君を泣かせてしまいたい

鈴屋埜猫

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 空良と再会するとは思っていなかった朱莉は、ただただ戸惑う。自分でも挙動不審だと思いながら視線をさ迷わせていると、空良が手を差し伸べてきた。

「店は予約してあるんです。行きましょう」

「え? あ、はい」

 差し出された手を取るべきなのか迷ったが、朱莉は結局手を出さなかった。すると、先を促すようにその手が背中に回される。
 あの時と同じように背中に温もりを感じながら並んで歩くはめになり、朱莉の心臓は跳ね上がった。これなら手をとった方がマシだったかもしれない。
 しかし、そのドキドキと頭を駆け巡るいろんな感情は連れられて来た店の外観を見るや全て吹っ飛んだ。

「うわぁ……!」

 中世ヨーロッパの建物を模した外観に、そこだけ外国のような雰囲気が漂う。店の入口へと至る階段には赤い絨毯が敷かれ、その先には回転扉が待ち受けていた。

「さ、行きましょう」

 また軽く背を押され、朱莉はおっかなびっくり店の中へと足を踏み入れる。

「高藤様、お待ちしておりました」

 出迎えたウェイターに空良は着ていたコートを預ける。朱莉もそれに習いながら、兄が昨日言っていた意味をようやく理解した。
 実は帰りがけに兄から『明日はフォーマルな服にしとけよ』と言われていた。その時は意味がわからなかったのだが、フレンチレストランに行くため、ドレスコードがあると暗に伝えてくれていたのだろう。助言を無視せず持っている中でフォーマルなベージュのワンピースを着てきて良かった、と心から思った。
 と、そこまで考えて、朱莉ははたと疑問を抱く。兄が誘ってきたのだから、予約も兄がしたと思っていた。けれど、出迎えたウェイターは朱莉と兄の名字である『江嶋』ではなく『高藤』と言った。ということは、予約したのは兄ではなく、空良なのだろうか。

「朱莉さん?」

「あ、すみません」

 コートを脱ごうとした手が止まり、固まっている朱莉に空良が首を傾げている。慌てて脱いだコートを笑顔のウェイターに渡す。そして自然な仕草で朱莉の背に手を回した空良に促されるまま、朱莉は席へと案内された。

「朱莉さん、お酒は飲めますか?」

「あ、はい……」

 空良と出会った兄の結婚式では、飲むペース配分と量を間違えたがお酒は好きだ。それに普段はそう簡単には酔わない。
 ウェイターから渡されたメニューに一応目を通してみたが、全てフランス語で書かれているのか全く読めない。一応ルビは振ってあるものの、それはフランス語の読み方だ。朱莉には全てがちんぷんかんぷんで、理解できなかった。

「ワインはお好きですか?」

「はい、大好きです」

 ワインという単語にガバッと顔を上げる。すると、一瞬目を丸くした空良が、何かを堪えるように口元に手をやった。
 あまりにかぶり付くような反応を見せたので呆れられたのかと思っていると、空良はウェイターに微笑んだ。

「僕も彼女もあまり詳しくないので、赤ワインをおまかせで。あとはこちらのコースをお願いします」

「かしこまりました」

 空良と朱莉からメニューを回収し、ウェイターは一礼して去っていく。その綺麗な所作に惚れ惚れしながら、朱莉はメニューの値段を確認しなかったことに気付く。
 今すぐにでも確認したいが、最初の会話にお金の話をするのは無粋だろうか。そんなことを考えていると、ボトルワインを手押しのカートで持ってきたウェイターの姿が見えた。

「ボトル……」

 グラスに注がれる赤い液体を見つめながら、ほのかに薫ってきたお酒の香りにうっとりする。そして目の前に置かれた前菜の芸術的な美しさに、思わずため息がでた。

「乾杯しましょうか」

 空良の言葉でグラスを持ち上げる。しかし、何に?と一瞬疑問を抱いた朱莉は、目の前で爽やかな笑みを浮かべているイケメンの姿に、この夢のような時間をただ楽しむことに決めた。
 とはいえ、ほぼ初対面で一度失態を見せてしまった相手に対して何を話せばいいのか分からない。加えて、彼が兄の仕事関係の知り合いなのか友人なのかすら知らないのだ。迂闊なことを喋って、あとで兄に叱られやしないかと口を開くのが恐くなる。
 兄が代役に選んだ相手なのだから、仲が良い相手なのだろうとは思うけれど。そう思いながら、ちらりと空良を盗み見る。
 見れば見るほど整った顔をしている。結婚式場でも思ったが、まるでマネキンのようだ。一見するとハーフかクォーターのようにも見えるが、その髪は黒。ワックスなどはつけていないのか見るからにさらさらな艶のある髪に、思わず触れたいと思ってしまう。まぁ、そんなことできないけれど。



 ※  ※  ※



 フレンチのフルコースというものは、朱莉には初めての体験で、全てが珍しかった。そして見た目もさることながら、味も素晴らしい。
 一口一口に感動していると、ふいに視線を感じて顔を上げる。すると、空良がこちらを見てにっこりと微笑むので慌てて俯く、というのを何度も繰り返す。イケメンと同じ空間にいるだけでドキドキするのに、目が合って微笑まれると心臓がもたない。
 お陰で会話らしい会話もせず、ただ食事を楽しんでしまった。

「次はデザートですが、お腹は大丈夫ですか?」

 目の前のお皿を片付けられ、デザートを待つ間、空良が尋ねてくる。普通なら一品一品出されるコースでデザートの前にお腹いっぱいになる女性が多いだろうが、朱莉は大食いの部類に入る。まして、デザートならばきっとお腹いっぱいでも入ってしまうだろう。

「平気です。私、兄に呆れられるくらい食べますから」

 お腹が満たされてきたからか、少し気持ちに余裕ができた朱莉は空良に向かって笑いかける。すると、空良は目を細め、先程とは違うぎこちない笑みを浮かべた。
 なぜ急に笑顔がぎこちなくなるのだろう。そう思って首を傾げた朱莉だったが、デザートを運んできたウェイターが目に入るとそちらに視線が釘付けになる。

「クレープシュゼット……!」

 ウェイターが押してきたカートに乗った片手鍋。そして用意された材料を見て、朱莉の目が輝く。すると、朱莉の言葉に微笑んだウェイターが、手際よく作業を開始した。
 片手鍋で熱せられるカラメルソース。そこに投入されたクレープ生地が、スプーンとフォークを使って丁寧に折り畳まれ煮詰められていく。そして最大の見せ場であるフランベの段階になると、朱莉は思わず息を飲んだ。

「うわぁ……!」

 感嘆の声を上げ、炎を見つめる朱莉を見て、空良が喉の奥で笑う。しかし、その笑い声は小さくてデザートに夢中の朱莉には聞こえていなかった。
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