アイムホーム~あなたの家になりたい

路地裏乃猫

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ぬくもり

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 ほんと、何やってんだろうな……
  湯気で霞む天井を見上げながら、そんなことを優人はぼんやり思った。
  遅かれ早かれ、こういう結果を迎えることは最初から分かっていたはずなのだ。にもかかわらず、今また性懲りもなくダメージを食らっている自分に優人は愕然としていた。
  ついさっき、宮野から数日ぶりにメールがあった。
  奥さんと、そして赤ん坊と一緒に写った写真つきメールだ。フレームの中の宮野は、優人も見たことのない幸福そうな笑みを浮かべて自分の赤ん坊にキスしていた。優人も感触を知る、その柔らかく淫猥な唇で。
  誰もが幸せそうだった。
  ひそかに夫に裏切られる妻でさえ、満ち足りた微笑とともに新しい命を見つめていた。その新しい命も、美男美女の血を引き継いだ玉のように愛らしい赤ん坊で、とりわけ、くっきりとした二重瞼が父親のそれによく似ていた。
  これを送った宮野にどんな意図があったのかは分からない。多分、優人が考えるような難しい意図はなくて、単純に、自分の幸せを大学の後輩たちにも分けてやりたいという先輩なりの思いやりだったのだろう。
  それはそれで喜ばしいことだ。だが……
  風呂から上がると、テーブルのスマホが震えていた。
 「あれ? 電話ですよ優人さん」
  手に取り、画面を覗き込んだ朝比奈が一瞬、怪訝な顔をする。
 「……宮野先輩?」
 「見るな!」
  その手からスマホを奪い取ると、なおも訝しげな朝比奈の視線から逃れるように電話を取る。よりにもよってこんな時にと苦々しく、それでも、仄かな切なさが生まれるのを否めないまま――
 『優人か』
  やがて電話口に、聞き慣れた、身体の芯に響くバリトンが現われた。
 『先週は悪かったな。予定日は半月後だったんだが、いきなり産気づいちまって……まぁ何にせよ、無事に産まれてくれて良かった』
  愚痴っぽく語りながら、口調の端々に抑えきれない嬉しさが滲んでいるのを、優人は確かに聞き取っていた。
 「写真見ました。おめでとうございます」
 『おおっ、見てくれたか!? どうだ? 俺に似て可愛いだろ?』
 「ええ。あと二十年もすればきっと先輩みたいな素敵な男性になりますよ」
 『だといいよなぁ』
  あはははは、と、能天気な笑い声が電話口から漏れる。幸福すぎる人間によくある例で、自分が幸せなのだから相手も幸せに違いないという思い込みでも起こしているのだろう。
  だから、次の言葉には優人も耳を疑った。
 『で、次はいつ会おうか』
 「……は?」
 『いや、ここしばらく俺も何かと忙しくて、なかなかお前に構ってやれなかったからな。寂しがってやいないかと心配していたんだ。――なぁ、いつ会える』
 「何……言ってんですか」
  そう答える自分の声は、なぜかひどく震えていた。
 「赤ちゃんが……子供が生まれたんですよ。なのに先輩そんな……そんなこと、許されるわけ……」
 『だから何だ。それともお前、今更そんなもっともらしい説教くれて、一人だけいい子ぶりたいってわけか? ん?』
 「ち……違います。でも普通は、」
