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罪科の現出
虚ろいゆくもの
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連れ去られていく黒髪の少女を見送っていたクロリスに、横手から横柄な声が掛けられた。
「おい、お前はあいつの仲間なのか!」
「そんな訳ないだろう」気分を害し、憮然として答える。「君のその態度。僕が何者だか分かった上でのことなのかな」
鈍感な衛兵は胡乱げに彼をジロジロと眺めたあげく、ようやく徽章に気が付いた。
いくぶん顔を青ざめさせながら、サッと敬礼する。
「し、失礼いたしました。どうぞお通り下さい」
誰でも魔法が使えるとはいえ、それを攻撃に用いられるほど魔力が高い者は余り多くない。しかも、その数少ない人種の大多数を占めるのは高位貴族であるため、一般兵と魔法兵では後者の方が格上となる。まして都市の一般兵と国軍の魔法兵とでは天地程とはいかないまでも、かなりの身分差が存在する。すなわち、彼の言動一つでこの衛兵を首にすることも不可能ではない。
冷や汗を浮かべている衛兵に、刺を多分に含ませつつ、取り調べなくてもいいのかと揶揄する。
「はっ。魔法隊の方があのような卑しい犯罪者風情の仲間であるはずはございませんので……」
皮肉げな笑みを口辺に漂わせ、悠々と門をくぐって宿屋街を目指す。この制服を着用してさえいれば高級宿でも中級宿並の料金で泊まれるので心情としてはそちらにしたかったのだが、まずは何があってレベッカが捕まることになったのか、それを調べる必要があった。情報が伏せられている可能性も考慮すると、公の規制が及びにくい下町の方が都合がいい。
クロリスは住宅街に近い、民家を多少マシにした程度の外観の、粗末な木造宿屋のうちの一軒に入った。羊皮紙を何枚か重ねて綴じただけの簡素な台帳に署名し、二階の空いている部屋を探して荷物を置く。鎧戸を開け、薄暗い室内に明かりを取り込むと同時に空気の入れ替えをし、ようやく一息ついて肩の上の鳥に話しかける。傍目からみると頭のイカレた奴か寂しい奴にしか見えないだろうな、という考えがふと脳裏をよぎった。
「ホースケ、ちょっと頼まれてくれないかな。レベッカがどういう事になっているか、偵察してきて欲しいんだけど」
偵察。使い魔ならばともかく、普通の動物にできるような芸当ではない。だが、この鳥にはそれが可能らしいということが、ここ半月ほどの付き合いで判ってきた。とはいっても、使い魔のようにあからさまに言葉を発することはない。何となく考えていることが読み取れるという感じだ。感覚としては、リネスの神授魔法に近いだろうか。
ホースケは一つうなずくと、窓から飛び立っていった。
§§§
領主の御前に連行され、膝をつかされる。
きつく巻かれたロープが手に食い込む。手首から先は紫色に変色しているのではないだろうか。
「その方の顔はよく記憶しておるぞ。何故捕まったのか、身に覚えはあろうな」
「否、御座居ません」
「よくもぬけぬけと。ときに、連れの二人はどうした。一緒ではないのか?」
「彼女達は――」
どう返答しようかと迷った一瞬の間を突き、発言しようとした声に覆い被さるようにして、領主の言葉が発せられる。その目が、得たりとばかりに光ったような気がした。
「答えられぬであろうな。その方達の三文芝居にまんまと騙されたわ。報奨金を取られた上に首尾よく脱走されてしまうとは。だが、ここで捕まったが運の尽き。仲間の居場所も含め、洗いざらい吐かせてくれる!」
領主が衛兵に目配せする。レベッカは乱暴に立たされ、どつかれる。後ろから、牢の者どもを釈放せよ、という声が聞こえた。
§§§
