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第三章 原稿シンクロニシティ

前のめりの姫に戸惑う午後

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 生徒会選挙が終わった、翌日のことである。

「猫村くん。デート、いつ行きます? 私はいつでも行けますよ」

 姫宮は俺に青い手帳を見せつけた。最低限の機能性しか有していない、薄くてシンプルな手帳だ。年頃の女の子らしさを感じさせないセンスが、いかにも姫宮らしい。

 彼女が開いたのは六月のスケジュールが書き込めるページだった。スケジュール欄は真っ白で予定はない。

「君、スケジュール白紙なんだな」

「私って束縛されるの嫌なんです」

「自由人を気取るな。ただ友達がいないだけだろ」

「いないのではなく、作らないのです。必要性を感じませんから」

 つくづく青春に向いていない性格だなと思ったが、口に出すのはやめておいた。

 ここは放課後の空き教室。

 今日は井上の青春お悩み相談を聞くことになっている。なお、すでにキャット先輩に変装済みだ。

「姫宮。デートの話は保留だ。今は井上の悩みを解決することに集中しよう」

「わかりました。じゃあ、解決したらデートの話をしましょう。井上さんのお悩み、私の推理で軽く解決してみせますよ」

 姫宮はいつも以上にやる気だった。

 正直、困惑している。たかが疑似デートなのに、姫宮が見たことのない楽しそうな表情を見せるからだ。

 俺とデートしたところで、青春なんて体験できるわけない。何が楽しくてデートがしたいと言っているのか、俺には理解できなかった。

 ……いや。今は依頼の解決が先決。余計なことは考えないようにしよう。

「姫宮。転送した依頼のメールは読んだんだろうな?」

「ばっちりです。穴が開くほど読みましたよ」

 姫宮と依頼内容について確認していると、ドアが二度ノックされた。

「失礼します」

 遠慮がちにドアを開けて、井上は入室した。髪型はふわっとしたボブで、小さな顔とつぶらな瞳は小動物を連想させる。

 井上は俺の仮面姿を見て驚いたようだが、隣に座る姫宮を見て瞬きした。

「あ、あれ? 姫宮さん……?」

「キャット先輩にスカウトされて、仕方なく助手をしています。ね、キャット先輩?」

「馬鹿言え。口うるさい君をスカウトするくらいなら、お淑やかな井上に声をかけるわ」

「聞きましたか、井上さん。ナンパされていますよ」

 してねぇよ、と言いかけたが、なんだかそれは井上に失礼な気がしたのでグッとこらえた。

 井上は「ええっ?」と顔を赤くしておろおろし始めた。「いや、あの、その」と慌てる姿を見ていると、なんだかほっこりする。

「落ち着け、井上。今のはただの冗談だ。変なことを言って悪かった」

「そ、そうでしたか。なんか一人でわたわたしてすみません……」

 スカートの裾をきゅっと握り、さらに顔を赤くしてうつむく井上。可愛すぎか、君は。

「井上。荷物はそこの机に置いてくれ」

「あ、はい」

 井上が荷物を置いている間に、姫宮が肘でつんと突いた。

「キャット先輩。井上さんの可愛いやつ、私もできますよ」

 姫宮は頬をほんのり赤く染め、スカートの裾を握り、上目づかいで俺を見た。可愛くなくはないが、所詮これも演技かと思うと急に萎える。

「井上。早速だが、いくつか話を聞かせてもらうぞ」

 席に着いた井上に向き合い、姫宮を無視して話を進めた。

 ちらりと隣を見る。姫宮は不服そうに頬を膨らませていた。しかも、俺の足をげしげしと蹴ってくる。俺も蹴り返した。

「確認したい点がいくつかある。まず原稿についてだが、橋本が原稿を盗んだことに間違いはないな?」

 机の下で姫宮と攻防を繰り広げながら、井上に尋ねる。

「間違いありません。あそこまで被ることはありえませんから」

「今、その原稿は持っているか?」

「はい」

 橋本は立ち上がり、鞄から原稿を取り出して俺たちに見せた。

「あー。これはパクリ確定ですね。スピーチ内容だけでなく、言葉選びまで同じですよ」

 俺も姫宮と同意見だった。「学校行事を増やすこと」と「地域交流の活性化」の二つの公約だけではない。「部活動を通じての地域交流」や「街のゴミ拾いをするグリーンキャンペーン」など、提案する施策まで同じ。挙句の果てには、それらの説明に用いる言葉選びもかなり似ている。十中八九これはパクリだ。

