人竜選史

秋谷イル

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現代編

アサヒ(2)

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 そんなわけでカトリーヌに教師を引き受けてもらい、授業が始まった。
 時々「どうして俺、二五〇年後の世界でまた中学生の勉強してるんだろう……」と醒めた気持ちになってしまうこともあったが、その度に拳骨が飛んで来て現実に引き戻される。美人なのに、この先生も見た目に反して意外とスパルタだ。
 かと思えば、たまに自分の豊かな胸を突き出してからかってきたりする。
「どや? アサヒ君、美人の女教師と二人だけの密室授業。ムラムラしたりせえへんか?」
「しません」
 本音を言えばしなくもないのだが、そう答えると今より調子に乗ってしまうのが目に見えている。アサヒは努めて冷静に、感情を押し殺して返答した。
「つまらん子やなあ。若いのにからかい甲斐が無いわ」
 多分、彼女のことを好きな相田 友之もこんな感じで日常的に弄ばれているのだろう。ちょっと同情する。
「まったく、少しは私のストレス解消に付き合ってくれてもいいだろうに……」
「? あの、何か言いました?」
「ん~ん? 何も言ってへんで~、空耳とちゃうか?」
 気のせいか……もしかしたら自分の中にいる“アイツ”の仕業かもしれない。あれ以来ずっとおとなしくしているが、いつ暴れ出してもおかしくない“同居人”のことをアサヒはずっと警戒していた。
 すると、頭にぽんとカトリーヌの手が乗る。
「コラ、ちゃんと勉強に集中しい。ここ、ホンマにこの解答でええんか?」
「あ……すいません」
 言われてようやくミスに気付いたアサヒは計算をやり直した。やはり前とは違う答えになり、嘆息と共に修正する。
 カトリーヌは時々からかってくること以外は優秀な先生だった。わかりやすく解法を説明し、答えは自分で考えさせる。間違っていたら自力でそれに気付くまでの猶予を与え、その間に気が付けなかった場合のみ指摘する。なんというか、人に教え慣れている感じだ。以前にも似たようなことをした経験があるのかもしれない。
「カトリーヌさんって兄弟とかいるんですか?」
「ん? なんで?」
「いや、なんか教え方が上手いから……」
「ああ、なるほど。流石は朱璃ちゃんの先祖やな、けっこう鋭いわ。うちは子だくさんでな、兄弟も姉妹もいっぱいおってん」
「何人くらいです?」
「いっぱいや」
 改めてそう答える彼女。その声の響きから、あまり踏み込むなという感情を受け取る。
(なんか複雑な家庭の事情があるのかな……)
 そう思ったアサヒは、それ以上何も訊ねなかった。
 しばし気まずい沈黙。しかし、それがかえって功を奏したようで、問題を解くことに専念した彼はなんとか全問の記入を終えた。
 回答欄の埋まった答案を受け取り、流れるように素早く目を通して頷くカトリーヌ。
「うん、ええやん。前半で何度か躓いたけど、後半はスラスラ解いてたし、ちゃんと理解できたんちゃう? まあ、少し間を置いてもう一度やってみて確認やな。とりあえずこれはうちから朱璃ちゃんに提出しとくわ」
「まだやるんですか?」
「君らの時代かて学生生活が一日やそこらで終わったわけやないやろ? そもそも人間なんてな、一生が勉強みたいなもんやで。たかだか何十年かで何もかもを理解できるわけやあらへんからな」
 まあ、それはそうかもしれない。けれど、アサヒの脳裏には例外的な存在が何人か思い浮かぶ。
「朱璃みたいな天才がうらやましいですよ。小学校の時の同級生にも一人いたなあ、高校までいけたやつ。俺も、もっと物覚えが良ければ学生でいられたのに」
 彗星の衝突に備えて地下都市の建設が進められていた時代、多くの児童は中学校卒業と同時に労働の現場に駆り出されていた。高校に進学できたのは一部の突出した頭脳を認められた人間だけ。伊東 旭は前者だった。
 建設現場で働くことが苦だったわけではないが、もう少し“子供”のままでいたかった。オリジナルの抱いたそんな気持ちが我がことのように蘇って来る。
 そんな彼を見てカトリーヌは「ふむ……」と腕を組む。
「君には意識改革が必要やな」
「え?」
 どういうことかと眉をひそめるアサヒ。一方、踵を返す彼女。
「後で教えたる。とりあえず、今回の授業はここまで!」


