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最終章 負け猫に祝福を、姫に青春の日々を

姫による制裁のお時間

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 翌日の放課後、俺は図書室の裏にやってきた。

 図書室と塀の間にあるこの場所は、日中なのに薄暗い。日が当たらず、じめじめしている。コンクリートには、ところどころ苔が成長している。名前のよくわからない虫が地面を這っていて、あまり居心地がいい場所ではない。

 俺はここで犯人を待っている。

 姫宮は便箋にメッセージを書いて犯人に送ったという。いきなり呼び出したら警戒するだろうと問いかけると、彼女は「絶対の自信があるので任せてください」と豪語した。

 あの姫宮が任せてほしいと言ったのだ。それだけで信じるに足る。間抜けな犯人は、まんまとおびき出されるに違いない。

 俺たちの思惑どおり、すぐに待ち人はやってきた。

 くしゃくしゃの髪。腫れぼったい目。尖った頬。痩せ細った体躯。死神のような見た目のそいつは、のそのそと歩いて近づいてくる。

 犯人は俺の顔を見るなり、舌打ちをした。

「ちっ。テメェ、ハメやがったな」

 犯人――藤田は地面に唾を吐き、俺に詰め寄ってきた。

「姫宮が『大事な話があります』って手紙を寄こしたから来たが……なんでクソ彼氏がいるんだよ。殺すぞ」

 姫宮はラブレターを書いて藤田に渡した。そういえば、以前も同じ手を使っていたっけ。彼女は男を惑わす文才もあるようだ。

「まんまと偽のラブレターに釣られるとはな。ストーカーってのはピュアなのか?」

 挑発すると、藤田は眉間にしわを寄せて俺を睨みつけた。

「テメェ何が目的だ?」

「藤田。君が俺に脅迫メールを送った犯人だったんだな」

「はぁ? なんのことだよ」

「とぼけるな。姫宮のことが好きな君は、俺が邪魔だったんだろ」

 犯人は「姫宮と別れろ」と俺を脅した。このことから、俺と姫宮の関係を引き裂くことで、利益を得る人物が怪しい。つまり、犯行動機は恋愛感情から生まれたものだと推測できる。

 だとすれば、俺か姫宮に好意を抱いている人物が犯人像だ。

 俺に心当たりはないが、姫宮の周りに犯人像と合致する人物がいる。それがストーカーの藤田だった。

「メールに添付された写真。あれもヒントだ。あそこの喫茶店は学校の最寄り駅から五つ離れた駅にあり、しかも駅から徒歩十五分のところにある寂れた喫茶店だ。そんな辺鄙なところで、偶然俺たちのデート現場を目撃するだろうか。駅前には話題の店や人気チェーン店があるのに、わざわざあの店を利用するのは姫宮級の変人しかいない」

「何が言いたいんだよ」

「ストーカーしていた君なら、確実に来店してくるってことさ」

 そうでなければ、あんな店で偶然出会う可能性は極めて低い。

「あの日、君は姫宮を待ち伏せていた。しかし、俺と親しげに話していたのが気になり、尾行したんだ。そしてあの店にたどり着き、俺たちがイチャイチャしているのを見て腹が立った。そうだろ」

「わけわかんねぇな。脅迫とか喫茶店とかなんのことだ?」

「シラばっくれるな。菊池桃花から話は聞いているんだ」

 菊池からは重要な証言は得られていない。藤田を追い詰めるには情報不足だ。俺は姫宮を見習い、ハッタリをかますことにした。

「藤田。お前、菊池桃花を知っているな?」

「さ、さぁな」

 藤田の目は泳いでいる。俺のハッタリが効いているようだ。

「俺の過去を知っているのは菊池しかいない。だから、お前が俺の過去を知っているわけがないんだ。お前は菊池から情報を得たんだよ。違うか?」

「だ、だから知らないって言ってんだろ」

「とぼけるな。菊池は全部白状したぞ。藤田に脅されたってな」

「……あぁ? なんだと?」

 藤田の眉がぴくりと動く。

「テメェ、さては嘘をついてやがるな?」

 藤田は冷静さを取り戻し、俺を睨んだ。しまった。ボロが出てしまったか。

 直前まで藤田は焦っていた。しかし、俺が「菊池は藤田に脅されたと白状した」と言った次の瞬間、俺のハッタリを見破った。

 もしかして……菊池は藤田に脅されていない?

「けっ。ハッタリで物言いやがって」

 藤田は俺を一瞥し、背を向けた。

「嘘じゃない。彼女と実際に会って話をしたんだ」

「黙れ。テメェの言っていることは全部デタラメだ」

「待てよ。逃げるな。君が脅迫メールを送ったのは間違いないんだ」

「人違いじゃねぇの? 脅迫のことも写真のことも知らねぇし、菊池とか犬井とか誰だかわかんねぇよ」

 今の発言で俺は勝利を確信した。

「おい藤田。君、どうして犬井のことを知っているんだ?」

 彼の動きが止まった。

 俺は背中に向かって話し続ける。

「脅迫や写真、菊池の話は説明した。だが、犬井の話はしていない。そもそも犬井は俺の中学時代の同級生で、この学校の生徒じゃない。俺と菊池以外、知っているはずがないんだ」

