上 下
6 / 8
失せもの、探します

しおりを挟む
「実は、その……一か月ほど前、あの子のスイッチを手放したんです」
 その口調は、何か、見えない傷の痛みでも堪えるようでもあった。
「いえ、でも、仕方がなかったんです。だってあの子、すっかりゲームにかまけて勉強をおろそかにするものですから、その、模試の判定がみるみる下がってしまって……」
 あーこれは、と、私は手元の珈琲をくぴりと啜る。厳格で教育に厳しいご家庭にはありがちなトラブル。初見で抱いた〝きちんとしている〟という印象は、どうやら間違ってはいなかったらしい。
 案の定、女性は私の想像通りの告白を続ける。
「このままじゃ志望校に入学できないかもしれない。それで、あの子に黙ってゲーム機を売り払ったんですけど、そうしたらあの子、すっかり拗ねてしまって。なので……私の言うことも、素直に聞いてくれるかどうか」
「なるほど」
 神妙に頷く縁司くん。そんな縁司くんと、それから女性客とを交互に眺めながら、私は内心うんざりしていた。
 なるほど、それで息子の機嫌取りのために新しいスイッチを探しているわけか。だとしても、頼るべきはこんな珈琲店ではなく、まずは家電量販店だろう。何なら今すぐ代わりに買ってきてやろうか。
 とにかく、こんなしょうもない依頼で私の人生に影を落とすのはやめてほしい。
「つまりあなたは、それが息子さんにとっては悪縁だと判断し、断ち切ろうとした」
「悪縁? ……い、いえ、さすがにそこまでは……」
「ですが実際、それが息子さんにとって悪いものだと、断ち切るべき縁だと思ったのですよね?」
「違います!」
 突然の大声に、私は軽く面食らう。
 見ると、声を発した当の本人である女性客も、なぜか途方に暮れた顔をしていた。
 やがて彼女は、思い出したように言葉を繋ぐ。
「い、いえ……悪縁とまでは……ただ、その、あの子のためになればという、それだけで……」
 そして彼女は、泣きそうな顔で小さく「すみません」と呟く。
「わかっていたんです。そうやって、勝手に持ち物を処分された子供がどれほど傷つくか……わかっていたはずなのに」
 すると縁司くんは「ふむ」と唸ると、切れ長の目ををすい、と細める。一方の女性客は、どこか気まずそうに目を伏せる。心なしか頬が赤いのは、まぁ……縁司くんのビジュアルなら仕方がないか。
 いや、今は彼の美麗すぎるビジュアルに感心している場合じゃない。
「……こりゃまた随分と古い縁だ」
「えっ?」
「あ、いえ。……何にせよ、本人に会わなければそれが本当に良縁か悪縁か、そもそも縁自体が残っているのかすらもわかりません。まずは一度、息子さんを連れていらしてください」
「はぁ……わかりました、何とかあの子を説得してみます」
 すると縁司くんは、これまた殺人的に美しい微笑をやんわり浮かべる。うっ、イケメンの暴力……いやいや、だからしっかりしろ、私!
「お願いします。息子さんには、本気で復縁を望むのであればできるだけ早い方がいい、とお伝えください。時間が経つと、それだけ縁というものは脆く、弱くなります。余程大切なものであれば、多少は長く保つこともありますが」
「早い方が……わかりました。頑張ってみます」
 頷くと、彼女は残りの珈琲を慌ただしく飲み干し、会計を済ませて店を出る。その背中がドアの向こうに消えると、さっそく私はカウンターに詰め寄った。
「まさか、本当に引き受けるつもり?」
「そりゃね。実際、今までも引き受けてきたんだし」
 何食わぬ顔で答える縁司くんは、早くも女性客のカップを洗い始めている。
「それは、叔父さんがオーナーだった頃の話でしょ? とにかく……私は反対です。今回の依頼も、後でちゃんと断って」
 ぴた、と、カップを洗う縁司くんの手が止まる。気のせいか寒気を覚えて、私は思わず二の腕をさする。
 見ると、縁司くんが冷ややかに私を睨みつけている。まさか、この冷気は彼が?
「英司さんのやり方を否定すんの?」
 静かだが、切りつけるように冷たい口調。が、そんな彼の気迫に負けじと、こちらも睨み返す。
「だ、だって、しょうがないでしょ。もし、本業以外の業務で黙って稼いでいることが知られたら、しょっぴかれるのは私なんだから」
 不意に店内を包む沈黙。その気まずさに負けじと、私は無言のまま縁司くんと睨み合う。
 とにかく、ここで折れるわけにはいかない。
