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Ep.13 そのやさしさは、むしろ残酷

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 せめて嗚咽をあげないようにと、必死にくちびるを噛みしめたところで、胸から全身に広がっていく寒気のような波と、ツンと鼻の奥が痛くなるのは、ごまかしようもなかった。

 そう、これはまちがいようもなく、ボクにとっての決定的な失恋だ。
 ボクの大好きな人が目の前で、ボクではない別の人に告白したのだから。
 しかもこれは、かなり勝率の高い勝負だと思う。

 ハルトのなかで、最初はイケ好かないヤツでしかなかったはずのリュクス様への好感度は、この1年でなんやかんやとかまわれている内に、徐々に高まっていた。
 だれよりもそばでふたりのやりとりを見てきたからこそ、それをボクは知っていた。

 ───あきらめるしか、選択肢はない。

 第一、こんなふうに告白する姿を見て傷つくくらいなら、敵に塩を送るようなことなんてしなければよかったのに。
 そんなツッコミを入れそうになるけれど、それについては反論のしようもなく、自分でも本当にそうだと思う。

 でも、ボクにとってのリュクス様は、自分の命にも等しい大事な存在だったんだ。
 だからリュクス様が求めるのなら、なんだって差し出したかった。
 これが『惚れた弱み』というものだと言うのなら、まちがいなくそうだとしか言いようがない。

 だから己の失恋を決定づけるためのカウントダウンのような相談も、甘んじて受け入れた。
 どんなことでも、あの人とふたりっきりでお話をするチャンスになるのなら、断るなんてできるはずがなかったんだ───。

 そしてまた、ボクにとってのハルトも物心ついたときからずっといっしょに育ってきた、家族みたいに大事な幼なじみで、恩人なんだ。
 その大好きな幼なじみが今、ボクの大好きな人から告白された。
 そんなのどちらも大好きだし、両方しあわせになってもらいたいに決まってる。

 なのに……さっきから胸が苦しくてたまらない。
 どうあがいたって、ボクになんて勝ち目はなくて。
 それどころか、あまりの釣り合わなさにめまいがしそうなレベルだっていうのに。
 だけど現実の残酷劇は、それだけにとどまらなかった。

「っ、いきなりそんなこと言われても困ります!それに僕は同性と付き合うとか、絶対に無理ですからっ!ホントに……ごめんなさい!!」
 たった今告白されたばかりのハルトは、どういうつもりなのか、いきおいよくあたまを下げてお断りを入れている。

 ハルトのバカ!
 どうしてそんなことを言うんだよ?!
 さっきまで、リュクス様からの告白を受けて、うれしそうにはにかんでいたくせに!

 はたから見てればわかるよ、今のハルトのセリフが本心からの言葉ではないってことくらい。
 それくらい、ボクにはわかるんだってば!!

 ───でも、わざわざ断ろうとするなんて、ここにボクがいるのに気づいているから、義理立てでもしてるつもりなんだろうか?!
 それが、今のお断りの言葉を引き出したのだとしたら……。

 知ってるよ、ハルトはそういう自分よりも他人を優先させようとするやさしいところがあるって。
 でも現実問題としてあの人に選ばれたのは、ボクじゃなくてハルトなんだ!
 ハルトが本心でもないのに拒否してしまったら、リュクス様の気持ちはどこにやったらいいの??

 それに、『恋は障害があるほど燃えるんだ』って、前にリュクス様は言ってた。
 ならハルトに断られたら、よりいっそうリュクス様はハルトのことしかかんがえられなくなるだろ!
 そっちのほうが、ボクにとってはずっと残酷だった。

 じんわりと熱を帯びた脳は、目の前の現実を受け止めきれずに、機能を停止しようとしている。
 ギュンギュンと胸のまんなかが、大きな手でくりかえしにぎりつぶされようとしているみたいに、痛みを訴えてくる。

 その痛みのせいで、息を吸うことすら満足にできそうもない。
 もう視界は涙でにじんで、ろくに見えていなかった。

 これ以上……こんなもの、見てられるハズがないだろっ!
 ぽろぽろと流れ出す涙に、嗚咽をこらえるだけで、せいいっぱいだった。
 口もとを手でおさえたまま、ボクは音もなく、文字どおりに重い足を引きずって、そっとその場をあとにすることしかできなかった。





 ひょこひょことおぼつかない足元のまま、なんとか狭い自室に帰ってきて、ハルトの部屋にあったものとは大違いな、粗末なベッドの上へと倒れ込む。
 ボクのからだを受け止めたそれは、ずたずたになった心とおなじく、きしんだ音を立てた。

「最初からわかってたことだろ、ロト?リュクス様は、ボクみたいな『底辺の人間』には、手の届かない存在なんだって」
 あえて心に浮かんだ、なぐさめのセリフを口に出す。
 実際、そうでもしなければ、大声をあげて泣いてしまいそうだった。