 『冗談だろ? じゃあどうして最初から俺を拒まなかった。お前だって、俺にもうすぐ子供が生まれることを知らなかったわけじゃないんだろ?』
 「そ、それは……」
  言われてみればその通りだ。宮野に間もなく子供ができることは、あらかじめ友人を通じて知っていた。知っていて――それでも優人は身体を重ねた。
  手首には、その証拠とばかりに残る手錠のような環状の痣が……
 「そうですけど……でも、」
 『でも何だ。俺一人に責任を押しつけて逃げるのか?』
 「違います! そういうつもりじゃ、」
 『なぁ優人』
  宥めるような、しかし、有無を言わせない声が優人の言葉を封じる。
 『お前、俺のことを愛しているんだろ? その俺が、これからも愛してやるって言っているんだ。どうしてお前はそう頑ななんだ、なぁ?』
  ……わからない。
  わからないが、しかし、優人の本能はそれを拒んでしまう。それも否応なく。
  これからも宮野は自分を愛してくれる。それ自体は確かに嬉しい。にもかかわらず胸を塞ぐのは、なぜか酸欠に似た苦しみばかりだ。目の前にあるはずの水面を目指して足掻くも、いっこうに手が届かず無駄な努力を続ける溺水者のそれのような。
  なぜだ。宮野の言うとおり、最初から分かっていたことなのに。
 『おい、聞いてるのか優人。聞いてるんならちゃんと返事しろ』
  聞いてますよ。でも、何も答えられないんですよ。もう何が何だか分からなくて、自分がいま何を求めているのかも見えなくて、何も答えられないんです――
  いや、本当は分かっていた。
  優人はただ、愛して欲しかっただけだ。
  ただ、あんなものを見せつけられて、これ以上、それを求められるほど優人も図々しくはなかった。それは例えば、綺麗に掃き清められた神殿に土足で上がり込むような、いや、それ以上の禁忌を優人に抱かせた。
  自分には決して踏み込むことの許されない領域――優人にとってそこは、まさにそういう場所だった。
  ――うちには来ちゃ駄目だって、おばあちゃんに教わらなかった?
  なぜだ。こんな時に、なぜ、あの女の言葉を思い出す?
  ――どうしてあんたは、私の幸せの邪魔ばかりするの。
 『おい優人、お前いかげんに――』
  不意に宮野の声が遠ざかり、見ると、いつの間にか優人の手からスマホが消えていた。
 「この人ですか。いつも優人さんを悲しませていたのは」
 「……え」
  意外な声に顔を上げる。
  朝比奈が、優人のスマホを手にしたまま忌々しげに画面を睨みつけていた。
 「こんな人とは、もう二度と話しちゃいけません」
  そして、勝手に電話を切ってしまう。あまつさえ、いつの間にやり方を覚えたのだろう、着信拒否の操作まで済ませてしまった。
 「な……に、やってんだよ!」
  ようやく我に返り、慌ててスマホに手を伸ばす。が、
 「駄目です」
  いつになく厳しい朝比奈の声が、そんな優人をぴしゃり撥ねつける。
  思いがけない反攻に一瞬怯んだ優人は、普段なら、その生意気な態度にキレているところ、なぜかこの時は、それ以上抗う気になれずに黙り込んだ。
  朝比奈の態度が意外だったせいもある。が、それ以上に、優人を見つめる朝比奈の瞳があまりにも真っ直ぐだったからだ。
  大粒の瞳から注がれる、強く、でも、どこか寂しげな眼差し。――どうして。なぜ朝比奈は、こんな目で俺を……?
