上州無宿人 博徒孝市郎

久保 倫

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二十

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 孝市郎は、栄五郎や栄次、政五郎とともに朝餉をとることとなった。
 手を洗ってから子分が案内する部屋に向かう。
 案内する子分も笑っているような気がする。
 部屋に入ると、待っていた栄五郎が噴き出した。
「くくく、ははははは。」
「なぁ、栄五郎、お前の所の若いの、いい奴じゃねえか。気に入ったぜ。」
 政五郎もそう言って笑いだす。
「……叱るようなことじゃねえがな、孝市郎。」
「すいません、暗いし、ここの間取りなんてよくわからないし、人の顔も覚えてなくて。」
 孝市郎は、いつもの習慣で夜が白む前から起きて掃除しようとしたが、無論道具の場所はわからない。そのため起きている人に聞いてと、探して出会った人に道具の場所を聞き、指示されるままに掃除していた。
 ところが、指示した人間は徹夜していた女郎屋の人間で、掃除した場所も女郎屋だったのである。日も登って間の川一家の人間が起きだして始めて孝市郎は、自分のいる場所と仕事が一家の仕事でなく女郎屋のそれであることを知ったのである。
「まぁ、やろうとしたことはいいんだ。朝早くから掃除しようとしたのは悪いことじゃねえ。」
「へい。」
「もう少し人の顔を覚えるようにしろ。博徒たるもの、人の顔を覚えるのも大事だ。」
「栄次、もういい。孝市郎も間違ったが勘弁してやれ。間の川一家は人も多い。一日で覚えられるもんじゃねえ。会ってないもんがいると考えてもおかしくねえ。」
「そうそう。俺の顔に免じて許してやってくんな。」
「貸元がそうおっしゃるなら。」
 もともと叱るようなことでもない。栄次は口をつぐんで膳に箸を伸ばした。
「うちの誰よりも早起きしたんだ。大したもんだ。孝市郎とか言ったか、気に入った。栄五郎のいじめに耐え兼ねたらうちに来な。歓迎するぜ。」
「ありがとうございます。ですが、親分はいじめをするようなお人ではありません。」
 孝市郎としては、そう返事をするしかない。
「かばうねえ。」
「俺は若いもんいじめるようなこたしねえよ。そもそも何がうちに、だ。お前さん足を洗うんだろうが。」
「上総屋によ。働きもんは大歓迎だぜ。」
「そっちかい。」
 栄五郎は笑い出し、政五郎も笑いで返す。
 藹々とした雰囲気の中、朝餉は進んでいった。

 手打ち式は権堂の旅籠を借りて行うことになっている。忠治や伊伝次はとっくに会場に行ってあれこれ指図している。
 孝市郎が会場を見ると、床の間のある上座から下座まで屏風で仕切られている。会場の真ん中だけ二枚の屏風で囲われていた。
「おう、栄次。すまねえが今日の手打ち式でちょいと一仕事してくれ。」
 会場に入った三人に気づいた忠治が声をかけてくる。
「構いませんが、忠治さん何をやればいいんですか?」
「手打ち式で部屋を仕切っている屏風を片付けを頼みてえ。間の川の連中も忙しいからな。」
「それくらいなら、私がやりますが。」
「あほう!羽織も許されねえ奴がこんな場に出入りできると思ってんのか!」
 言葉と同時に拳固が飛んできた。
「孝市郎、博徒の世界は難しいんだ。お前さんは別室で控えてろ。それが今日のお前の仕事だぜ。」
「じっとしてるのも仕事ですか。」
「そんなもんだ。」
「それが嫌なら……。」
「栄次、余計なこと言わなくていい。お前は忠治に頼まれた通りのことしてな。」
「……へい。」
 そう言って栄次は口をつぐんだ。
 最近こうだよな。栄次さんが俺に何か言おうとすると親分が止める感じだ。何かあるのか?
 そういぶかしく思う孝市郎だった。
「どうした孝市郎。手打ち式の会場が珍しいか?」
「へい、なんで屏風をあんな風に並べているのかとか、気にはなります。」
 内心を誤魔化すべく、栄五郎にそう返事をした。
「あの中にはな、三宝があって酒やら盃やら魚なんかを置いている。手打ちの儀式の道具よ。」
「なんだって、こう仕切っているんですか?」
「この左右に互いの一家の貸元から代貸しなんかが並ぶんだが、顔が見えたらその場で喧嘩をやりかねねえだろ。だから見えないようにしてるんだよ。」
「なるほど。」
「俺は上座に座る。立会人だからな。忠治や伊伝次は仲裁人だから下座だ。式の仕切りは仲裁人がやる。」
「親分は何を?」
「何もしねえ。ただいるだけだ。手打ちは滞りなく終わりましたという証人になるだけよ。」
「座布団が二つあるということは、親分と栄次さんの分ですか?」
「馬鹿、栄次は間の川の連中と一緒に仕事だ。もう一人立会人が来る。三井の卯吉という男がな。」
「甲州の、ですか。」
 栄次が息をのんだ。
「そうだ。」
「どんなお人なんですか?」
「甲府を中心とした縄張りを持つ貸元よ。多くの子分をかかえ、その勢威に甲州で歯向かう者はいないと聞く。」
「そんなことはねえよ。」
 突然割り込んできた声の方を見ると、年の頃三十代前半と思しき男がいた。眼光が鋭く、威圧感が半端ない。
「竹居の安五郎・甚兵衛兄弟のような奴らもいる。甲州のもんが簡単に一人の男に従うと思うのかい。」
 何者だろう、孝市郎がいぶかしがったが、簡単に正体は判明した。
「卯吉さんや、久し振りだな。」
 卯吉と親分は呼んだ。ということがこの人が三井の卯吉と言う人か。
 甲州の者は簡単に自分に従わない、というあたりになぜか逆に凄みを感じてしまう孝市郎だった。
「川越の花会(博徒が他の親分を集めて催す賭場)で会って以来だな。上州に戻ったとは聞いているが。」
「あぁ、念願かなって上州に昨年戻った。やはり赤城颪を肌で感じねえと生きてる気持ちがしねえ。」
「壮健なようでなによりだ。」
 笑うと威圧感が薄れる。
「栄次ともう一人若いのを連れてきているようだが。」
「孝市郎と言う。部屋住みだが、栄次がこいつに荷物持ちをさせろと言うからさせている。」
「孝市郎です。」
 孝市郎は頭を深々と下げた。
 卯吉の視線が栄五郎を責めるものになる。
 栄五郎は、右手を顔の前に立て、あれこれ言わないでくれと視線で訴えた。卯吉もしょうがないという顔しながら、会場に入った。
「俺も立会人の席に着く。お前たちはそれぞれの持ち場にいるように。」
 栄五郎は簡潔に指示を出し、会場に入った。