「でも……ボクとハルトの、なにがそんなにちがうんだろう?」
 さっきから、くりかえし心に浮かぶ疑問を口にする。

 ただひとつちがうとすれば、ハルトは前世の記憶が残っているという、いわゆる『記憶持ち』なだけで。
 この国では『記憶持ち』は新たな文化をもらたすものとして、『神子』と呼ばれて丁重にあつかわれる。

 だからハルトはボクとちがって、特別な存在なんだ。
 たとえ元々の見た目が、冴えないごくごく平凡な少年だとしても。

 つい、非難めいた口調の言葉ばかりが浮かんできて、ボクを苦しめる。
 足に障害をかかえたボクにとっては、スラムでの生活を支えてくれていた命の恩人とも言うべき存在で、なによりリュクス様にも会わせてくれた恩人でもあって。
 だいたい、ハルトのことがあるからこそ、そのリュクス様ともボクのようなものが親しくお話をさせていただけていたんだろう?

 どこをとっても、ボクにとってのハルトは恩を感じる相手でこそあれ、恨むような相手でないことだけはたしかだった。
 それなのに、必死に心のなかで己の激情を抑えようとしても、どうにもうまくいかなくて。
 あたまではわかっていてもなお、今はただ妬ましくてたまらなかった。

 ───なんで、どうして??

 さっきから、何度もおなじフレーズがあたまのなかを行き来する。
 いくらハルトはいいヤツだからと気持ちを落ちつかせようとしたところで、むしろそれは逆効果でしかなくて。
 それどころか躍起になって、ハルトのアラを探そうとしてしまっている。

 どうしてリュクス様もキャスター様も、自分たちをすげなくあしらうような相手のことが好きなんだろう?
 ハルトが前世の記憶を持つ特別な『神子』様だから??
 現実はなんて理不尽なんだと訴える気持ちが、からだのなかで吹きすさび、きしんだ心が悲鳴をあげる。

 もしボクがハルトだったなら、おふたりを袖にするようなことなんて絶対にしないのに……。
 そう思ったところで実際におふたりが好きになった相手は、『神子』だとかは関係なくて、むしろ人のために一生懸命になれる、やさしいハルトの人となりを気に入ってのことだというのもわかるから。

 ジワリ……
 心が黒く染まっていく。
 好きな人に選んでもらえなかった悲しみは、そのまま選ばれたハルトへの嫉妬に変わる。
 そうやって無理にでも相手を貶さないと、ボクの心の平穏は破られて、今にも狂ってしまいそうだった。

 荒れ狂う感情の波は、嗚咽となって口からもれ、目からは涙が止めどなくあふれていく。
 ……あぁ、このままじゃ翌朝には腫れぼったい目になってしまう。
 どこか冷静な自分が、そんなことをかんがえているけれど、今だけは己の失恋のためだけに、思う存分涙を流したかった。





 そうして気が済むまで泣いて、気がつけばいつの間にか陽は完全に沈み、見上げた小さな天窓の外には藍色に溶ける宵闇が広がっていた。
 あまりにも一心不乱に泣きすぎたせいか、あたまがぼんやりとして痛い。
 もちろん、目もとも腫れぼったくて、熱くなってしまっていた。

 ……だけど、いつまでも泣いていられない。
 今夜こそ王宮を出なきゃ……!
 必死にその目的のためだけにと、気持ちをふるい立たせる。

 幸いにしてボクの前髪は長くて、それを押さえているピンさえはずしてしまえば、目元は隠れて見えなくなる───この、リュクス様にいただいた、シンプルなヘアピンを。
 たったそれだけのことでも、外そうとするだけでまた泣きたくなってしまう。

 世間的にはなんてことはないものだとしても、ボクにとっては、はじめてリュクス様から『ボクのため』だけにもらったものだったから、特別なものだった。
 だって、いつもあの人からもらうものは『ハルトといっしょに食べて』と渡された街で評判の焼き菓子だとか、めずらしい果物だとか、そんなものばかりだったから。

 リュクス様は『ハルトといっしょに』なんて言ってくれていたけど、毎回ボクがあずかるたびに『これは
丸ごとハルトに渡しておきますね』ってこたえれば、すごくうれしそうにしていた。
 ───つまりは、ことだ。

「せめてこれだけは、記念品にしようかな……」
 思わずつぶやいてしまったけど、それはとてもいい案に思えた。
 そっとはずしたヘアピンをポケットに忍ばせ、部屋におかれた水差しからコップへそそいで水を飲み、ホッと息をつく。

 そこでようやく周囲を見まわす余裕ができた。
 もうすっかり見慣れた、漆喰の白い壁が目に飛び込んでくる。
 ろうそくのゆれる炎に照らされ、そこで不安定にゆれる己の影は、どうするべきか決めあぐねているボクの優柔不断な心をあらわしているようにも見えた。
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