 「この人の言葉には愛がない」
 「……は?」
 「第一、本当に優人さんを愛しているのなら、こんなふうに優人さんを追いつめる物言いはしないはずです。この人は、ただ優人さんが欲しいだけ。でも、欲しがるにしても、単に欲しがるのと、愛した上で欲するのとは違います。――優人さんも、本当はそのことを分かっているはずです」
 「で、でも、」
  そんなことを認めたら。
  自分は、誰にも愛されていないということになってしまう。
  誰も愛してはくれなかった。母も、それに祖父母も、優人には邪魔者に対する以外の眼差しを注いではくれなかった。それでも何とか彼らの邪魔にならないよう、優人は自らの存在を殺しながら生きた。
  そんな優人に声をかけてくれたのが宮野だ。
  宮野だけが優人を愛してくれた。愛されることに慣れない優人の心にそして身体に、文字どおり充分すぎる愛を注いでくれた。
  ベッドで。車で。学校の植え込みの奥で――ときには宮野の友人を相手にさせられることもあった。あのいやらしい形をした器具を用いられることも。それらの多くは激しい苦痛と恥辱を伴ったが、それに耐えることが宮野の愛を繋ぎ止める方法と思うなら、苦痛さえ愉悦の呼び水になりえた。
  傍目にはグロテスクな関係に映るかもしれない。それでも優人にはかけがえのない繋がりであったし、自分が無価値な存在でないことを証明する唯一の絆だった。
  その宮野に愛されていなかったとするなら――では一体、何が愛だと言うのだ。
 「ち、違う……先輩は、俺を愛してた。愛して……だから欲したんだ……」
 「優人さん」
 「えっ?」
  気付いた時には、もう優人の唇は柔らかなもので塞がれていた。
  ひどく強張った、でも、ほんのり温かなそれは、まさか――
 「僕……では駄目ですか」
  ほどけた唇が、優人の鼻先でそっと囁く。その声は、かすかに震えていた。
 「確かに、僕はただの部屋にすぎません。でも……優人さん、あなたを愛したいという気持ちだけは……きっと、誰にも負けません」
  そんな朝比奈を、優人は信じられない気持ちで見上げる。
 「な……んで……」
  答えの代わりに、ふたたび唇を塞がれる。臆病な小動物のように小刻みに震えるキスは、器用だが貪るだけの宮野のそれとはまったく質を異にしていた。
  不器用で、ぎこちなくて、でも、なぜか胸が温かくなる。
  そうして静かに唇を重ね合ううち、いつしか優人は、なぜ自分なのかという疑問を次第に忘れていった。相手が人間ではないということへの躊躇いや戸惑いも。
  人間でなくてもいい。
  こんな自分を愛してくれるなら誰でも。
  やがて、唇の隙間にようやく舌がすべりこんでくる。が、ここでも朝比奈は急ぐことはせず、むしろじれったいほどおずおずと優人を開いていった。
  舌先で前歯を舐り、歯茎をくすぐる。そんな単純な刺激にさえ、だが、背筋が蕩けるようで優人はたまらなくなる。
  舌が絡むと、いよいよ優人はまともに立っていられなくなった。
 「……寝室に移りますか?」
  囁く朝比奈に、「ああ」と優人は頷く。瞬間、ふわ、と身体の浮く感じがして、見ると、優人の身体はすでに朝比奈の腕に軽々と抱き上げられていた。
  いくら小柄な方とはいえ、一応は大の男を危なげなく抱える腕力に優人は驚く。そういえば風呂場で見た朝比奈の身体は、ほっそりとしたシルエットのわりに意外と筋肉質で、この程度の芸当は、だから、見た目ほど苦ではないのかもしれない。
  そうでなくても、元々人間でない朝比奈には、その手の物理法則はあまり関係がないのかもしれない。
  寝室にはすでに布団が敷かれていた。そのことに、なぜか恥ずかしくなった優人は慌てて顔を伏せる。
  変だ。初めて宮野にされた時でさえ、こんな感情は覚えなかったのに……
 「あ、あのさ」