よほど疲れていたのか、起きると辺りが緋に照らされていた。どうやら三時間ぐらい眠っていたようだ。しかし、まだ動きだすには早い。軽食でもとりながら時間を潰そうか。ついでに有益な材料も集まれば、手間が省けて良いのだが。
固い木の寝台の弊害か、体全体が凝っているような感じがした。全然休んだ気がしない。
今一つさえない頭で部屋を出、鍵を掛けながら、この宿には食堂が無いことにふと思い至った。
億劫だが、仕方ない。幸い、比較的すぐのところに数軒ほど飲食店があったはずだ。なるべく近くで済ませよう。
受付を通り過ぎざまに一応断りを入れ、床板の軋みを引きずりながら宿を出る。都合よくも、向かいに食堂があった。きっと繁盛しているに違いない。
店内の光源は『照明』ではなく蝋燭だったので、鎧戸を開け放っているとはいっても、外の涼しい空気に触れた身には室内は暑く感じられた。
なるべく蝋燭から離れた、中央付近の席に着く。
夕食には心持ち早めの時間ゆえか、客はまばらだった。その数少ない客の中には安酒をあおり、つまみの焼き串にかぶりついている労働者風の者もいる。
さて、誰にしようか。
冒険者連中に訊くのが最も確実だが、彼らはそう容易には口を割ってくれないものだ。できるだけ軽そうな奴がいい。あるいは情報の正確性を損なうかもしれない覚悟で、さまざまな人間の話を漏れ聞く機会に恵まれている店員を当たってみるというのも手かもしれない。
あれこれと思念を巡らせていると、お待たせしました、という声と共に水の入ったコップが置かれた。若い女の声だ。
顔を上げる。十四、五歳といったところか。なかなか可愛い娘だ。まだ初心なのか、目が合うと微妙にぎこちない笑みを浮かべた。
この娘にしよう。
即座に決断した。
人当たりのよい微笑を向け、
「ちょっと良いかな」
「は、はい。何でしょうか」
とまどいと不安をのぞかせて、少しうつむき加減になって応える。
「しばらくこの町に滞在しようと思っているんだけれど、なにせ土地勘がないだろう?ここら界隈について、少し教えて貰いたいんだ」
「でも……まだ仕事中なので……」
少女は、その逡巡する心の内を現すかのように視線をさまよわせ、ごにょごにょと言う。
まあ、無理もない反応だ。しかし、脈はある。
「そんなに時間は取らせないよ。まだ混むまでには猶予があるんだろう?」
チラとカウンターがある一隅に目をやる。
少女もつられてそちらに顔を向ける。
店員が二人ほど談笑していた。
「さ、座って」
少女はおずおずと腰掛けた。
「名前、何て言うの?」
「キャロル……です」
「可愛い名前だね」
ニッコリと笑う。
キャロルが頬をうっすらと紅潮させて瞳を伏せた。
こういったことに余り耐性はないようだ。これなら、そう小細工を弄さずともよさそうだ。
「まだ店に出て日が浅いの?」
「はい。あの……」上目遣いで遠慮がちに彼に問う。「どこか、わたし変だったでしょうか?」
「そんな事ないさ。ぎこちない所はあったけれど、ちゃんと応対できていたよ」
本題からはまるで関係のない会話を重ねる。そうして、キャロルの態度がだいぶくつろいできた頃。
「そういえば」
さりげなく話題を切り出す。
不自然にならない程度に声を落として、
「この街に入るときに随分じっくりと取り調べられたけれど、何かあったの?」
「ああ、あれ」キャロルが周囲に視線を走らせて、心持ち身を乗りだす。「わたしも詳しくは知らないんだけど、どうも少し前に牢に捕まっていた野盗たちが脱走したみたいなんですよ。しかもそれだけじゃなくて、リルガースの近くで死んでいるのが発見されたとか。領主様はそうは仰しゃられていないんだけれど、そのせいなんじゃないかってウワサがあるわ」
「それってもしかして、この近くの洞窟に巣くっていた奴らのことかい?」
以前レベッカから聞いた話を想起しながら尋ねる。