 手打ち式は、伊伝次の言葉で始まった。
「しがない私に盃を取れよとのお言葉に従い、取らせて頂きます。盃の順序が間違いましたらお許しを蒙ります。つきましては、手打ちは、両手打ちに致して頂きましょうか?片手打ちに致して頂きましょうか?仲直りに対して頂きましょうか?お伺いいたします。」
「「両手打ちに願います。」」
 下座から見て右の深志の勝太と左の穂高の長兵衛が声を揃えて言った。
 この言葉を合図として間の川一家の者や三ッ木の文蔵、栄次が会場にさっと入り屏風を片付けた。
 双方の男たちの視線が絡み合う。何事も起こってくれるな、と栄次らが見守る中、伝次が席を立った。
 絡み合う視線を切り離すように堂々と会場中央の三宝に歩み寄る。
 三宝には、三角に折られた奉書が乗せられ、その上に伊伝次から見て手前から、箸一善、鮒二尾、盃、盛塩、徳利が二つづつ置かれている。鮒は背合わせに置かれている。
「魚を直させて頂きます。」
 伊伝次は、しゃがんで箸をとり、鮒を腹合わせに置き直した。
 そして右の徳利を持ち左の盃に酒を三度に分けて注ぎ、次に左の徳利を持って酒を右の盃にやはり三度に分けて注いだ。
 そして盛塩を一つの山にするとそこから両方の盃に塩を少しづつ入れた。そして魚の頭を盃に浸した。
 伊伝次の一連の作業の間に、勝太と長兵衛は、伊伝次の脇に近寄っている。
 伊伝次は、左手で右の盃を、右手で左手の盃を手にして、右手の盃を勝太に、左の盃を長兵衛に手渡した。
 受け取った二人は、一度目を合わせ、同時に盃を空けた。そして盃を伊伝次に返す。
 受け取った伊伝次は、再度酒を今度は半量注ぎ、右の盃の酒を左の盃に注いで一つにした。
「私が預からせて頂きます。」
 そう言って盃を空け、懐紙に包んで懐に入れた。
 そして箸を折って三宝に乗せ、徳利に残っている酒を全て三宝に注いだ。三宝に酒の小さな池ができる。
 伊伝次は、池に両手を浸し、全員に声をかけた。
「ささ、皆さま。」
 伊伝次の言葉に従い、皆三宝に近寄って酒に手を浸した。
「おめでとうございます!」
 伊伝次の言葉で全員両手を三度打ち合わせた。
「これにて、深志の勝太、穂高の長兵衛の手打ち成立いたしました。」
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