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親友

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「……あれ?」
 目を覚ますと、そこには見慣れない部屋が広がっていた。
 身を起こし、モノトーンの部屋を見渡しながら、そういえばここは鷹村の家で、自分はそのソファで家主が帰るのを待ち続けていたのだと思い出す。その後のことはよく覚えていないが、多分、旅の疲れもあってそのまま眠りこけてしまったのだろう。
 見ると、肩から足にかけて薄手のタオルケットが掛けられている。渉自身はこんなものを被った覚えはない。ということは、まさか――
「目が覚めたか」
 背後からの声にふり返る。カウンターキッチンの向こうで、上着を脱ぎ、ネクタイの先をシャツの胸ポケットに突っ込んだ鷹村が何やら忙しく立ち働いているのが見えた。
 そういえば、さっきからやけに食欲をそそる香りが部屋に漂っている。
 ソファから立ち上がり、そろそろとカウンターに歩み寄る。カウンター越しにキッチンを覗くと、今まさに鷹村がコンロの前で魚らしきものを焼いているところだった。
 長い指先が器用にフライパンとトングを操るさまは、それだけで一つのショーのようだ。
「……いつ帰ったの」
「なに、ついさっきだ。――ところで、疲れてるところを悪いが、こいつをテーブルに置いてくれないか」
 言いながら、鷹村の手が木製のボウルに山と盛られたサラダを突き出してくる。瑞々しい生野菜の上に生ハムとチーズが散らされたサラダは、彩りも鮮やかで見るからに美味しそうだ。
 さらに鷹村は、グリルからローストされたチキンを取り出すと、つけあわせの温野菜とともに皿に盛ってテーブルに運んだ。トースターからフランスパンを取り出し、冷蔵庫からはチーズとワインボトルを……最後に、焼き終えた白身魚を皿に盛って運ぶと、二人用のダイニングテーブルはすっかり料理の皿で埋まってしまった。
「簡単なものばかりで悪いが」
「これが?」
 これのどこが簡単なのだろう。半ば呆れ気味にテーブルを見渡す渉に、さっそく鷹村が空のワイングラスを差し出してくる。受け取ると、今度はなみなみとワインを注がれた。
「上京祝いだ。まぁ、ぐっといけ」
「あ……うん」
 こう見えて渉は、なぜか酒だけは強いのだ。一気にグラスを干すと、鷹村が驚いたように目を丸くした。
「こんなに強かったのか? お前」
「まぁ、これぐらいは余裕……そういえば、こうして涼と二人で呑むのってこれが初めて?」
「そうか。言われてみればたしかにそうだ」
 そう呟く鷹村の横顔はどこか寂しげで、なぜか渉は言いようのない後ろめたさを感じた。
「まぁ、とにかく食おうか」
「うん」
 テーブルに着き、あらためてワインで乾杯する。一杯目のときも思ったが、その味はさっぱりとしているくせに豊潤で、きっと値段を聞けば腰が抜けるような高級ワインなのだろう。が、ここで驚くべきはワインではなく、そんなワインにも負けない料理をあっという間に拵えてしまう鷹村の料理の腕前だ。
 昔からそうだった。鷹村は、何をやらせても大抵のことは人並み以上にこなした。ついた綽名は完璧超人。もっとも本人は、その綽名をひどく嫌っていたようだが……
 そんなことをぼんやり思い出しつつ箸を動かす。自分でも思う以上に腹が減っていたのか、あるいは驚異的に美味い料理のせいか、なかなか箸は止まらなかった。
「すごいね。いつの間にこんな料理を?」
「まぁ……こういう仕事をやってると、どうしても料理関係の知り合いが増えちまってな。んで、つき合いで料理のことを勉強するうち、いつの間にか趣味になっちまったというか……まぁそんなところだ」
「すごいね。ただでさえモテるのに、料理もできたら最強じゃん」
「それは……皮肉のつもりか?」
 切れ長の目が、じろりと責めるように渉を睨む。その言葉の意味に気づいた渉は、慌ててテーブルに目を落とした。
 その鷹村を、手酷く振ったのは自分じゃないか――
「ははっ冗談だよ冗談!」
「えっ?」
 思いがけず陽気な声に驚いて顔を上げると、鷹村が、さっきまでの不機嫌さが嘘のような穏やかな笑みを浮かべていた。
「心配するな。俺にとって過去はただの過去だ。とっくの昔に克服したさ、そんなもん」
「そ……そう」
 よかった、と言いかけて渉はふと口をつぐむ。きっと、そこには鷹村本人しか分からない痛みや苦しみがあったはずで、その苦しみを与えた本人が気安く「良かった」などと口にするのは、何だか違うような気がしたのだ。
 それとも、ここは素直に祝福してやったほうがいいのだろうか……。
 さりげなく鷹村の左手を盗み見る。相変わらずその薬指にはシンプルなデザインの指輪が光っていて、その存在が、なぜか渉を落ち着かなくさせた。
「どうだった、あの店は」
 その声に、はっと渉は我に返る。
「え? あ、ああ……すごく、雰囲気のいい店だね。店長は、ちょっと変わった人だけど優しいし、それに、ほかのみんなも……」
 店が閉められたあとで、渉は速水からあらためてスタッフの紹介を受けた。皆、穏やかで優しそうな人たちばかりで、一時はどうなることかと不安だった渉も、ここなら何とか頑張れるかもと励まされたものだ。
「やれそうか?」
「うん……やってみるよ。せっかく涼がくれた仕事なんだし……」
「そう言ってもらえると嬉しいが、ただ無理はするなよ」
 ほっとしたように鷹村が微笑むのが、とりあえず今の渉には嬉しかった。
 渉があてがわれたのは、玄関近くの八畳ほどの個室だった。部屋にはすでにベッドや机が用意されていて、ちょっとしたビジネスホテルよりもうんと豪華だ。
「ここは?」
「客間だ。たまに遠方から来る知り合いを泊めるのに使ってるが……まぁ、部屋が余ったんでとりあえず客間にしただけで、普段はほとんど使ってない」
「余るって……」
 部屋を余らすほどのマンション自体に縁のない渉には、完全に別次元の話だ。
 そもそも、一人暮らしに3LDKというのが広すぎるのだ。まだ前の会社で働いていた頃、渉は五畳ばかりのこぢんまりとしたワンルームでひっそりと暮らしていた。それでも不便らしい不便を感じなかったのは、家にいる時間がほとんどなかったせいもある。長時間残業に休日出勤が当たり前だったあの頃、そこは仮眠を取りに帰るだけの場所でしかなかった。
「じゃあ最初から買わなきゃいいじゃん、こんな広いマンション」
 すると鷹村は、
「まぁ……そこは、いろいろあってだな」
 いやに茶を濁すような言い方をした。
「風呂場やキッチンは自由に使っていい。洗濯も勝手にやってくれて構わない。ただ、マンションの規則で外には干せないことになっているから、乾かすときは乾燥機を使ってくれ」
「う、うん……わかった。ありがとう」
 ドアを閉ざし、ようやく部屋に一人きりになる。かつて住んでいたアパートよりも広く豪華な部屋を見渡しながら、それでも渉の頭を占めていたのはたった今の鷹村の言葉だった。
 いろいろって何だ。一人暮らしのためにわざわざ3LDKを買う理由……
 まさか。
「あ、あのさ、涼……」
 振り返ったちょうどその時、ドアの向こうからシャワーの音が響きはじめた。
 結局その日、推測をたしかめる機会はそれきり巡ってこなかった。
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