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第一部 終章 悪魔の勇者
エビルの決断
しおりを挟む目前に座り込むリトゥアールへ向けて悲しい視線を送った。
先程感じ取った一部の思考に関しての質問をしたいのだが気分は沈む。
「あなたは、いつから死にたいと思っていたんですか?」
彼女は「はい?」と間の抜けた表情を浮かべた。
「わ、私が、死にたいと思っている? いったい何を言っているんですか?」
「自分でも気付いていないんですね。無理もない、随分と抑制されている感情でしたから。無意識に思っていても気付きたくなかったんでしょう。……本当はビュートさんを追いかけて黄泉へ行きたいんですよね」
「な、何を、何をバカな! 私は一応彼に助けられた身。救われた命を自ら捨てたいと思うはずがありません! だって、だってそんなことを思ってしまえば、彼に対して申し訳が立たないじゃないですか!」
シャドウの言っていた推測は残念なことに的中していた。
リトゥアールは死にたがっていたのだ。
想い人の居ない世界への絶望。
生きる意味を失くした喪失感。
この二つを感じ取ったので間違いない。
本人が自覚していないので混乱するのも仕方ない。もっとも戸惑っているのは彼女だけでなくセイム達もだが。
「なあおい、どういうことだ? この人は死にたがってんのか?」
「……それではまるで、魔信教が自殺のために作り上げられたかのような」
「盛大に周囲を巻き込んんだ自殺か。一人で死ねばいいものを……いや、違う。もし一人でやろうとしても出来なかったとすれば……。レミ・アランバート、少し試してほしいことがある」
白竜の言葉にレミが「何よ」と振り向く。
「リトゥアールに聖火をぶつけろ」
彼女は「はぁ?」と嫌そうな顔になる。
「嫌よ、アタシはエビルの意思を尊重したい。この女のことは嫌いだけど殺したりしないわ。アンタもよく思っていないんでしょうけど耐えなさい」
「俺は焼殺しろなんて言ってない。ぶつけろと言ったんだ」
「同じじゃ……いえ、同じじゃない。まさかそういうことなの?」
「俺の考えが正しければ、な」
白竜が何を言いたいのかレミだけでなくエビルも察した。
本当にそんなことをしているのなら必要な処置だろう。このまま話していたって何の解決にもならなかったはずなので、その考えに行き着いた彼には感謝してもしきれない。感心したのはレミも同じで躊躇いなく聖火でリトゥアールを包む。
「……はっ? く、う、うあ、があああああ!?」
最初は平気そうだったリトゥアールだが次第に苦しみ始め、頭を抱えて蹲る。
明らかな異常事態にセイムとサトリはさらに戸惑いの声を上げた。
「な、何だ何だ!? どうしちまったんだよ!?」
「レミ、いったい何を燃やしたんですか?」
混乱する二人と対照的に、エビル達は仮説が正しかったと証明されたので落ち着いていられた。
「この苦しみよう……やはり」
「ええ、正直予想外の展開ね」
「僕は逆に納得したかな。そうであってほしかったのかもしれない」
「お、おい、三人で納得してねえで教えてくれよ! どういう状況!?」
「まさか、燃やしたのは……!」
「サトリまで分かったのかよ!? え、俺だけ置いてけぼり!?」
「セイム。リトゥアールさんは……自分自身を洗脳していたんだ」
いつまでも分からず戸惑わせるのは可哀想なのでエビルは答えを教える。
そう、洗脳だ。聖火で解除出来るのはセイムの身で実証済み。神性エネルギーを応用しての洗脳なら聖火でエネルギーを焼けば解決だ。微弱なものなら意識しない攻撃でも解けるのだが、リトゥアールにかかっていたものは強力だったため燃やす意思が必要らしい。苦悶の声を上げているのは抵抗しているからだろう。彼女の心の奥底で解かれたくないという想いが膨れ上がっている。
洗脳状態だとエビルが先程まで考えなかったのは理由がある。
セイムが洗脳されていた時の意思が朧気だったが、リトゥアールの意思はしっかりと残っていた。前者の症状を前例として把握していたため、意思がはっきりしている時点でありえないと考えを捨てていた。
「は、は? 何の為に?」
「それは――」
「それは私自身が話すべきことですね」
苦痛から解放されたリトゥアールの声が割り込む。
「解けたんですか?」
「ええ、残念ながら解けてしまいましたよ。私が私自身に施した……死にたい気持ちを封じ込めるための洗脳はね。先程までかけた記憶すらありませんでしたが解けた瞬間思い出しましたよ」
