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サルヴァトーレは従者を十人連れて村を訪れていた。ファビオもその一行に加わり、帰途についた。
一時間ほど移動したサルヴァトーレは用を足すため馬から降りた際、ファビオを呼んだ。ファビオも馬から降りて、主人のそばに控えた。そこは街道という名がついているものの、往来の少ない場所で、陰気な森の中だった。
「なあファビオ。俺はな、マリアンナのことが忘れられねえよ。お前もそうか?」
ファビオはサルヴァトーレの不意な質問に驚き、まごついた。
「は、はい。……もちろん仕えておりましたから、御恩があります。奥様のことを忘れることなどできません」
サルヴァトーレは用を足し終えると、突然ファビオに回し蹴りを食らわした。ドスッと鈍い音がし、ファビオは地面によろけた。
「マリアンナとお前は男女の仲だったんだろ? 俺を騙せると思っているのか?」サルヴァトーレは怒りの表情でファビオの胸ぐらをつかんだ。
「奥様と男女の仲だなんて……そんな事実は一切ありません!」
ファビオは(やましいことは何もない)といった顔で、サルヴァトーレをまっすぐ見つめた。
「知ってたんだよ、ずっと。マリアンナがお前を連れてきたあの日からな」サルヴァトーレはさらにファビオの頬を一発殴った。
「誤解です! わたくしはただの御者です。馬を扱い、道を覚えることしか能がありません。奥様とはあまりにも身分が違いすぎます……」
「お前は賢い。罪を犯したことなどないといった顔をしている。それに、御者にしては気の利くやつだから……ボロ雑巾のようにこき使った後で捨ててやろうと思っていたが……やめた。村長の報告によると、マリアンナとお前は仲睦まじい夫婦のようだったとか? おいおい、人様の妻に何してくれてんだ?」
「それもまた誤解です! わたくしは懸命に仕えておりましたから、村人にはそう見えたのかもしれませんが……。旦那様が憂慮なさっているような事実は一切ございません!」
「俺はな、マリアンナがお前と楽しそうに喋っているのがそもそも気に入らなかったんだ。初めて会った時から、ずっとお前を殺したくてしかたなかったんだよ」
「…………」
「でも、俺とマリアンナは親娘ほどに歳が違った。マリアンナは妻でありながら、俺の娘のようでもあった。だから大目に見てやってたんだ。結局、病にかかってしまって取り返しがつかなくなった……。後悔ばかり襲ってくるよ。俺の苦しみがお前に理解できるか? お前のような貧民に、高貴な妻を寝取られる屈辱!」
「寝取ってなどおりません! 指一本触れたことがなかったと、神に誓って申し上げることができます」
「言い訳は無用だ。お前たちのふしだらな関係は村長が証言した。俺は家長として、お前を処分する権限がある」
ファビオはこの時、村長の家のテーブルにあった金の存在を思い出し、がくっと肩を落とした。そして、冷静になって考えた。いまさら何を言い訳し、生きようとしているのだろう、と。愛するマリアンナはもういない。日々の楽しかったことを自分に報告してくれる人もいない。親しさにあふれた熱いまなざしをくれる人もいない。
どんなに辛い日でも、マリアンナがいる時には目的に満ちていた。しかし、輝きの時代は過ぎ去ってしまったのだった。
一時間ほど移動したサルヴァトーレは用を足すため馬から降りた際、ファビオを呼んだ。ファビオも馬から降りて、主人のそばに控えた。そこは街道という名がついているものの、往来の少ない場所で、陰気な森の中だった。
「なあファビオ。俺はな、マリアンナのことが忘れられねえよ。お前もそうか?」
ファビオはサルヴァトーレの不意な質問に驚き、まごついた。
「は、はい。……もちろん仕えておりましたから、御恩があります。奥様のことを忘れることなどできません」
サルヴァトーレは用を足し終えると、突然ファビオに回し蹴りを食らわした。ドスッと鈍い音がし、ファビオは地面によろけた。
「マリアンナとお前は男女の仲だったんだろ? 俺を騙せると思っているのか?」サルヴァトーレは怒りの表情でファビオの胸ぐらをつかんだ。
「奥様と男女の仲だなんて……そんな事実は一切ありません!」
ファビオは(やましいことは何もない)といった顔で、サルヴァトーレをまっすぐ見つめた。
「知ってたんだよ、ずっと。マリアンナがお前を連れてきたあの日からな」サルヴァトーレはさらにファビオの頬を一発殴った。
「誤解です! わたくしはただの御者です。馬を扱い、道を覚えることしか能がありません。奥様とはあまりにも身分が違いすぎます……」
「お前は賢い。罪を犯したことなどないといった顔をしている。それに、御者にしては気の利くやつだから……ボロ雑巾のようにこき使った後で捨ててやろうと思っていたが……やめた。村長の報告によると、マリアンナとお前は仲睦まじい夫婦のようだったとか? おいおい、人様の妻に何してくれてんだ?」
「それもまた誤解です! わたくしは懸命に仕えておりましたから、村人にはそう見えたのかもしれませんが……。旦那様が憂慮なさっているような事実は一切ございません!」
「俺はな、マリアンナがお前と楽しそうに喋っているのがそもそも気に入らなかったんだ。初めて会った時から、ずっとお前を殺したくてしかたなかったんだよ」
「…………」
「でも、俺とマリアンナは親娘ほどに歳が違った。マリアンナは妻でありながら、俺の娘のようでもあった。だから大目に見てやってたんだ。結局、病にかかってしまって取り返しがつかなくなった……。後悔ばかり襲ってくるよ。俺の苦しみがお前に理解できるか? お前のような貧民に、高貴な妻を寝取られる屈辱!」
「寝取ってなどおりません! 指一本触れたことがなかったと、神に誓って申し上げることができます」
「言い訳は無用だ。お前たちのふしだらな関係は村長が証言した。俺は家長として、お前を処分する権限がある」
ファビオはこの時、村長の家のテーブルにあった金の存在を思い出し、がくっと肩を落とした。そして、冷静になって考えた。いまさら何を言い訳し、生きようとしているのだろう、と。愛するマリアンナはもういない。日々の楽しかったことを自分に報告してくれる人もいない。親しさにあふれた熱いまなざしをくれる人もいない。
どんなに辛い日でも、マリアンナがいる時には目的に満ちていた。しかし、輝きの時代は過ぎ去ってしまったのだった。
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