新・風の勇者伝説

彼方

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第一部 六章 オーブを求めて

立つ

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 理解不能な状況でジークは問いかける。

「お前は……エビル、じゃないのか?」

「俺の名はシャドウ。次にあいつと間違えようものなら……殺すぞ」

 ジークはこの不穏な現場で、未知の異常者が存在していることに言いようのない不安を抱いていた。当然だ、無敵と信じていた機械竜の右腕を切断するような存在は普通じゃない。ついでに見た目も普通じゃない。
 他大陸には黒人だの白人だの肌の色が違う人間が多くいる。だがシャドウの肌は黒人より遥かに黒い、漆黒。エビルと酷似した容姿を置いても異様に気味が悪い。人間ではないと何となく理解出来る。

「……いったいお前はなんなんだ。他人の肉体をコピーでもしたってのか?」

「俺とエビルは他人じゃねえのさ。この世で最も近く、最も遠い存在……それが鬱陶しいことに俺達の関係なんだよ。まあそんなこと置いといてだ、随分と変な野郎がいたもんだ。お前は敢えて悪を望んでいる」

「どういうことだ、悪人なんて山ほどいるじゃないか」

「例えばこの俺は特殊で生まれたときからの悪。大抵のやつらは何かしらのきっかけがあって無意識に悪に寄っていくもんだ。それなのにお前ときたら意識的に悪になろうとしてやがる。そんなことして何の意味があるんだか教えてほしいもんだぜ」

 シャドウは例外として、大抵の人間は確かに悪に傾く理由が存在する。家族や故郷の人々を殺されて盗賊になったジョウがいい例だ。

「……俺が悪になりたい理由は単純。風の勇者に会うためだ!」

 機械竜の額にある赤い水晶から大声で動機が叫ばれる。
 何を言ってるのか理解できず「はぁ?」とシャドウが呟く。

「風の勇者に会うためにはどうすればいいのか。後ろを追いかけるだけでは絶対に辿り着かないと悟った俺は思いついた。俺自身が魔王すら超える巨悪になって倒しに来てもらえば会えるってな! 実に簡単な話だったんだよ!」

「恐ろしいねぇ、熱狂的なファンってやつは。会うためなら手段は選ばねえってか。……でも哀れだねぇ、風の勇者如き人間の雑魚は当に死んでいる。死者に会おうとする努力ほど無駄なもんはねえんだからよ」

「そうかお前は知らないのか、風の勇者は生きているんだよ。生きてまだこの世界から悪をなくそうと頑張って――」

「だーかーらー死んでるっつってんだろうが。ご立派な風の勇者サマでも所詮人間……圧倒的力の前には屈するしかない下等種族だ。勇者らしく死んだ証拠ならあるんだぜ――ここに」

 シャドウが倒れていたエビルの右手首を掴んで持ち上げる。
 薄く緑に輝く竜巻のような紋章がエビルの右手の甲に存在していた。以前ジークが見たときは何の反応もないときだったので気付かなかったが、今ははっきりとその存在を本物だとアピールしている。

「……はっ? まさか……いや、そんなバカな! 風の属性印……本物!? だがそれがエビルの体にあるということは風の勇者は……死んで、いる」

「残念な頭でも理解したようだな。こいつが今代なんだよ、まだ雑魚だがな」

 ジークが以前言っていた風の勇者ファンが入れる刺青は所詮彫っただけで、本物のように薄緑に輝いたりはしない。赤い水晶内で彼はショックを受けて意気消沈していた。
 戦いが中断されたなか、意識を辛うじて取り戻したエビルはシャドウの名を呼ぶ。あまり大きな声を出せる状態ではないためボソボソとした小声だが、耳でそれを拾ったシャドウは顔を向けて見下ろす。

「はっ、お目覚めかよ雑魚。あんな野郎に負けてたら勇者名乗れねえぞ」

「……助けて、くれたの……か?」

「助ける? バカかお前。手駒を失うのは避けたかったんだよ」

 そう言うとシャドウはエビルの右手首から手を放す。
 持たれていただけのエビルはドサッと地面に倒れ、目を閉じる。

 ただ静かに、己の無力さを痛感した。
 分かっていたことだ。エビルは、エビル達は弱い。巨悪と戦うのにはまだまだ力不足。ジークが操る機械竜に手も足も出ないようでは魔信教など到底相手に出来ない。強くなると誓ったくせになんてザマだとすら思う。

『まだ君は秘術を使いこなせていない』

 目を閉じているから何も見えないはずだがエビルには見えた。
 明るい砂色の髪。口元の下には白いマフラー。何年も着ているような着古された服と、汚れ一つない白いマント。見覚えのない人物が……いや、本当に見覚えがなかっただろうか。記憶を辿ってみると行き着く見知らぬ青年がいる。

