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3 ~腐れ縁
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3 ~腐れ縁
国の北東には霊峰がある。
その鬼門を鄷都といい、地下三千六百里(一里=約400メートル)には玄玄幽都という都市がある。
これが陰間である。
陰間、すなわち地獄には幽冥地府があった。【府】とは【役所】のことで、幽冥地府を略して冥府という。冥府があるから、この世界を冥界ともいう。
陰間とは冥界であり、あの世であり、なべて地獄をさしている。
ここを統治するのは鄷都北陰大帝である。
大帝のもとで裁判を司るのが閻羅王である。
つまり地獄も見事に組織化されている。
――などと考えている宇月に声がかかった。
「前世の宿縁でもあるのかね」
窓枠にかけていた片足を戻しながら振り向くと、愛用の扇子を手にした無恭が室に入ってくるところだった。扇子には片端から中央へ向けて蘭と竹が描かれている。
(この[蘭竹扇]も確か、かなりの品だったな)
これは涼をとるためではなく、扇面に描かれた画を鑑賞するために持ち歩くもの。当世流行のオシャレ小物であるにもかかわらず、無恭は見せびらかしたり自慢したりしない。
(そのあたりが豈華の言う、貴族の常識からのズレかもな)
無恭という人は、まっすぐにズレた半端者なのだ。
裴氏は貴族とはいえ寒門だった。『貴族の三郎だからがんばっても家は継げないし分家も厳しい』と、無恭は少年時代に考えたらしい。貧しかったせいもあるのだろう。
ここまでは並の思考だが、なぜか巫祝にくっ付いて方術を学ぶ道を選んだ。常人には理解できないが、物資豊かな国都を離れて山にこもり、修練を積んでいた時期がある。おかげで、霊符という不可思議な力を発揮するお札を書けるのは、今や彼の特技であり、一風変わった趣味となっていた。
極端へ走る傾向のある人間だから、宇月は無恭と知り合ったともいえる。
別れれば二度と会うはずもなかったが、時をおいて再び出会う。以来、ここで会うかという場所で出会い、そのたびに宇月は、無恭のもとで世話になってきた。
「私が二十一、宇月が十五、あのとき君は若かった」
「三郎。昨日の昼なに食べた?」
「急に? さあて、なんだったか……」
「昔を思い出し昨日を思い出せないのは歳をとった証拠だそうだ。や、三郎は三十まであと一年、充分オッサンだったな。ジジィなこと言うのはしょーがない」
「オッサンでもなく老翁でもなく働き盛りと言ってほしいね」
「ちんたら働いててよく言う」
二人の付き合いはナンダカンダでもう八年。約束もナシに何度も出会えば『宿縁』と言いたくなるのはわかる。
(わかるが)
「前世の貸し借りはチャラになってるはずだ。埋め合わせはきっちりしてるからな」
すでにお互いが何者かは知っているので、宿泊分の見返りを求められるようになっていた。遠慮の欠片もない要求に宇月は許容範囲内であれば応じている。相手に利益を与え、自分も相手から利益を得る。もちつもたれつの関係が成り立っている。
「それが、まさかまさかだった」
「まさか、とは?」
「うん? まさか裴氏の娘が貴妃に冊封されるとはねえ」
貴妃は妃嬪の第一位、後宮では皇后に次ぐ位となる。貴妃として皇帝から寵愛を受けているのは無恭の姉であり、彼女の出世によって裴氏は一躍権門の仲間入り。恩寵を後ろ盾に地歩を固め、権力も財力も増していた。
なのに、無恭は相変わらずで出世欲もない。下級官吏のまま。
これはよろしくないと吏部〈文官人事〉が気をつかい、イチオウの肩書きとして用意したのが史館〈正史編纂機関〉の編纂官・修撰である。史学への関心が高まるこの時代、史館の長官は宰相と同等位。政にはかかわらないものの重視される機関だから、貴妃一族の官職としてはふさわしい。
もとから無恭は南衙禁軍に籍をおく文官であった。
南衙は宰相の指揮下にある軍で、外郭〈外城〉警備も担っている。無恭は南衙付きの軍吏であり、街角におかれた武官詰め所で記録係をやっている。
宇月が国都に寄ったのはたまたまであるが、二人の関係性をここで有効活用することにした。無恭の職権を使わせてもらうことにしたのだ。
「調べられたか?」
「もちろん!」