 人間の世界は、彼らが思うよりずっとシビアで複雑だ。膨大な法律。明文化はされなくとも守ることが自明とされる倫理観、それにマナー……そうした諸々の制約の中で、人間である私は生きざるをえない。人ならざる縁司くんの、カミだか妖怪だかの感覚で話を進められても困るのだ。
 やがて縁司くんは、洗って拭き終えたカップを背後の棚に戻す。そこには、デザインも大きさもとりどりのカップがペアのソーサーと一緒に並べられている。ここが何の気兼ねもなく立ち寄った喫茶店なら、わー映えるーとか無邪気にハシャぎながら眺めていたかもしれない。でも今は、とてもそんな気分になれない。
 今だから言えるが、ここがただの珈琲店なら、正直、継ぐのもやぶさかではなかった。
 だけど、本業(縁司くん曰く、物探しの方が本業らしいが)とは別に業務を引き受けているとなれば話は別だ。珈琲屋をやめろとは言わない。物探しもやりたきゃ勝手にやればいい。ただ、両方同時には駄目だ。
「いや、別に稼いじゃいないが?」
「は?」
 今、この人は何と……?
 呆然となる私の驚きなど素知らぬ顔で、縁司くんは痩せているのに広い肩をひょいとすくめる。
「本当は稼いでもよかったんだけどさ。その方が英司さんも楽になるし……けど、あの人は絶対に金を取らせなかった。あの時は、ぶっちゃけ何でだよって思ったけど……なるほど、人の世では副業は禁じられているんだな」
 そう勝手に合点する縁司くんを、なおも私は呆然と見上げる。
 報酬を得ていない? つまり、珈琲店を訪れた客が抱える悩みを、店員がボランティアで解決しているだけ……ってこと? だとすれば、そんなものは副業とは呼ばない。金銭を介さない仕事は何であれ仕事ではない。少なくとも、人間の世ではそういうことになっている。
 えっ、じゃあ、あれこれ気を揉んだ挙句ぎゃあぎゃあ騒ぎまくった私は一体?
「え、っと……副業はっていうより、飲食業でやってるのに、それ以外の業務でお金を得るのが駄目なんだと思う」
「ふーん、じゃあ、金を貰わずに引き受けるぶんには何の問題もないわけだ」
「え、ええ……」
 とりあえず、業態云々の件はこれにて解決、ということか? そうなると……ううっ、継ぐのもやぶさかではない。けど……早くもさっきの決意が揺らぎ始める自分がいる。いやぁ人間って勝手だなぁハハッ。
 ん? ちょっと待って。
 そうなると、じゃあなぜ縁司くんは物探しを引き受けているのだろう。彼自身は(叔父に止められたこともあって)報酬は受け取っていなかった。その報酬すら、当初は純粋に叔父のために集めるつもりだったと言っている。それとも単純に、その方が集客に繋がると考えたから?
「ていうかさ、本当は、他に訊くべきことがあるんじゃないの」
「えっ? ほかに……」
 すると縁司くんは、なぜか呆れた顔をすると「もういい」と溜息をつく。
 ほかに訊くべきこと――ああ、そうだ。言われてみれば、副業の件ですっかり気を取られていたけど、いの一番に解決すべき疑問をすっかり失念していた。
「あ、あの、さっき話してた、えにし、って、何のこと?」
「あんた、この店の屋号、知ってる?」
「えっ? も、もちろん、えにし亭でしょ――あっ」
 いや、あっ、じゃないわ。いの一番に気付くべき単語だわ。まさにこの店の屋号として使われる言葉。なのに、今の今まで気付かなかった私も、かなりのうっかりさんである。
「あの人は、人やものに無意味な名前を付ける人じゃない。えにしってのは、人や物を結ぶ力だ。そして、俺はそいつを視ることができる」
「えっ、じゃあ叔父さんは、その力にあやかって……?」
「そうさ。この店は、あの人が俺のために開いてくれたんだ」
 そして縁司くんは、すうっと白狐の姿に戻ると、尖った鼻をつんと反らす。
「俺は元々、とあるカミの眷属をやっていた。けど英司さんと出会った頃、俺はその力をほとんど失いかけていてね。ただの獣に成り代わる寸前だったんだ。……そんな俺に、あの人は言った。力を取り戻したければ、とにかく信仰を集めろ、人助けをしろって」
「それで、この店を……?」
「ああ。つまりこの店は、俺の生命維持装置でもあるんだよ。俺が必死になる理由、少しはわかってくれた?」
 で、今度はあのスーパーイケメンにすうっと変化する。ご丁寧に投げキスまで添えて。いや、いらないし。ただ……それでもやっぱり、踏ん切りをつけられない自分がいる。
「そ、それでも……店の経営を守るだけなら、私でなくてもいいと思う……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

