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29.誘い
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何かが決定的に変わると思っていた。
でも、何も変わらなくて、いつもと同じ一日が始まっていた。
デスクで3台のディスプレイと対峙しながら別々の案件を処理し、パソコンの画面でメールを確認して返信しながら顎で携帯電話をはさみ会話をするというアクロバティックなことを
していた桐原が電話を切ると、電話が終わるのをじりじりと待ち構えていた女性部下が決済書類の束を突き出してきた。
「八面六臂ですね。今日は絶好調なんですか」
「そう見えるか?」
「そうですね。最近ちょっとお疲れの様子でしたので」
無駄口をきくタイプではないので、桐原がサインしている時間だけ会話をすると彼女はさっさと書類を受け取ると席に戻っていった。
はたから見ても目に見えて調子がよさげに見えるということは、とどのつまり犬飼から見れば何かあったということはすぐにわかってしまうだろう。
スタンディングミーティング中なのか、専用のテーブルに置いたモニターを立ったまま何人かで囲んでいる中にひときわ高い位置にあるふわふわ頭が見える。
何かのサンプルを検討しているのか真剣に話しているが、新入社員の硬さが抜けていて、よく馴染んでいるのが見てとれた。
ミーティングが終わった犬飼がノートパソコンを小脇にかかえて大股でこちらで歩いてくる。
珍しく考え事に耽っていたようで、彼が桐原の接近に気づいたのはかなり近づいてからだった。
不意打ちだったのかハッとした顔をする犬飼がなにか表情を変えるより先んじて、桐原はすれ違いざまに告げた。
「犬飼、今日お前の家に行っていいか」
「…はい」
桐原の誘いは意表をつくものだったらしい。
犬飼は驚いたように目を見張り、桐原の姿を真っ直ぐ見て何かを言いたげに唇を震わせたが、会社の通路の真ん中でこのまま長々と会話を繰り広げるのは危ないとわかったのか、諾とこたえた。
いらえは微かに掠れている。
「遅くなるが、かまわないか?」
「はい。では、僕は先に帰って待ってますから」
そのまま、短いやりとりを終えて何くわぬさまで別々の方向へと互いにすすむ。
誰かに見られても、上司と部下が二言三言やりとりをしたようにしか見えないだろう。
こんなやりとりを、何回もしてきた。
そして、桐原は自分のほうから誘うのが初めてということに気づいた。
それから、別々に犬飼宅に向かうのも。
でも、何も変わらなくて、いつもと同じ一日が始まっていた。
デスクで3台のディスプレイと対峙しながら別々の案件を処理し、パソコンの画面でメールを確認して返信しながら顎で携帯電話をはさみ会話をするというアクロバティックなことを
していた桐原が電話を切ると、電話が終わるのをじりじりと待ち構えていた女性部下が決済書類の束を突き出してきた。
「八面六臂ですね。今日は絶好調なんですか」
「そう見えるか?」
「そうですね。最近ちょっとお疲れの様子でしたので」
無駄口をきくタイプではないので、桐原がサインしている時間だけ会話をすると彼女はさっさと書類を受け取ると席に戻っていった。
はたから見ても目に見えて調子がよさげに見えるということは、とどのつまり犬飼から見れば何かあったということはすぐにわかってしまうだろう。
スタンディングミーティング中なのか、専用のテーブルに置いたモニターを立ったまま何人かで囲んでいる中にひときわ高い位置にあるふわふわ頭が見える。
何かのサンプルを検討しているのか真剣に話しているが、新入社員の硬さが抜けていて、よく馴染んでいるのが見てとれた。
ミーティングが終わった犬飼がノートパソコンを小脇にかかえて大股でこちらで歩いてくる。
珍しく考え事に耽っていたようで、彼が桐原の接近に気づいたのはかなり近づいてからだった。
不意打ちだったのかハッとした顔をする犬飼がなにか表情を変えるより先んじて、桐原はすれ違いざまに告げた。
「犬飼、今日お前の家に行っていいか」
「…はい」
桐原の誘いは意表をつくものだったらしい。
犬飼は驚いたように目を見張り、桐原の姿を真っ直ぐ見て何かを言いたげに唇を震わせたが、会社の通路の真ん中でこのまま長々と会話を繰り広げるのは危ないとわかったのか、諾とこたえた。
いらえは微かに掠れている。
「遅くなるが、かまわないか?」
「はい。では、僕は先に帰って待ってますから」
そのまま、短いやりとりを終えて何くわぬさまで別々の方向へと互いにすすむ。
誰かに見られても、上司と部下が二言三言やりとりをしたようにしか見えないだろう。
こんなやりとりを、何回もしてきた。
そして、桐原は自分のほうから誘うのが初めてということに気づいた。
それから、別々に犬飼宅に向かうのも。
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