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テレジア様のご厚意に甘え、私は一晩を王家の城で過ごしました。
翌日の朝、テレジア様が直々に見送りに来てくださいました。
「ベアトリス。明日の正午、この城の庭園で祈りの会を開きます。もし気が向いたら、いらっしゃい」
(祈りの会……? 聞いたことない)
「私が勉強不足で存じ上げないだけだと思うのですが、祈りの会とは……?」
私は敬虔な信徒とは言い難く、どちらかというと宗教の勉強をおろそかにしてきたタチでした。テレジア様のような、異国の宗教大国ご出身の方には到底及びません。”祈りの会”と聞いた瞬間、私は尻込みしてしまいました。
テレジア様はそんな私の懸念を見抜いたのか、微笑みながらおっしゃいます。
「安心なさい。祈りの会という名前ではありますが、会の最初に祈りを捧げるだけで、あとはゆったりとした、プライベートなお茶会のようなものです」
会の中身を知って、逆に恐れ多くなりました。
「なるほど……私のような者がお邪魔してもよろしいのでしょうか? ちなみに、どのような方がいらっしゃるのでしょう?」
「あなたがよく知っている方もおりますよ。例えば、ジョヴァンニ侯爵とか」
「…………」
私は無言で小刻みにうなずきました。妹の夫であるジョヴァンニ侯爵は、摂政派の中核です。つまり、プライベート色の強いお茶会にジョヴァンニ侯爵がいるということは、摂政派の非公式な会合である可能性が高いのです。
テレジア様は、大きな黒い瞳で私を見つめています。何度目が合っても、その瞳の美しい魅力は変わりません。
「今すぐ決めなくていいわ。わたくしはあなたのことが……好きよ。きっといらっしゃいね」
一瞬、心臓が跳ね上がるような心地がしました。老婆の術で感情のさざ波は抑えられても、物理的に来る衝撃は抑えられないようでした。
単純に王妃様であれば国王派であろうと思っていた私でしたが、政治状況はもっと複雑なようです。そして国王派の中心エルキュール伯爵を夫に持つ私が、摂政派の会に出るということは……つまりは……夫の敵勢力に味方することを意味するのです。
「テレジア様、お誘いありがとうございます。ひとまず本日は、これにて失礼致します。突然にも関わらず泊めてくださり、感謝申し上げます」
王家の城を出て馬車に乗り込んだ私は、帰途につきました。昨晩からの出来事が夢か現実なのか、よく頭の整理がつかないまま、馬車に揺られてうとうとしました。
城の近くまで帰ってくると、とても久しぶりな気がします。名残惜しさが心をかすめ続ける一方で、やはりここが家だという安心した気持ちにもなりました。
しかし、いざ城の敷地を進んで行くにつれ、いつもと空気が違うことに気づきました。
そして……
馬車から降りても、迎えの使用人が一人も来ません。玄関扉から誰かが出てくる気配もありません。今までの生活では経験のないことなので、新しい種類の戸惑いを感じました。
どうしたものかと思い、ひとまず自分で扉を開けます。
すると、使用人たちは普通に午前の仕事に取り組んでいるようだったので、少し安心しました。おそらく昨晩のこともあり忙しくて、迎えに出られなかったのだろうと考えました。
ただ、やはりおかしいのです。
玄関の内に入っても……誰もこちらに近寄りません。私のことが視界に入っているはずなのに、まるで何も存在していないかのように素通りしていきます。
(もしかして……無視されてる……?)
屋内清掃係のベティが近くを横切ろうとしているのを見つけ、私は彼女に何が起きているのか聞こうと思い、声をかけました。
「ベティ! 帰ったわよ!」
ベティは使用人の中でも親しいほうなので、きっと何か話してくれると思いました。
しかし彼女は立ち止まることなく、私をちらと見るだけで、何の反応も示さずにそのまま行ってしまいました。
これで疑念が確信に変わりました。昨晩、怒り狂った夫が使用人たちに命じたのでしょう、私を無視するようにと。家を窮地に追い込んだ疫病神の世話をするな、あの女は家の敵、使用人の敵だと。
幼稚な仕返しをしてくるものだと呆れながら城内を歩きました。夫だけでなく貴族全体に言えますが、気に入らない人間に直接何かをして終わりにするようなタイプはまずいません。必ず周りを巻き込んで包囲網をしき、標的を追い込もうとします。表面上は忙しくしていても、根本的に暇を持て余している連中なので、他人の人生を壊してみたくてたまらないのです。自分で手を下さないで済むなら、なおのことよい。現実の人間が崩壊していく様子は、何より面白いショーとなります。
ひとり自室に向かい、扉を開けました。
すると、案の定と言ってよいのか、見るも無惨に荒らされていました。ベッドや洋服が刃物でずたずたに切り裂かれ、タンスや机が引っくり返され、尿や大便といった汚物が床に撒き散らされています。
感情を失っている私は、「ああ、部屋が汚されてしまったな…」という風に淡々と受け止めていましたが、はっと気づいて机に駆け寄りました。
引き出しを開けました。