かつて私のお母様に婚約破棄を突き付けた国王陛下が倅と婚約して後ろ盾になれと脅してきました

お好み焼き
恋愛
私のお母様は学生時代に婚約破棄されました。当時王太子だった現国王陛下にです。その国王陛下が「リザベリーナ嬢。余の倅と婚約して後ろ盾になれ。これは王命である」と私に圧をかけてきました。

兄のお嫁さんに嫌がらせをされるので、全てを暴露しようと思います

きんもくせい
恋愛
リルベール侯爵家に嫁いできた子爵令嬢、ナタリーは、最初は純朴そうな少女だった。積極的に雑事をこなし、兄と仲睦まじく話す彼女は、徐々に家族に受け入れられ、気に入られていく。しかし、主人公のソフィアに対しては冷たく、嫌がらせばかりをしてくる。初めは些細なものだったが、それらのいじめは日々悪化していき、痺れを切らしたソフィアは、両家の食事会で…… 10/1追記 ※本作品が中途半端な状態で完結表記になっているのは、本編自体が完結しているためです。 ありがたいことに、ソフィアのその後を見たいと言うお声をいただいたので、番外編という形で作品完結後も連載を続けさせて頂いております。紛らわしいことになってしまい申し訳ございません。 また、日々の感想や応援などの反応をくださったり、この作品に目を通してくれる皆様方、本当にありがとうございます。これからも作品を宜しくお願い致します。 きんもくせい 11/9追記 何一つ完結しておらず中途半端だとのご指摘を頂きましたので、連載表記に戻させていただきます。 紛らわしいことをしてしまい申し訳ありませんでした。 今後も自分のペースではありますが更新を続けていきますので、どうぞ宜しくお願い致します。 きんもくせい

公爵令嬢は逃げ出すことにした【完結済】

佐原香奈
恋愛
公爵家の跡取りとして厳しい教育を受けるエリー。 異母妹のアリーはエリーとは逆に甘やかされて育てられていた。 幼い頃からの婚約者であるヘンリーはアリーに惚れている。 その事実を1番隣でいつも見ていた。 一度目の人生と同じ光景をまた繰り返す。 25歳の冬、たった1人で終わらせた人生の繰り返しに嫌気がさし、エリーは逃げ出すことにした。 これからもずっと続く苦痛を知っているのに、耐えることはできなかった。 何も持たず公爵家の門をくぐるエリーが向かった先にいたのは… 完結済ですが、気が向いた時に話を追加しています。

僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月
キャラ文芸
近未来の、並行世界の話です。新時代の助けになればと思い、書きました。

みそっかすちびっ子転生王女は死にたくない!

