上 下
48 / 48

48(最終話)

しおりを挟む
エルキュールが扉を開けると、その向こうにアンドレがいました。無骨な雰囲気は変わっていませんが、独特な包容力がとても素敵です。

「アンド……」と私が呼ぼうとした瞬間、アンドレの後ろに女性がいるのが見えました。私はすぐに言葉を飲み込み、エルキュールが二人を迎え入れるのを黙って見つめました。

「アンドレ。カーラ。よく来てくれたね」

アンドレと、カーラという女性がエルキュールと自然な会話を繰り広げています。私はその親しげな様子を眺めつつ、何かを察知してしまいました。そして、心の隅にかすかな寂しさが漂いました。

エルキュールは私のほうを振り返り、「ベアトリスは、カーラにまだ会ったことがなかったよね。アンドレの奥さんだよ」と紹介してくれました。予想どおりです。夫婦と紹介されずとも雰囲気でわかってしまうのはなぜなのでしょう。

カーラは私と目を合わせ、ゆっくりとお辞儀しました。

「はじめまして、ベアトリス様。アンドレの妻で、カーラと申します。アンドレとエルキュール様よりお話うかがっておりました」

「ご丁寧にありがとうございます。ベアトリスと申します……。アンドレとエルキュールは……仲が良かったの?」

エルキュールとアンドレがいるほうを見ながら、なんとなくこう尋ねました。するとアンドレが「崖で起きたあの一件以来、よく話すようになってね。それで仲良くなったんだ」と答えました。

エルキュールもアンドレに同調するようにしてうなずきました。

「だから、アンドレにも感謝してる。僕がここまで立ち直れたのは、アンドレのおかげでもあるんだ。もちろん……誰よりも君のおかげだが……ベアトリス」

エルキュールはまた感謝の言葉を述べてくれたのですが、私の思考は別のところへ行っていました。



(確認したわけじゃなかったもんね……)



私はなぜかアンドレが独身だと思い込んでいました。直接聞いたわけでもないのに、勝手な想像とは恐ろしいものです。

ただ、心の底から残念かと言われると、そうでもありません。アンドレに会うのはたったの二回目ですし、今日の朝からウキウキした気分を味わえたと考えるなら、儲けものです。



それよりも――



エルキュールとアンドレとカーラが笑い合いながら話している姿を見て、とてもすがすがしい気持ちになったのです。エルキュールは崖の淵からここまで立ち直り、また社会の一員として生きている。城を持つ生活には戻れないだろうけど、自分の居場所をしっかり作れています。たとえ辺境の村の小屋だったとしても、自分の輝ける場所を持っている人間の姿は、なんて美しいのだろうと思いました。

「エルキュールも、アンドレも、元気そうでよかった。安心した。じゃあ……これで私の役目は終わったわね」

私がこう言うと、エルキュールは真剣な面持ちになりました。

「本当に……ありがとう。ベアトリスがいてくれたから、生きてこられた。今までのことはすまなかった。これからは僕にできることを精一杯やって生きていこうと思うよ。そして……僕にこんなことを言う権利はないかもしれないけど……ベアトリスの幸せを誰よりも願っている」

母と別れる子犬のような顔に変わっていたので、なんだか可笑しくなりました。かつて恋をし、夫婦となり、憎み合い、離縁した私たちが、またこうして互いに幸せを願っている。もう二度とエルキュールと生活することはないけれど、この世界を懸命に生きる者どうしとして、存在を認め合っている。そう感じたのです。

「また今度……子どもたちに会いに来てもいいかしら?」

私の言葉を聞いてはっとしたエルキュールの目に、涙があふれてきました。

「もちろんだよ!」




エルキュール、アンドレ、カーラに見送られながら、私とナディエは馬車に乗り込み、帰途につきました。

馬車が走り始めたとき、私は一度だけ振り返りました。彼らは手を振りながら、微笑んでこちらを見つめていました。

そのとき私は、彼らの姿が遠くなるにつれて、新たな人生への旅立ちを強く感じたのです。

半年前のあの日、エルキュールを助けて正解でした。私にとっては憎い相手だったけれど、先生になった彼を見た後だと、最後まで追い込まなくて正解だったなと思います。彼には彼の生きる道があり、それが私の道とは一つにならなかっただけなのです。エルキュールの歩むこれからの人生が、誰かの学びを導く道となり、誰かの喜びに通じる道になればいいなと願っています。