 「何です、優人さん」
 「電気……消してくれないか。なんか……その、」
 「はい」
  優人の気持ちがどこまで通じたのか分からない。ただ、そう朝比奈が答えた時にはすでに部屋の明かりは落とされていた。といって、綾目も分からないほどの完全な闇ではなく、安物のカーテンを透かして差し込む隣家の明かりのおかげで中は意外と明るい。
 「雨戸も閉めますか」
  完全な闇を得るにはその方法しかない。が――
 「い、いや、いい」
  そこまでは求めない。むしろ、乏しい光にうっすらと浮かぶ朝比奈の端正な顔や身体を、じっくり眺めながらするのも悪くない。
  布団に横たえられると、いよいよ優人の心臓は激しく高鳴った。
  これから始まることへの期待――と、ほんの少しの恐怖。だが、そんなものは今まで何十回といわず経験してきたことのはずだ。何なら朝比奈も知らないだろうおぞましい行為さえ知っている。……にもかかわらず今の優人は、まるで初めて抱かれる処女のように朝比奈の一挙手一投足に期待し、怯えている。
 「怖いですか?」
  のしかかるように優人を抱きすくめながら、朝比奈が囁く。
 「正直、僕も怖いです。……勢いでこんなことになってしまいましたが、後で優人さんが傷つきはしないか……そのことが、僕はとても怖い」
  そう告げる朝比奈の声は震えていて、それが嘘や冗談でないことを言外に語っていた。そもそも、この朝比奈という男は器用な嘘をつけるタチでは決してない。
 「お前は……どうなんだよ」
 「えっ?」
 「お前は、俺が欲しいのか? それとも欲しくないのか? どっちなんだよ」
  すると朝比奈は、薄暗い中にもそれと分かるほど赤面して、
 「ほ……欲しい、です……」
  と、躊躇いがちに言った。
 「じゃあいいぜ、抱けよ。その代わり……下手くそだったら承知しねーから」
 「はいっ! 優人さんを満足させられるよう頑張りますっ!」
 「……お前、この流れで体育会系ノリはやめろ。マジで萎えるから」
 「ああっすみません……で、では、そのっ、始めさせていただきます」
 「だから、そういう余計なことは――んっ」
  不意に朝比奈の頭が優人の肩に沈み込んだかと思うと、甘痒いような刺激が首筋を襲い、思わず声を上げてしまう。啄むようなキスは首筋からやがて鎖骨に移り、早くも優人を切なくさせた。
 「手、入れてもいいですか」
 「えっ、どこに……」
  耳元で囁かれた声に、さすがに早くないかと意を込めて問い返す、と、
 「シ……シャツの中、です」
  なぜか恥ずかしそうに答える。それがパンツでなかったことに優人はほっとしつつ、ほんの前哨戦でここまで遠慮がちになる朝比奈に早くも不安を覚えた。
 「いちいちそんな了解いらねぇんだよ。逆に恥ずかしくなるだろ?」
 「でも……いきなり触られたらびっくりするかなと……」
 「しねーよ別に。っていうか、こっちはとっくにお前に身体を預けてんだ。もっと堂々と来いよ」
 「は……はい」
  ようやくシャツの裾から手が入ってきて、優人の胸板をそっと撫でる。意外にも器用な指先が、痩せた脇腹を、臍の窪みを、肋骨の感触を確かめるように動くのが優人としてはひどくくすぐったかった。
 「お前、ちょ……くすぐった……」
  が、やがて、ある感情が優人の中に生まれはじめる。一向に核心を捉えない指先に対する苛立ちともどかしさ。朝比奈のことだからわざとではないにしても、ここまで焦らされるとさすがに意地悪を疑ってしまう。
 「そう、じゃない……」
 「えっ?」
 「そうじゃねぇよ、そこ……胸の尖ったところ……」
 「尖った……あっ、ここですか?」
  と、ようやく無知な指先が優人の弱い場所を捉え――
 「ひうっ!?」
  優人の悲鳴に驚いたのだろう、朝比奈の指がぱっとそれを手放す。
 「だ、大丈夫ですか優人さん!?」
