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第二部

111話 ヒロインのいない岐阜城にて

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 それなりの日数経過をあらわすよう、纏った着物に少々の汚れやくたびれはあるけれど、出て行ったときとほぼ変わらない。
 赤い髪は今日もつやつやしており、瞳も、普段の燃えるような活力を失っていなかった。ちょっと簡単な戦をしてきた程度ですよと言わんばかりに元気な夫が、そこにはいた。

「ほ、ほんとに終わったの?」
「おう!」
「本当に終わりました」

 頷く十兵衛は心なしか疲れた顔をしている。これは気苦労だろう。ごめん。
 彼が言うのなら、嘘や冗談ではないのだろう。
 しかし上洛って、京都まで将軍様を送って行くミッションとは聞いていたけど、それってそんなに簡単なことだっけ?
 新幹線や車のないこの時代、そんな、体感3日で行って帰ってこれるものかな。まあいっか。この世界のシステムについて考えすぎると脳がバグる。

 私はとりあえず、さっきまでしていた日奈捜索がバレないよう、後ろについた探偵助手の二人にキツく目くばせした。
 いい?私達は凱旋したみなさんを城門までお迎えに来ただけだからね?間違っても余計なことを言うんじゃないわよ?

「それにしても早かったわね。さすが、信長様と十兵衛ね!仲良くやってくれたようで嬉しいわ」
「ええ。長期間こちらを離れていると、帰蝶様が巫女の捜索に出ると言いかねませんので」

 読まれバレている。

 信長達一行は、道中邪魔が入ったりしたもののそのすべてを蹴散らし、最速最短にてみやこへ入洛。目的だった秋さんのお兄様、義昭様は無事将軍様になられたそうだ。めでたしめでたし。

「途中、六角や三好の邪魔は入りましたが、義龍……龍興様が良く動いてくれて、早く済みました」

 敵対勢力についてはよくわからないが、兄上の軍がとてもお役に立ったらしい。それなら身内として嬉しい限りだ。
 滅多にしないが、気分が良いので夫のカバンなどを持ってみる。
 甲斐甲斐しくお世話をしつつ、日奈捜索の痕跡を消すべく半兵衛くん達には下がってもらった。

「あー、そういうのいいから。ミツがうるさいからお前の顔見に寄っただけ。すぐ清州城むこう帰る。宴とかもしないぞ」
「あらそう?」

 それは願ったりだが。パーティー好きな信長にしては珍しい。

「あと、こいつ置きに来た」
「こいつ……?」

 珍しくお土産でも?と後ろを向くと、後方に続いていた馬から華奢な影が降りてくるところだった。
 小花と蝶の描かれた薄い色の着物が、降りたつ足元でのみふわりと揺れる。旅帰りの泥臭い織田軍の中では目立つ、清水のような綺麗な顔が、私を見つけて綻んだ。

「秋さん!?」
「んふふ。ついてきちゃいましたあ」

 駆け寄って近くで見た姿は、大事に運んでもらえたのだろう、着物に汚れもなく疲れも見えない。
 野蛮な織田軍ウチの男達にしては珍しく、ちゃんとお姫様扱いしてくれたようだ。私にはしないくせに。

「だぁって、せっかく帰蝶に会えると思ったのに、いないし。兄様あにさまは無事に将軍になれたから、そうしたら私のお役目はないも同然だもの。向こうにいたっている意味なんてないし、つまらないじゃない」
「お役目って?」

 道中で信長や十兵衛と仲良くなったのだろうか。秋さんは以前会った時よりも私に親近感を持っているようだ。腕にぐるんと自身の両腕を巻き付けて、不満そうに振っている。
 そしてにっこりと自身の顔を指さした。

「私と兄様、顔がそっくりでしょ?私は兄様の影武者だったの」

 幼い頃から体の弱かった義昭あにに代わり、兄が表に出られない時にはいもうとが代わりに執務を行う。
 兄に危険がある時は、妹が身代わりをして本物から目をそらさせる。
 この時代せかいでは、同じ血が流れていても、健康でも、いもうとは将軍にはなれない。大事にされるのは、あにだけだ。

「それは……大変なお役目でしたね」
「んーん。兄様はあたしがいないとダメだからってだけ。でももう、必要ないみたいだから、あたしはあたしで好きなことをすることにしたの!」

 そういう秋さんは心底楽しそうだ。きっとこれからは本当に自分のしたいことをして、自由になれるのだろう。
 無邪気に笑む姿を見て、私も嬉しくなった。

「でもそれなら、もう女装はしなくてもいいのでは?やっぱりちゃんと安全を確保するまでは味方の目もあざむかないといけないの?」

 そう言うと、何人かの顔が変わった。

 秋さんは、男性だ。
 抱き上げた時にわかった。
 以前はなぜわざわざそんな格好をしていたのかわからなかったし、言わないということは事情があるのだろうと黙っていたけれど、影武者という情報を得た今ならわかる。
 義昭様との区別をつけるためだ。
 影武者の仕事以外の時に誰かに見つかって、同じ顔の人間が二人いると思われては、影武者の意味がない。普段は化粧をして女装をしていたのだろう。
 女装をしていても顔が似ているとわかるのだし、一卵性の双子とかかな。この時代じゃあ、双子は縁起が悪いとか言われて肩身が狭かっただろう。

「ちょっと!なんで言っちゃうのよ!」
「え?だめでした?影武者のお役目を終えたなら、もう姿を偽る必要はないんじゃないの?」
「そう、なんだけど……」

 秋さんは細めの目を普段より大きく開いて、それから「役目は、終わり……」と小さく呟いた。その声は本当の少女のようにか細く儚くて、私にしか聞こえないものだった。

「男、なんですか……?」
「はっ!」

 十兵衛が、いつの間にか私達の間に立って、じっと秋さんを見ていた。
 思い返せば私と秋さん、初対面から「お姫様抱っこ」「顔を近づけていちゃいちゃする」「腕を組む」と、異性だとしたらやってはいけないことばかり。

「違うわ!あたしは女の子よ!帰蝶の勘違い!」
「そ、そう!秋さんはちょっとゴツゴツした女の子です!」
「ゴツゴツは余計よ!」

 自由になっても素になっても女言葉が抜けないあたり、これは仕事で女装していたというよりは、この子の趣味だな。
 おネエキャラみたいなものだろう、と私は抱きついて顔を寄せた。やはり花のようないい匂いがする。

「ミツ、そんなことより次の準備。次は蝶にも出てもらうからな」
「帰って来たばかりなのに、また戦?」
「将軍からの頼みだからな。朝倉を攻めるぞ」

 信長は悪戯を思いついた少年のようにニッと笑う。
 秋さんが男だろうとなんだろうとどうでもいいみたい。
 いつも細かい理由は言わないけど、攻める時は徹底的にやる。

 私はまだ見ぬ朝倉さんに、心の中で合掌した。






 *******


「おおーい、なーんでこんな偽物ニセモノ、掴まされちゃうかねえ?」

 いかにもな不機嫌を顔に描いたまま、男は高い背から日奈と、黒衣の少年を見下ろしていた。

「何か言えって」

 何も言わない少年。薄暗い部屋。少年との対比のように、居丈高な大柄な男。
 恐怖と読めない状況に、日奈は体をただ縮こませた。
 なんとかこの男の視界から出たい。話に上がることを避けたい。
 怖い。

「で、だ。お前は一体なんなんだ?」

 とうとう、矛先が日奈に向いてしまった。
 男の視線は鋭く、一瞥されただけで全身を串刺されたかのように、痛い。
 自分の命の線が短くなっていくのを感じて、日奈は涙を流すのをやめた。
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