人竜千季

秋谷イル

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第三部(前編)

三章・休息(1)

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 少し時間は遡り、出発直後──梅花ばいかと共に馬上の人となった風花ふうかは遠ざかる地下都市に向かって何度も手を振っていた。
「ううっ、ハナコ! ヒメ! タマエ! 元気でね!!」
 涙ながらに別れを惜しむ彼女。どうやら盛岡で世話していた子牛達の名前らしい。なら盛岡の方向に手を振ったらいいと思うのだが、本人はそこまで細かいことを気にしてないようなので、気が済むまでやらせておこう。
 しかし地下都市の灯が見えなくなるほど遠ざかっても、風花はまだ手を振り続けていた。流石にしつこい。
「そろそろやめてくれ、馬が嫌がる」
 二人も人を乗せていて、さらにその片割れの重心が左右に揺れるものだから、彼にしてみれば堪ったものじゃないわけだ。宥めるこちらも疲れて来た。
「あ、すいません姉様」
 委縮して、ようやく手を下ろす風花。別にきつく叱ったつもりはないのだが、年齢差を考えると、こちらの想定以上に圧を感じたかもしれない。
 梅花もまた失敗したなと自省する。昔からこうだ。子供は好きなのに、実際世話を焼くとなると上手くいかない。朱璃あかりのように、らしくない子供となら上手く付き合えるのだが。
 とはいえ長旅の間、互いに緊張し続けるのもなんだ。やはり姉として、こちらの方から歩み寄らねば。

『姉様は、なんだかんだ言って面倒見が良い』

 思い出の中の桜花おうかがそう言って笑う。まったく、死んだ後まで姉をからかう。あの子は上からも下からも愛されていた。風花も、愛嬌の良さは似ているかもしれない。
「なあ、そう固くなるな。私達は一応、姉と妹だろ」
「はい」
 嬉しそうに頷く少女。良かった、素直な子だ。
 ほっとしていると、そこへ──

「お前さん達、義理の姉妹かい?」

 門司もんじが近付いて来て、無遠慮に見比べながら問いかけてきた。かたや金髪で碧眼、もう一人は黒髪黒目。いちいち確かめなくとも、血の繋がりが無いことは明白である。
 梅花は頷き、風花の頭を撫でた。
「ご名答。この子とはこれまで面識が無かったんだが、名前に“花”の字が入ってるのは、あの人の養子になった証だからな。戸籍上は姉妹になる」
「あの人?」
「ああ、先生は会っていないか。天王寺てんのうじ 月華げっか……彼女が我々の養母ははだ」

 その名を聞いた途端、目を皿のように見開く門司。
 流石に名前は知っていたらしい。

「月華って、あの……?」
「ああ」
「まさか本人じゃないよね?」
「いや、そのまさかだ」
 一〇歳前後にしか見えない養母は、本人曰く四〇〇歳を超えているという。事実かどうかは知らない。だが、少なくとも自分が子供だった頃から同じ姿だったことはたしかだ。
(いや……)
 時々思うのだが、昔はもう少し背が高かった気もする。こちらが小さかったから、そう感じるのかもしれないが。
「なるほど、腕が立つわけだ。南の英雄の子とはね」
「そうです、母様はもちろん梅花姉様も凄いんですよ! 歴代の術士の中でも母様に次ぐ実力者だと言われてるんですから! そもそも“梅花”という名前は特に優秀な術士しか名乗れないんです!」
 誇らしげに自慢する風花。門司は「へえ……」と心を和ませる。この様子から察するに南での梅花は後輩達から相当慕われてるらしい。
 だが、当人は少し寂しそうに否定した。
「戦闘だけなら、そうかもしれん。しかしな風花、桜花はもっと凄かったぞ」
「……はい、桜花姉様にも、また、お会いしたかったです」
 これまでの明るさから一転、しゅんと肩を落とす風花。
「そうだな、私も会いたいよ」
 そんな二人の会話を聞きつつ、記憶を探る門司。
(桜花ってえと、前に坊やが話してたね……)
 たしかアサヒをサルベージした直後、追って来た敵から彼を守って死んだ術士達。そのリーダーだった娘の名だ。
(やっぱり、この子らの身内か……)
 姉妹の死を悼む様子を見て、今はそっとしておくべきだと判断し、静かに距離を取る。
 だが、そんな彼女に向かって、今度は梅花の方から呼びかけた。
「ドクター、一つ頼みがある」
「ん? なんだい?」
「本名で呼ぶのはやめてくれ。あまり好きじゃないんだ」
「わかったよ」
 偽名を使っていた理由は本当か。苦笑した彼女は、今後も“カトリーヌ”と呼ぶことを約束した。



