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秋の鍋

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櫻翔太朗(さくらしょうたろう)が、つんのめりそうになりながら新幹線を下りると、すぐに背中のドアが閉まった。
入れ換わりに入っていった清掃作業員が、映画のように肩をすくめる。
少々寝過ぎたようだ。
右手にスーツケース、左手に空のペットボトル。
あいにくの曇り空に、秋の終わりの冷たい風。
コートの襟を立て、ぶるりと身体を震わせると、人の少ないプラットホームを翔太朗は歩き出した。
久方ぶりの故郷への到着だった。



「しまったな…」
ゴオオンという遠雷が鳴り響いていたかと思う間もなく空は黒々とした雲に覆われ、あっという間に冷たい雨をがゴウゴウと落ちて来た。
目的地まではまだ遠い。
ホームの外、タクシー乗り場にぱらぱらと人が並び、バスターミナルには大きな荷物を抱えた観光客が、楽しげにさざめいている。
タツタツと踵を鳴らして翔太朗は、ガラス天井を見上げた。
暗い。
まだしばらく止みそうにない。
タクシーを拾うか、バスに乗るか、迎えを呼ぶか、しばらくコーヒーでも飲んでどこかで時間を潰すか。
「どうしよっかな」
スーツケースを足元に置いて、ポケットを探る。
アメとハンカチの間から、スマホを取り出したところで、ポンと音がした。
「あー」
いいタイミングなのか、何なのか。
メッセージの相手は実家のご近所さん。
翔太朗の幼馴染。
『今どこ』
するすると「駅。今着いた」と打ち込めば、すぐに既読になる。
迎えに来てほしい、と打つ前にまたポンと鳴る。
『お前宛ての荷物がうちに来てる。来るのなら、晩飯の材料買ってきて』
旗を持った添乗員に連れられた、団体観光客からスーツケースをずらした間にもうひとつ。
『寒いから鍋がいいな。よろしく』
「おい…、相変わらずだな」
そのあといくら翔太朗がメッセージを送っても、既読マークは付かなかった。




駅のスーパーで買い求めた夕飯の材料と、同じく駅の書店で見つけた新刊の推理小説。
左手に買い物バッグ、右手にスーツケース。
両手に荷物を持っているせいで、肩と首に挟んだ傘は中途半端にしか機能を果たさない。
濃い紺色の傘はバタバタと雨音を響かせる。
バスの本数の少なさに、諦めてタクシーを拾ったのはよかったが、友人の、西郡大尊(にしごおり ひろと)の家は小路の奥にある。
静かな、緑の多い住宅街の奥。
すぐそこだからとタクシーを降りたのに、まったくもって家が見えない。
ほんの一、二分もあれば着く距離なのに、ばたばたと降りしきる雨の中を歩いても歩いても見覚えのある、石塀と大きな松の木に辿り着かない。
おかしい。
リクエスト通り鍋の具財がたんまり詰まった買い物バッグはギシギシと腕を鳴らし、冷たい雨は道路に跳ねて、翔太朗の足元をこれでもかと濡らした。
ゴロゴロと鳴る雷は遠く、だいぶ雨脚も弱まったが、それでも雨は雨だ。
荷物を持つ手も濡れて、もういっそのこと、どこかの軒下を借りて荷物を下ろしたいほどに、手指の感覚が薄い。
慣れた路だからと、下を向いていたのがいけなかったのだろうか。
こんなところで迷子になるなんて。
「まったく」
昔からそうだ。
大尊の回りでは不可思議なことが起こる。
何が、と具体的な事は言えない。
けれど、きちんと噛み合わない鍵穴のように、かけちがえたコートのボタンのように、明らかに違うのに、気付かず通り過ぎることもある。
「どこで間違ったんだ…?」
そうこうするうちに雨が細くなって、霧が立ち込めて来た。
街灯がぼんやりと霞む。
雷がもうずいぶんと遠い。
顔を上げて先を見通すように目を凝らす。
パチンと瞬きした目の前。
傘の内側。
「…は?」
紺色の布地にひらりと赤い尾ひれ。
三つ尾の金魚が、一匹。
バシャンと傘の中を跳ねた。



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