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 四月の始業式だからといって、わたしの朝の習慣が変わることはない。

 今年から高校二年生だ。去年の入学式の時は、制服も変わって、電車通学になって、他にもいろいろと変わっていたけれど、今年は大きな変化はない。いつも通り、長い休み明けの学校で、行きたくないなあという気持ちと戦っている。

 学校に行く、というか外に出るとなると、わたしは準備に時間がかかる。いや、わたしだけではなくて、女性なら誰でも時間がかかることだろう。高校では化粧は禁止されているから、化粧することはない。でも、他にも大切なことがあるでしょう?

 そう、髪の毛だ。

「ああああ!」

 わたしは苛立って声を上げた。ヘアアイロンを片手に、鏡に映った自分を見て、クセのついた髪をまっすぐに直していく。直していくのだけれど、そう簡単には直ってくれない。だから今のように苛立ちが募っていくことになる。

 髪の毛を少しずつ束にして、ヘアアイロンに通していく。うねうねと曲がりくねっていた髪が、すっとまっすぐになる。初めて使った時は魔法のような道具だと思った。わたしの強いクセのある髪とも、これでおさらばだと思ったものだ。これさえあれば、わたしがとても憧れているさらさらストレートの髪が手に入るのだ、なあんて思っていた。

 現実は違う。そう甘くはない。毎朝、かなりの時間を割いて、わたしは髪の毛と格闘している。ヘアアイロンの熱を受けても、わたしのクセは強情にも直ろうとしない。何回も当ててはいけないというから、一回でどうにか整えようとするのだけれど、そんなにうまくいかない。いっそのこと、この肩につくくらいの髪の毛をショートにしてしまおうかとさえ思ったが、それでクセがついたら絶望的だから、わたしはショートにするのも躊躇っていた。

 ああもう、嫌いだ、こんな髪。毎日毎日直しているのに、学校から帰る頃にはちょっとクセが戻りつつあって、お風呂に入ったらもう元通り。うねうねうねうね、あちこちに散らばって爆発する。いったいどれだけあたしを苦しめたら気が済むのだろうか。

 髪を直さずに外出できる人が羨ましい。わたしのクセ毛ももっと可愛いクセだったら、ウェーブがかかった髪です、と言い切れなくもないのに、どうやったってそうならないのだから、ヘアアイロンのお世話になるのだ。髪を直さずに出かけるなんて絶対に無理だ。

夏子なつこ! あんた、もう時間よ!」

 お母さんの声がリビングから飛んでくる。ええ、でもまだ直りきってないよお。

「もうちょっと!」
「あんた、毎日毎日髪の毛にどんだけ時間かけてんのよ! 多少曲がってたって誰も気にしないよ!」
「うるさいなあ、お母さんにはわかんないよ!」

 わたしは口答えしながら最後の毛束をヘアアイロンに通す。最後に全体をチェック。よし、これで、大丈夫。

 わたしのクセ毛は誰からの遺伝なのかわからない。お母さんもお父さんも直毛で、強いクセ毛のわたしからすれば羨ましいの一言だ。わたしは起きたら髪がぐにゃぐにゃ曲がっているのに、同じくらいの長さのお母さんはすらりと整っている。いったい何が違うというのだろう。

 今日、わたしがここまで完璧に髪を仕上げたのには、理由がある。それは、今日がクラス替えの日だということだ。

 初めて会う人がたくさんいるのは間違いない。もちろん、昨年度に同じクラスだった人もいるだろうけど、大半はきっと知らない人だ。そんな中で、クセ毛大爆発の状態で飛び込むわけにはいかない。さらりとしたストレートヘアの可愛い集団に混ざりたい。だから、わたしは今朝いつもより時間をかけて髪を仕上げたのだ。

 時間を見ると、もう家を出ないといけない時間は過ぎていた。まずい、遅刻する。

 わたしは鞄を引っ掴んで玄関へと走る。お母さんは呆れたようにわたしに言った。

「そんなに髪に時間かけなかったら、もっと余裕で出られるのにねえ」
「わたしもそう思うよ。でもね、大切なことなんだよ」
「はいはい。いってらっしゃい」
「いってきます!」

 わたしは靴を履いて、飛び出すように家を出た。うわあ、走らないと間に合わないよ。わたしはいつも乗っている電車に向かって、大通りを走る。

 わたしが通っている高校は、電車で二十分、そこから十分くらい歩いたところにある。一応は進学校として名の知れた高校で、有名な大学に毎年何人も合格している。わたしもこの高校に入るのは苦労した。入ってからも大変で、毎日けっこう勉強しないと追いつけない。それでも、私の成績はほとんど真ん中くらいだ。高くも低くもない。家で寛いでいる時間も勉強に充てたらもっと成績は伸びるかもしれないけれど、それは来年でいいかと思っている。今はまだ遊んでいたい。青春を謳歌したい。

 甘酸っぱい青春を楽しむためにも、わたしはこの髪を変えたかった。どうにかしたかった。

 簡単な方法は縮毛矯正だ。お金を払えば、数時間で憧れのストレートヘアに変わることができる。でも問題はそのお金と頻度だ。年に一回ならお小遣いの範囲でどうにかできるかもしれないが、聞くところによると三ヶ月から半年に一回だという。しかも、美容院によっては二万円もかかるとか。わたしにはそんなお金はないし、お母さんに頼める金額でもない。

 だから、わたしは縮毛矯正を諦めて、毎朝時間をかけてヘアアイロンでごまかしてきた。これ以外の手段を知らなかった。こうすることでしか、わたしは集団に混ざることができないのだと思ってきた。