私とエルキュールとの結婚は、この日をもって本当の意味で終わりを迎えたのです。この上なく吹っ切れた気持ちになりました。

そして私は帰りの馬車の中で、ナディエと楽しくおしゃべりしながら、新しい幸せをつかもうと決意したのでした。
しおりを挟む
感想 8

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(8件)

sat
2024.11.24 sat

私はバツイチで2度目の結婚をしました。前の夫に前向きな気持ちを向けられるか…(恋愛的な意味ではなく)と、ちょっと想像してみましたが無理でした(笑)
私の泥沼離婚は裁判まで行き、恨みつらみだけを残して終わったので無理でした、相手に反省もなかったし。
主人公の女性には共感するところが多かった。魔法で感情を失った部分は羨ましかった、私はその苦しみから逃げられなかったから。

その代わり2度目の結婚で幸せになれたので、この主人公にもいつか幸せを共有する誰かが見つかればいいなとぼんやり思っていて、前の夫は知らないところで、誰かに刺されて死んでないかなぁと思う気持ちもひっそりと残しておこうとも思った。

面白かった、他の作品も読んでみます。

Hibah
2024.11.24 Hibah

sat様

ご自身の経験を重ねて率直な感想を寄せてくださり、本当にありがとうございます!


裁判まで行くような離婚は、きっと計り知れない怒りや恨みが伴ったことと拝察します。「魔法で感情を失った部分が羨ましかった」というお言葉から、sat様が経験された心の痛みが伝わってきました。不愉快な相手と向き合い続けてきた過去や、感情を抱え続ける辛さを振り返る中で、感情を失った主人公に対して「羨ましい」と感じられたことに、sat様の人生経験がにじみ出ていると思います。

また、「前の夫は知らないところで誰かに刺されて死んでないかなぁと思う気持ちもひっそりと残しておこう」というお言葉には、人間らしさと真実味があり、私の心に残りました。辛い記憶は完全に消え去ることはなく、ふとした瞬間に顔を出すものですが、それでも幸せを見つけることはできる――sat様の歩みが、まさに主人公の未来と重なるものだと感じています。物語を通して少しでもそんな思いを共にできたのであれば、作者としてこれ以上の喜びはありません。


他の作品もぜひ楽しんでいただけると幸いです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!

解除
芹香
2024.11.22 芹香

おすすめから拝読いたしまして一気読み致しました。

感想であげられているところも心に刺さりましたが、私は別の部分も心に響きました。

作者様の文章の通りではないのですが、

生きるという事は得ることではなく与えること

…みたいな意味の事が、心に残りました。

読み終わって本当に清々しい気持ちになり、御作品に出会えて良かったと心から思います。素晴らしい物語を有難うございました。

Hibah
2024.11.22 Hibah

芹香様

ご感想ありがとうございます!
一気読みしていただいたとのこと、とても嬉しく思います。

「生きるという事は得ることではなく与えること」というお言葉をいただき、私自身もあらためてその意味について考えるきっかけとなりました。物語を書く中で、読んでくださる方の心に何か小さな種を残せたらと願っているのですが、その種が芹香様の心の中で「清々しい気持ち」として花開いたのだと思うと、作者としてこれ以上の喜びはありません。

「この作品に出会えてよかった」というお言葉も、本当に嬉しく思います。芹香様の中にある豊かな感性に触れ、その心に少しでも寄り添うことができていたなら、それは私にとっても幸せなことです。

2024年11月現在は長編に取り組んでいて、2025年1月に公開予定です。
ぜひそちらも楽しんでいただけると幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


Hibah

解除
みやま
2024.11.19 みやま

43話の世界との関わり方の哲学、とても心に響きました。全体を通して読みやすくて一気に読んでしまいました。良き読書時間をありがとうございました。
色々あるけど、皆がそれぞれ幸せになれると良いなぁとしみじみ思いながら、作者様の別作品を読みに行ってきます(*`・ω・)ゞ

Hibah
2024.11.20 Hibah

みやま様

ご感想ありがとうございます!

