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第一部 七章 天空神殿
解放の恋心
しおりを挟む闘技場で掻いた汗や、土埃などの汚れを大浴場で流し落とした後。
レミは前を歩く白竜に付いて行って食事部屋へとやって来た。
澄んだ青が揺れている床はまるで海のよう。壁は巨大な鳥が優雅に飛んでいる絵が描かれており、天井は開放的でそもそも存在しなかった。バルコニーらしき場所へは最奥の扉から進めるようだ。
食事部屋には既に二人の男女が席へ着いている。
一人は封印の神カシェ。足元にまで伸びる長い金髪は艶があり、よく手入れをしているのが分かる。頭頂部に乗る銀のティアラは、真ん中に赤い宝石で作られたハートが埋め込まれていて何度見ても綺麗だ。蒲公英色の裾が長いドレスを着ており、肩部分には読めない赤文字が書かれた白い札が何枚も貼られている。
もう一人は死神の末裔セイム。黒髪褐色肌で、黒いボディースーツの上にボロボロの黒いマントを羽織っている。愛用の大鎌は壁際に立てかけられている。
「おっ、レミちゃん。来たか」
いつも通りの姿に安心したレミは「セイム!」と名を呼んで駆け寄った。
言葉で聞くのと実際に会うのでは安心感が違う。まだ一日も経っていないとはいえ久し振りに見た気がする仲間の姿に嬉しくなった。
「まったくアンタは心配かけてえ! カシェ様から聞くまで本当に死んじゃったと思っていたんだからね! まあでも元気そうで何よりだわ!」
「ははは、悪い悪い。……サトリも心配してたか?」
「心配っていうか……アンタが生きてるの知らないからね。見てらんないくらい落ち込んでたわ。再会した時にどう声を掛けるかちゃんと考えておきなさいよ」
気まずそうな顔で問われたのはサトリのことだった。
天空の大地に着いた当初の彼女の落ち込みようはかなり酷かった。動揺のあまりレミは彼女を責めそうになったが言葉を止めていて良かったと思う。今も自分のせいだと思い込んでいる彼女に酷いことを言ってしまえば、これまで紡いできた絆が容易く崩れるかもしれない。
生きているは生きているで衝撃も大きいだろうが安心だ。再会すれば落ち込んだ様子はすぐに改善されるだろう。
「ああそうする。それで、よ。あいつ、何か言ってなかったか?」
「何かって何よ」
「好きがどうとか……俺が死んだこと以外で、何か……さ」
思い返せば何かを隠していたようにも思える。しかしレミにその内容は分からないので何も伝えられない。
「何も言ってなかったわね。何で気になるの? アンタの悪口を言った奴なんていないわよ。別に気にする必要ないと思うんだけど」
「……実は……好きだって叫んじまってよ。……伝わってねえのかなあ」
「は? いや、アンタ今何て言って」
「愛の告白しちまったって話だ。落下してる時に勢いで」
聞き間違いでなければ愛の告白と言っていた。つまりそれはカップルになる時などに言うアレだろう。衝撃発言にレミは「はああああ!?」と驚愕で叫ぶ。
「レミちゃんはどう思う? 死ぬ間際での告白」
「……重いわ、滅茶苦茶重い。アタシがサトリの立場だったらすっごい苦しむと思う。答えようとしても相手が死んでるんじゃ意味ないし。……でもまあ、アンタの気持ちが分からないわけじゃないわ。勢いに任せたとはいえ、気持ちを伝えたことだけは評価しないとね」
好きだという気持ちを伝えるのはどうにも恥ずかしい。友達としてではなく異性としてだとハードルは上がるし、まだレミが初心だというのもある。
少しセイムが羨ましくも思えた。出会った当初は素直になれていなかったのに、まさか先を越されるとは思ってもいなかった。少なくとも魔信教を壊滅させるまで自分の恋心は封印しようと決意していただけに、レミは自分が馬鹿らしくなる。自分は何かと理由を付けて後回しにしていただけだ。
レミだって伝えたい、密かに抱いてしまった自分の恋心を。
純粋に憧れに向かって駆ける……あの、自分にとっての勇者へと。
「――おい、いつまでもくだらん話をするな。席に着け」
彼のことを考えていたレミはハッとして「そうね」と返事をする。
白竜の言う通りだ。別にくだらなくはないと思うが元々ここへ来たのは食事をとるため。むしろ再会して話をする時間をくれただけでもありがたい。白竜なりに気遣ってくれた証拠だ。
カシェ達はまだ食事に手をつけていなかった。おそらくレミが席に着くのを待っていたのだろう。待たせるのは悪いと思ったレミは慌ててセイムの隣の席に腰を下ろす。