「原稿ありがとう。もう一つ確認したい。メールに書いてあった『今まで誰にも原稿を見せていませんし、肌身離さず持っていた』というのは本当か? これはかなり重要な証言だから、もう一度よく考えてから回答してくれ」

 井上は首を左右に振り「ありえません」と即答した。

「根拠はあるのか?」

「私、原稿は家で作っていました。完成原稿は家に置きっぱなしで、学校には持ってきていません。スマホに完成原稿のコピーは入っていますが、スマホは肌身離さず持っていましたから」

「本当に? スマホを一時的に貸したとか、一瞬でも手放したりとかしていないか? 例えば、体育の日に更衣室で盗まれたとか」

「選挙までの間、誰かにスマホを渡したことはありませんし、手放したこともありません。体育のある日はスマホや財布などの貴重品を学校に持っていかないようにしているので、それもありません」

 よほど徹底しているらしい。彼女のセキュリティーは完璧なように思える。

「可能性があるとすれば……教室でスマホの原稿を読んだときに、誰かに盗み見られたくらいか」

「たしかに教室でも読みます。ですが、仮に盗み見られたとしても、それだけでは言葉選びまで似ないと思います」

 井上の言うとおりだ。こっそり公約を盗み見ることはできるかもしれない。だが、一言一句同じ言葉を記憶するのは困難だ。現実的な犯行とは言い難い。

「いわゆる不可能犯罪ですね。今の状況で橋本くんを捕まえても『ただのシンクロニシティだ』とシラを切られてしまうでしょう」

 姫宮がそう言うと、井上は「そんなわけありません」と抗議する。

「橋本くんの原稿は、間違いなく私の原稿を元にしています。それは間違いありません。偶然シンクロしたなんてありえないです」

「わかっていますよ、井上さん。不可能犯罪なんてこの世に存在しません。必ず証拠を掴んでみせます」

 姫宮は井上の手を握り、ふっと柔らかく微笑んだ。

「とはいえ、現状では推理に必要な情報が足りません。明日以降、私とキャット先輩で情報収集をします。犯行方法がわかった時点でご連絡差し上げますので、今日はもうお帰りください。それでいいですよね、キャット先輩」

 姫宮は俺が言おうと思ったことを先に言ってしまった。

「そうだな。井上、後は俺たちに任せてくれ」

「はい。よろしくお願いします。キャット先輩、姫宮さん」

 井上は最後に「ありがとうございました」と礼を言って退室した。

「猫村くん。明日から聞き込みですか?」

「ああ。まずは……」

「ええ、推薦人から聞いたほうがいいですね。近しい人物から攻めれば、何かヒントが得られるかもしれません。あと相談依頼のメール内容で引っ掛かることが――」

「お、おい。落ち着けって」

 話を遮ると、姫宮は不思議そうに首を傾げた。

「私、何か間違っていますか?」

「間違ってはいないけど……そんなに早く解決したいのか?」

「デートしたくて、うずうずしているんですよ。青春を味わえるチャンスですから」

「俺を脅して無理にデートしなくても、君くらい容姿が可愛ければ、簡単に男とデートできるんじゃないのか?」

「好きでもない男の子とデートするなんて罪悪感あるじゃないですか。猫村くんを脅したほうが罪悪感はないです」

「君、いい性格してるな」

「よく言われます。さ、今日は帰りましょう」

 姫宮は鞄を持って空き教室から出ていった。

 謎を解決しても、姫宮とデートという青春イベントが待ってる……そう考えると、なんだか気が滅入る。

「はぁ、憂鬱だなぁ……」

 嘆息しつつ仮面を取り、身支度を済ませてから退室した。
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