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最終章 負け猫に祝福を、姫に青春の日々を

化け物なんかじゃない

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 姫宮が向かった先は、意外にも通い慣れた空き教室だった。

 南京錠は事前に外してあったらしく、姫宮は普通にドアを開けて入室した。

 ドアをわずかに開けて、その隙間を覗き込む。

 姫宮は待ち人と対峙していた。

 相手は菊池桃花だった。

「菊池さん。お待たせしました。せっかく南京錠を開けておいたのですから、座って待っていればよかったのに」

「長居したくないの。要件を言って」

 菊池は「取り調べみたいで嫌なんだけど。マジ気分悪い」と、ため息交じりに愚痴をこぼす。

「まぁそう言わずに。事件について、最後にお話ししたいことがあります」

「藤田くんのこと? もう話せることはないよ」

「あのストーカー男は先ほど粛清しましたので、もう用はありません」

 菊池は目を丸くしたが、すぐに乾いた声で笑った。

「ははっ。すごいね。犯人を懲らしめたんだ」

「キャット先輩の助手ですから。これくらい、わけないですよ」

「そう。じゃあ、事件は解決じゃん。黒幕は成敗したんでしょ?」

「いえ。成敗するのはこれからです……菊池さん。黒幕は、あなたなのですから」

 一瞬、姫宮が何を言っているのかわからなかった。

 俺と姫宮が離れることで、利益を得る者が犯人のはず。だから、姫宮のことが好きな藤田が怪しいという推理になったんだ。

 それなのに、どうして菊池が黒幕なんだ?

 もしも彼女が黒幕であるならば、動機は藤田と同じだってことだ。

 だとすれば、菊池は……。

「菊池さん。あなたは猫村くんのことが好きなんですよね?」

 後頭部を殴られたような衝撃が走る。

 自慢にならないが、人生で一度でも異性から好意を向けられたことはない。もっと嬉しいものだと思っていたが、驚きすぎて事実を飲み込むのがやっとだ。

「何よそれ。私が黒幕? 猫村くんが好き? どうしてそう思うのさ」

「菊池さん。あなたは重大なミスを犯しました。私と猫村くんが事情聴取に行ったときのことです」

「私が……重大なミス?」

「犬井くんの話題が上がったとき、あなたはこう言いました。『脅迫も盗撮もしていない』と」

「それのどこがおかしいの?」

「私は脅迫の話はしましたが、盗撮の話は一度もしていません。どうして私たちが盗撮の被害に遭ったことを知っていたんですか?」

「そ、それは……ふ、藤田くんが言っていたのよ!」

「あなたの証言どおり、犯人……藤田くんに脅されたとしましょう。その場合、藤田くんは自分が盗撮したことを、脅迫相手のあなたに言うでしょうか? 言いませんよね、普通。盗撮は犯罪です。藤田くんにとって盗撮の件は知られたくない弱みです。自分の弱みを漏らすメリットなんてないです。なら、どうしてあなたは盗撮の件を知っていたのか。それはあなたと藤田くんが共犯関係にあったからです」

「どうして私が藤田くんと共犯なんてしないといけないのよ!」

「共犯する理由なんて一つ。利害関係が一致したからです。藤田くんが私を好きだったように、あなたもまた、猫村くんが好きだった。これで利害が一致します」

「……好きだって、なんでわかるの」

「私はあなたにカマをかけました。私が猫村くんと過剰にスキンシップすると、あなたは腹を立てていましたね。それは私に対して憎悪と嫉妬の感情を抱いていたからです」

 姫宮は淡々と説明していき、菊池を追い込んでいく。

 その静けさが、嵐の前兆だと思うのは考えすぎだろうか。

「中学時代、あなたは猫村くんが好きだったけれど、気持ちを伝えることはできなかった。しかし、運命はあなたに味方します。転校先に憧れの猫村くんがいたのですから」

 しかし運命の歯車は狂い始める、と姫宮は言う。

「あなたの知らない間に、猫村くんに私というお邪魔虫がくっつきました。私と猫村くんが親しげにスキンシップを取っていたため、あなたは私と彼が交際していると思ったんです。実際、それはあなたの勘違いだったわけですが」

「……え? 待って。あなたたち、付き合ってないの?」
「はい。菊池さんの早とちりです」

 菊池は悔しそうに顔を歪めて「ちくしょおぉ……」と呻いた。

「初めて会ったとき、猫村くんが私のことを『助手』と言いました。この特殊な呼び方に違和感を覚えたあなたは、私のことを調べた。そして、キャット先輩の助手だという事実にたどり着き、キャット先輩が猫村くんだってわかったんです」

 菊池はとうとう泣き始めた。

 懺悔の涙なのか、それとも自分の失敗を悔やんでいるだけなのか。彼女の表情からはうかがい知ることはできない。

「あなたは私と猫村くんの仲を裂きたかったが、どうすればいいかわからなかった。そんなとき、ストーカー中の藤田くんと出会い、今回の事件の脅迫計画を閃いたんです。藤田くんがあなたについて何も語らなかったところを見ると、あなたは藤田くんを脅したんです……『ストーカー行為を公表されたくなかったら、私の言うとおりにしろ。悪いようにはしない。お前にもメリットがある話だ』とね」