 電車に乗る。艶やかなストレートの黒髪の女性が目を引く。ああ、わたしもあれくらい綺麗なまっすぐの髪になることができたらいいのになあ。

 電車を降りて、同じ制服の集団に混ざりながら徒歩で学校に向かう。その間にも、わたしの視線は女子の髪に向く。あの子のストレートは可愛い。ああ、あの子も。あの子はもしかしたらクセ毛を隠しているのかな。

 そんなことをしていたら、すぐに学校に到着する。クラス替えを発表している掲示板の前には人だかりができている。友人と一緒のクラスになって喜ぶ、きゃあきゃあという女子の声。男子は何も言わず、自分のクラスを見て去っていく。わたしの高校は女子のほうが比率が高いから、男子のほうがクラス替えの影響は大きいかもしれない。たぶん、知っている人はほとんどいなくなるのではないだろうか。

 わたしは騒がしい女子の集まりを避けるようにしながら、掲示板の前に辿り着く。自分の名前を探すと、割と見やすい位置に名前が書いてあった。

 特別進学クラス。通称、特進。その名の通り、有名な大学への進学を目指すためのクラスだ。他のクラスよりも厳しく指導され、その日の授業が始まる前、つまり朝から補講が行われると聞いている。当然、放課後にも補講があるから、他のクラスに比べて授業の数が多い。それくらい、先生方も本気で一流大学を目指しているのだ。

 特進は二年生から存在する。本人が希望していて、一年生の成績が良ければ、特進への編入が認められると聞いている。わたしは編入されると思っていなかったので、とりあえず希望することにしていたら、なんと特進に編入されてしまった。そんなに成績は良くなかったと記憶しているが、これは、どうして。

 とにかく、編入されてしまったものは仕方ない。わたしは特進の教室に向かう。

 ああ、すごく真面目な子ばかりだったらどうしよう。そういえば、特進に編入されたことに驚きすぎて、他に誰か知っている子がいるかどうかを見ていなかった。もしかしたら知っている子が誰もいないという可能性はある。去年友人だった子は、わたしよりも成績が悪かったから、特進に編入されるということはないだろう。

 二年生の特進の教室の扉を開ける。中にはもうクラスメイトの半分以上が揃っていた。まだ誰もが手探りの状態で、とりあえず席の近くにいた人同士で喋っているような感じだった。

 わたしは自分の席に向かうと、見知った顔を見つけた。彼も、わたしを見て微笑んだ。

「おはよう、柴崎しばさきさん」
佐々木ささきくん、おはよう」

 わたしは若干震えた声で挨拶した。まさか、佐々木くんがいたなんて。

 佐々木くんは去年も同じクラスだった男子だ。気さくで話しやすくて、頭も良くて、切れ長の瞳で見られるときゅんとしてしまう。

 佐々木、柴崎という並びだから、出席番号順の並びだとわたしが後ろの席になる。テストの時は必ず出席番号順に座るから、去年はテストのたびに佐々木くんと話していた。佐々木くんはいつも朗らかに笑って、わたしを励ましてくれていた。

 そう、わたしは佐々木くんが好きだ。佐々木くんに片想いをしているのだ。

 今日も髪を整えてきてよかった。佐々木くんにはあんな爆発した髪は見せられない。佐々木くんの前では、わたしは綺麗なミディアムストレートの女子でいたいのだ。

 わたしが自分の席に座ると、佐々木くんは身体をこちらに向けた。

「まさか柴崎さんが特進に来るなんて思ってなかったよ。特進には興味ないと思ってた」
「うん、わたしも、入れると思ってなかった」
「今年もよろしくな。あ、来年もか」

 特進は原則としてクラス替えをしない。原則として、というのは、あまりにも成績が悪い生徒に限っては入れ替えられるからだ。そんな不名誉なことにはならないようにしなければならない。

「来年までいられるように頑張らないとね」
「柴崎さんなら大丈夫だろ。いっつも難しい難しいって言いながら、そこそこの点数取るじゃないか」
「佐々木くんみたいに八十点とか九十点とか取ってないもん。ほんと、よく特進入れたなって思ってるよ」
「特進に入れるってことは、成績が良いってことだろ。もっと自信持っていいんだよ」

 佐々木くんは笑いながら言った。いいなあ、本当に、太陽みたいな人だ。

「ま、しばらくは席替えもないだろうし、よろしく。柴崎さんが特進に来てくれてよかった」
「どうして?」
「よく知ってる友達がひとりいるってことだろ。柴崎さんだったら連絡先だって知ってるしな」

 なあんだ。一瞬だけ期待したけれど、まあ、そうだよね。佐々木くんにとってわたしは仲の良い女友達でしかない。連絡先は知っているけれど、雑談するような仲ではない。

「ああ、うん、そうだね。わたしも、佐々木くんがいてくれてよかった」

 佐々木くんとは違う意味で、だけれど。

 先生が教室に入ってくる。担任の先生も変わるから、それもどきどきする。担任の先生はすらりと背が高い女性の先生で、黒のショートヘアだった。きりりとした印象を受ける。

 佐々木くんと話しているうちに、ホームルームの時間になったようだった。生徒たちは慌てて自分の席に戻り、先生がホームルームを始める。

「皆さん、初めまして。担任を受け持つことになりました、櫻井さくらいです」

 穏やかな声だった。優しそうな先生だ。ゴリラみたいにいかついとか、雰囲気から厳しいとかじゃなくてよかった。

 わたしの新生活は滞りなくスタートした。明日からも、いいことありますように。


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