 翌々日。前回同様、地下道を通っての旅は順調に進み、一行は無事に福島へ辿り着いた。
「お久しぶりです王太女殿下。そしてアサヒ様。ご成婚、おめでとうございます」
 出迎えてくれたのは、四ヶ月前の戦いで共闘した福島駐留軍の司令官。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
「悪いわね、アタシらのせいで長いこと足止めさせて」
「お気になさらず。事が事ですから重々承知しております。いつもより少しばかり交代の時期が延びただけですよ」

 ──彼等は四ヶ月前から一度も故郷へ戻っていない。あの戦いの時、アサヒがうっかり自分の正体をつまびらかにしてしまったせいで緘口令が敷かれたからだ。秘密が外に漏れないようにと、ずっとここへ留め置かれている。
 しかし実際、司令官の表情にはそんな現状を嘆く様子は見られなかった。たとえ本心がどうあろうと、王族相手に晒すことなどしないと思うが。

「兵達の中には、むしろ殿下やアサヒ様と秘密を共有できて喜んでいる者も少なくありません。なにせアサヒ様が初代王を再現した記憶災害で、シルバーホーンまで体内に宿しているという事実は、まだ大半の国民が知りませんから」
 自分は初代王と言葉を交わしたぞと、そう自慢する兵士までいるという。前回の滞在時に何人かの兵士と交流したから、その中の誰かだろう。
「急ぎの旅だと連絡を受けておりますが、せめて今日一日、ここでお休みになっていってください」
「ええ、元からそのつもり。大変なのは、むしろここからだもの」
「日本海側を大きく回って大阪まで……ですか。アサヒ様がいらっしゃれば大丈夫だとは思いますが、どうかお気を付けて」
「ありがと」
 気遣いに感謝しつつ、朱璃達は彼に案内され今夜の宿へ向かった。



 その夜、宿としてあてがわれた建物から出ようと、アサヒ、朱璃、そして護衛の大谷は長い廊下を進んで行く。他の面々は、めいめい部屋で休息を取っているはずだ。
「前に来た時は兵舎だったのに、今回は随分立派なところを用意してくれたよね」
 あちこち見回しながら感心するアサヒ。ここは、元は議員宿舎だったのだと思う。東京の地下で似たデザインの建築物を見たことがあり、祖父から国会議員の住む場所だと教えられた。
 ──議員宿舎とは本来、地方選出国会議員のため東京二三区内に用意されていた施設のことである。しかし彗星が衝突した場合、当然ながら地上は壊滅する。なので各地下都市には四七都道府県の議員全員分の住居として、こういった建物の用意があった。
「政治家は、こんな豪華なとこに住んでたんだなあ……」
 高さは三階建てだが、内装に関しては秋田の王城と比べても遜色無い。自分達が四人で暮らしていた“ピラー”の狭い部屋とは大違いだ。
「本当にアサヒ様は、初代王の記憶を持っておられるのですね」
 一ヶ月ほど前までその事実を知らなかった大谷は、彼が旧時代の思い出を語るのを聞き、改めて驚かされた。
 アサヒは歩きながら苦笑を返す。
「一七歳までの記憶なんで、王様だったって自覚はありませんけどね」
 あの崩界の日以前の“伊東いとう あさひ”は、どこにでもいるごく普通の少年だった。身体能力だけは当時から非凡だったけれど、それ以外は本当に平凡だ。
 朱璃は呆れ顔で、そんな“平凡”な少年を見上げる。
「アンタね、少しは落ち着きなさい。この時代で目を覚ましてから四ヶ月も経ったんだし、いいかげん見慣れたもんでしょ。こないだだって隣を歩いてて恥ずかしかったわ」
「ご、ごめん」
 怒られて縮こまるアサヒ。大谷は笑いを堪えた。上背は彼の方が高いのに、しょんぼり落ち込んでいると朱璃の方が大きくなって見えたりする。
 ちなみに“こないだ”とは、正確には三日前の話。秋田を離れる直前、市民の暮らしを間近で見てみたいというアサヒの願いがようやく聞き入れられ、再び変装してこの三人で市街へ出たのだ。
 念願叶って街へ出られた彼は、見るもの全てにいたく感動していた。

