歩美ちゃんは勝ちたい

秋谷イル

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完結編

私達の道

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 夜のブリスベンの街を柔道着に裸足で駆けて行く馬鹿を見たことあるか? 今見ているとしたら、それはオレだ。
「はあっ、はっ、はぁっ、はあっ……!」
 息が乱れる。情けない。この程度の距離毎日走り込んでただろ? 足を止めるな、絶対立ち止まるな、あいつを見つけ出すまで走り続けろ!
「歩美……歩美……歩美……!」

 ごめん、ごめんな。オレ、ちゃんとお前の気持ちを考えてなかった。
 悩んでるのを知ってたのに、聞いてたのに、舞い上がって忘れちまった。七ヶ月ぶりに会って一晩一緒にいられて、幸せ過ぎて、それで──

「言い訳すんなあっ!」
 馬鹿な自分を叱りつける。そりゃ怒るだろ。あいつはまだこれからなんだ。念願叶って先生になってから一年とちょっとしか経ってないんだぞ? なのにどうして待ってやらなかったんだよ。あんな風に追い詰めるような真似したら泣かせて当然だろ!
「クソッ、クソッ、クソッ……沙織の言う通りだ……」
 オレは馬鹿だ。高校の時の告白が上手くいったから同じことしようとしたんだ。自信が欲しかった。それだけのために。
 世界一になったら認めてもらえると思った。金メダルがあれば堂々と歩美の隣に立てるなんて考えちまった。だったら本当に取ってからにしたら良かった。
 そうじゃない、違う! 今さらだろ!? そもそも、今さらそんなことを気にするような関係じゃないはずだろ!
 謝らせてくれ! もう一度チャンスをくれ! もっと素直に気持ちを伝えたい!
 どこにいるんだ歩美!?


「──ああもう、あの馬鹿! なんでスマホ持って行かないのよ!?」
「せっかく歩美先輩の位置がわかってるのに! これじゃ伝えようがないです!」
「時雨さん引き返して! まずは木村君を拾わないと!」
「わかってる! でも、ここからじゃすぐには──」
「あっ」
「なに、どうしたの勇花さん」
「見てよ榛君、これ……」
「ええっ!? なんですか、これ!?」
「ブリスベンの人達が」
「木村さんを──」


「アッチ! アッチ!」
「へ?」
 なんだ? あちこちで人がどこかを指差してるぞ。それに、あっちって日本語じゃないのか?

 ……まさか。

「アッチ! アユミ、アッチ!」
「なっ、なんで歩美のこと知ってんだ!? おい、あんたいったい──」
 勢い余って通過してしまった謎の人の方へ振り返るオレ。その瞬間、別のとんでもない事態に気付く。
「げえっ!?」
「あっ、木村選手! どこへ行くんですか! 先程の女性のところですか! どうか一言お願いします!」
「No!!  Keep going!!(駄目だ!! 立ち止まるな!!)」
「GOGOGOGOGO!!(行け行け行け行け行けっ!!)」
「Agarra el amor!!(愛を掴め!!)」
「再次祝你好运!(もう一度頑張って!)」
「ジャマジャ! クウキヲヨマンカコムスメ! イマイイトコジャロ!」
 な、なんだ、なんなんだ!? カメラだらけじゃねえか! めちゃくちゃいっぱい追って来てる! もしかしてあの会場からずっと!?


「あ、やっと気付いた」
「そうだよ馬鹿! お前、世界中に中継されてんだよ!」
「このままじゃ歩美さんのところまで連れて行ってしまいますわ!」
「あはははは! 高校の時のバレンタイン思い出しちゃった!」

「立ち止まるな! 振り返るな! 行け馬鹿息子っ!」
「そうよ! こうなったら突っ走りなさい!」
「雑念を捨てろ! 歩美のことだけ考えるのだ! 精神一到何事か成らざらん!」
「ブランコで空を飛んだでしょ! あの時のガッツを思い出して!」

「走れ木村あ! いででででででででっ!!」
「いいからこっちに集中してください、奥さん!」
「頼むよ小梅! お前の分も俺が応援するから!! ヒッヒッフーだ!」
「おい玲美、こいつぁひょっとしたらひょっとするぞ? めでたいことが二ついっぺんに起こるかもしれねえ!」
「ああ、ああ……どっちを見たらいいかわかんない!」
「誰だ分娩室にテレビと父兄を持ち込ませたのはあ!?」
「ぎゃあああああああああああああ、超いてええええええええええええええっ!」
「小梅えっ!?」

「ええい、何をしておるのかね木村選手……! さっきから闇雲に走り回っとるだけじゃないか! 頭を使いたまえ!」
「きっと信じているんですよ、必ず会えるって」
「くだらん! 運や奇跡に頼るなど──」
「あら、幸運のおかげで私と結ばれたのは誰だったかしら?」
「ぬっ、ぐっ……」
「きっと、そういう何かがあるのよ。あの二人にも」


「アッチ! アッチニアユミ!」
 やっぱりだ。なんでかわかんないけど周りの人達がオレを誘導してくれてる。あいつの居場所を教えてくれる。
 今のオレには、それを信じる以外の手は無い。
 信じて駆け抜けろ!
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 一意専心!

