夢幻の終焉

入江瑞溥

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罪科の現出

虚ろいゆくもの

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 れ去られていく黒髪の少女を見送っていたクロリスに、横手から横柄おうへいな声が掛けられた。
「おい、お前はあいつの仲間なのか!」
「そんな訳ないだろう」気分を害し、憮然ぶぜんとして答える。「君のその態度。僕が何者だか分かった上でのことなのかな」
 鈍感な衛兵は胡乱うろんげに彼をジロジロと眺めたあげく、ようやく徽章きしょうに気が付いた。
 いくぶん顔を青ざめさせながら、サッと敬礼する。
「し、失礼いたしました。どうぞお通り下さい」
 誰でも魔法が使えるとはいえ、それを攻撃に用いられるほど魔力が高い者は余り多くない。しかも、その数少ない人種の大多数を占めるのは高位貴族であるため、一般兵と魔法兵では後者の方が格上となる。まして都市の一般兵と国軍の魔法兵とでは天地程とはいかないまでも、かなりの身分差が存在する。すなわち、彼の言動一つでこの衛兵を首にすることも不可能ではない。
 や汗を浮かべている衛兵に、とげを多分に含ませつつ、取り調べなくてもいいのかと揶揄やゆする。
「はっ。魔法隊ディゼンスかたがあのようないやしい犯罪者風情ふぜいの仲間であるはずはございませんので……」
 皮肉げな笑みを口辺に漂わせ、悠々ゆうゆうと門をくぐって宿屋街を目指す。この制服を着用してさえいれば高級宿でも中級宿並の料金で泊まれるので心情としてはそちらにしたかったのだが、まずは何があってレベッカが捕まることになったのか、それを調べる必要があった。情報が伏せられている可能性も考慮すると、公の規制が及びにくい下町の方が都合つごうがいい。
 クロリスは住宅街に近い、民家を多少マシにした程度の外観の、粗末な木造宿屋のうちの一軒に入った。羊皮紙ようひしを何枚か重ねてじただけの簡素な台帳に署名し、二階のいている部屋を探して荷物を置く。鎧戸よろいどを開け、薄暗い室内に明かりを取り込むと同時に空気の入れ替えをし、ようやく一息ついて肩の上の鳥に話しかける。傍目はためからみると頭のイカレたやつか寂しい奴にしか見えないだろうな、という考えがふと脳裏をよぎった。
「ホースケ、ちょっと頼まれてくれないかな。レベッカがどういう事になっているか、偵察ていさつしてきて欲しいんだけど」
 偵察。使い魔ならばともかく、普通の動物にできるような芸当ではない。だが、この鳥にはそれが可能らしいということが、ここ半月はんつきほどの付き合いでわかってきた。とはいっても、使い魔のようにあからさまに言葉を発することはない。何となく考えていることが読み取れるという感じだ。感覚としては、リネスの神授しんじゅ魔法に近いだろうか。
 ホースケは一つうなずくと、窓から飛び立っていった。

                  §§§
 
 領主の御前ごぜんに連行され、ひざをつかされる。
 きつく巻かれたロープが手に食い込む。手首から先は紫色に変色しているのではないだろうか。
「そのほうの顔はよく記憶しておるぞ。何故なにゆえ捕まったのか、身に覚えはあろうな」
いいえ御座居ございません」
「よくもぬけぬけと。ときに、れの二人はどうした。一緒ではないのか?」
「彼女達は――」
 どう返答しようかと迷った一瞬の間を突き、発言しようとした声に覆いかぶさるようにして、領主の言葉が発せられる。その目が、得たりとばかりに光ったような気がした。
「答えられぬであろうな。その方達の三文芝居さんもんしばいにまんまとだまされたわ。報奨金を取られた上に首尾しゅびよく脱走されてしまうとは。だが、ここで捕まったが運の尽き。仲間の居場所も含め、洗いざらい吐かせてくれる!」
 領主が衛兵に目配せする。レベッカは乱暴に立たされ、どつかれる。後ろから、ろうの者どもを釈放しゃくほうせよ、という声が聞こえた。

