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46.決意

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コマンドに反応するのが面白いと無邪気に言う吉川の姿に悪意はなかった。
・・・だけに、薄ら寒いものがあった。

今までもいいようにされてきたのに、もしSUBだとばれた瞬間どうなるのか。
面白がってどんな扱いをされるのか容易に想像がついた。


ーー社会に出て、様々な人と接した今でこそ、吉川がDOMのスタンダードではなくーーいわゆる”勘違いDOM”という軽蔑される存在だとわかるのだが、当時の桐原の狭い世界でDOMは吉川だけだったため、絶望感は半端なかった。



桐原の心中にはじわじわと不安や不満が少しずつ澱のように溜まっていっていた。


*


それからしばらくたったある週末、桐原は用事で家をあけた。

帰りは夜遅くなると思えたが、思っていたより早く帰宅すると、自分の部屋の明かりがついているのを見て吉川が来てるんだなと思った。

合鍵を渡したのもいけないのだが、吉川は桐原がいないときでも勝手に家に入って居座っていることがあった。
またか…と思いながら玄関に入ったが、何足かの靴が散らばっていてさらにげんなりする。

今日は外出すると吉川には告げていたが、それをいいことに友人を呼んで好き放題していたのだろう。
たまにそういうときはあって、ものすごく散らかるし、二人のときと違う吉川が友人に見せている調子のよい顔は好きではなかった。

とくに足音を忍ばせたわけではないが、たぶん帰宅したのに気づかなかったのだろう。
桐原の部屋で何か騒ぎたてている声が聞こえた。

『……だから』

『コマンドを…』

不穏な言葉を聞いた気がして、桐原はドアを開ける寸前で動きを止めた。
中をそっとのぞくと驚愕の状況が広がっていた。

桐原のベッドに吉川が座っているが、半裸の青年がその足元に座っていた。
桐原の角度からはちょうど影になって見えないが口淫をしていることが伺えた。
胸に鈍い痛みがはしる。

吉川が女性に言い寄ったり、二股したりするのは許せた。けれど、自分と同じ男が相手というのは気持ちのやりどころが違った。
しかし、桐原にはこの場に乱入してきっぱり出ていけと言い渡す勇気はない。毅然とできない自分に自己嫌悪を覚えながら再び外に出てゆこうとする。

「“moreもっと““rickしゃぶれ“」

それがコマンドだ、と、はじめて聞いたのにも関わらずわかった。
カッと頭に血が上ったような気した。
それから先日SUBに会ったと言っていたのを思い出す。
そのSUBは男で、今まさにプレイをしているのだということに思い至ると、カッと脳の芯が熱くなった。
そこにいるのは自分ではないのに、まるで自分がされているような錯覚に陥り、頭の中が羞恥心でいっぱいになる。

呆然としている桐原の前、ドア一枚を隔てたところで引き続き痴態が繰り広げられていたが、再び我にかえらせたのはいくつかの笑い声だった。
  

「へぇ、まじか。吉川の言うことは何でも聞くんだ」 

「SUBって、本当にコマンドに従うんだ。DOMすげー!」

卑しい笑い声のあとに、下卑た言葉が続いた。
吉川の友人たちが何人かそこにいて見物しているのを知り、桐原の体が重く、冷たくなる。 

「服脱がせてみろよ」

「ゲ!野郎の裸なんてさあ」

そこに、甘く強請る声がかぶさった。

「ねぇ、さとる。コマンドもっとちょうだい」

「じゃあ、“Strip脱いで“」

衣擦れの音と、忍び笑い。

Good boyよし 」

そこまで聞いて桐原はそろそろと後退すると、ゆっくりと玄関から出た。

何だか見ていられなかった。
吉川の顕示欲と、その友人達の下劣さも吐き気がするような気がした。

最近の寒気に一気に落ちた落ち葉をさくさくと踏みながら歩いているとだんだんと今まで蓋をしていた様々な感情が一気に噴き出してきた。

別に好きでSUBに生れたわけでもないのに、それだけで疎まれたり、ぞんざいな扱いを受けたりしなければいけないものなのだろうか。

こそこそ隠して生きて、バレたらああいう風に屈辱的に従わさるのだろうか。

惨めだ、と、思った。

それは今まで、うすうすと思っていても認めたくなかった感情だった。

自分が惨めだなんて、認めたくはなかった。
だが唯々諾々と境遇を受け入れている自分も、あんな男に便利に使われているのも、何よりそれをよしてしている自分がたまらなく惨めだった。
だが、惨めなのを認めてしまえば色々なものがくっきり見えてきた気がした。

バカだった。

ただ小さくなって、何もしないでずるずる流されるままに生きていたから、なるべくしてこうなっているのだ。

もっと強くならねば、と、桐原は思った。
他人に左右されなきてもよいように、SUBだからと貶められることのないように、そして一人で生きられるように。

自分が自分らしく生きるためには、強くなろうと桐原はその日誓った。

なにくわぬ顔で次の日桐原は吉川と接した。その次の日、さらに次の日も。
そして高校の卒業と同時に、地元から姿を消した。
進学予定の大学も行かず、行方をくらましたのだった。


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