 その日の夜、再びカトリーヌがやって来た。それも皆が寝静まったような深夜に。
「なんや、まだ起きとったんか?」
「カトリーヌさん?」
 なかなか眠れず、ぼんやり天井を眺めていた彼に背後から声がかかる。
 振り返るとカトリーヌがいた。
「なんで一人で天井見つめてんねん。ちょっと怖くて躊躇ったわ」
「いや、普通に上に行きたいなと思っただけですよ。ここ地下でしょ」
「地下都市の中の地下室ってなんやおかしいわな。って、そういうことやない。ほら、行くで」
「え? どこにです?」
「社会科見学や」
 そう言われて手を引かれ、室外に出る。どういうわけか見張りの兵士達はいない。
「あの人達はどこに?」
「心配いらんよ、ちょっとここから離れてもらっただけや。うちの色気で頼み込んだらあっさり聞いてくれたわ」
「はぁ……」
 真面目そうな人達だったが、本当に色仕掛けに応じたのだろうか? 後で怒られないといいが。彼等も自分も。
 深夜の廊下を並んで歩く二人。こんな時間に美人で年上のお姉さんに手を引かれているシチュエーションは少年の胸をドキドキさせた。いったいどこまで連れて行かれるのだろう?
 地下から階段で地上階へ上がる。
 すると、そこからほどなくしてカトリーヌは立ち止まった。窓の一つを指差す。
「ほれ、見てみ」
「?」
 何があるのかと思ったその方向に、また別の窓があった。深夜なのに煌々と照明が灯っている。
 ここは軍事基地だ。二四時間誰かが必ず働いている。だからそれ自体に驚きは無い。
 けれど──
「朱璃……?」
 光の中に見えるのは朱璃だった。昼間の自分と同じように机に噛り付き、熱心にペンを走らせている。
「何してるんですか?」
「何って、仕事に決まってるやろ。遊んでるように見えるか?」
「仕事?」
 いや、だって……昼間も働いていたはずだ。それにカトリーヌは先日の件の事後処理が終わって暇になったと。
「暇なのはうちらだけや。班長のあの子にはまだまだぎょうさん仕事が残ってんねん。もちろん、手伝えることは班員の誰かが手伝っとるけど、それでもあの子以外にはできん仕事が多すぎる。中間管理職なんてそういうもんや。挙句にあんたのためのテストまで作ってるし、アンタのことやこないだの戦闘の現場を調べて得られたデータのまとめもしとる。働き過ぎや言うとるのに、ほとんど休もうとせえへん」
「……」

 母を思い出した。
 体力自慢で、いつも複数の仕事を掛け持ちしていた。
 子孫達にも、遺伝してしまったのだろうか。

「うちはな、あの子が“天才”って言われるの好きやないねん。本人がそれを自称しとるから普段は黙っとるけどな。あれは自分を奮い立たせるために使ってるだけの言葉や。ホンマは天才でもなんでもあらへん。普通の子や。少なくともオツムに関してはな。天才ちゅうのは普通の人間にはパッと見てもわからんようなことを直感的に理解して解決法まで導き出してしまうような奴のこっちゃ。
 朱璃ちゃんは違う。あの子は知らないこと、わからないことがあったら一つ一つ丁寧に調べる。理解できるまで咀嚼する。情報を集めて記録する。検証を重ねて実証する。凡人や。ただ、ちょっと頭のネジが一本外れとるだけ」
「ネジ?」
「お父さんが死んで以来、なんでか“恐怖”を感じなくなったらしいわ。だからブレーキの効きが悪いねん。うちらがしっかり見ててやらんと、そのうち大事故起こしてくたばってまうで。だからアサヒ君、君もしっかり見といたってな?」
「……はい」
 カトリーヌはここに自分を連れて来た目的は言わなかった。昼間の授業と同じ。答えは自分で出せということだろう。
 結局、二人はそれからすぐにまた地下室へ戻った。カトリーヌは「おやすみ」と一言だけ言って立ち去り、残されたアサヒの方はまた天井を見上げながら遠い昔を思い出す。

 ──小学校に入ったばかりの頃、ようやく自分が“特殊”なのだと気付いた。普通の子供よりずっと背が高いだけでなく、大人達が驚くほどの身体能力まで有していたから。
 鬼ごっこ、ドッジボール、サッカー、野球、鉄棒。何をやっても他の子供達を圧倒した。一人だけ大人が混じっているようなものだから当然の話。
 当然、一緒に遊びたがる子供はどんどん減っていった。お前と遊んでも強すぎてつまらないんだと言われて。
 それでも保育園の頃から付き合いがある友人達とは遊べていたのだが、彼等も、やがて周りの声に流されて距離を取るようになってしまった。
 ある日、誰も友達がいなくなってしまったと告白して母に泣きついた。
 そしたらこう言われた。

『そりゃしかたないさ。お前はアタシに似て腕力と体力だけは人一倍あるんだから。お前の方から合わせてあげなきゃダメなんだよ。まあ、アタシは女子で体を動かす遊びにはそんなに混ざらなくても良かったし、すぐに加減することを覚えたから同じ状況になったことは無いんだけど……。
 まあ、とにかくだ旭。今は窮屈に思えるかもしれないけど、そのうちみんなわかるよ。世の中は公平だって。不公平に見えるかもしれないけど、そうじゃない。アンタの体が強いように、他の子もみんな何かしら才能を持って生まれて来てるもんさ。自分が望んだ才能を授かってるとは限らないけど、それはアンタだって同じだ。誰にでも得意なことと不得意なことがある。だから、それぞれのできることで助け合って生きていけばいい。大きくなったらほとんどの人間はそのことに気が付く。それまでの辛抱だ。
 お前のその才能が、いつか誰かの頼りになることもある。だから、そうなるまでは我慢しな。友達がいないことに我慢しろってことじゃないよ? 友達と遊ぶために、本気を出さないように我慢しな』

