人竜千季

秋谷イル

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第四部

五章・桜花(2)

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 あの箱庭に囚われている人々は、ある意味、伊東 旭と同じだ。ドロシーとドロシーに精神を破壊された彼と同様、心の自由を奪われている。何不自由無く暮らしているように見えて、実際には思い出を搾取され続けるだけ。さっきドロシー自身が本音を零したじゃないか。彼等は家畜だと。
 ずっと同じことを繰り返しているのだ。あの場所で、決まったパターンで行動すること以外、何も許されていない。行動して、記憶して、その記憶を捧げ、また同じ動きを繰り返す。

 あそこは時間の止まった世界。心の自由まで奪われる史上最悪の監獄。
 存在の全てを縛られた囚人を観察して、自分に何を学べと言う?

「アサヒ、アタシを信じてる?」
 突然問われ、彼は戸惑う。
 けれど、すぐに頷いた。
「うん」
「だったらまっすぐ突っ込みなさい。あの女はアタシが止める。アンタはトドメ。それで勝ちよ」
「わかった!」
「正気?」
 眉をひそめるドロシー。どんな作戦か確認しようともしないアサヒ。そして、それぞれの役割を堂々と明かす朱璃。どちらも彼女には信じ難いほど愚かな行動。
(ブラフ?)
 実際には逆の役割なのかもしれない。朱璃の“魔弾”は、自分なら障壁で容易に防げる。とはいえ、なんらかの方法で直撃を受けた場合、無事では済まない程度の威力もある。つまり彼女が決定打を打つことも可能。
 しかし、そう考えさせること自体が目的とも推察できる。
 ならば──
(どちらの可能性にも対応する)
 裏をかかれることは織り込み済みで、思考に余裕を残しておく。その分だけ対応能力は下がってしまうが、致命傷さえ受けなければ問題無い。痛手を被ることを覚悟しておけば、即座に反撃に移れる。相手の意図さえ読めてしまえば、そこから次の手を封殺することは難しくない。
「さあ、どう来るのかしら……」
 余裕の笑みを崩さず、右手で伊東 旭が変じた杖を、左手は無手のままで顔の高さまで持ち上げる。白蛇ドロシーも大きく鎌首をもたげ、人のドロシーにとって死角になりうる部分をカバーした。

 すると突然、視界が真っ暗になった。

「なっ!?」
 霊力を捉える蛇のドロシーの目が、何が起きたのか教えてくれる。ただ球形の霊力障壁で包まれたのだ。それだけではあるが、それだけではない。
(この距離で!? これほどとは!)
 彼女自身に霊術は使えない。しかし多少の知識ならある。障壁を離れた場所に展開するには、それだけ高い出力値が必要になるはずなのだ。普通の術者ならあれだけ離れて届くことはない。
 でも、無理をして遠距離に張った結果、強度は格段に落ちている。
 いや、だからこそか!
「チッ!?」
 案の定、立て続けに“魔弾”が二発撃ち込まれた。脆い障壁だからこそ、向こうの攻撃も容易く通る。光と音を遮断する設定にして一瞬足止めできれば十分だった。
 一発は魔素障壁で防げたが、もう一発はドロシーの左腕を吹き飛ばす。でも、これさえ本命の攻撃ではない。

 ──言っていたではないか、まっすぐ突っ込めと。

「!」
 やはりアサヒが目の前にまで迫っていた。本当に何も考えず正面からの突撃。たしかに今の被弾によって自分には隙が生じている。けれど甘い!
「フッ!」
 右手の杖を前に突き出し、強力な魔素障壁を展開する。伊東 旭の抜け殻。これは所持者に“渦巻く者ボルッテクス”の力を貸し与えられる。
 アサヒの渾身のストレートがその障壁を砕いた。しかし大幅に威力を減殺されたそれを蛇のドロシーが展開した別の障壁により受け止める。一枚目の障壁を砕き、魔素の爆発を起こそうとしていた彼は慌てて自身の攻撃を封じ込めた。
「うあっ!?」
 抑え切れなかった余波が閃光となって噴き出し、彼自身に大きなダメージを与える。

(勝った!)

 意表は突かれたが、やはり致命傷には至らなかった。これでこちらの勝ち。目の前の旭もどきを拘束して、守る者のいなくなった朱璃を殺す。肉体など失われてもいい。魔素に保存された最新の情報を再現してやれば、いくらでもコピーを生み出せる。オリジナルを倒すのは、勝利の興奮を味わうためと、そして──

 心の中で舌なめずりした彼女は、次の瞬間、炎の渦を目撃した。

「なっ!?」
 これも霊術? 猛火と竜巻が組み合わさり、アサヒごと彼女を包み込む。
 まずい、まだ手札を隠していたのか。咄嗟に距離を取ろうとしたドロシーの腕をしかしアサヒが捕まえた。
「ぐ、うううううううう!?」
 焼ける。皮膚と肉が沸騰する。
「逃がすか!」
 そういう彼も猛烈な熱で焼けこげていく。ところが焦げた皮膚の下から赤い鱗が現れて炎熱を遮断した。ドロシーだけがなおも燃え上がる。
「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
「コイツで、終わりよ!」

