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第二部

63話 幼馴染にさよならをして

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 翌日になり、迎えが来たから出ていいと、私達は丁寧に牢から出された。
 身内といえど城主あにうえに手をあげたことについては、とりあえず不問になったらしい。一応出す前に侍女のみなさんに丁寧に体を拭かれ、お着替えをさせてもらった。日奈さんもだ。

 そして、来てくれたお迎えはもちろん十兵衛だった。
 信長様は無理でもワンチャン犬千代くんとか藤吉郎くん来てないかな~と思ったが、そんな期待は儚く散った。

 後ろで木格子が閉まる。
 目の前にはものすごい顔の明智十兵衛光秀さん。
 こわい。

「……帰ろうか」

 低く、怒りを滲ませたままの声で、十兵衛はそれだけ呟いて先を歩きはじめる。

「待って、私はまだ帰れない!父上のところへ行かなきゃ」
「駄目だ」

 日奈さんと夕凪が、子犬のような目でおろおろとしている。
 悪いけど、まだ尾張へ帰って安全な場所から美濃を傍観ってわけにはいかない。

「わかってるだろう?義龍様は父君と……道三様と戦うことを宣言したんだ。もう戦の準備をしている。今から君が道三様のところへ行ったら、信長様は道三様についたと取られて、義龍様から攻撃される」
「そうならないために行くのよ!」
「わかってない!!」

 割れるような大きな音がして、思わず後ろの格子に背をついた。
 見上げればものすごく近くに十兵衛の顔があって、そうしてようやくさっきの音が、目の前の彼が格子をその手で殴った音だと気づく。

 そういえば正面からこんなに近づかれたことはなかったかもしれないと、長いまつ毛を見ながら思い出していた。
 最初は目すら合わせてくれないような、人見知りを絵に描いたようなおとなしい子だったのに。

「どうしてわからないんだ!今だって、君はかなり危険な立場なんだ。本来なら、稲葉山城ここへ来てはいけないのに」
「わかってないのはどっちよ!父上と兄上が戦うことになるのなら、その前に殴って止める!前はわかってくれたじゃない!」

 美濃にいた時。この決意を兄上に語った時に、彦太郎にも話した。彼は笑って聞いてくれた。
 私を理解してくれたと、思ったのに。

「今はもう、あの頃とは状況が違う」
「そんなことない。まだ止められるわ!十兵衛は兄上が本当に、孫四郎達おとうとを殺したと思うの?遺体は見たの!?」
「それは、こんな場所で言えることじゃない……」
「姫様、あの、そろそろ……まずい、です」

 夕凪がきょろきょろと目線を左右に向けながら囁き声をかけてきた。私にはわからないが、忍者にしか聞こえない音を察知しているらしい。
 十兵衛はそれを聞いて、牢の出口へ声を掛けた。
 すると、私達の他はせいぜい牢番さんしかいないと思っていたのに、奥から黄色いひよこみたいな頭が覗いて出た。

 藤吉郎くんは申し訳なさそうに頭を掻きつつ、私にまっすぐに向かってくる。

「藤吉郎くんも連れてこられちゃったのね……」
「いや~、痴話喧嘩の最中に割って入るなんて、無粋なことしたくなかったんスけどね」
「痴話ゲンカなんてしてないわよ」

 さては、自分ひとりじゃ連れ戻せないと思って、先手で男手を足したってところかしら。
 私の我儘には各務野先生を呼ぶのが一番だけど、女性をそんなに急に危険な場所へ連れてけないものね。

「姫《ひぃ》さん、自分達忙しんス。これから清州城のこととか色々、しなきゃならないんで」
「ごめんね、迎えに来てくれてありがとう。父上のところは私一人で行くから、大丈夫よ」
「そういうわけで、これ」

 藤吉郎くんはいつものリスみたいな笑顔のまま、私に匂袋?を差し出してきた。
 だから油断してしまった。
 嗅ぐように鼻の前へ出されたそれを、なんの疑いもなく呼吸と一緒に吸い込む。

 ウッ!クロロホルム……!
 じゃないとは思うけど、嗅いだ瞬間急に目の前が暗くなって、私は藤吉郎くんの胸に倒れるように体を預けてしまった。

 遠くなっていく意識の向こうで、十兵衛が小さくお礼を言う声が聞こえる。
 覚醒夢のような波打つ感覚の中、私は米俵のように担がれて運ばれるのを、見えないけど肌で感じとった。

 ここはお姫様だっこじゃないのね。
 と、悲しき悪役のさだめを、ゆりかごのような揺れにあわせて嘆いた。





 ********

 
「十兵衛さん、これだと姫さん苦しそうなんで、ほい」

 木下藤吉郎は、攻略対象者の中では一番小柄な少年だ。
 まだ帰蝶よりも背が低く、16歳女子のほぼ平均身長の日奈と目線が同程度。本来の戦国時代なら成人男性でも普通の体系だろうが、他の攻略対象者が長身なので、同じく女性にしては長身の帰蝶も抱え辛かったのだろう。
 横抱きにしていた彼女を光秀へ渡すと、猫のように伸びをして体をほぐした。

 光秀は無言のまま、受け取った帰蝶の体を丁寧に自分の両腕の中へ納めて、軽々と持ち上げた。
 所謂、お姫様抱っこである。

 あの、日奈の苦手な刺すような眼光が失われているので、抱えれらた少女は「美しい」の一言だ。
 一枚の絵画のよう。
 少しだけ羨ましく思いながら、日奈はけれどそれを見ないように首を左右に振った。
 誰かと恋はしなくていい。
 バッドエンドにならない程度の友好度を保って、シナリオが頓挫しないよう史実通りに進めればいいのだから。





 ********


 次に目覚めると那古野城の自室だった。
 荷物のように運ばれたことに怒りはないけど、のけ者にされた気がして、悔しい。
 最近ずっとこうだ。

 各務野先生にお願いしてすぐに身支度をして、十兵衛達がいる部屋へ案内してもらった。
 幸いというか藤吉郎くんが薬の分量を調整をしてくれたのか、日付はまだ変わってはいなかった。移動の間だけ、眠っていたらしい。
 あの子、こんなことも出来るのね。オリジナルスキルについては、日奈さんにもっと確認をしておく必要がありそう。

 着いた部屋には、例の清州城奪取作戦の会議中らしく、主要家臣メンバーのみなさんが集まっていた。ちょうどいい。

「明智十兵衛光秀、私の護衛の任を解きます」

 みんなの視線が向いている中で、私は高らかに宣言した。
 十兵衛は私に一度だけ目線を向けたが、その目を、あわせなかった。

「これよりは、織田信長様についてください。信長様、十兵衛をお願いします。他の方も、どうか力になってあげてください」

 私と十兵衛の仲のよさべったりは、城中のみんなが知るところなので、場は動揺で寒いくらいに静まっている。
 その中で、信長だけが呑気そうな顔で答えた。
 あんなに欲しがっていた明智光秀なのに、さほど興味がなさそう。

「お前たちがそれでいいなら、俺は歓迎だけど、いいのか?」
「構いません。私よりも、彼をうまくつかってくれるでしょうから」
「ミツ、お前は?」

 信長の問いに、十兵衛はすると思った反論も、否定も、怒りもなにも返さなかった。

「……仰せのままに」

 それだけを聞いて、私は幼馴染に背を向けた。

 幼馴染で、護衛で、弟みたいに一緒だった。
 けどそれは、全部雛鳥のすり込みみたいなもので、私がするべきことじゃなかった。たまたま、最初に私がしてしまっただけ。

 これで、いいのよね。
 きっとこれで、あなたは自由になれるから。
 
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