「我慢……」
 思い返せば、あれ以来、あの言葉の通りに生きてきた気がする。必要に迫られない限り、決して本気を出さないようにした。おかげで少しずつ友人達との関係も修復され、楽しい学生時代を過ごせた。だから母の教えが間違っていたわけではない。
 間違っていたのは、それを都合の良い言い訳に使っていた自分だと、あの朱璃の姿を見て気付いた。

『俺は本気を出しちゃ駄目なんだ』

 運動以外のあらゆることでも、そう言い訳して努力を怠ってきた気がする。自分が授かった才能は優れた身体能力、それだけなのに、勉強でもなんでも、やはり本気を出したら皆に嫌われると言い訳をして苦しいことから逃げていた。勉強なんかしたって、どうせ中学を卒業したら肉体労度に従事するのだからという意識もあったかもしれない。

 でも、今は違うじゃないか。
 今の自分は皆に頼られる存在だ。知らない間にそうなってしまった。
 正しくは、まだ恐れられている段階。でも、そのままでいるつもりは無い。

「この世界で生きていくって、自分で決めたんだもんな……」
 恐れが信頼に変わるように努力しなくてはならない。朱璃がワガママを突き通しても許されているのは、彼女がそれに相応しい努力を重ねて実績を残しているからだ。自分もそれを見習おう。
 幸い、体力には自信がある。母譲りだ。それになんだか眠くない。
 監視のため室内には真夜中でもずっと魔法の照明が灯っている。いつも眠る時には消して欲しいと思っていたが、今は都合が良いと思えた。アサヒは机の前に座り、カトリーヌが復習用にと置いて行ってくれた教科書を開く。
 結局彼は一晩中、それに読み耽った。


 翌日、カトリーヌと共に朱璃がやって来た。
 新たに与えられた宿題と向かい合うこと数時間後、一旦仕事のため離れていた朱璃が再び戻って来る。
 彼女は採点をして、そしてニヤリと笑った。
「ふうん……まあ、及第点ね。まだまだミスが多いけど、ハムスターレベルにはなったかしら?」
「なんだよ、ハムスター可愛いじゃないか」
「そういう問題やあらへん」
 後ろで苦笑するカトリーヌ。旭の頭に手を置き、グリグリと撫でまわす。
「まあ、今日は授業に集中してたし、ミスもそんなにしてへん。聞いた話じゃ昨夜ずっと復習しとったらしいな? えらいえらい」
「やめてくださいよ」
 くすぐったい。しかし、なんだか懐かしい。以前にも母以外の誰かにこんな風に頭を撫でられたような。
(ああ……)
 思い出した、彼女だ。
「とりあえず数学はここまでにして、明日からは他の科目をやるわよ」
「うん、わかった」
 あっさり頷いたアサヒの態度に、眉をひそめる朱璃。
「アンタ、なんか変わった?」
「そうかな?」
「何をとぼけてんの。心境の変化でもなんでもいいけど、情報はちゃんと共有しなさいよ。アンタはアタシの研究に協力する。そういう契約を結んでるでしょ」
 そういえばそうだった。なら、とアサヒは切り出し、朱璃の顔をまっすぐに見つめる。
「昨夜思い出したんだけどさ、俺の子供の頃の話、聞く?」
「昔話ね。たしかに何かのヒントになるかもしれないわ。聞いてあげようじゃない」
「なんで上から目線やねん」
 こうして、少しの間だけではあったが、三人は穏やかな時を過ごした。


 何故か眠気は来ないのだが、二日連続で徹夜するのは体に良くないだろう。そう思ったアサヒは、きちんと眠ることにした。
 ベッドに横たわり、枕に背中を預けて、ほんの数日前の出会いと別れを思い出す。
「桜花さん……菊花……蘭花さん、藤花さん、桂花さん……」
 南日本の術士達。自分をサルベージしてくれた──いや、この世界に生み落とし、連れ出してくれた五人の“母”──今はもういない彼女達の顔を瞼の裏に描き、語りかける。
「俺、頑張るよ。きっと、この力で皆を守り抜く。だから安心して」
 負けない。あの日、自分を守ってくれた彼女達の願いに応えるためにも、この先の苦難を必ず乗り越えてみせる。
 それが自分の生まれてきた意味だと、知っているから。

 ──次の瞬間、どういうわけか記憶の中の桜花が、苦笑したように見えた。
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