蹲った状態から頭を上げたリトゥアールは正座する。
彼女の言葉はおおよそ予想出来てしまうものだった。先程まで弱かった死にたい想いがありえないほどに強くなっていく。肥大化した想いはいずれ本人を勝手に突き動かすだろう。それでも死ねなかったのなら、きっとそれは同じくらいに強いもう一つの感情が原因だ。
「……何から話したらいいか。……ビュートの犠牲で命を救われた私は、彼を失った喪失感で何かする気力が微塵も湧きませんでした。およそ二年近くはそんな状態でしたね。当時身籠っていたため子は産みましたが、育てる気力すら湧かなかったため置き去りにしました。それから――」
リトゥアールの自分語りが続く。
目的もなく各地を転々とした彼女は人助けすらしなかった。一度やろうと思っても、当人が自力で解決したのを見て悟ったと言う。確かに人間は困った時に助けを求めるが、頑張れば自己解決出来るものが多い。わざわざ助けなくてもいい救助要請が多いのに彼女は気付いたらしい。
人助けせず、目的ない旅は彼女に何ももたらさなかった。
命を救われても心が救われない。彼女の心は大きな二つの想いが衝突し続けた。
救われたから生きたい。ビュートがいないから死にたい。
衝突し続けた強い感情で心が悲鳴を上げ、遂に片方を封じることを決意する。
「そうして神性エネルギーを応用した洗脳に目覚めたのです。私の想いで〈神衣〉も変化してあのような色と禍々しさになりました。……ちゃんと生きることにした私は目標を決めました。ビュートのように人生を終えてしまう者をなくそうという、目標を」
「でもきっと、完全には封じられなかったんだと思います。ビュートさんの後を追いたい想いが強すぎたんだ。……だから、だからきっと、進む方向性を間違えた。魔信教なんてものを作って、人類の敵となることで無意識に殺してもらおうと思ってしまった……と、僕は考えています」
悪に染まれば正義が罰する。リトゥアールは誰よりもそれを知る身。
自分を悪の親玉に祀り上げて国の兵士か誰かに殺してほしいと考えたのかもしれない。無意識に動いたなら真相は誰にも分からない。だがエビルは彼女がそうであると信じたい。
「なあ、ちょっと待ってくれよ。つーとあれか? 魔王を復活させて人類を管理する的なの、本当はそんなことするつもりなかったってわけか?」
セイムの言う通りなら良かったのだが、エビルは風の秘術で違うと分かってしまう。
「……いや、それはリトゥアールさんの本音だ。洗脳が解除されても勇者や人間を憎む気持ちは変わってない。洗脳なんて関係なく魔王を復活させようとしたんじゃないですか?」
「その通りです。魔信教の方は死にたい想いから作ったのかもしれませんが、魔王復活は違う。私の目的は私自身が定めたもの。洗脳や誰かの入れ知恵などと言い逃れをするつもりはありません。あなた方が裁くべき相手は最初と変わず私です。迷わず私を殺せばいい」
魔信教解体には教祖への罰が必須。
見逃す選択肢はない。国の法で裁くか、この場で殺すかの二択。
「エビル、どうするの?」
訊かなくても分かる。リトゥアールの生死についてだ。
「さっきも言ったけどアタシはエビルの意思を尊重したい。この女を殺さずに法で裁くっていうならアランバート王国で引き取る。自分の剣で裁くっていうなら好きにしていいと思う」
「僕は……僕の正義は……」
処罰をどうするかエビルの心は揺れ動く。
本当なら殺したくない。シャドウにもそう啖呵を切ったし、ビュートだってリトゥアールが生きていた方がいいだろう。
悪人なら迷う時間はいらないが……彼女は彼女の正義を通そうとしたのみ。正義には人の数だけ種類があって、違いから衝突するのはよくある話。しかし散々やってみた説得が彼女の心へあまり届かなかったのも理解している。
国の法で裁けるのなら裁きたいが本人は死を望んでいる。
それに国に預けたとしても彼女は止まらないだろう。自力で抜け出して再び魔王復活へ動くに違いない。彼女を止められる兵士など存在しないし、レミ単身では絶対に不可能。アランバート王国に預ける選択肢は除外せざるを得ない。
残るはこの場で殺す選択肢だが後一歩踏み出せない。
残るはこの場で殺す選択肢だが後一歩踏み出せない。
「エビル、俺がやろうか? お前はまだ殺すの辛いだろ」
「……セイム。でも、決断して実行すべきはきっと僕なんだと思う」
この場でリトゥアールの処遇を決めるのに最も適さないのはエビル自身。