『えっ? あそこで売ってるのお菓子じゃない?』
『配給だけじゃ足りないから、市民もこっそり材料を調達して色々作ってんのよ』
『大丈夫なのそれ?』
『商業活動は地下生活でのストレスを解消する目的で容認されていますので、ある程度の違反なら陸軍は目を瞑ります』
『まあ、あんまり大々的にやられると困るけどね。隠れてこっそり甘味を作って取引するくらいなら問題無いわ。材料も野菜や果物を加工した後に出る皮や絞りカスから抽出したでんぷんと果糖だし』
『へえ、砂糖じゃなくてもお菓子って作れるんだ……』
『今の時代、砂糖なんてそれこそダイヤより貴重だっての。アンタが食ってる料理だって基本的に素材そのものの味を重視して、調味料は極力──』
『あ、古本市。ちょっと見て来る』
『解説させといて勝手に動き回るんじゃないわよ!?』
『おい、あれ……』
『しっ、黙っときな……余計なこと言って、お邪魔をするんじゃないよ』

 ──そんな調子で終始賑やかな視察だったため、周囲も二人の正体に気が付いたように見えた。幸い、それでも問題は起こらなかったが。どこかに反体制派の残党が紛れていたかもしれないのに。
(もっとも、お二人には手出しできないでしょうが)
 正体は秘密のままでも、先日の“人斬り燕”の一件で彼の超人的な能力については知れ渡った。クーデターを阻止された反体制派が彼に敵意を抱いているとして、正常な判断力さえあれば直接手を出すことは考えまい。
 妻となった朱璃も同じ。今や彼女は“竜の逆鱗”である。重傷を負った彼女を心配して名前を呼び続けたアサヒの姿は、一ヶ月経った今も市井の語り種だ。
(アサヒ様なら、御自身より殿下を攻撃された場合にこそ怒るはず。その事実を、彼等も理解できていると良いが……)
 大方は大丈夫だと思うが、どんな組織にも無謀な輩の一人や二人はいるもの。その手の輩に下手な真似をされると、今度こそ王国は消滅してしまう。
 無論、心配しているのは反体制派の凶行だけではない。これから赴く南日本に対しても不安はある。まだ連中が何を考えているかは不明瞭なままなのだ。
 出発前、隊長から言われたことを思い出す。いつものように鉄仮面で顔を隠した謎多き上官。彼女は大谷に対し特に強く注意を促した。両名と共にいる機会が多く精神的な距離も近くなっているからだろう。

『いいか、お前らの使命は殿下とアサヒ様の身の安全を図ることではない。あのお二人にそんな心配は不要。最大の使命は二人を絶対に北へ連れ帰ること。そしてアサヒ様の力の暴発阻止。この二点に尽きることを忘れるな』

 隊員ですら正体を知らない王室護衛隊の隊長。唯一、女性だということだけがわかっている彼女の命令は王命の次に重い。王族の安全が関わる場合に限れば優先度は最上位まで繰り上がる。
(わかっています隊長。お二人は命に代えても必ず……)
 と、大谷が回想している間に彼女達は玄関ホールへ辿り着いていた。
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