 藤田が犬井のことを知っている。

 その事実こそ、菊池と藤田が共犯関係にある証拠に他ならない。

 藤田は振り返り、「めんどくせぇな。そうだよ、俺がやったんだ」と開き直った。

「お前が邪魔なんだよ、猫村。陰キャのくせして姫宮と付き合いやがって。テメェみたいな日陰者じゃ姫宮と釣り合わない」

「君は何か勘違いをしている。俺と姫宮は付き合っていない」

「だとしても、親しい間柄なのは間違いない。目障りなんだよ。姫宮は俺の女になるんだ。テメェは引っ込んでろ」

 藤田の主張は滅茶苦茶だが、一点だけ同意する。青春をしたくない俺と、青春をしたい姫宮は釣り合わない。

 でも、あの子は言ってくれたんだ。

 俺と一緒に地獄へ堕ちるって。

 負け猫の自己満足に付き合ってくれるって、そう言ってくれたんだ。

「藤田。俺はこれからも姫宮のそばにいる。君に姫宮は渡さない」

「……渡さないだぁ?」

 藤田は俺に近づき、下から拳を繰り出した。

 瞬間、みぞおちに重たい衝撃が深く沈む。内臓を貫くような痛みが体内で反響し、まともに立てなくなった俺は両ひざをつく。息ができない。苦しい。目がチカチカする。

 藤田の自供は聞けたんだ。

 姫宮……もういいだろ。十分だ。

 俺の願いに応えるように、姫宮は図書室裏に現れた。

「おやおや。イジメですか? 穏やかじゃないですねぇ」

 姫宮は父から借りたというデジカメで俺たちを撮影している。

 藤田は姫宮を見て目を見開いた。

「姫宮……そのカメラ、まさか……」

「そのまさかです。二人のやり取りはすべて録画済みですよ。藤田くんの自白を撮るつもりが、まさか暴力シーンまでカメラに収められるとは。あ、そういえば猫村くん、大丈夫ですか?」

 思い出したかのように俺の安否を確認するな。もっと心配しろ。

 そう抗議したかったが、上手く呼吸ができない。代わりに俺は姫宮を睨んだ。

 しかし姫宮は俺に見向きもせず、藤田にカメラを向けたまま邪笑を浮かべた。

「藤田くん。観念してください。証拠は全部こちらの手の内にあります」

「な、何をするつもりだ」

「学校と警察に通報します。脅迫、盗撮、ストーカー、暴力……数え役満ってやつですね」

「ま、待って! それは勘弁してくれ!」

「では誓いなさい。猫村くんの秘密を絶対に口外しないと」

「わかった、誓う! だから通報しないで!」

「他にもあります。二度と私と猫村くんに近づかないこと。いいですね?」

「え。で、でも、俺は姫宮のことがあきらめきれな……」

「自分の立場をわきまえなさい。それと、この際だからハッキリ言います。あなたのようなゾンビ顔、生理的に無理です。私を口説くなら、来世にしてください」

「せ、生理的に無理……」

 藤田はよほどショックだったらしく、固まってしまった。

「さて。犯罪者には制裁が必要ですね」

 姫宮はデジカメをポケットにしまい、右足を振りかぶった。

「これで許してあげます……とりゃ!」

 姫宮は右足を振り上げた。短いスカートが動きに合わせて揺れると、瑞々しい太腿があらわになる。蝋のように白く、柔らかそうな脚は、まるで美術品のように整っていた。

 彼女の脚は美しい弧を描くと、その爪先は藤田の股間に沈んだ。

「ひぐぅ……っ!」

 藤田は青い顔をしてその場に崩れ落ちた。両手で股間を押さえたまま、ぴくぴくと痙攣している。

「君、容赦ないな。股間は男の急所だぞ?」

 ようやく声が出せるようになった俺は姫宮を責めたが、彼女はやれやれ顔で答えた。

「警察に突き出されるよりかは、美少女にタマを潰されたほうが幸せでしょう。むしろお金を貰いたいくらいですよ、まったく」

「どんなビジネスだよ。マニアックな商売を考えるんじゃない」

 いつものようにツッコミを入れたが、今日の姫宮は軽口で返さなかった。

「冗談はこのへんにしましょう。急いでいますので」

「もう帰るのか」

「いえ。まだ説教したい相手がいるんです」

「なんだって?」

 昨日の打ち合わせでは、この後に続きがあるなんて聞いていない。

「そういうのは事前に打ち合わせしておいてくれないか。俺はアドリブが苦手なんだ」

「心配無用です。猫村くんは来なくて結構ですから。しっしっ」

 姫宮は手で俺を追い払うような仕草をした。

「それはないだろ。俺は事件の当事者だぞ」

「いえ。あなたには関係のないことです。私はこれから自分のケジメをつけに行くだけです。猫村くんは来ないでください。迷惑です」

「ふざけるな。一緒に地獄へ堕ちるって言ってくれたばかりじゃないか。事件にまだ続きがあるのなら、俺にだって関わる権利が――」

「ごちゃごちゃうるさいですね」

「うげっ」

 姫宮は俺のネクタイをおもいっきり引っ張って首を絞めた。

「けほっ、けほっ。ちょ、何するんだよ」

「別に猫村くんを蔑ろにしているわけではありません。単なる助手のわがままです」

 姫宮は「それじゃあ」と言い残して去っていった。

 俺はネクタイを直しながら考える。

 説教したい相手がいる。姫宮はそう言った。

 誰のことだろう。事件に関わる第三者が他にもいたっていうのか?

「……気になるじゃないかよ」

 せめて誰と会うかだけでも教えてくれればいいのに。

「ゆ、許してくれぇ……もう尾行したりしないからぁ……」

 図書室裏に藤田の情けない声が響く。

 尾行したりしない、か……。

 今から姫宮をこっそり追えば、説教したい相手とやらに出会えるだろうか。

 どうしよう。きっと姫宮には俺に内緒でケリをつけたい相手がいる。彼女の意思を尊重したいが、そいつが危険な相手ではないとも言い切れない。

 しばらく考えて、俺は結論を出した。

「……すまん、姫宮!」

 悪いと思いつつも、俺は姫宮の後を追った。
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