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Ep.1 薄幸系の子爵家子息は誤解で廃嫡される

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 ────もう、限界だった。
 これ以上、ここにいるなんて。
 必死に目をそらしつづけて来たけれど、それも今日で、もうおわりだ。

「………わかりました、あなたのご意志にしたがいましょう、ヘンリー殿下」
 そうこたえる声色は、自分で思ったよりも硬質で、そしてなんの感情もうかがうことができない平坦なものだった。

 ───いやむしろ、声がふるえなかっただけまだマシだろうか?
 みっともなく取り乱すでもなく、泣きわめくでもなく、ただ淡々とこの場を立ち去ればいい。
 ズキズキと痛みを訴えてくる心臓を無視して、ぎゅっと手をにぎる。

「ふんっ、わかればいいんだレイモンド・フォン・ランカールズ!……しかしわざわざこの私の手をわずらわせるとは、本当に賢いサミュエルとはちがって、レイモンドはどうしようもない愚か者だな。それに、ずいぶんとふてぶてしい面がまえをしているものだ。まるで他人ではないか」
 弟とのちがいをあげつらうようなセリフも、もはや耳を素どおりしていく。

「失礼、いたします……」
 辞去するためにきびすをかえそうとすれば、まるで犬でも追い払うような仕草で追い払われる。
 当然のように彼の方の顔は、まるで汚らわしいものでも見るようにしかめられているのだろう。
 そして、その横に立つ弟───サミュエルの顔は、先ほどまでのすがるような顔から一転して、失望にまみれていた。

 ふりかえることはせず、まっすぐに前を向いたまま毅然とした態度でこの場を立ち去れば、背後からは間をおかずに楽しそうな笑い声があがっていた。
 それこそ、さっきまでの重たい断罪の空気もまるでなかったみたいなそれに、心がきしむような音を立てた。

 ────あぁ、今までのランカールズ子爵家の跡継ぎとなるためにしてきた努力は、いったいなんだったのだろうか?
 思わずそんなことをかんがえそうになり、あわてて詰めていた息をつき、かぶりを振る。

 いや、いい。
 オレはもう廃嫡され、この家を出ていかなければいけないのだから。
 言い換えるならば、そう、オレはもう『』になったんだ───。


     * * *


 ただ、あれからどうやって部屋までもどってきたのか記憶があいまいで、ふと気がつけば自室のなかにいた。
 たった今、椅子に浅く腰かけたまま己の足にひじをつき、前かがみのままに固まって呆けていることに気がついたという体たらくだ。

 別に部屋は寒くはないはずなのに、まるですきま風でも吹いているかのように手足の先が冷えている。
 なにより、心にぽっかりと大きな穴でも空いたみたいな、そんなむなしさだけが占めていた。

 なにもやる気が起きなくて、からだを少し動かそうとすることさえも億劫だった。
 おかげでテーブルの上にある屋敷付きの侍女が淹れてくれたらしいお茶は、すっかりと冷めきっていた。

 少し離れた場所には、こちらを気づかわしげに見ている老齢の召使いがひとりいて、なにか言いたそうにしている。
 おおかた、先刻オレに下された沙汰を聞きおよんでいるのだろう。

 オレが生まれる前からこの家に仕えてくれている彼は、これまでに自分がプレッシャーとたたかいながら、どれほどの努力をしてきたかを知っていた。
 だからこその同情的なまなざしが、今は少し息苦しかった。

 これでも人並みのプライドは、持ち合わせているつもりなんだ。
 今だって相手が王族でさえなかったなら、その発言の撤回をもとめて決闘を申し込んでもおかしくはない、それほどのヒドイあつかいを受けたと思っている。

 ───だから、そんな目で見るな!
 オレは、そんな憐れまれなくてはいけない、みじめな存在なんかじゃない!!
 そんなふうに叫べたら、少しはスッキリしたんだろうか?

 自分はまだ、そこまで落ちぶれちゃいないと、誇り高くいられたらよかったのに……。
 そう虚勢を張る気力さえ、今となっては失われていた。
 ともすれば、倒れそうなほどのめまいが襲ってくるのをこらえ、無理して口もとに笑みを浮かべる。

「あぁ、今まで世話になったな。本日をもって私は市井に下ることになった。これからは弟がこの家の跡取りとなるだろう。くわしいことは、おそらく父上から話があると思う」
 必死に感情を押し殺し、淡々とそれだけを告げた。

「それは……っ!!」
「いい、なにも言うな。それより、ひとりにしてくれないか?」
 なにかを言おうとした召使いのセリフをさえぎり、そのまま部屋から追い出す。

 たぶんこのオレを気づかうばかりに、彼はヘンリー殿下をおとしめるような発言をしかねなかった。
 もしそれがこの屋敷に滞在している殿下の耳に入りでもしたら、それこそ、その場で手打ちにされても文句は言えない。
 だからこそ、彼を守るためにもそれ以上の発言をさせるわけにはいかなかったんだ。

 もちろんオレだって、本音を言えばくやしかった。
 ヘンリー殿下には、こちらの意図すら聞いてもらえなかったし、なによりも弟に対する思いも伝わっていないのだと、その弁明の機会すらあたえてもらえなかった。

 だけどこちらにも、兄としてのプライドがある。
 弟の前でみっともなく泣きわめくのもイヤだったし、これ以上の醜態をさらすのを見られたくはなかった。

 だって、あのやさしいはずの弟が、あのヒドイ言いがかりのような殿下の断罪を止めなかったんだぞ?
 そのことがなによりも如実に、オレに対する悪感情を抱いているのだということを、雄弁に告げていた。
 いつの間に、そこまで嫌われていたんだろうな……?

 無言であたまを下げた召使いが出ていったのを確認して、そっとため息をつく。
 ……あぁ、すっかり冷めてしまったお茶は、香りも飛んでしまっている。

 そうしてひとりになれば、気持ちは徐々に滅入ってきて。
 ───あれで首でも刺せば、死ねるだろうか?
 なんて一瞬、壁にかけられた装飾用の剣と槍に手を伸ばしそうになり、そんな弱気な己に自嘲した。

 わかっていたつもりなのに、あらためて突きつけられた現実に心は空虚になったまま、なにもする気が起きなくて。
 ぼんやりとベッドに腰掛けたまま、無為に時間だけがすぎていく。

 ……なぁ、オレはどうすれば良かったんだ?
 オレよりもはるかに優秀で、才能もなにもかも持っている弟に、兄としていったいなにがしてやれたというんだ……?

 その問いは、声に発することもなく、心のなかでだけ響いて、そして消えていく。
 むなしくてツラくて、本当に大声をあげて泣きたいくらいなのに、不思議と涙は出てこなかった。

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