改めて見てみると置いてあるテーブルは随分と大きい。横に長いそれの上には豪勢な料理の数々が端から端まで、明らかに四人では食べきれないくらいに用意されていた。
テーブルが大きいからか椅子の数も多い。カシェは最奥の席へ座っており、白竜はその隣。意図したわけではないが向かい合う形で四人は座っている。
「さて、全員揃いましたね。これより十日間、食事はこの四人が揃ってからにしましょう。今までは白竜と二人だったので少し寂しかったですが、人数が倍にもなるとやはり違いますね」
レミは「え」と声を上げる。
四人だ、四人なのだ。サトリがいないのは事情を知っているから納得出来るがエビルがいない。誰かと会わせないようにする必要も彼にはないはず。共に食事が出来ない理由がレミには思い当たらない。
「あの、エビルは呼ばないんですか?」
「サトリは……って俺がいたらダメなのか。まさか断食!?」
「エビルは特訓関係でここへは来れません。サトリには部屋に食事を届けています。よってここへ集まれるのは我々のみ、理解しましたね?」
二人は頷いて肯定を表す。
特訓関係で来れないとはどういった特訓内容なのか気になるところだ。
「それではいただきましょう。どうぞ遠慮せず召し上がってください」
訊きたいが今は食欲を優先するべきかもしれない。気付けば空腹で、レミとセイムの二人の腹からぐうううううううっと音が鳴る。目を丸くした二人は顔を見合わせて苦笑。目前の料理を瞬く間に腹の中へと収め始めた。
アランバートの焼肉を思い出す、こんがりと焼かれたジューシーな肉。ノルドを思い出す魚料理。他にも並んでいる数多くの料理には見たこともないものが多くある。驚くべきはその大半を白竜が一人で食べてしまったことだ。どうやら一見多い食事も適量であったらしい。
さすが神が口にする料理と言うべきか、あまりの美味しさに咀嚼が止まらなかった。さらに衝撃を受けたのはこれらの料理全てをカシェ一人で作ったという事実。容姿端麗で料理も上手など非の打ちどころがない。まさに理想の女性像だとレミは憧れを持つ。
「ふふ、素晴らしい食べっぷりでしたね。満足していただけたようで何よりです。これで夜の特訓も頑張れるでしょう」
「うげっ、まあそうなるわよねえ」
「レミちゃんはどんな特訓してんだ? 随分と嫌そうだけど」
「倒れるまで組手」
うんざりな気持ちを前面に押し出した表情と声を聞いたセイムも理解したらしい。この特訓がどんなに辛いか、想像したようで「うわぁ」と引き気味な顔になる。
遠くでカシェと何やら話をしている元凶に目をやるが気にしていないようだ。……というより話に夢中で気付いていない。あれほど夢中になるなど、白竜がカシェに向ける感情も恋愛的なものなのだろうか。それともレミを見下しすぎているだけだろうか。平然と風呂に入って来たことから後者の方がありえそうだ。
「セイムはどんな特訓してるの? まさか休憩してるだけじゃないわよね。アタシがこんなに苦労してるのに特訓してなかったら恨むわよ」
「い、一応してるって! 俺の特訓はこれだ!」
そう言ったセイムは紅い液体が入ったグラスを見せつけてくる。
飲んだこともないので分からないが思いつくのは赤ワイン。芳しい香りもずっと嗅いでいると癖になりそうだ。
「何よそれ、そういえばここへ来た時からアンタの傍に置いてあったっけ」
「何って……神様の体液」
思わぬ答えにレミは「へ?」と間抜けな声を上げる。
「た、たい、体液って……! え、え、エッチ!」
「想像したのが何かは知らねえけど、これは神様の血だぜ」
「紛らわしい言い方すんな! 普通に血液って言えばよかったじゃない!」
体液と聞いて何を想像したのかは黙秘権を行使する。レミは絶対に言わない。逆に言えば口に出すのも恥ずかしいものを連想していたのだが。
「……で、なんでカシェ様の血を飲むわけ? 飲んで強くなるの?」
「説明されたけどよ、俺も詳細はよく分かってねえんだわ。なんでも代々薄くなっている神性を高めることで〈デスドライブ〉の強化に繋がるらしいぜー。まあ強くなれるなら理屈はどうでもいいけどさ」
「飲むだけでいいとか楽すぎでしょ」
あまりに不公平だと思う。
食事の後にグラス一杯の血を飲むのと、疲労困憊になるまで組手するのでは明らかに前者の方が楽だ。出来ることならレミもそっちがいいのだが聞く限り元々ある神性を高める特訓らしい。元から神性のない、火紋の力を扱っているだけのレミが飲んでも意味なき代物なのだろう。