                  §§§

 よほど疲れていたのか、起きると辺りがに照らされていた。どうやら三時間ぐらい眠っていたようだ。しかし、まだ動きだすには早い。軽食でもとりながら時間をつぶそうか。ついでに有益な材料も集まれば、手間がはぶけて良いのだが。
 固い木の寝台の弊害へいがいか、体全体が凝っているような感じがした。全然休んだ気がしない。  
 今一つさえない頭で部屋を出、鍵を掛けながら、この宿には食堂が無いことにふと思い至った。
 億劫おっくうだが、仕方ない。さいわい、比較的すぐのところに数軒すうけんほど飲食店があったはずだ。なるべく近くで済ませよう。
 受付を通り過ぎざまに一応ことわりを入れ、ゆか板のきしみを引きずりながら宿を出る。都合つごうよくも、向かいに食堂があった。きっと繁盛はんじょうしているに違いない。
 店内の光源は『照明』ではなく蝋燭ろうそくだったので、鎧戸よろいどけ放っているとはいっても、外の涼しい空気にれた身には室内は暑く感じられた。
 なるべく蝋燭から離れた、中央付近の席に着く。
 夕食には心持ち早めの時間ゆえか、客はまばらだった。その数少ない客の中には安酒をあおり、つまみの焼きぐしにかぶりついている労働者風の者もいる。
 さて、誰にしようか。
 冒険者ぼうけんしゃ連中にくのがもっとも確実だが、彼らはそう容易よういには口を割ってくれないものだ。できるだけ軽そうなやつがいい。あるいは情報の正確性をそこなうかもしれない覚悟で、さまざまな人間の話を漏れ聞く機会に恵まれている店員を当たってみるというのも手かもしれない。
 あれこれと思念をめぐらせていると、お待たせしました、という声と共に水の入ったコップが置かれた。若い女の声だ。
 顔を上げる。十四、五歳といったところか。なかなか可愛かわいい娘だ。まだ初心なのか、目が合うと微妙にぎこちない笑みを浮かべた。
 このにしよう。
 即座に決断した。
 人当たりのよい微笑を向け、
「ちょっと良いかな」
「は、はい。何でしょうか」
 とまどいと不安をのぞかせて、少しうつむき加減になってこたえる。
「しばらくこの町に滞在しようと思っているんだけれど、なにせ土地かんがないだろう?ここら界隈かいわいについて、少し教えてもらいたいんだ」
「でも……まだ仕事中なので……」
 少女は、その逡巡しゅんじゅんする心の内をあらわすかのように視線をさまよわせ、ごにょごにょと言う。
 まあ、無理もない反応だ。しかし、脈はある。
「そんなに時間は取らせないよ。まだむまでには猶予ゆうよがあるんだろう?」
 チラとカウンターがある一隅いちぐうに目をやる。
 少女もつられてそちらに顔を向ける。
 店員が二人ほど談笑していた。
「さ、座って」
 少女はおずおずと腰掛けた。
「名前、何て言うの?」
「キャロル……です」
「可愛い名前だね」
 ニッコリと笑う。
 キャロルがほおをうっすらと紅潮させて瞳を伏せた。
 こういったことに余り耐性はないようだ。これなら、そう小細工こざいくろうさずともよさそうだ。
「まだ店に出て日が浅いの?」
「はい。あの……」上目遣うわめづかいで遠慮がちに彼に問う。「どこか、わたし変だったでしょうか?」
「そんな事ないさ。ぎこちない所はあったけれど、ちゃんと応対できていたよ」
 本題からはまるで関係のない会話を重ねる。そうして、キャロルの態度がだいぶくつろいできた頃。
「そういえば」
 さりげなく話題を切り出す。
 不自然にならない程度に声を落として、
「この街に入るときに随分ずいぶんじっくりと取り調べられたけれど、何かあったの?」
「ああ、あれ」キャロルが周囲に視線を走らせて、心持ち身を乗りだす。「わたしも詳しくは知らないんだけど、どうも少し前にろうに捕まっていた野盗たちが脱走したみたいなんですよ。しかもそれだけじゃなくて、リルガースの近くで死んでいるのが発見されたとか。領主様はそうはおっしゃられていないんだけれど、そのせいなんじゃないかってウワサがあるわ」
「それってもしかして、この近くの洞窟どうくつに巣くっていた奴らのことかい?」
 以前レベッカから聞いた話を想起しながら尋ねる。
「そうです。なんでも、捕まえたのはわたしと同いどしくらいの女神めがみも顔負けの美少女と、絶世ぜっせい美貌びぼう貴公子きこうしのカップルだったとかで、わたしたちの間ではかなり話題になったんですよ」
 余り期待はしていなかったのだが、思いがけず良い拾い物をした。彼女がもたらした情報は、おそらく真相に迫るものに違いない。
 表面ではキャロルと会話を続けつつも、かれはすでに意識の大半を思索へと傾けていた。
 手持ちの材料で最も黒に近いのは、リネスの王女の誘拐ゆうかいを野盗に命じたという依頼人――同時に、あの魔法陣まほうじんを生成し、たぶん王家を壊滅させた者たちの、ごく近い関係者でもあろう――だ。しかし、そんなことを領主が知るよしもないし、そもそも大事なのはそこではない。事が起こってから約二カ月。一刻も早くふたをしたい所に現れた、恰好かっこうの素材だ。このまま行けば…………。
 冗談じょうだんではなかった。レベッカは大切な存在だ。まだ失うわけにはいかない。幸いにして、彼の生家は格式だけは無駄にある。それを拝借はいしゃくすれば、どうにかできるはずだ。
 
                  §§§

 地下ということも手伝って、石牢いしろうの中は肌寒かった。当然装備は全部没収されたので、今はよろい下の衣服しか身に着けていない。多少の防寒性はあるが、それだけのものだ。この牢の唯一の備品であるり切れた毛布もうふでどうにか耐え忍ぶしかあるまい。もっとも、どの道そう長い付き合いにはならないだろうが。
れは、裁かれぬ罪を抱えたわたしへの裁きなのかも知れないな)
 そんな考えがかすめ、レベッカは自嘲じちょう気味ぎみに笑った。

