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第二章 痕跡本に願いを

青春とは勝者と敗者を分かつ残酷なもの

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 赤井先輩は望月先輩を問い詰めた。

「も、望月くん! どうして本に落書きまでして……直接言えなかったとしても、手紙とか他の手段はあったじゃない!」

「そ、それは……赤井さん、ロマンティックな小説が好きでしょ。だから、告白もロマンティックにしたかったんだけど……僕、こういうセンスがなくて」

「本当にセンスない。こんなの気づくわけないじゃない。ばか。それに本を台無しにして。何してるのよ。これ、弁償だからね」

 望月先輩は何も言えず、うつむいてしまった。

 落ち込む彼を見た赤井先輩は、慌てて「ま、まぁ、気持ちは嬉しかったけどさっ」とフォローを入れる。拗ねているような、喜んでいるような、幸せの詰まった甘酸っぱい声音だった。

 顔を真っ赤にした二人を見ればわかる。きっと両思いだ。じれったい距離感の二人を見ていると、なんだかこちらが恥ずかしくなってくる。

「あ、あの、赤井さん!」

「は、はいっ!」

 望月先輩が顔を上げて大声を出すと、驚いた赤井さんは背筋をピンと伸ばして返事をした。

「そ、その……好きです。付き合ってください」

 今度こそ、望月先輩は自分の言葉で気持ちを伝えた。

 木村は「わぁ、言っちゃたぁ!」と目をきらきらと輝かせている。

 一方、姫宮は真剣な表情で二人を見つめていた。木村のようにカップル成立を期待しているのではない。きっと青春を知ろうとしているのだ。

 しばらく沈黙が続いたが、やがて赤井先輩は口を開いた。

「私、望月くんのこと、男の子として見ていなかったかもしれない。本好きの友達って感じだったと思う。だから、その……と、友達からどうですか? あなたのことをちゃんと異性として見る時間をください」

 照れくさそうに笑う赤井先輩を見て、望月先輩は泣きそうな笑顔で応じた。

 今のはたぶん嘘だ。赤井先輩は望月先輩のことを異性として意識している。

 それでも遠回しな返事をしたのは、俺たちの前で交際宣言をするのが気恥ずかしいからだろう。本好きな二人は、そろって照れ屋で口下手だったのだ。

 幸せそうな二人の横で、木村はきゃっきゃとはしゃいでいる。

「おめでとうございます! やるじゃないですかぁ、望月先輩。正直、回りくどい告白に若干引きましたけど、赤井先輩のハートをゲットですね!」

「ひ、引いたの? そんなに駄目だったんだ……」

「待ってよ、木村ちゃん! 今ハートをゲットって言ったけど、まだ告白の返事は保留なんだからね!」

 図書委員三人は幸せそうにぎゃあぎゃあと騒いでいる。青春を手に入れた勝鬨のようにも聞こえる。

 仮面姿の俺にとって、目の前の光景は少しまぶしい。

「……お似合いだね」

 涙声でそう言ったのは中川先輩だった。

 彼女は静かに図書室を出ていった。鼻水のすする音が聞こえたのは気のせいじゃない。目も少し赤かった。

「……人を好きになるって、どういう気持ちなんですか?」

 いつの間にか、俺の隣にいた姫宮がつぶやいた。

「どうだろうな。俺もよくわからないよ」

「そうですか。私もです。ただ……あの二人を見ていると、胸がきゅんと高鳴るような気分になりました」

「それは……姫宮が恋に興味を持ったからじゃないか?」

 今はまだ、姫宮は人を好きになるということがわからない。でも、赤井先輩たちの幸せそうな顔を見て知りたいと思ったのだろう。

「青春もいいことなのかもって、姫宮も思い始めたんじゃないのか?」

「自分でもわかりません。でも、知りたいって気持ちが強くなった気がします」

「……そうか」

 喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。

 ――青春に過度な期待はしないほうがいい。

 何も知らない姫宮にとって、青春はさぞ輝かしく映るだろう。

 でも、その輝きは青春に勝った者だけが得られる希望だ。負けた瞬間、希望は絶望に変わる。青春の敗者は色褪せた思い出だけを抱えて、胸の傷を慰めて生きていくしかない。心のかさぶたが笑い話になるその日まで、ずっと。