沢野 りお
ファンタジー
【書籍化します!】2022年12月下旬にレジーナブックス様から刊行されることになりました! 定番の転生しました、前世アラサー女子です。 前世の記憶が戻ったのは、7歳のとき。 ・・・なんか、病的に痩せていて体力ナシでみすぼらしいんだけど・・・、え?王女なの?これで? どうやら亡くなった母の身分が低かったため、血の繋がった家族からは存在を無視された、みそっかすの王女が私。 しかも、使用人から虐げられていじめられている?お世話も満足にされずに、衰弱死寸前? ええーっ! まだ7歳の体では自立するのも無理だし、ぐぬぬぬ。 しっかーし、奴隷の亜人と手を組んで、こんなクソ王宮や国なんか出て行ってやる! 家出ならぬ、王宮出を企てる間に、なにやら王位継承を巡ってキナ臭い感じが・・・。 えっ?私には関係ないんだから巻き込まないでよ!ちょっと、王族暗殺?継承争い勃発?亜人奴隷解放運動? そんなの知らなーい! みそっかすちびっ子転生王女の私が、城出・出国して、安全な地でチート能力を駆使して、ワハハハハな生活を手に入れる、そんな立身出世のお話でぇーす! え?違う? とりあえず、家族になった亜人たちと、あっちのトラブル、こっちの騒動に巻き込まれながら、旅をしていきます。 R15は保険です。 更新は不定期です。 「みそっかすちびっ子王女の転生冒険ものがたり」を改訂、再up。 2021/8/21 改めて投稿し直しました。

婚約者が王子に加担してザマァ婚約破棄したので父親の騎士団長様に責任をとって結婚してもらうことにしました

山田ジギタリス
恋愛
女騎士マリーゴールドには幼馴染で姉弟のように育った婚約者のマックスが居た。  でも、彼は王子の婚約破棄劇の当事者の一人となってしまい、婚約は解消されてしまう。  そこで息子のやらかしは親の責任と婚約者の父親で騎士団長のアレックスに妻にしてくれと頼む。  長いこと男やもめで女っ気のなかったアレックスはぐいぐい来るマリーゴールドに推されっぱなしだけど、先輩騎士でもあるマリーゴールドの母親は一筋縄でいかなくて。 脳筋イノシシ娘の猪突猛進劇です、 「ザマァされるはずのヒロインに転生してしまった」 「なりすましヒロインの娘」 と同じ世界です。 このお話は小説家になろうにも投稿しています

お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜
キャラ文芸
✨ 第6回comicoお題チャレンジ『空』受賞作 阿須加家のお嬢様である結月は、親に虐げられていた。何もかも親に決められ、人形のように生きる日々。 だが、そんな結月の元に、新しく執事がやってくる。背が高く整った顔立ちをした彼は、まさに非の打ち所のない完璧な執事。 だが、その執事の正体は、幼い頃に結婚の約束をした結月の『恋人』だった。レオが執事になって戻ってきたのは、結月を救うため。しかし、そんなレオの記憶を、結月は全て失っていた。 これは、記憶をなくしたお嬢様と、恋人のためなら何でもしてしまう一途すぎる執事(ヤンデレ)が、二度目の恋を始める話。 「お嬢様、私を愛してください」 「……え?」 好きだとバレたら即刻解雇の屋敷の中、レオの愛は、再び結月に届くのか。 一度結ばれたはずの二人が、今度は立場を変えて恋をする。溺愛執事×箱入りお嬢様の甘く切ない純愛ストーリー! ✣✣✣ カクヨムにて完結済みです。 毎日2話ずつ更新します。 この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。 ※第6回comicoお題チャレンジ『空』の受賞作ですが、著作などの権利は全て戻ってきております。

「最初から期待してないからいいんです」家族から見放された少女、後に家族から助けを求められるも戦勝国の王弟殿下へ嫁入りしているので拒否る。

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢に仕立て上げられた少女が幸せなるお話。 主人公は聖女に嵌められた。結果、家族からも見捨てられた。独りぼっちになった彼女は、敵国の王弟に拾われて妻となった。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...