それもそうか、と漣は思う。おそらくこの人も、本音を言えば漣がキュレーターに就くことには反対なのだろう。もし外出中に漣が拉致でもされれば――その結果、漣を察処分するようなことになれば――それは協会、というより、その後ろ盾である日本国にとって大きな損失になる。

 それを踏まえた上で、高階は、なお漣の意思を尊重してくれたのだった。絵筆を握りながらも罪を贖いたい、という身勝手きわまる漣の願いを。

「ありがとうございます」

 賞賛に、ではなく、高階の配慮に対して重ねて礼を述べる。

「すでに承知のとおり、我々協会所属のギフテッドは、戸籍上ではすでに死亡しています。よって、外で何かしらの違法行為を働いたとしても、司法によって裁かれることはありません。その代わり、協会内で独自に定められた規則により相応の処罰を受けることになります。また、万一逃亡した場合――」

「首元の爆弾がドカン、でしょう?」

「……ええ」

 冗談じみた漣の物言いに、高階はにこりともせずに頷く。

「それだけじゃないわ。敵対勢力に拉致され、予定外の行動を取らされた場合でも、同様に首の爆弾は爆破させてもらいます。それが拉致であれ逃亡であれ、我々にとっては危険なギフトが管理下から外れることを意味するわ。GPSによる監視で少しでも予定から外れた行動を取った場合、五分以内に本来の予定座標に戻らないかぎり、即刻爆破させてもらいます。電話連絡による安否確認のたぐいは期待しないでちょうだい」

「はい」

 そのあたりの説明は、内定後にオペレーターからなされているので承知している。ただ、改めて聞くとつくづくシビアなルールだな、と思う。とくに、逃亡だろうと拉致だろうと構わず爆破する、というくだりが。つまり、本人の意志は二の次であり、協会にとっては状況が脅威か否かが全てなのだ。……そうした協会の価値基準に照らしても、漣にキュレーターの辞令を与えたのは高階としても異例中の異例だったのだろう。

「なるほど、そのあたりの事情は承知済みということね。いいわ。――凪」

 すると、それまで漣の一歩後ろに控えていた嶋野が、す、と漣の隣に進み出る。

「はい」

「じゃ、あとは頼むわね」

「……頼む?」

 何の事かわからず問い返すと、高階の代わりに嶋野が振り返り、答える。

「ええ。最初の三か月は研修も兼ねて、僕のサポートに就いてもらいます」

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