「あれ? そういえば、中川先輩は?」

 姫宮は周囲を見回した。

「彼女はさっき退室したよ」

「二人を祝福せずに?」

「ああ。俺たちも外に出よう」

「え? でも、まだ窃盗犯のほうは特定できていないんじゃないですか?」

「……心配しなくても、もう犯人は二度と窃盗しない。さあ、行こう」

 姫宮は納得しない様子だったが、「後で説明する」と説得し、俺たちは図書室を出た。

 トイレで変装を解き、姫宮と校門で合流し、帰路につく。

「で、猫村くん。窃盗犯は誰だったんですか?」

 姫宮の黒髪が穏やかな風に揺られる。彼女から香るバニラの匂いは未だに慣れない。

「犯人はたぶん中川先輩だ」

「どうしてですか?」

「……さっき中川先輩が出て行ったとき、泣いていたんだ。鼻水をすすって、目にたまった涙を拭いながら退室した」

 普通なら木村のように祝福してやる、あるいはからかってやるのが友人だろう。

 でも、彼女は悲しみに暮れた。

 理由は一つしかない。

「中川先輩は、きっと望月先輩のことが好きだったんだと思う」

 そうでなければ、泣きながら退室する理由なんてない。

「姫宮。盗難された日のシフトを覚えているか?」

「はい。赤井先輩、中川先輩、望月先輩でしたね。もしかして、望月先輩は……」

「ああ。彼は今まで盗難された本にも告白のメッセージを残していたと思う」

 望月先輩はきっと初犯ではない。赤井先輩が気づかなかっただけで、何冊か本に痕跡を残していたんだ。

「あるとき、中川先輩は赤井先輩よりも早く落書き本を見つけた。そして一人でメッセージを読み解いてしまったんだと思う」

 中川先輩は相当ショックを受けただろう。大好きな男の子が、友達のことを想っていたのだから。

 現実を受け入れられなかった彼女は、落書き本を隠してしまおうと思いついた。望月先輩が自分に振り向いてくれないのなら、せめて二人の恋が実らないようにと願いながら。

「望月先輩は、赤井先輩とシフトが被る木曜日に痕跡本を用意して返却BOXに置いた。しかし、シフトは固定制。中川先輩も必ず同じシフトにいるため、必ず彼女に発見されて隠されてしまうんだよ。それが何回か繰り返されて、前回ようやく赤井先輩が見つけたんだ」

「なるほど。赤井先輩は『前回の落書き本は紛失した』と言っていましたが、あれも中川先輩が回収したんですね?」

「たぶんな。後日、赤井先輩が暗号に気づく可能性を恐れたんだろう」

「……もしかしたら、望月先輩も中川先輩が窃盗犯だって気づいていたかもしれませんね」

「かもな。だとしても、恥ずかしくて本人に確認できなかったと思うぞ」

 姫宮は「ですね」と苦笑した。

 俺たちはしばらく無言で歩いた。姫宮は何かを考えるように空を見ている。

 沈黙を破ったのは姫宮だった。

「失恋、ってやつですね」

「そうだな。青春の勝ち組の陰には、いつだって敗者がいるんだ」

「わかりませんね。本当に望月先輩のことが好きなら、赤井先輩から奪ってみせるくらい本気になればいいのに」

「それができるのは心が強い人だ。誰もが君みたいに図太いわけじゃない」

「理解に苦しみます。まぁでも、だいたいわかりました。恋愛とは実れば幸せで、失恋すると辛くて悲しいってことですね?」

 そんな世界の常識でさえも、姫宮は知らない。変わったやつだなぁとつくづく思う。

「猫村くん。恋を知らなければ、青春はできませんか? 赤井先輩や望月先輩のように、あんなに幸せそうな顔で笑えませんか?」

 姫宮は真面目な顔で尋ねた。

「たとえば部活に本気で打ち込めば、それも青春なのでしょう。でも私、今回の一件で、どうせなら恋愛で青春を感じたいって思いました。先輩たちの告白を見て、胸の奥がきゅんってなって。この胸の高鳴りの正体を知りたいんです」

