幼馴染は最強設定!

路地裏乃猫

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「ねぇねぇ知ってる?」
  隣の席の女子が、鏡を覗きながらマスカラ片手にそう切り出す。
 「えー知らなーい」
  そう答えたのは、やはり机の向かいで化粧に勤しむ女子だ。開いた足で堂々と背凭れを跨ぐ座り方は、俺としてはかなりけしからんと思うのだが、捲れたスカートの裾から白い太腿が覗いているのでまぁ良しとしよう――と思いきや、よく見たらスポーツ用のハーフパンツでがっつりガードしており、俺の束の間の幸福は呆気なく崩壊した。
  そんな俺の失望と嘆息をよそに、隣二人の女子はなおも世話話を続ける。
 「なんかさ、また襲われたらしいよ、男子が」
 「えー、ありえなーい。ってか女子じゃなくて男子を集団で襲うとか、何それって感じ」
 「これはミチから聞いたんだけどさぁ、なんかAVのハメ撮り? っていうの? よくわかんないんだけどさぁ、そういう感じのアレらしいよ、それ」
 「は? っていうかヤラれるの男っしょ? 何それ需要あんの!?」
 「さぁ、あるからやってんじゃね? てか襲われたの、みんなカワイイ系の男子って言うし。そーゆーの好きな奴には、まぁ、売れんでしょ?」
 「えー、じゃあシューちゃんとか超ヤバいかもー」
 「大丈夫。あんたの彼氏まじゴリラだから」
 「ちょっモモコ! あんた、まじでむかつくっ!」
  そして向かいの女子の脛にキツい蹴りを入れる。
  女子の会話というのは、仲がいいんだか悪いんだか分からなくなることが往々にしてある。隣の二人も、延々そんな調子でしゃべくり倒すと、やがて化粧を終えたのか、慌ただしく荷物をまとめて席を立った。
 「そうだ、帰りにいぐっちのところ寄ってく?」
  いぐっちというのは、彼女たちが亥口先生――つまり翔兄を指す時の呼び名だ。
 「そーだねー。柳沢くんもいるし、イケメン分補給みたいな?」
 「えー、柳沢くんはイケメンって感じじゃなくない? どっちかっていうとカワイイ系?」
 「言われてみればそーかも。――えっ、じゃヤバくない? さっきの!」
 「あー平気平気。ああ見えて柳沢くん超強いから。なんかね、合気道の先生とかやってるらしいよ。こないだも駅で痴漢投げ飛ばしたっていうし」
 「何それ超カッコいいんですけどー」
  そして二人は、軽くどつき合いながら廊下へと消えていった。
  彼女らの話によると、どうやら近頃は翔兄のいるカウンセラー室が結の居場所と化しているらしい。送り迎えの時間だけでは飽き足らず、こんな放課後にまで入り浸っているということは、まぁ、よっぽど翔兄に懐いているのだろう。
  もともと結は、翔兄のことを随分と慕っていた。
  高校受験のときも、最初に翔兄に家庭教師を頼んだのは結の方だった。俺は、その付き添いのようなかたちで一緒に指導を受けることになったのだが、傍から見ても、その懐き方は尋常ではなかった。
  ひょっとするとこいつ、翔兄のことが好きなんじゃ……
  そのように疑ったことも一度や二度ではない。いや、いい年こいた男子中学生が、大の男から頭を撫でられて照れくさそうにはにかめば、誰だってそう疑いたくもなる。
  それはともかく――
  結が、翔兄に対してかなりの信頼を寄せているのは確かだ。さもなければ演武のことも相談はしなかっただろうし、それに今も、通学の足として頼り続けることはしないだろう。
  結が足を怪我して半月。
  いい加減、足の方も随分と治っているはずなのだが、結が自力での通学を再開する様子はない。どころか今も、翔兄の部屋に入り浸り……
 「あー、腹減った!」
  浮かびかけた厭な思考を遮断するべく、俺は開いていた参考書を畳むと、荷物をまとめてさっさと教室を出た。
  もっとも、腹が減っているのは紛れもない事実で、昼間に喰ったおにぎり十個は早くもエネルギーとなって胃袋の中から消えてしまったらしい。だが、家に戻ってメシを食っていたら、六時から始まる夕稽古に間に合わなくなってしまう。とりあえずコンビニに寄って、おにぎりかパンでも調達するとしよう。
  そんなことをぼんやり考えながら昇降口に向かっていたときだ。
  靴箱の前で、意外な人間とばったり鉢合ってしまった。
 「……結」
  が、結は、明らかに俺と目が合ったにもかかわらず、知らんふりで靴を履き替える。あからさまな無視に俺は一瞬むっとなったが、それよりも、訊きたいことが次から次へと頭に溢れてきて、すぐに怒るどころではなくなった。
  さりげなく、その足元を見る。
  案の定、足の方はすっかり治っていて、それに包帯も取れている。なのに……
 「お前、どうして、」
  その時だ。
  不意に昇降口からラガーシャツ姿の男が駆け込んできて、結の肩を思いきり撥ね飛ばした。このタックルに結の華奢な身体はひとたまりもなかったらしく、ビリヤードの球のように俺の腕に飛び込んでくる。
 「ごめんっ!」
  一方、結を撥ねた犯人――どうやらラグビー部の部員らしい――は、足を止めるそぶりも見せずに短く謝ると、そのまま最寄りのトイレへとダッシュで駆け込んでいった。
  俺の腕の中では、よほどタックルが堪えたのだろう、突き飛ばされた結がうう、と苦しそうに呻いている。
  そんな結を見下ろしながら、俺はショックを抑えることができなかった。
  何で……捌けなかった?
  長年武道の研鑽を積むと、しばしば言われるように、振り返らずとも気配だけで背後の様子を察知できるようになる。漫画等ではとかく誇張されて描かれがちだが、かといって、それは完全なフィクションの話でもない。
  そして結は、その危機察知の面でも高い能力を具えていて、例えば誰かが、結の背後から木剣で斬りつけたとしても、これを捌いて逆に技をかけることができる程度の技術はものにしている。
  どうして俺がそんなことを知っているのかというと、俺自身、今まで何十回、何百回と結の不意を討とうとして、未だに成功した例がないからだ。
  その結が、あんな解りやすい背面攻撃をまともに喰らうなんて。
  少なくとも俺の知る結なら、背後から駆け寄るラガーマンの気配を察してこれを捌いていただろう。なのに……
 「離してくれよ!」
  呆然となる俺を突き飛ばすように後退ると、まだ本調子じゃないのか、ふらふらと靴箱に背中を預けた。
  そのふらつく足取りのまま、なぜか結は、泣きそうな顔で俺を見上げる。
 「だ……大丈夫だから」
 「は?」
 「りょっ、遼がいなくても、もう、大丈夫だから……」
  そして結は、脱いだ上履きを靴箱に放り込むと、逃げるように昇降口を飛び出していった。
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