「……あのさ、レミちゃん。やっぱり不公平だと思うんだよな俺」
「ええそうね、アンタも倒れるまで組手しなさいよ。白竜は滅茶苦茶強いから一人増えても大して変わらないでしょ。決定、はい決定。アンタも地獄を味わいなさい」
「丁重に断る。俺は神様から安静にしてるよう言われてっから。……俺が言ってるのはさ、俺だけ告白したのが不公平に感じるってやつなんだよ」
「何、サトリからも告白してほしいってこと? 実質それって返事じゃない」
「違う違う。俺が言ってるのはさ、レミちゃんのことなんだぜ」
不公平は特訓ではなく告白。ならなぜここで無関係のはずのレミに話が移るのか。
疲労から頭が回らない。いや疲労は食事で回復したはずだ。答えを分かっているからこそ考えないようにしているだけだ。
「――エビルに告白しねえか? 好きなんだろ?」
一瞬、頭が真っ白になった。
思考が再起動してから真っ先に思ったのは……どうして、だろうか。
なぜセイムが自分の気持ちを知っているのか分からない。そんなに自分が分かりやすかったのか、それとも若干気持ちを話したことがあるサトリが伝えてしまったのか。レミはひたすら今考えても遅いことを考える。
真剣な顔つきで真っ直ぐに視線を向けてくるセイム。彼は喋らない、レミが何か言うのを待っている。ごくりと喉を鳴らしたレミは目を逸らして口を開く。
どうしてアンタがそんなことを知ってんのよ、と。小声で。
「見てりゃ分かる、バレバレだったぜ。気付いていないのはエビルくらいなもんだ。あいつがレミちゃんのことをどう思っているのかは俺にも分からねえけどな。少なくとも嫌いじゃねえだろ」
「……何でアタシも告白しなきゃいけないのよ。別に、いいじゃない」
レミはセイムに背を向ける。
今は魔信教をどうにかしなければいけない大事な時期。恋に現を抜かして戦いに支障が出ては目も当てられない。一度好きだと告げてしまえばもう抑えがきかなくなる。エビルの負担になってしまうのは避けたい。
「さっきレミちゃんが言ったよな。死ぬ間際での告白は重いんだろ? 俺もそう思う。だけどさ、死ぬ前に絶対気持ちを伝えたいって思うだろ? こんなことは言いたくねえけどよ、この旅の途中でいつ死んでもおかしくねえんだぜ。……それにモタモタしてっと誰かに盗られちまうかもしれねえし。エビルはよ、結構多くの人間から好かれるタイプだと思うんだわ」
「……まあ、そうでしょうね」
今まで死の一歩手前まで行ってしまったことは何度かある。いつ死んでもおかしくないというのは事実だ。もしかすれば別れも言えずあっさり死ぬかもしれない。
エビルが多くの人間から好かれるタイプというのも同感。なんせ彼と付き合っていて目につく嫌な部分などまるでないのだから。あの純粋さだったり正義感に惹かれる者は今までもいた。運良くといっていいのか、恋愛対象としてエビルを見ていた者はいなかったので問題はなかった。
これから出会う者がエビルに恋するかもしれない。自分より可愛く素敵な女性を見てエビルが恋をするかもしれない。セイムの言うことは尤もで、伝えるなら早く伝えた方がいいのだ。レミの恋が成就する可能性は早い方が高まる。
「……でも、エビルの負担になりたくないの。気持ちを打ち明けて恋人になれたとして……アタシ、結構嫉妬深いかもしれないから。きっと迷惑かけちゃう。……それに、もし……もし……フラれちゃったらって思うとすごく怖いの。きっと今まで通りの関係じゃいられない」
「じゃあレミちゃん自身の負担になるのはいいのか?」
確かに気持ちを伝えずに抑えるのは負担だ。戦闘の時は気持ちを切り替えられると思うし、レミは大丈夫だと信じている。少なくとも愛する者に負担を掛けるよりよっぽどいい。
「レミちゃんが伝えなくてもさ、エビルは直に気付くぜ。風の秘術ってのは神様に訊いたところ熟練者は思考まで感じ取っちまうんだとよ。もちろん全部ってわけじゃねえらしいが。たぶん今回の特訓でエビルはその域に届く。……どうせバレるならよ、俺は自分から言うね。そうなってからじゃそれこそあいつの負担になっちまうだろうし」
「……考えておくわ」
今までは伝えなくてもいいと思っていた。
いつか気持ちを伝えるに相応しい時が来る、そう信じていた。
もしレミとエビルが何の使命も背負わず、ただの村人として過ごす世界があったならと何度思ったことか。別に魔信教との戦いが嫌になったわけではないが平和に生きたかったのも本音である。もしエビルが普通の人間だったら色々と考えずにきっぱり伝えられたはずだ。