 メリットとは、姫宮が俺と別れてフリーになることだ。実際は付き合ってないので、前提からしておかしかったことになるのだが。

「さて。何か言いたいことはありますか?」

 姫宮は相変わらず無表情だった。

 対照的に、菊池は絶望的な表情をしていた。

「私、中学の頃はあまりクラスに馴染めなかったんだ。場の空気が読めずに発言して、クラスで浮いちゃう子だったの」

 菊池は指で涙を拭い、昔話を始めた。

「私が猫村くんを意識するようになったのは、合唱コンクールがきっかけだった。男子が全然やる気なくて、パート練習をサボっていたの。私、イライラしちゃって、言い方も選ばずに怒鳴り散らしたんだ。そしたら、男子からひんしゅく買っちゃって……困っていたら、猫村くんが助けてくれたの」

 その話は記憶にある。島田や他の男子がサボってばかりいたら、菊池は「みんな一生懸命練習しているんだから協力しなさいよ!」と怒鳴って注意したんだっけ。

 当たり前だが、島田がそんな話を聞くわけがない。それどころか「うぜぇ」だの「黙れブス」だの、汚い言葉で罵って馬鹿にしたんだ。

「猫村くんは『菊池。ここは俺に任せてくれ』って言ってくれた。そのあと、島田くんたちと話し合って、遊びたい放課後と昼休みは有志で練習して、朝の時間と音楽の授業は真剣に取り組むと約束してくれた」

 正直、あいつらに全力でやれって言ったって無理だ。それならできる範囲でやってもらうしかない。だから俺は折衷案を取り、極力練習に参加させることにしたんだ。

「私、猫村くんにお礼を言ったんだけど、彼は不思議そうな顔して『俺、何かしたっけ?』って言ってた。それで私、猫村くんのこと尊敬するようになったの。私の苦手なことを軽々とやっちゃうし、えばったりしないんだなって思って」

 別に菊池から尊敬されたり、恩を売ってやろうなんて考えていなかった。あの頃の俺は、ただみんなに仲良くしてほしいだけだったと思う。

「卒業したら、私、猫村くんと会えなくなって寂しいなって思うようになったんだ。そこでようやく恋していたんだなって気づいたの。だから、この学校で会えてすごく嬉しかった……でも、姫宮さんがいたから……」

「邪魔だったら、仲を引き裂いてもいいと思ったんですか?」

「だって、しょうがないじゃん!」

 震える声が室内に響いた。

 菊池の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。

「好きって気持ちばかりが膨らんで! でも伝える勇気なんてこれっぽっちもなくて! 気持ちだけが成長して、全っ然上手くいかない! 姫宮さんが邪魔なんだもん! 私、猫村くんを奪ってでも自分のものにしたいって思った! しょうがないじゃん! 好きなんだもん! 好きな人のこと考えたら、わけわかんなくなるじゃん!」

 俺は恋愛したことがない。だから、菊池の気持ちを理解してやることはできない。

 だけど、これだけは確実に言える。

 そんな身勝手な理由で、人を傷つけていいわけがない。

「あなたの青春なんて知りませんよ。私、あなたのせいですごく傷つきました。どうしてくれるんですか?」

「私だって知らない! なんなのよ! 姫宮さんのくせに青春しないで!」

「……どういう意味ですか?」

「調べたから知ってるよ。姫宮さん、青春がわからないんでしょ? 何それキモい。人間じゃないし」

 昔の俺なら、そんな軽口、姫宮は受け流すと思っていただろう。

 でも、今はもうわかってしまう。

 青春について真剣に悩む姫宮にとって、その言葉がどれほど彼女の心を傷つけるのかを。

「菊池さん。私は人間です。そんなこと言わないでください」

「うるさい、化け物! 平気な顔して人の心に土足で踏み込まないで! あなたなんか人間じゃない! 姫宮さんみたいな心のない化け物に、私の気持ちなんて――」

 パァン。

 乾いた音が強く響く。

 姫宮が菊池の頬を平手打ちした音だ。

「私は化け物なんかじゃない! 心だってある!」

 姫宮は号哭し、感情を爆発させた。

「友情の尊さも、恋愛の素晴らしさも、私には何一つわかりません! でも、胸を刺すこの痛みは本物なんですよ! 猫村くんと話せないのが嫌で仕方ないんです! 隣に彼がいないと、毎日が虚しいんです! 私から猫村くんを奪わないで! お願いだから、私たちの居場所を壊さないで!」

 理屈っぽい姫宮が、子どものように泣きながら駄々をこねている。

 なぁ姫宮。

 いくら不器用な君でも、本当はもうわかっているんだろ?

 今、君は君だけの青春を、具体的な言葉で述べたんだ。

「菊池さんに猫村くんは救えません。私は彼と一緒に地獄へ堕ちます。邪魔するのなら、次は平手打ちでは済みませんよ」

 この先、死んだふりをやめる日が来るなんて保証はない。地獄に堕ちるとは、そういう意味だと思う。

 でも、どうしてかな。

 ちょっとだけ……ほんのちょっとだけなんだけど、心が軽くなった気がするんだ。

 少なくても今は、姫宮がそばにいるだけ生きていける。

 本人に言ったら、きっと調子に乗るから黙っておこう。

 俺は二人に気づかれないように、忍び足でその場を離れた。
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