 朱璃は間近で見た術を解析できる。習得もできる。
 烈花の炎、風花の竜巻、そして斬花のこの術。
 三つの合わせ技が、彼女の本当の切り札。

「くたばれ!」
 霊力糸の発展形、薄く伸ばした障壁の刃を振り抜く。炎の渦も、間にいるアサヒも透過したそれは、ドロシーと彼女の体内の“心臓”だけを切り裂いた。



 違う。刃状障壁を通して伝わって来た手応えから朱璃は罠に気が付く。あれはドロシーなんかじゃない。
「アサヒ、離っ──!?」
 横から、突然ハンマーで殴られたような衝撃。空間に満ちていた魔素が渦を描いて彼女を巻き込み、暴力的な力で振り回した。
「朱璃!」
 突風に翻弄される彼女をアサヒが掴み、抱き寄せる。大きな怪我こそしてないが、意識は朦朧としており目の焦点が合っていない。
「く……う……っ」
「朱璃! 朱璃!? そんな、どうして……」
 たしかに彼女の攻撃はドロシーの“心臓”を切り裂いた。その結晶こそ蛇のドロシーの本体だと、さっき本人が言っていたじゃないか。
 事実、目の前でドロシーとドロシーは両方とも崩れていく。
 けれど、人間のドロシーは笑っていた。

「楽しめたわよ」

 朱璃は完全に自分の予測を上回った。彼女を信じたアサヒの胆力も、及第点だと評していいだろう。
 けれど無駄なのだ。全ては無駄。何度も言っている。自分達の世界に入って来た時点で勝負は決していたのだと。さっきのは、ただ本気で“遊んで”いただけに過ぎない。

「あなた達の素晴らしさは良く分かったわ。予定通り、賓客として招きましょう。ただし、邪魔な肉体を破壊した後でね」

 ドロシーには魔素の影響を受けた生物や記憶災害を操る力がある。高度な知性を持つ者ほど支配下に置くのは難しくなるが、不可能なわけではない。
 なにより彼女達には“同化”という手段がある。賓客とは、つまりそれ。朱璃にはそうするだけの価値がある。ドロシーとドロシー、この二者に並ぶ三人目の支配者として迎え入れよう。完全に屈服させるまでは、同化による強制力で大人しくさせておけばいい。

「きっと……あなたは……理解、できる……」

 完全に崩れ去るドロシー。何の問題も無い。それらしく作っただけの人形。ゲーム用に彫り上げた駒。それを壊されただけ。

「ま、ずい……逃げる、のよ……」

 突風で脳震盪を起こした朱璃は上手く喋れなかった。身動きもままならない。アサヒはまだ何が起きているのか理解できずにいる。伝えなくては、ドロシーの本当の狙いを。
 アイツらは自分を記憶災害にして同化するつもりだ。自分さえ先に取り込んでしまえばアサヒは言いなりになるしかない。自分が、星海 朱璃がそうさせた。彼に愛され愛してしまった。
 その愛がきっと、これから彼を縛りつける。

(駄目、それは……それだけは……)

 ドロシー達が消えても暴風は止まない。発生源は伊東 旭。抜け殻が周囲の魔素を吸い集めている。その輝きがどんどん増していった。見覚えがある。アサヒが全力で放つ攻撃と同じ。集束させた膨大な量の魔素に破壊のイメージを与え、放出と同時に再現させる。
 渦で動きを止め、大技で一気に吹き飛ばす気だ。本当に嫌になるほど考え方が良く似ている。さっき自分が仕掛けた作戦と同じ。

「そう、か……ここはドロシーの中。この空間全部がドロシーなんだ!?」

 ようやく気付いたアサヒは同時に朱璃を庇い、オリジナルの自分に背を向けた。体内の魔素をありったけ放出して障壁を展開する。
【耐えろ!】
 死に瀕して感覚が研ぎ澄まされたのだろうか? これまで直接聞くことはできなかったライオの思念波が朱璃の脳内にも響く。彼もまた霊力障壁を重ね、さらに自身の腕と翼で二人を守った。蒼黒との戦いの時と同じように。
 でも防ぎ切れない。朱璃の頭脳は冷徹に計算結果を弾き出す。この空間に満ちた魔素が爆発の威力をさらに跳ね上げてしまう。放出された破壊のイメージが伝播して連鎖爆発を引き起こす。最終的な破壊力は蒼黒の時の比ではない。
 それでもアサヒ達は生き延びるかもしれない。
 自分だけは、確実に死ぬ。

 逃げて!

 彼の足枷になるのは嫌だ。せめて自由でいてほしい。彼女がそう願った瞬間、臨界点に達した光がついに解き放たれた。
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