訊いたこちらが醒めるほどノリノリで応じる、無恭。人とは不思議なもので、相手が自分以上に興奮していると妙に冷静になる、というかヤル気が失せる。
「北の草市、豪商の出。十五歳で貴族の養女としたらしいが、ここが不可解なところで貴族側にその記録はない」
「ふーん」
「ちなみに名のっている莫姓は豪商のもの」
「莫、扶霊」
確認するように宇月は呟いた、これが凶宅に暮らす先生の姓名である。
無恭には、登録されている先生の戸籍を調べてくれと頼んでいた。
「草市は商業都市だろう、それも北の草市といえば二大草市の片割れ。そこで財をきずいた豪商ともなれば実家はかなりなお大尽なわけだから、貴族の養女にだされるのも、まあ頷けるよ。けれど、彼女は庶人のままだ。経歴としてはおもしろいところだね」
庭に面した窓枠に腰かけて宇月は話を聞いている。
『おもしろい』は無恭の口癖でもあり、さほど気にしていなかったのに、なにやら圧を感じて顔を振り上げれば、宇月が女人にこだわるのは珍しいという熱視線が向けられていた。
「莫先生にご執心の理由は?」
問われて宇月は、無恭がノリノリで調べてきた理由を知った。
(興味本位か)
「ま、腐れ縁だ」
誤解されるのも面倒ではあるが、彼女を捜してすでに三年の月日が流れていた。離れたくても離れられない間柄だから、表現として間違ってはいないだろう。
『告訴した者とかかわりのある者を勾引する』
走無常の話をしたあの夕刻、この言葉を耳にした扶霊の表情には怯えのようなものが滲んでいた。地獄は存在すると聞いて呆然とたたずんでいた、その小柄な姿態はとても儚く、四阿のつくる日陰に、闇に、呑まれそうに感じたほどだ。
消えてしまいそうだった。
(それは自分の内側に闇を抱えているからで)
心当たりがあるのだろう。
(彼女だ)
思うと同時、無意識のうちにため息が洩れた。無恭が「おや?」という視線を寄こしたが、宇月はあえて無視をする。
(追いかけて追いかけて追いかけて、やっと追いついたのに)
近づきすぎて自分の不注意で対象物をついうっかり蹴飛ばしてしまったような、そんな気分なのだ。ここ数日、まるで損をしたような気持ちが拭えない。
宇月はもう一度、ため息をついた。今度は無恭に悟られないように。
《次回 夢うつつ》
国の北東には霊峰がある。
その鬼門を鄷都といい、地下三千六百里(一里=約400メートル)には玄玄幽都という都市がある。
これが陰間である。
陰間、すなわち地獄には幽冥地府があった。【府】とは【役所】のことで、幽冥地府を略して冥府という。冥府があるから、この世界を冥界ともいう。
陰間とは冥界であり、あの世であり、なべて地獄をさしている。
ここを統治するのは鄷都北陰大帝である。
大帝のもとで裁判を司るのが閻羅王である。
つまり地獄も見事に組織化されている。
――などと考えている宇月に声がかかった。
「前世の宿縁でもあるのかね」
窓枠にかけていた片足を戻しながら振り向くと、愛用の扇子を手にした無恭が室に入ってくるところだった。扇子には片端から中央へ向けて蘭と竹が描かれている。
(この[蘭竹扇]も確か、かなりの品だったな)
これは涼をとるためではなく、扇面に描かれた画を鑑賞するために持ち歩くもの。当世流行のオシャレ小物であるにもかかわらず、無恭は見せびらかしたり自慢したりしない。
(そのあたりが豈華の言う、貴族の常識からのズレかもな)
無恭という人は、まっすぐにズレた半端者なのだ。
裴氏は貴族とはいえ寒門だった。『貴族の三郎だからがんばっても家は継げないし分家も厳しい』と、無恭は少年時代に考えたらしい。貧しかったせいもあるのだろう。
ここまでは並の思考だが、なぜか巫祝にくっ付いて方術を学ぶ道を選んだ。常人には理解できないが、物資豊かな国都を離れて山にこもり、修練を積んでいた時期がある。おかげで、霊符という不可思議な力を発揮するお札を書けるのは、今や彼の特技であり、一風変わった趣味となっていた。
極端へ走る傾向のある人間だから、宇月は無恭と知り合ったともいえる。
別れれば二度と会うはずもなかったが、時をおいて再び出会う。以来、ここで会うかという場所で出会い、そのたびに宇月は、無恭のもとで世話になってきた。
「私が二十一、宇月が十五、あのとき君は若かった」
「三郎。昨日の昼なに食べた?」
「急に? さあて、なんだったか……」
