IDLE OR DIE

路地裏乃猫

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 まるで夢のようだったな、と、手首にかけられた冷たい金属の錠を見つめながらひびきは思う。
 自分は確かに、アイドルとしてステージで歌ったのに、その証拠である心地よい疲労や喉の痛みは今も残っているのに、終わってみると何もかもが夢のようで、どこか現実味に欠けている。だから今のひびきには、たとえ屈辱的なはずの手錠であっても、ここにあることがただ嬉しかった。あの夢のような時間が、決して夢ではなかったことの証だから。
 これからひびきは被疑者として警察に拘束され、裁判にかけられ、そこで何かしらの罪を言い渡されるのだろう。が、そんなことはもうどうだっていいとひびきは思う。今夜この場所で手に入れた〝私〟は、これからも、あるいは一生、ひびきを照らしてくれるだろう。唯一の心残りは父だ。ひびきがこんなことを仕出かした以上、いくら父であっても反アイドルの旗は振りづらくなるだろう。あるいは、議員生命すら絶たれてしまうかもしれない。
「・・・何て謝ろうかな」
 そもそも謝罪の言葉なんて、今のひびきに残されているのか。許される余地はー-いいや、たとえ許されなくともとにかく頭を下げなくては。
 乗せられたパトカーの外では、報道記者やカメラマンが何度警察に追い払われようとも懲りずに食い下がっている。確かに、反アイドルの急先鋒の娘が、アイドルとしてステージに立ったなんて、彼らに言わせればさぞ弄り甲斐のあるゴシップに違いない。とはいえ、こうも不躾にカメラを向けられていると、さすがに嫌気がさしてしまう。
 そんな報道カメラマン達の焚くフラッシュにいい加減うんざりしきった頃、報道陣を掻き分けて一人の婦人警官がパトカーに駆け寄ってくる。
 彼女は、背後の報道陣から守るように薄くドアを開くと、言った。
「ひびきちゃん。お父さんが見えたんだけど、会う?」
 顔を上げたひびきは一瞬だけ躊躇し、しかし、次の瞬間には怯えや躊躇を振り切り「はい」と頷く。すると婦人警官は、今度は持っていたブランケットをひびきの頭に被せ、庇うようにパトカーから下ろした。そうしてひびきの肩を抱いたまま、強引に人混みを突っ切ってゆく。
 やがて案内されたのは、祭りやデモの時に見かける青い護送用のバスだった。その中で、父は娘を待っていた。
「・・・パパ」
 冷たい蛍光灯の明かりを受け、ひびきを見つめる父はいつにも増して無表情で、いかなる感情もそこから読み取ることはできなかった。いっそ、開口一番殴りつけてくれた方が良かったとさえひびきは思う。たった一人の肉親に、見知らぬ他人として突き放されてしまうよりは・・・
 何を勝手なことを。
 先にパパを裏切ったのは私なのに。
「ご・・・ごめんなさい、パパ・・・」
 俯き、せめてもの謝罪を口にする。言い訳の言葉など見つかりもしない。今はただ、父を裏切ってしまったことを心から謝るしか。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。パパを裏切って・・・ごめんなさい」
 再び顔を上げることはできなかった。これ以上、あの無機質な視線に心を晒せばきっとひびきは壊れてしまう。だから俯く視界の隅に父の靴が覗いた時、ひびきは思わず身を竦めた。殴られる? ううん、それならまだ良い方。ひょっとするともっと怖い罰がー-
「ひびき」
「・・・え」
 包み込むような温もりに、一瞬、ひびきは呆然となる。それが実は父の腕で、彼の広い懐に抱きしめられているのだと気付いたひびきは、安堵するよりも先に涙を溢れさせていた。
「パパ・・・っ、どうして・・・」
「どうして? ひびきが自分で選んだ選択なら、何であれそれが正解だ。それに、いつも言っているだろう。ひびきが幸せなら、それだけでパパは充分なんだよ」
 そうして父は、なおいっそう強く娘を抱きしめる。そんな父の肩に顔を埋めながら、ひびきは泣いた。母の葬儀の時ですら涙ひとつ見せなかった少女が、まるで子供のように、声を上げて泣いた。
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