彼女と知り合いらしい白竜や、妹の死で怒っているサトリでも問題はない。他の者が今すぐ殺しても何一つ問題ない。白竜達なら殺すのを躊躇わないだろう。
それでも自分が決めたいと思うのは、ビュートやシャドウに後を託されたから。
時間はない。今、決断しなければならない。
もう殺す以外の選択肢は見当たらない。このまま自分がやると告げたエビルが停滞していては、リトゥアールが回復して戦闘が再開してしまう。現状は彼女にしか益のない時間稼ぎにしかなっていない。
リトゥアールが願うのが死以外ならよかった。
共に世界を守っていくとか、巨悪を滅ぼそうとかなら心から協力した。
ビュートは彼女が死んでもいいのだろうか。直接本人に相談出来ればどれだけ良かったか。いや、エビルはあの特訓の時に訊いておくべきだったのだ。絶対彼女を生かして救える保障がない以上、妙にあった自信で理想を掲げるのではなく、最悪のケースになった場合どうするかも相談するべきだった。
『なあお前、リトゥアールを説得するって言ってたよな』
ふと、いつか行ったシャドウとの対話を思い出す。
『俺は殺すべきだと思っている。説得なんざ生温い』
『どういう意味だ。ビュートさんは言ったじゃないか、救ってほしいって! お前はあの人の懇願を無視するっていうのか!』
『救済ってのは何だ? 必ずしも生かして反省させるってのが救いか? ビュートは救ってほしい、助けてほしいと言ったんだ。生かしてほしいとは言ってねえ』
『まずは生きないと、罪を償えないだろ!』
罪を償うなら生きなければならない。しかし本当にそれが救いになるだろうか。
リトゥアールは死にたがっている、生かしても彼女は苦痛しか抱かない。生そのものに苦しんだ彼女を生かし、罪を償わせる。それが救済じゃないことくらいエビルにも分かる。
『仮に償ったとしてあいつはどう生きる。不老だぞ、誰かに殺されない限りあいつは死なねえ、死ねねえんだよ。あの性格だ、自殺はしねえだろうさ。あいつにとっての救いは囚われた過去から解放してやることだ。そこに生死は関係ねえはずだぞ』
当時は殺すことでの救済など認めなかった。
我が儘、理想、子供の夢。そう否定されても今は何も言えない。
現に今は殺す選択肢しか残っていないのだから。
『過去からの解放っていうのには同意するけど……! 助けるために殺すなんて間違っている。おかしいだろ。本人が本気で死にたいと思っていない限り、そんなのはおかしい。ビュートさんだって生きてほしいと願っているはずだ』
エビルにとって救済は生きるという意味。
死は悲しみや憎しみ、怒りしか生まないと常に考えていた。
師匠や故郷の人々の死を経験したからそう思っていた。悪人が死んでも同じ、誰か悲しむ人がいると。……復讐でもないのに殺して誰かが喜ぶはずないと信じてきた。今では本当にそうなのか分からず心が揺らいでいる。
『大事なのはビュートの意思じゃねえ、リトゥアールの意思だ』
「……違う。大事なのは二人の意思だ」
改めて考えてみればビュートは確かに生かしてほしいとは頼んでいない。
彼はリトゥアールの正義感が暴走しているのを悲しみ、止めるよう告げたのだ。
もし生きていてほしいと本気で思っているなら、なぜシャドウにも頼んだのか。殺すと断言するのは彼だって理解していたはずだ。つまり彼は生死問わないと暗に告げていたのではなかろうか。
自分の手ではもう止められず、たとえ殺すことになっても止めたいビュート。
自らの感情を一部封印するため洗脳すらした、死にたいリトゥアール。
今、二人の意思がエビルの中で繋がった。
「……ありがとうみんな、待ってくれて。おかげで決断出来た」
傍に居る仲間達は視線でどうするのか問いかけている。
「僕の剣で殺す……違うか、救うんだ。苦しまないよう一撃で」
必死に考えて得た、この世には死ぬことで救われる者もいるという答え。
全員納得する感情を抱いたのを感じ取った。誰も異論はないため即実行出来る。
「その前に……白竜、ここからでもカシェ様と話せるかな?」
「何? まあ、あの御方が聞こうとしていればここの会話も聞こえているはずだ。恐らく見守ってくれているだろうから届くとは思うが、いったいこんな時に何を話すつもりだ?」
実行の前に確かめなければならない。
殺すのを迷った時に思い当たった結末。最悪の展開を逃れるためにも、封印した張本人に確かめたかった。魔王の封印はいったいどのタイミングで解けてしまうのか今はまだ不明なのだ。つまりそれはいつ復活してもおかしくないということ。
『――話は聞いています。私に何か御用でも?』