                  §§§

 翌朝、謁見えっけんには早いが失礼にはならない程度の時刻に、クロリスは領主の館へ参上した。
 彼に気付いた門番が誰何すいかの声をあげる。
「待て待て、まだ謁見の時間ではないぞ」
 言い終え、おや、という表情で風になびく彼の髪を収める帽子ぼうしに目を凝らした門番は、慌てて態度を改めた。
「これはこれは。かような時間にご足労、ご苦労様です。どのような御用でございましょうか」
至急しきゅう領主に会いたいんだ。話を通してくれないかな」
 ひっきりなしに叩きつけてくる空気のかたまりに目を細めながら、クロリスは命じる。
 年配ねんぱいの門番が困ったように顔をくもらせた。
「それは致しかねます。今しばらくお待ち頂けないでしょうか?さすれば優先して君公くんこうにお目通めどおり頂きますので……」
 クロリスは眉をはね上げた。
「へえ。このベレスフォード直々じきじきの頼みでも、断るというんだね?」
 家紋かもん――クローバーの花冠はなかんむりいただくうぐいす――を刻印した指輪をはめた手を、無礼ぶれいな門番の眼前に突きつける。
 彼は気絶しそうなくらい急激に血相けっそうを変えた。
 無理もない。
 ベレスフォード公爵こうしゃく家といえば、リルガース王家に次ぐ格式を誇る名門である。古くはダルクトかリネスのどちらかを祖に持つとされ、およそ百五十年前に反乱を起こしおこされた現王家よりも長い歴史がある。その血統けっとう、そして父祖ふその多大なる功績による領民からの高い支持を背景に、盛期の権勢を失ってなお大きな影響力を有している、大貴族の間でも一目置かれる家柄だ。
「な、なにとぞ、しばらくお待ち下さいませ!ただいま案内あないの者を寄越よこしますゆえ」
 ハチドリの羽ばたきに匹敵ひってきするのではないかという、ものすごい勢いでてい内に姿を消す。
 動顛どうてんした様子ようす侍女じじょにつれていかれた応接室で、供された茶と茶菓子ちゃがしたしなみほどに口をつけて待つことしばし。執事がわざわざ出迎えに現れた。
「ベレスフォード様、ようこそおで下さいました。準備がととのいましたゆえ、御案内致します」
 執事しつじに導かれて通されたのは、謁見のではなかった。
 これは彼にとっても予想外の待遇だった。普段はとりわけて意識しない家門かもんの偉大さを、ささやかながら認識する。
「久しいな、シルスェン子爵ししゃく
御無沙汰ごぶさた致しております」
 さらに待つこと十数分。
 ようやくあらわれた領主を出迎え、深々ふかぶかと礼をとる。
「ヴィセコきょうにおかれましては益々ますます御健勝ごけんしょうぶり、まことよろこばしく存じ上げます」
 うやうやしく、宮廷きゅうてい仕様しようの口調で決まり文句を並べ立てる。
 家格ははるかに上であるものの、爵位しゃくいは彼の方が下なので仕方がない。
「かような見苦みぐるしき身なりで参上致しましたこと、恐縮のきわみで御座います。事は急を要すると判断致しましたがゆえ。どうか御容赦ごようしゃを」
「何だ。申してみよ」
「実は昨日さくじつ捕らえられたぞくは、私の研究材料なので御座います。あれが真に卿がお考えのような者であるならば、私とて手放すことに何の未練も御座いません。ですがいまだ確たるものでないならば、今しばらく私に預けてはいただけないでしょうか」
「ふむ、それはそれは……」
 領主が目をすがめ、考え込んだ。
 それへ、控えていた執事が耳打ちをする。
 領主は幾度いくたびかうなずいたのち、彼に向きなおった。
「承知した。翌々日の取り調べののち、沙汰を致そう」
何卒なにとぞ、よしなに」

                  §§§

 尋問じんもんは予想に反してごく軽く、拷問ごうもんの影もなかった。ろうに入れられたまま、簡単な質問を二、三受けただけだ。
 かんぐりを入れていると、尋問官が去って間もなく階段を下りる複数の足音がした。やはりかと身構みがまえるが、しかし、あらわれたのは牢番と茶髪の青年だった。それで、得心とくしんがいった。
 金属がこすれ合う嫌な音を響かせて、牢の扉が開く。
 牢番があごをしゃくった。
「ヴィセコきょうにしてみれば、僕を敵に回してまで犯罪の証拠も何もない君を拘束こうそくする利点はないからね。助けることが出来て、本当に良かったよ」
 彼女の荷物が保管してあるという倉庫へ案内される道すがら、クロリス。
 それへ、謝辞を述べる。
 ……が。
 
 心の底から、そう思っているのだろうか。
 
 それは、とても小さなさざ波だった。けれど一度ひとたびび起こされてしまえば幾重いくえにもつらなり、消えることはない。
 
 このまま放っておいてくれれば、我が身を責めさいなむ苦痛から、逃れることができただろうに。
 
 彼女の中の、何かがささやいた。
 
 その声に、耳をふさいで。
 レベッカは彼女の漆黒しっこくよろいに手をれた。
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