『守るんだろう? 君の手で、みんなを』

 もう限界のはずの体に喝を入れてエビルは拳を握る。

『なら立ち上がらないとね。その力で、守るために』

 両手両足に力を入れて立ち上がる。

『もしまた会えたら君に全てを教えよう。俺が知る、全てを。だから今はまず目前の敵を倒そう。感じるんだ、あのジークという男の狂ったような憎しみや怒りを。きっともうすぐ、正気に戻って仕掛けてくるはずだよ』

 両目を開き、力の漲った眼差しをジークへ向ける。

「面白えじゃねえか。見せてみろよエビルと愉快な仲間達。お前らが俺にとって有用だってことを、お前らが勇者御一行として頼もしいってことを。あの残念野郎をぶっ潰して見せてみろ」

「……別に、君のためじゃない。戦うのは……僕自身のためだ」

 体力は復活していない、肋骨も折れている。それでも剣を握る力は弱まらない。
 エビル・アグレムはまだ諦めない。勇者だからか、復讐のためか、戦う理由は本人でさえはっきりさせられていない。ただ、戦うのだ。


 * * *


 セイムは走馬灯を見ていた。
 自宅にて、向かい合って座る猫背の老人が話している。それをセイムは顔を背け、面倒そうな顔で聞いている。

「よいか、儂等は死神の末裔。だが段々神の力は弱まり、今ではそこらの人間よりも多少強い程度じゃ。しかしそれを補うのが里長に伝えられる秘技〈デスドライブ〉。これを使えば敵などおらぬ……って聞いておるのかセイム!」

 猫背で白い顎鬚を伸ばし、黒いマントを羽織っている老人は叫ぶ。
 これは聞く態度の悪かったセイムに非がある。自分でも分かっているので「へいへい」と言いつつ老人の方へ顔を向け直す。

「そんで? その秘技とやらを俺に憶えろって話なら前に聞いたし、やってみても出来なかったじゃんかよ。俺には才能ねーんだって」

「バカ者! 秘技じゃぞ、一夕一朝で出来るわけなかろうが! 儂だって習得には十数年を要したんじゃ、気長にやれ」

「気長っつってもよお、もっと簡単に習得出来るようになんねえのかよ」

「そのような方法があるわけ……いや……あるには、あるが」

 バツが悪そうに老人は視線を逸らした。
 簡単に習得出来ると知ったセイムは気をよくして「へぇ」と口角を上げる。

「だが出来ることならお主にはこんな方法を取ってほしくない」

「楽すんなってことか? いいだろ、ちょっとくらい楽したって。そのお手軽に使えるようになる方法教えろよジジイ。里長には興味ねえけど、自衛のためってんなら役に立つだろうしよ」

「――死にかけること」

 予想外の言葉でセイムは「ほぇ?」と間抜けな声を零す。
 死にかけるとは、まあ言葉の通りだろう。簡単に口にするにはあまりに重い。

「じょ、冗談じゃねえぜ! 誰が好き好んでンなことすんだよ!?」

「目の前におるじゃろ。馬鹿な真似をした愚者が」

 老人は真剣な表情だがセイムにはとても信じられなかった。というより信じたくなかった。老人はセイムにとって親代わりだ、死にかけた過去があるなど知りたくもない。嘘だと言ってほしくて「……冗談だろ?」と静かに問う。
 しかし返って来たのは「本当じゃよ」という肯定。

「よいか、死神の血を引く我々は死に近付くことに意味がある。神の力を引き出す〈デスドライブ〉を発動しやすくなったり、それによって引き出される力を上昇させたりじゃ。実質、儂等は死にかければ死にかけるほど強くなると言っていい」

「まさか俺にそれをやれって言うんじゃねえだろうな」

「言ったじゃろ、お主にはやってほしくないと。じゃがどうしても力が欲しい時、もう選択肢がなくてどうしようもなくなった時の最終手段として知っておけ。何も知らないのと一つでも知っているのでは人生の幅が違うからの」

 死にかける状態、それは今だ。セイムは今死にかけている。
 機械竜などという怪物を相手にしたばっかりに瀕死状態だ。でも仲間を助けるため、悪人を倒すためには避けられない戦闘。ゆえにセイム自身がもっと強くなる必要がある。
 目が覚めた彼は大鎌を支えにして立ち上がり、重い瞼を何とか開けて敵を見据えた。


 * * *


 レミ・アランバートは走馬灯を見ている。
 アランバート城の訓練場にて彼女は腕立て伏せをしていた。まだか弱かった頃はよくトレーニングをして疲労で倒れていた。五十回の腕立て伏せを行った彼女は疲労で息を切らし、終了と同時に木製の床へとうつ伏せで転がる。