「――レミ! 少しこっちへ来い!」
白竜に呼ばれたレミは彼の元へと歩く。
いずれ解決するべき問題を考えながら向かう。彼の傍には座ったままのカシェもいる。なぜ呼ばれたのか、いったい何の話があるのか考える余裕が今はない。
「レミ、これからあなたの疲労を一時的に封印しないかという案を白竜が出しました。特訓にその分励むことは出来ますが辛さは増すでしょう。あなた自身の意見も聞いておきたいのですが」
「貴様が倒れている時間が勿体ない。強くなりたいなら受け入れろ」
「はい、構いません」
セイムの言う通りならエビルにはいずれ自身の恋心がバレてしまう。
隠し通そうという想いを彼が知っては意味がない。余計に気を遣わせる羽目になるだけだ。それならいっそのこと暴露した方がいいかもとは思える。
「……そこまでの覚悟を。分かりました、私はあなたの意思を尊重しましょう」
「はい、ありがとうございます」
色々と考えた結果、レミは恋心を解放することに決めた。
勇気は必要だろう。エビルの答えがどちらにせよ受け止めて、この先も変わらず一緒にいられるよう覚悟しておくべきだ。
小さく「よし」と呟いて、内心で告白しようと決意する。
「では早速天空闘技場へ戻ります。カシェ様、十日後までに必ずこの女の実力を底上げしておきます。どうかご安心ください」
「え、もう行くの? まあいいわ、ちょっとスッキリしたし」
何の話だったのかあまり聞いていなかったが終わったならもういいだろう。失礼かもしれないがレミはそう思い、カシェへと一礼した後に白竜の後へ続く。
あっという間に天空闘技場へ戻って来た二人は早速特訓を再開する。
また〈圧縮炎〉を発動したままの組手だ。もう何も迷わなくなったレミはいつも通りに火を出そうとして――。
「え、何これ……?」
出たのは出そうとした蒼炎じゃない。かといって通常の火でもない。
レミの手で燃えている火の色は紅い。ただ赤いだけでムラのあった通常のものとは違い、澄んだ紅は時折虹色に淡く光る。
普段と違う火の色にレミだけでなく白竜も目を見開いていた。
「それはまさか……聖火?」
「聖火? それって城で燃えている火……」
アランバート王城の頂点で燃え盛っている消えない火、それが聖火。
思い返してみれば手元の火は自国にある平和の象徴と似ている。あちらは虹に光ったりしなかったが色は同様に澄んでいた。何か知っているらしい白竜へとレミは顔を向ける。
白竜が語ったのはレミもまだ知らない、いやアランバート王国の誰もが知らない聖火の真実。
聖火とは元々、火の秘術使いが扱える火の一種。
初心者はどこにでもあるような赤い炎。強靭な精神力と一定の実力を持ち合わせて初めて扱える蒼炎。そして蒼炎とは違い、強くなるのに加えてとある条件を満たすことで扱えるのが聖火。
その条件とは――恋の気持ちを伝えようとすること。
なぜと問えば秘術についての話になる。
秘術とは元々創造神アストラルが人間に魔へ対抗するために与えた代物。何が元になったかといえば創造神の感情である。火の秘術はその中の恋情の力を多く秘めている。
遥か昔、火を扱えるようになった人類は大きく分けて三つの使い道を思いついた。
肉などを焼いて調理するため。獣を追い払うため。そして今でいう結婚をした時の儀式で祝福するため。それらを知っていた創造神は火の秘術にそれらの意味を込めたのだ。
調理。敵の撃退。恋の祝福。この三つこそが火の秘術の役割。
「貴様は今、火の秘術の真価を完全に引き出してみせた。正直これは想定外だ。聖火を出せただけでも相当なパワーアップを果たしたと思っていい」
「聖火……アタシの、新しい力」
「ふっ、後は炎のコントロールや火力を増していくだけだな。まあやることは変わらない。毎日〈圧縮炎〉を使用したまま俺と摸擬戦を行うのみ。さあ、新たな力に浮かれるなよ。強力な力を手にしても上手く扱わなければ無意味。残りの時間で十全に使いこなしてみせろ」
「やってやるわ。ええ、やってやるわよ。全部全部糧にしてやる!」
張り切って組手を再開させたレミ。迎え撃つ白竜。
しかしレミはまだ知らない。先程のカシェからの話を聞いていなかったせいで、自分が疲労などを封印されていることに気付いていない。倒れるまで組手を行うこの特訓からはもう食事や風呂の時間を除いて抜け出すことが出来ない。
戦闘地獄と化した特訓が幕を開けたのである。
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