「歩美! 今、行くからあ!」



「ふふ、繋がっていく」
 うちの曾ばあには一族の中でも最も古い力が宿っている。
 心ある全ての者達の繋がりを可視化する力。
「便利な世の中になったものだねえ」
「どこのSNSも、このお祭り騒ぎの中継でいっぱいだよ」
「軽薄な繋がりだけれど、それでも積み重なれば面白いことになるもんだ」
 曾ばあにはオレ達には見えていないものが見えているのだ。おそらくは、あの鈴蘭様のように。
 しかし、えらく呑気だな。オレの危機感は的外れなのか?
「曾ばあ、歩美ちゃんは大丈夫なのか? こんなに注目されちまっちゃ、また特異点化が始まるんじゃ……」
「心配無い」
「でも」
 さらに言い募ろうとしたオレを優しい眼差しのまま静かに見据える曾ばあ。
「あの子は大丈夫なんだよ。今回は前の時みたいに無理矢理“神の子”にされかかってるわけじゃない。これなら大丈夫」

 オレには、その確信の根拠がわからない。
 でも、まあ──

「曾ばあが言うなら、そうなんだろうな」
「ふふ、そういうことさ。伊達に長生きしちゃいない。あの子はたくさんの良い出会いに恵まれた。だから、な~んにも心配いらないんだよ。恋は別としてね」
 その言葉を信じることにしてオレとサラもテレビの画面に注視する。木村少年は懸命に走り続けていた。
 ああ、なんか、あれだな……オレも恋とかしたくなってきちまったぜ。



 体が冷えてきちゃった。そう思った時、タイミング良くスマホが振動する。さおちゃん達かな? それかママ? どちらにせよ心配させたし謝らないと。
 そう思って取り出した携帯の画面を見て硬直する。予想外の名前だったから。
「谷川君……?」
 日本とオーストラリアの時差は小さいから向こうもすでに夜のはず。こんな時間にどうして? それにZINEの友達登録はしたけど、恒例の家庭訪問ができない時のための連絡用であって向こうからメッセージが来たことなんて一度も無かった。
 少し迷ってからタップ。すると、最初に目に飛び込んで来た文章は「ごめんなさい」の六文字。

『ごめんなさい。先生に考え直して欲しくてメッセージを送ります』

 考え直す?

『僕のせいですよね。先生がプロポーズを断ったのは、僕が先生を悩ませているせいだと、そう考えました』

 えっ。

『本当にごめんなさい。そんなつもり無かったんです。先生にまで迷惑をかけたくなんかなかった。お願いします、考え直してください。僕なんかのためにせっかくのチャンスを逃がさないで』

 いや、私は……違うと呟きかけて、けれど否定しきれなかった。心のどこかで彼の存在を重荷に感じていた自分に、醜い本音に気付いてしまったから。
 谷川君の一方的な謝罪は続く。

『先生が考え直してくれるなら学校にも行きます。僕は、僕のせいで先生が不幸になる姿なんて見たくありません』
「谷川君……」

 やっぱり、そうだったんだね。君は本当は優しい子。
 頭が良すぎて、色々考えちゃうだけなんだよ。
 既読がついてるから読んだことは向こうにも伝わっている。
 ちゃんと返信しよう。

『谷川君、たしかに君のことも、彼のプロポーズを断ってしまった一因です』

 嘘ついたってしかたない。正直に言おう。

『でも、それだけじゃありません。今回のことは色々な要因が重なった結果。自分が悪いなんて思わないで。学校だって来たくないなら来なくてもいいと思う。君が本当に自分にとって最善だと思う選択をして欲しい。私はしかたなく学校に来る君より、自分の意志で道を選んで進んで行く君の方が好きです』

 本音だよ。私が先生になってから初めて受け持った問題児。君は、本当に色々なことを私に教えてくれたね。
 君のことを重荷に思っていた。でも、それ以上に大好きだし、かっこいいと思う。

『君は君が正解だと思う道を歩くべき』
『先生みたいに?』
『うん』

 そうだよ、忘れかけていた。私は誰に強制されたわけでもなく、自分の意志でこの道を選んだんだ。教師として歩む人生を。
 そして、あいつのことも──

『だったら先生』

 ん?

『今度こそ、その人の手を掴んで』
「歩美っ!!」
「え?」
 振り返った私を照らす無数のフラッシュ。注視する何台ものカメラ。けれど、あいつはそんなもの何一つ意に介さず、もう一度私の前に立った。

「やっと、見つけた……!」
「無限……?」
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