「驚いた。君が恋愛したいと言い出すなんて」

「ご安心を。モテない猫村くんに恋愛指導なんて求めません」

「おい待て。君は何か勘違いしている」

「え? まさかモテるんですか?」

「モテない。だが、俺にはお悩み相談解決率百パーセントという実績がある。中には恋愛相談だってあった。つまり、俺は恋愛の悩みだって解消できるってことだ」

「へぇ。モテないくせに、それは素晴らしい」

 自分で言うのはいいが、姫宮に言われるのは無性に腹が立つ。

 文句を言ってやろうと思ったが、彼女の一言で怒気を削がれた。

「じゃあ、私とデートしましょう」

「は?」

 あまりに唐突すぎて、歩く足が止まった。

 姫宮は俺の前に回り込み、人差し指をふっくらした唇に押し当て、悪戯っぽく笑う。

「もちろん、デートごっこですよ? 男女が付き合うとはどういうものなのか、雰囲気だけでも知りたいんです」

 ああ、なんだ。そういうことか。「とりあえず、付き合ってみましょう。美少女とイチャイチャできて、猫村くんも幸せでしょう?」とか言い出すのかと思った。

「いや。でも、俺と君がデートしているところを見られたら誤解されるんじゃないか?」

「私は気にしません。それにもう一部の生徒の間では、猫村くんと私が交際しているのではないかと噂になっているようですよ?」

「なんだって?」

 たしかに教室でも姫宮と話すことは多い。だが、それだけでカップルだと誤解されるとは思わなかった。

 俺は青春したくないんだ。これ以上、無駄に注目されたくない。

「姫宮。悪いがデートの話はナシだ。俺は青春の真似事をするつもりはない」

「キャット先輩の正体、バラしてもいいんですか?」

 脅迫してきた姫宮はくすっと笑う。誰かが姫宮のことを「地上に舞い降りた天使」と評していたが、俺にはヤクザにしか見えない。

 俺に拒否権などなかった。仕方なく了承すると、姫宮は「やった!」と拳を天に掲げて、ぴょんと飛び跳ねた。女の子らしい可愛い仕草に一瞬ドキッとするが、彼女の本性を思い出して冷静になる。

「姫宮。君はロクな死に方しないぞ」

「そんなに怒らないでください。これでも悪いと思っているんですから」

「ふん。笑顔で言われても誠意を感じないね」

「だって、猫村くんとのデート、楽しみなんですもん」

「……そうかよ」

 やめろ。楽しみとか言うな。

 姫宮みたいな生意気な女でも、誰かに必要とされているって勘違いしてしまうだろ。

 頼むから、俺を青春に巻き込まないでくれ。

 無言でいると、姫宮は困ったように笑った。

「悪かったですって。一回だけでいいですから、私のわがままに付き合ってください」

「……わかったよ。一回だけだぞ」

「怖い顔しないでくださいって。はい、どうぞ」

 姫宮は俺に手を差し出した。

「なんのつもりだ?」

「やだなぁ。女の子が手を差し出したら、何をするかわかりません?」

 それくらいわかる。姫宮は手を繋げと言っているのだ。

「俺はそういう青春っぽいことは極力したくないんだ。だから、手は繋がない」

「違いますよ。これはお手です」

 姫宮は「猫村くん騙されましたね。あはは!」と楽しそうに笑った。からかわれたことに気づき、自然と頬が熱を持つ。

「姫宮、お前ぇ!」

「顔赤いですよ、猫村くん。私でいやらしいこと考えるの、やめてください」

「おっけー。決めた、ぶん殴る!」

 殴る真似をすると、姫宮は「野蛮な人は嫌いです」と笑いながら走って逃げる。俺は追いかけながら「次やったら本当に殴るぞ」と脅した。

 帰り道に姫宮の黄色い声が咲く。俺は導かれるように声の主を追いかけた。

 馬鹿みたいだった。

 これじゃあ、まるで青春しているみたいじゃないか。

 青春なんて過去に置き去りにしてよかったのに。未来なんてドブに捨ててよかったのに。なんで、どうして。俺は青春なんてしたくない。やめろ、姫宮。自分の都合で俺に希望をちらつかせるな。

 大げさに息を乱して、高鳴る胸の音なんか聞こえないふりをした。

 姫宮の歩いた後の道は、やけに甘い香りがした。
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