「……ねえ、ヤコン。アンタは……どうして兵士になったの?」

 息を整えながらレミは傍で立っている金髪の兵士に問う。
 優男に見える金髪の兵士はレミの護衛だ。当初はいらないと宣言していたが今では話し相手として気を許している。

「え、自分ですか? ……俺、弟がいるんですよ、ドランっていうんですけど」

「ああ、何か聞いたことあるかも。新人の兵士だっけ」

「ええ。俺達兄弟は元々貧しい暮らしをしてましてね、よく悪党に目を付けられていました。使い捨ての駒として。……恥ずかしい話、一度だけ窃盗を働いたことがあるんです」

「アタシの前でよく言えるわねそんなこと。まあ黙っといてあげるけどさ」

 仮にも王族であるレミに言っていいようなことではない。ただ罪を打ち明けてくれたのは信頼の証ともとれる。互いに気を許し合う主従関係というのもいいものだ、素直にレミは嬉しく思う。

「でも所詮は利用されていただけで、俺の取り分は一割ってところでした。抗議したら暴行を受けて丸二日寝込みましたよ」

「酷いわね……」

「弱かったから利用されたんです。強くなければ弟も、自分すら守れない。だからどんな道であれ強くなろうと決めました。兵士になったのは成り行きみたいなもんですね。あっ、今はちゃんと人助けのためにやってますけど」

「そう、なんだ」

「ええ、ですから俺はレミ様を尊敬してますよ」

 いきなりそんなことを言われてレミは「はあ!? 何でよ!?」と頬を赤くして叫ぶ。しんみりした雰囲気が一瞬で消し飛んでしまった。

「レミ様は強くなろうと努力している。誰かを助けるため、弱さを悔いて変わろうとしている。俺は信じていますよ。あなたがどんな道を歩んでも、必ず誰かを助けられる立派な人間になることを。……そしていつか秘術を受け入れて、聖火のように人々の心を支えて……いえ、何でもありません」

 炎のように心が燃え上がる。意識を失ってから消えかけていた心の炎が輝きを取り戻す。両手に火を纏いながらゆっくりと、レミ・アランバートは再び立ち上がってみせた。
 鉄の竜を焼き尽くすために、誰かの支えとなるために。


 * * *


 サトリは走馬灯を見ていた。
 プリエール神殿の自室で妹と談笑している時間。
 プラチナブロンドの髪を肩で揃えている妹、サリーは少し幼い。白を基調とした法衣を着用しているが未だ神官としては未熟であるし、神官としての仕事はとある事情から一度も任されたことがない。

「姉さん、聞いたよ。今度大神官になるって本当なの?」

「まだ決定したわけではありません。あくまで候補の一人に選ばれただけです」

「やっぱり姉さんは凄いね。大神官からいっぱい仕事任されているし、魔物討伐も誰より成果を挙げてる。簡単な雑用しかやったことない私とは違うね」

 真面目に仕事に取組み、魔物討伐で成果を挙げて自身の有用性を示す。大神官とは出来る限り交友を深めておいた甲斐があったというものだ。当然苦労は多かった。仕事は慣れるのに時間がかかったから怒られたこともあるし、魔物討伐では油断したり実力不足で他人に助けられたこともある。それでも諦めず熱心に研鑽を重ねて今に至る。

「でも、ちょっと頑張りすぎてない?」

「そんなことは……」

「絶対頑張りすぎ! 姉さんだって人間なんだから体は大事にしないと」

 確かに強くなるという点において努力は惜しまなかった。特訓のしすぎで血反吐を吐いたことすらある。自分を追い詰めることで成長を促していたのは事実だ。

「まあ姉さんには言っても無駄だと思うけど……。これをあげる」

 青い小箱が机に置かれたのでサトリは手に取り、中身を確かめる。
 蓋を開けて視界に入ったものを見て「これは……」と呟く。中に入っていたのは銀の十字架のネックレスであった。

「アスライフ大陸だとね、銀を身に付けていると災いを退けるって言われているんだって。だから姉さん、大神官候補に選ばれたお祝いでこれをあげる。きっとこれからも大変だと思うから」

「ふっ、ありがとうございますサリー。ええそうですね、きっと大変な道のりになるでしょう。それを乗り越えるためにもこのネックレスを肌身離さず持っておきましょう」

 現実で開眼したサトリは首にある銀のネックレスを撫でる。
 鎖に触れる手をゆっくりと下へ持っていき、先端にある十字架を握りしめた。同時に錫杖を持つ手にも力を入れて無理やり体を動かす。錫杖を支えにして立ち上がった彼女の目には、同じく立ち上がっている三人の仲間が映っていた。
 サトリは、仲間達は、まだ敗北していない。
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