 「う、うるさい! 黙って続けろ!」
 「で、でも優人さん、苦しそう」
 「違う、これは……」
  いい加減、バカなやりとりにじれったくなった優人は、シャツ越しに朝比奈の手を掴むと、そのまま自らの突起に押しつけた。ぐりぐりと押しつぶされるような感覚に、優人はようやく待ち望んだ刺激を得て甘い吐息を洩らす。
 「おい……朝比奈」
 「は、はい」
 「これ、舐めろ……さっきのキスみたいに……いや、もっと乱暴に……いっそちぎれるぐらい、強く……」
 「えっ……は……はい」
  それでも躊躇う朝比奈の代わりに自らシャツを捲ると、優人は、早くも膨らみはじめた二つの突起をこれ見よがしに突き出した。
 「……どうした」
  呆然と優人を見下ろす朝比奈を怪訝に思い、問えば、
 「あ、いえ……こんなに……可愛かったんだな、って……」
 「はぁ? 可愛い?」
 「ええ。今の優人さん、すごく可愛くて、その……ずっと見ていたいなって……」
 「お、俺は見せものじゃねぇ! さっさとやれよバカ! 腹が冷えるっ!」
 「はいっ!」
  と、ようやく朝比奈の上体が優人の胸板に沈んで――
 「……っ」
  唇の先で軽く啄むだけの刺激にも、散々焦らされた身体は貪欲にも応じてしまう。もともと宮野に開発され仕込まれた場所だが、そうでなくとも朝比奈の与える刺激は快かった。
  怯えがちな、しかし優人を気持ちよくしようという思いやりに充ちた愛撫に、身体ではなく心が先にほぐれてゆくようで。
  舌先で立ち上げるように舐られると、痺れるような感覚がぴり、と背筋に走った。
  より強い刺激を求めて、もう一方の突起を自らの指でつまむ。くりくりと転がすように弄ると、それだけで腰の奥が切なく疼きはじめる。
 「っ……あぁ」
  だしぬけに強く吸い付かれ、優人は思わず腰を突き上げた。
  その腰では、優人の芯が早くも熱を帯びはじめている。布地で擦れる刺激だけでは物足りず、乳首から離した手をパンツ越しにそっと添えると、ほんの僅かだが疼きが収まるのを感じた。
  が、それは本当に求める刺激ではない。それではただの排泄的な自慰と同じだ。そうではなく今、優人が求めているのは誰かのぬくもりだ。肌だ。……愛情だ。
 「あ……朝比奈……」
  今なお懸命な奉仕を続ける朝比奈を、懇願するような声で呼ぶ。
 「な……舐めて……ここ……」
  返事の代わりに朝比奈は顔を上げると、ふ、と微笑み、おもむろに上体を起こした。
  そのまま優人の脚に身体を移し、パンツにそっと手をかける。まるで小動物でも労わるような手つきに、優人はじれったさを感じつつもなぜか嬉しかった。
  大事にしてくれる。きっと、こいつなら……
  やがて布地の下から現われたそれは、早くも臍を叩くほどに反り返っていた。
 「……いいですか」
  優人の返事を待たずに朝比奈の身体が沈み込む。やがて――
 「あ……」 
  温かな感触にぴったりと包まれ、覚えず歓喜の溜息が漏れる。
  全身を走る甘痒い刺激を、四肢を捩らせつつ何とか堪えるが、肌を擦るシーツの感覚に、かえって愉悦を深めてしまう。
 「すごく……綺麗ですよ、優人さん」
 「ば、ばか、余計な……はうっ」
  先端をちろりと舐め取られ、さらに、つつ、と裏を辿られる。かと思えば傘を含まれ、ぎゅっと吸い込むように含まれる。一体いつの間にこんな技巧をと思うのだが、ひょっとすると、以前の入居者の行為を見て学ぶなりしたのかもしれない。
  唾液で濡らした指に乳首を捉えられ、優しく捏ね回されると、それだけで危うく意識が白く飛びかけた。
 「い、いいっ……すご……ひうっ」
  口に手を当て、これ以上悲鳴が漏れないよう堪えるのだが、それでも甘えるような声は止め処なくあふれてしまう。
  次第に口淫は上下運動を激しくする。聞くに堪えないいやらしい音が薄暗い部屋に響いて、今更のように部屋の防音が気になってしまったのが優人は可笑しかった。
