IDLE OR DIE

路地裏乃猫

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「次の曲は?」
 それまで呆然とひびきを見つめていたきららは、その声にふと我に返る。見ると、こちらに向き直ったひびきが、逆光の中、明らかに微笑みを浮かべてきららを見つめていた。
 あれ? でも・・・たしか生徒会長は、反アイドル派じゃなかったっけ?
「え、ええと・・・次は『ロマンスキャンディ』・・・です」
「ああ。原宿ランナーズのデビュー曲ね。・・・えっ、あれってデュオで歌うやつじゃない。サブの録音は?」
「えっ? あー・・・急に呼ばれたライブでして、そういうのはちょっと」
「嘘でしょ。なのに一人で歌おうとしたの?」
「え、ええと・・・可愛いから?」
 するとひびきは、ぽかんと埴輪みたいな顔をする。よっぽど呆れたのだろうー-が、やがて。
「ふふっ」
 くすくすと、鈴を転がすみたいに笑い始める。その笑顔に、きららは確かに見覚えがあった。
 ああ、この顔。私の大好きなきららちゃんのー-
「何なの、それ。・・・ああもう、しょうがないわね。私がサブをやるから、あなたはメインを歌って。いつもの要領で」
「あ、はいー-って、いつもの?」
 思わず問い返すと、ひびきはニッといたずらっぽく笑う。その笑みに、きららは確信する。そうか。いつも図書館裏で私にハモっていたのは。
「朝倉さん」
 肩を叩かれ、振り返ると里田がもう一本のマイクを持って立っていた。うかりマイクをステージの下に落とした時でもすぐに歌を再開できるよう、あらかじめテストを済ませステージ袖に準備していた予備のマイクだ。
「さっきはごめんなさい。それと・・・勝手ばかり言うようだけど、やっぱり、最後まで歌い切って。残念だけど私もあなたも逮捕は免れない。だからせめて、この状況を目にする人たちに、できる限りアイドルの素晴らしさを伝えて。お願い」
 そうして里田は、最後にもう一度「ごめんなさい」と謝る。巻き込んでしまったことを詫びているのだろうか。だとすればそれはとんだ勘違いだ。少なくともきららは、このステージに立たせてくれた里田に感謝している。アイドルとして輝く場所を与えてくれたことに感謝している。
 あんなに辛かった足の痛みも今は嘘みたいに引いて、これってアドレナリンのせいかな、なんてことをきららは思う。ここで無理をしたら後で余計に痛むんだろうな。でも構わない。たとえ足がちぎれても、あるいは命が尽きても、今は、自分のやりたいことを全力でやりきろう。
「きららぁぁ!」
 どこかできららの名を呼ぶ声がする。見ると、いつの間にかステージのすぐ足元に懐かしい友人の顔があった。懐かしい? そういえば、たった半日前にも言葉を交わしたばかりなのに。でも今は、何故だろう、ひどく懐かしく感じられる。それほどに、きらら自身が思う以上に遠くに来てしまったからかもしれない。
「ぶちかましたれぇぇッ!」
「ありがとうあやめちゃん!」
 マイクを握り直すと、隣に立つひびきに目線を送る。折しも流れ始める次のイントロ。この『ロマンスキャンディ』は、可愛くなりたい女の子と、彼女が思い描く理想の女の子との対話を歌にしたもの。女の子なら誰でも共感する悩みや戸惑いをポップな音楽に乗せて歌ったこの曲は、発表当初のセールスこそ振るわなかったものの、その後、多くのアイドルにカバーされる名曲となった。
 メインボーカルは主人公を。
 そしてサブボーカルは、彼女が描く理想の女の子を代弁する。きららにしてみれば、ひびきはまさに理想の女の子だ。顔もスタイルも完璧。頭も良くて歌も上手い。何より、あのきららちゃんの実の娘さん。・・・凄い。凄いなぁ。こんなに凄い人と私、ステージで一緒に歌ってる。
「憧れるだけじゃダメ」
 それは不意に聞こえた。一番のサビが終わって、短い間奏に入った直後。その、僅かな間隙を縫うように、隣に立つひびきが耳打ちしてきたのだ。
「超えるの。憧れを。大丈夫、あなたなら出来る」
 そしてひびきは、にっと笑う。・・・そうだ。無意識のうちについ、彼女の存在に委縮してしまっていた。でもこの曲は、メインボーカルが縮こまっていては成立しない曲。主役の少女が理想を乗り越え、新しい自分を手に入れる物語。
 二番では、それまで引きずられがちだった歌い方を改める。グルーブもビブラートもきららが主体で創ってゆく。引きずられるのではなく引きずる。そこに、ぴったりと息を合わせてくるひびき。やっぱり上手い。おまけに器用でクレバーで、つくづく敵わないなときららは思う。それでもこのステージでは私が主役。センターは絶対に譲らない。

 ようやく本調子を取り戻したきららを横目で確かめながら、ひびきは、それまで味わったことのない感情を噛み締めていた。
 楽しい。
 楽しい楽しいたのしい! 大好きなアイドルの歌を、誰に憚ることなく歌い上げることが、こんなにも楽しくて歓びに満ちていたなんて。きっとそれは、今の私が間違いなく私だから。父のために演じる宵野ひびきではなく、素朴な憧れをアイドルに抱く一人の女の子だから。
 その時、きららが何かを言いたげに目配せを送ってくる。ああこれは、原宿ランナーズが『ロマンスキャンディ』のラストで必ずやっていたあれ。二人のボーカルが額を合わせ、至近距離で見つめ合うー-正直少し恥ずかしいし、何より、こんな醜い顔を間近で見られるのは気が引ける。でも・・・意を決し、小さく顎を引くと、きららは嬉しそうにニッと微笑んだ。そうとも、今まで散々この顔を武器として振り回してきた。何を今更。
 遂に歌唱パートが終わり、二人は額を寄せ合う。湧き上がる歓声が大気を震わせ、まるで本物のライブみたいだなとひびきは思う。ママも昔、こんな歓声の中で歌っていたのかな。辛いことも多かったと言っていたけど、それでもアイドルを続けていたのはきっと、こんな歓びや充足を日々感じていたから。
「次は、何を歌うの?」
 ぜいぜいと肩で息を整えながら問う。きららも相当息が上がっているらしく、鼻先を撫でる彼女の息は燃えるように熱い。
「えっと、次が『吸血鬼さんこんばんは』で、その次が『恋せよ日本列島』。んで『マカロンの初恋』。そしてトリがー-」
「『シューティングスター』?」
 えっ、ときららが顔を上げる。おかげで鼻先が触れ合う距離で、彼女の瞳と見つめ合うことになる。まるで銀河を浮かべたようにキラキラと輝く彼女の瞳と。
「どうしてわかっちゃったんですか!?」
「あなたが、あの曲を歌わずに済むわけがないからよ」
 突き放すようにきららから離れると、ひびきはフロアに向き直る。残り四曲。学園では進学コースに通い、きららほどにはボイストレーニングを積んでいないひびきが歌える曲数としてはギリギリの数。喉をセーブすれば余裕だろう。が、今はそんな小手先芸には頼りたくない。ママに憧れ、さらに乗り越えようとするきららの全力に、ママの娘である私も全力で応えたいのだ。
 私は、星屑きららの娘だ。
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