「昔を思い出し昨日を思い出せないのは歳をとった証拠だそうだ。や、三郎は三十まであと一年、充分オッサンだったな。ジジィなこと言うのはしょーがない」
「オッサンでもなく老翁でもなく働き盛りと言ってほしいね」
「ちんたら働いててよく言う」
二人の付き合いはナンダカンダでもう八年。約束もナシに何度も出会えば『宿縁』と言いたくなるのはわかる。
(わかるが)
「前世の貸し借りはチャラになってるはずだ。埋め合わせはきっちりしてるからな」
すでにお互いが何者かは知っているので、宿泊分の見返りを求められるようになっていた。遠慮の欠片もない要求に宇月は許容範囲内であれば応じている。相手に利益を与え、自分も相手から利益を得る。もちつもたれつの関係が成り立っている。
「それが、まさかまさかだった」
「まさか、とは?」
「うん? まさか裴氏の娘が貴妃に冊封されるとはねえ」
貴妃は妃嬪の第一位、後宮では皇后に次ぐ位となる。貴妃として皇帝から寵愛を受けているのは無恭の姉であり、彼女の出世によって裴氏は一躍権門の仲間入り。恩寵を後ろ盾に地歩を固め、権力も財力も増していた。
なのに、無恭は相変わらずで出世欲もない。下級官吏のまま。
これはよろしくないと吏部〈文官人事〉が気をつかい、イチオウの肩書きとして用意したのが史館〈正史編纂機関〉の編纂官・修撰である。史学への関心が高まるこの時代、史館の長官は宰相と同等位。政にはかかわらないものの重視される機関だから、貴妃一族の官職としてはふさわしい。
もとから無恭は南衙禁軍に籍をおく文官であった。
南衙は宰相の指揮下にある軍で、外郭〈外城〉警備も担っている。無恭は南衙付きの軍吏であり、街角におかれた武官詰め所で記録係をやっている。
宇月が国都に寄ったのはたまたまであるが、二人の関係性をここで有効活用することにした。無恭の職権を使わせてもらうことにしたのだ。
「調べられたか?」
「もちろん!」
訊いたこちらが醒めるほどノリノリで応じる、無恭。人とは不思議なもので、相手が自分以上に興奮していると妙に冷静になる、というかヤル気が失せる。
「北の草市、豪商の出。十五歳で貴族の養女としたらしいが、ここが不可解なところで貴族側にその記録はない」
「ふーん」
「ちなみに名のっている莫姓は豪商のもの」
「莫、扶霊」
確認するように宇月は呟いた、これが凶宅に暮らす先生の姓名である。
無恭には、登録されている先生の戸籍を調べてくれと頼んでいた。
「草市は商業都市だろう、それも北の草市といえば二大草市の片割れ。そこで財をきずいた豪商ともなれば実家はかなりなお大尽なわけだから、貴族の養女にだされるのも、まあ頷けるよ。けれど、彼女は庶人のままだ。経歴としてはおもしろいところだね」
庭に面した窓枠に腰かけて宇月は話を聞いている。
『おもしろい』は無恭の口癖でもあり、さほど気にしていなかったのに、なにやら圧を感じて顔を振り上げれば、宇月が女人にこだわるのは珍しいという熱視線が向けられていた。
「莫先生にご執心の理由は?」
問われて宇月は、無恭がノリノリで調べてきた理由を知った。
(興味本位か)
「ま、腐れ縁だ」
誤解されるのも面倒ではあるが、彼女を捜してすでに三年の月日が流れていた。離れたくても離れられない間柄だから、表現として間違ってはいないだろう。
『告訴した者とかかわりのある者を勾引する』
走無常の話をしたあの夕刻、この言葉を耳にした扶霊の表情には怯えのようなものが滲んでいた。地獄は存在すると聞いて呆然とたたずんでいた、その小柄な姿態はとても儚く、四阿のつくる日陰に、闇に、呑まれそうに感じたほどだ。
消えてしまいそうだった。
(それは自分の内側に闇を抱えているからで)
心当たりがあるのだろう。
(彼女だ)
思うと同時、無意識のうちにため息が洩れた。無恭が「おや?」という視線を寄こしたが、宇月はあえて無視をする。
(追いかけて追いかけて追いかけて、やっと追いついたのに)
近づきすぎて自分の不注意で対象物をついうっかり蹴飛ばしてしまったような、そんな気分なのだ。ここ数日、まるで損をしたような気持ちが拭えない。
宇月はもう一度、ため息をついた。今度は無恭に悟られないように。
《次回 夢うつつ》
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