この場にいない女性の声が頭に響く。
耳で聞かず直接脳に届く声は白竜以外を驚かす。
「カシェ様。リトゥアールさんを殺したら、魔王の封印が解けたりしませんか?」
『しそうですね。後一人死ねば封印は解除されるでしょう』
さらっと言われた衝撃の事実に今度は白竜も驚く。
魔王の封印はカシェが設定した通り、大陸で死んだ人間の数が関係している。いずれ解けてしまうのは理解していたがこの状況で復活するのは非常にマズい。戦闘終了から少し経ったため多少回復したものの全員まだ疲れている。全滅の可能性は非常に高い。
「うっそ、じゃあこの後すぐ魔王とも戦わなくちゃなんないわけ?」
「うっへえ……俺もうヘットヘトなんだけど」
「全員疲労が溜まっています。しかしリトゥアールが回復されても厄介ですし、やはり戦うしかないようですね。もう〈神衣〉を使う力は残っていませんが……乗り越えなければ未来は掴めませんか」
「あの、カシェ様の御力で再び封印し直すことは出来ませんか?」
封印した張本人が状況を認識しているのは運がいい。
ビュートからの話では弱らせてから封印したらしく、白竜の話では復活直後なら魔王は全力と程遠いらしい。つまり復活直後ならすぐにでも封印可能。本当なら倒してしまいたいが今はタイミングが悪すぎる。
『実は封印には相当なパワーが必要でして。未だそれだけのパワーが回復していませんので不可能なのです。申し訳ありませんがその場にいる面子だけで何とか切り抜けてください。あなた方ならやれると信じています』
状況が全く改善されないのでどちらかといえば不運だった。
「はは、マジかよ……。もう俺〈デスドライブ〉使える気しねえぞ」
「ねえ白竜、アンタは勝てると思うわけ?」
「可能性はあるとしか言えない。どれほど弱体化しているかによる。魔王には神性エネルギーによる攻撃がよく通るはずだ、この場では秘術使いである二人が勝負の鍵になるだろう」
秘術とは魔を滅する力、魔王にも有効と聞けたのは幸運だ。
勝負の鍵と言われて緊張は高まるがすぐ気持ちを鎮める。
現在最優先やすべきことは魔王ではなくリトゥアールの救済。彼女の真正面へと移動して、苦痛なき一撃を放つために神経を研ぎ澄ます。
「……お待たせしました」
「私を忘れてしまったのかと思いましたよ。まあ、いいでしょう。待ちに待った私を終わらせてくれるのですから。最後に、あなたに言いたいことがあります。あなたには――」
突如リトゥアールの発声が聞こえなくなった。
口を開けているのに声が出ていない。
本人も遅れて気付き、強い困惑と焦りを抱く。
「これは……?」
「ふん、変質した神性エネルギーの副作用かもしれんな。あんな禍々しい力に変わっていたんだ、どんなデメリットがあっても不思議じゃない。サトリ、貴様も気を付けるんだな」
「私は彼女のようになりませんよ。決してね」
何を言おうとしたのか気になるが心配はいらない。風の秘術で相手に集中すれば思考すら感じ取ることが出来る。未だ戦闘中に使うには練度が足りないが今なら問題ない。
『感謝しています……だ、そうですよ。エビル』
「あ、ありがとうございます。カシェ様は心を読むことも出来るんですね」
焦りの消えないリトゥアールの思考を感じ取る前にカシェが代弁してくれた。
神ともあろう者が読み間違えるはずないだろうと信じる。感謝の念は確かに伝わって来るため疑う要素はない。思考を感じ取るのは疲れるのでやらなくて済んだのはありがたく思う。
聞きたいことも聞けたのでエビルは真っ直ぐリトゥアールの目を見つめる。
「……僕は黄泉がどんな場所か知りません。でもきっと、あなたにとっては現世で生き続けるより楽なはずです。まずは先に行ったセイエンさんと村長に謝ってください」
未だ焦っている彼女へと剣を振りかぶる。
消えない焦りは推測だが、死ぬと理解したからだろう。
誰だっていざ死ぬ時になれば様々な想いが溢れ出るものだ。
「――さようなら。リトゥアールさん」
息を吐き、彼女の首を一薙ぎで刎ねる。
心臓を貫くよりもこの方が苦しまずに済むとエビルは考えた。実際どちらが楽に死ねるのかは不明だし、一生分かることもない。理解するための実体験は出来ないのだ。
ただ、全く苦しまない死に方は存在しないのかもしれない。なぜなら床に落ちた彼女の顔はとても安らかに眠れるとは思えない表情であったからだ。エビルは静かに、彼女の見開かれた両目を撫でるように閉じた。
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