  身体の奥から何かがこみ上げてくるのを、優人はぎゅっと眉を寄せて耐えた。
 「あ、さ、ひなっ……」
 「……はい」
 「も、すぐ……でるっ……も、いい……」
 「え?」
 「だからっ、も、う、いいって……苦いから……それ……」
  宮野との時は、必ずと言っていいほど苦いものを飲まされた。吐いてしまうと、その場で見捨てられる気がして。でも本当は、どうしてもあの味を好きになれなくて、口に出されるのは、だから苦痛で仕方なかった。
  今にして思えば、それを分かっていて宮野は口に出していたのだろう。
  そうすることが――苦痛を与えることが、優人を支配するための最もお手軽な方法だと知っていたから。
 「苦くても、優人さんの味です」
 「……は?」
 「僕は、優人さんのものなら何でも味わいたい」
 「こ……このっ、変態っ!」
  ぽか、と頭を殴る。朝比奈は「いたぁい」と涙目で優人を見上げた。
 「んもう、こんな時まで照れなくてもいいじゃないですか」
 「うるせぇ――っふ!」
  不意打ちのように含まれて、覚えず甘い溜息が漏れる。腕で上体を起こし、今も丁寧な奉仕を続ける朝比奈を見下ろせば、それだけで優人は胸元に熱いものがこみ上げるのを感じないではいられなかった。
  ああそうか。これが俺の求めていた……
 「……っ」
  やがて、身体の奥で何かが一気に膨張して。
  一気に白い火花となって爆ぜた。
 「あ…………ああ、ぁ……」
  長く尾を引くような溜息が喉から漏れ、達した直後の白く濁った頭をのろり上げれば、朝比奈が覗き込むように優人の顔を見上げていた。
 「優人さん」
  その唇が、伸び上がるようにして優人の唇を啄ばむ。
 「今の顔……すごく、可愛かったです」
  端正な顔が優しく綻ぶ。一瞬、その笑顔にほっこりした優人は、だが次の瞬間、なぜか急に恥ずかしくなって、
 「うるせぇ! た、たかが部屋のくせに、生意気ばっか……」
 「そうです。でも、あなたの家族でもあるんです」
 「……家族?」
 「はい。ですから、どうかこれからも、あなたのそばにいさせてください」
  今度は上体を起こし、優人の背中に腕を回してそっと抱き寄せる。
 「知っていますか?」
 「?」
 「お部屋は、いえ、お部屋に限らずどんな家や建物もそうですが……無人のまま使わずにおくよりも、誰かが住んで使ってあげた方がずっと長持ちするんです」
 「あ、ああ、まぁ」
  そんなものは、多少は不動産を齧った人間には常識中の常識の話だ。
  もちろん、住人がおのずと建物を維持管理してくれるからという理由もある。が、それを抜きにしても、人の気配そのものが建物の劣化を防ぐという一面もある。後者の方は、どんなにずぼらな住人にも不思議と当てはまり、詳しい理屈は分からないが、とにかく、現象としてそういう事実は存在する。
 「お部屋はみんな、とても寂しがり屋なんです」
 「……寂しがり?」
 「はい。そして、寂しいとどんどん老いてしまう。死に近づいてしまう。僕らに一番必要なのは、メンテナンスでも、リフォームでもない、そこに住んでくれる人、ただいまと言ってくれる家族です。――僕には、だから優人さんという家族が必要なんです」
 「……必要」
  言葉の響きを確かめるように復唱する。その〝必要〟は、宮野の口にする〝必要〟とは何かが根本的に違う気がした。
  ふと優人は、最初から宮野に愛されてなどいなかった事実を受け入れた。本当は最初から分かっていた――でも、ずっと受け入れられずにいた事実を。
  翌日、優人は宮野に、二度と会うつもりのない意思をメールで告げた。
 
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