毒薬の入った茶色の袋は、ありませんでした。
翌日の朝、テレジア様が直々に見送りに来てくださいました。
「ベアトリス。明日の正午、この城の庭園で祈りの会を開きます。もし気が向いたら、いらっしゃい」
(祈りの会……? 聞いたことない)
「私が勉強不足で存じ上げないだけだと思うのですが、祈りの会とは……?」
私は敬虔な信徒とは言い難く、どちらかというと宗教の勉強をおろそかにしてきたタチでした。テレジア様のような、異国の宗教大国ご出身の方には到底及びません。”祈りの会”と聞いた瞬間、私は尻込みしてしまいました。
テレジア様はそんな私の懸念を見抜いたのか、微笑みながらおっしゃいます。
「安心なさい。祈りの会という名前ではありますが、会の最初に祈りを捧げるだけで、あとはゆったりとした、プライベートなお茶会のようなものです」
会の中身を知って、逆に恐れ多くなりました。
「なるほど……私のような者がお邪魔してもよろしいのでしょうか? ちなみに、どのような方がいらっしゃるのでしょう?」
「あなたがよく知っている方もおりますよ。例えば、ジョヴァンニ侯爵とか」
「…………」
私は無言で小刻みにうなずきました。妹の夫であるジョヴァンニ侯爵は、摂政派の中核です。つまり、プライベート色の強いお茶会にジョヴァンニ侯爵がいるということは、摂政派の非公式な会合である可能性が高いのです。
テレジア様は、大きな黒い瞳で私を見つめています。何度目が合っても、その瞳の美しい魅力は変わりません。
「今すぐ決めなくていいわ。わたくしはあなたのことが……好きよ。きっといらっしゃいね」
一瞬、心臓が跳ね上がるような心地がしました。老婆の術で感情のさざ波は抑えられても、物理的に来る衝撃は抑えられないようでした。
単純に王妃様であれば国王派であろうと思っていた私でしたが、政治状況はもっと複雑なようです。そして国王派の中心エルキュール伯爵を夫に持つ私が、摂政派の会に出るということは……つまりは……夫の敵勢力に味方することを意味するのです。
「テレジア様、お誘いありがとうございます。ひとまず本日は、これにて失礼致します。突然にも関わらず泊めてくださり、感謝申し上げます」
王家の城を出て馬車に乗り込んだ私は、帰途につきました。昨晩からの出来事が夢か現実なのか、よく頭の整理がつかないまま、馬車に揺られてうとうとしました。
城の近くまで帰ってくると、とても久しぶりな気がします。名残惜しさが心をかすめ続ける一方で、やはりここが家だという安心した気持ちにもなりました。
しかし、いざ城の敷地を進んで行くにつれ、いつもと空気が違うことに気づきました。
そして……
馬車から降りても、迎えの使用人が一人も来ません。玄関扉から誰かが出てくる気配もありません。今までの生活では経験のないことなので、新しい種類の戸惑いを感じました。
どうしたものかと思い、ひとまず自分で扉を開けます。
すると、使用人たちは普通に午前の仕事に取り組んでいるようだったので、少し安心しました。おそらく昨晩のこともあり忙しくて、迎えに出られなかったのだろうと考えました。
ただ、やはりおかしいのです。
玄関の内に入っても……誰もこちらに近寄りません。私のことが視界に入っているはずなのに、まるで何も存在していないかのように素通りしていきます。
(もしかして……無視されてる……?)
屋内清掃係のベティが近くを横切ろうとしているのを見つけ、私は彼女に何が起きているのか聞こうと思い、声をかけました。
「ベティ! 帰ったわよ!」
ベティは使用人の中でも親しいほうなので、きっと何か話してくれると思いました。
しかし彼女は立ち止まることなく、私をちらと見るだけで、何の反応も示さずにそのまま行ってしまいました。
これで疑念が確信に変わりました。昨晩、怒り狂った夫が使用人たちに命じたのでしょう、私を無視するようにと。家を窮地に追い込んだ疫病神の世話をするな、あの女は家の敵、使用人の敵だと。
幼稚な仕返しをしてくるものだと呆れながら城内を歩きました。夫だけでなく貴族全体に言えますが、気に入らない人間に直接何かをして終わりにするようなタイプはまずいません。必ず周りを巻き込んで包囲網をしき、標的を追い込もうとします。表面上は忙しくしていても、根本的に暇を持て余している連中なので、他人の人生を壊してみたくてたまらないのです。自分で手を下さないで済むなら、なおのことよい。現実の人間が崩壊していく様子は、何より面白いショーとなります。
ひとり自室に向かい、扉を開けました。
すると、案の定と言ってよいのか、見るも無惨に荒らされていました。ベッドや洋服が刃物でずたずたに切り裂かれ、タンスや机が引っくり返され、尿や大便といった汚物が床に撒き散らされています。
感情を失っている私は、「ああ、部屋が汚されてしまったな…」という風に淡々と受け止めていましたが、はっと気づいて机に駆け寄りました。
引き出しを開けました。
毒薬の入った茶色の袋は、ありませんでした。
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