43話の哲学的な部分が心に響いたとのお言葉、とても嬉しく思います。また、物語に深く浸っていただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。

「皆がそれぞれ幸せになれると良い」というお言葉が心に染み入り、みやま様の優しいお気持ちに胸が温まりました!

別作品にも興味を持っていただき光栄です。
変わった作品もありますが、どうかそちらも楽しんでいただけますように!(´ω`)


Hibah

解除

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?

ルイス
恋愛
「アーチェ、君は明るいのは良いんだけれど、お淑やかさが足りないと思うんだ。貴族令嬢であれば、もっと気品を持ってだね。例えば、ニーナのような……」 「はあ……なるほどね」 伯爵令嬢のアーチェと伯爵令息のウォーレスは幼馴染であり婚約関係でもあった。 彼らにはもう一人、ニーナという幼馴染が居た。 アーチェはウォーレスが性格面でニーナと比べ過ぎることに辟易し、婚約解消を申し出る。 ウォーレスも納得し、婚約解消は無事に成立したはずだったが……。 ウォーレスはニーナのことを大切にしながらも、アーチェのことも忘れられないと言って来る始末だった……。

お父様、お母様、わたくしが妖精姫だとお忘れですか?

サイコちゃん
恋愛
リジューレ伯爵家のリリウムは養女を理由に家を追い出されることになった。姉リリウムの婚約者は妹ロサへ譲り、家督もロサが継ぐらしい。 「お父様も、お母様も、わたくしが妖精姫だとすっかりお忘れなのですね? 今まで莫大な幸運を与えてきたことに気づいていなかったのですね? それなら、もういいです。わたくしはわたくしで自由に生きますから」 リリウムは家を出て、新たな人生を歩む。一方、リジューレ伯爵家は幸運を失い、急速に傾いていった。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【完結】彼の瞳に映るのは  

たろ
恋愛
 今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。  優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。  そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。  わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。 ★ 短編から長編へ変更しました。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

わたしのことはお気になさらず、どうぞ、元の恋人とよりを戻してください。

ふまさ
恋愛
「あたし、気付いたの。やっぱりリッキーしかいないって。リッキーだけを愛しているって」  人気のない校舎裏。熱っぽい双眸で訴えかけたのは、子爵令嬢のパティだ。正面には、伯爵令息のリッキーがいる。 「学園に通いはじめてすぐに他の令息に熱をあげて、ぼくを捨てたのは、きみじゃないか」 「捨てたなんて……だって、子爵令嬢のあたしが、侯爵令息様に逆らえるはずないじゃない……だから、あたし」  一歩近付くパティに、リッキーが一歩、後退る。明らかな動揺が見えた。 「そ、そんな顔しても無駄だよ。きみから侯爵令息に言い寄っていたことも、その侯爵令息に最近婚約者ができたことも、ぼくだってちゃんと知ってるんだからな。あてがはずれて、仕方なくぼくのところに戻って来たんだろ?!」 「……そんな、ひどい」  しくしくと、パティは泣き出した。リッキーが、うっと怯む。 「ど、どちらにせよ、もう遅いよ。ぼくには婚約者がいる。きみだって知ってるだろ?」 「あたしが好きなら、そんなもの、解消すればいいじゃない!」  パティが叫ぶ。無茶苦茶だわ、と胸中で呟いたのは、二人からは死角になるところで聞き耳を立てていた伯爵令嬢のシャノン──リッキーの婚約者だった。  昔からパティが大好きだったリッキーもさすがに呆れているのでは、と考えていたシャノンだったが──。 「……そんなにぼくのこと、好きなの?」  予想もしないリッキーの質問に、シャノンは目を丸くした。対してパティは、目を輝かせた。 「好き! 大好き!」  リッキーは「そ、そっか……」と、満更でもない様子だ。それは、パティも感じたのだろう。 「リッキー。ねえ、どうなの? 返事は?」  パティが詰め寄る。悩んだすえのリッキーの答えは、 「……少し、考える時間がほしい」  だった。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。