「そうです。なんでも、捕まえたのはわたしと同い年くらいの女神も顔負けの美少女と、絶世の美貌の貴公子のカップルだったとかで、わたしたちの間ではかなり話題になったんですよ」
余り期待はしていなかったのだが、思いがけず良い拾い物をした。彼女がもたらした情報は、おそらく真相に迫るものに違いない。
表面ではキャロルと会話を続けつつも、かれはすでに意識の大半を思索へと傾けていた。
手持ちの材料で最も黒に近いのは、リネスの王女の誘拐を野盗に命じたという依頼人――同時に、あの魔法陣を生成し、たぶん王家を壊滅させた者たちの、ごく近い関係者でもあろう――だ。しかし、そんなことを領主が知るよしもないし、そもそも大事なのはそこではない。事が起こってから約二カ月。一刻も早く蓋をしたい所に現れた、恰好の素材だ。このまま行けば…………。
冗談ではなかった。レベッカは大切な存在だ。まだ失うわけにはいかない。幸いにして、彼の生家は格式だけは無駄にある。それを拝借すれば、どうにかできるはずだ。
§§§
地下ということも手伝って、石牢の中は肌寒かった。当然装備は全部没収されたので、今は鎧下の衣服しか身に着けていない。多少の防寒性はあるが、それだけのものだ。この牢の唯一の備品である摩り切れた毛布でどうにか耐え忍ぶしかあるまい。もっとも、どの道そう長い付き合いにはならないだろうが。
(此れは、裁かれぬ罪を抱えたわたしへの裁きなのかも知れないな)
そんな考えが掠め、レベッカは自嘲気味に笑った。
§§§
翌朝、謁見には早いが失礼にはならない程度の時刻に、クロリスは領主の館へ参上した。
彼に気付いた門番が誰何の声をあげる。
「待て待て、まだ謁見の時間ではないぞ」
言い終え、おや、という表情で風になびく彼の髪を収める帽子に目を凝らした門番は、慌てて態度を改めた。
「これはこれは。かような時間にご足労、ご苦労様です。どのような御用でございましょうか」
「至急領主に会いたいんだ。話を通してくれないかな」
ひっきりなしに叩きつけてくる空気の塊に目を細めながら、クロリスは命じる。
年配の門番が困ったように顔を曇らせた。
「それは致しかねます。今しばらくお待ち頂けないでしょうか?さすれば優先して君公にお目通り頂きますので……」
クロリスは眉をはね上げた。
「へえ。このベレスフォード直々の頼みでも、断るというんだね?」
家紋――クローバーの花冠を戴く鶯――を刻印した指輪をはめた手を、無礼な門番の眼前に突きつける。
彼は気絶しそうなくらい急激に血相を変えた。
無理もない。
ベレスフォード公爵家といえば、リルガース王家に次ぐ格式を誇る名門である。古くはダルクトかリネスのどちらかを祖に持つとされ、およそ百五十年前に反乱を起こし興された現王家よりも長い歴史がある。その血統、そして父祖の多大なる功績による領民からの高い支持を背景に、盛期の権勢を失ってなお大きな影響力を有している、大貴族の間でも一目置かれる家柄だ。
「な、なにとぞ、しばらくお待ち下さいませ!ただいま案内の者を寄越しますゆえ」
ハチドリの羽ばたきに匹敵するのではないかという、ものすごい勢いで邸内に姿を消す。
動顛した様子の侍女につれていかれた応接室で、供された茶と茶菓子に嗜みほどに口をつけて待つことしばし。執事がわざわざ出迎えに現れた。
「ベレスフォード様、ようこそお出で下さいました。準備が整いましたゆえ、御案内致します」
執事に導かれて通されたのは、謁見の間ではなかった。
これは彼にとっても予想外の待遇だった。普段はとりわけて意識しない家門の偉大さを、ささやかながら認識する。
「久しいな、シルスェン子爵」
「御無沙汰致しております」
さらに待つこと十数分。
ようやく現れた領主を出迎え、深々と礼をとる。
「ヴィセコ卿におかれましては益々の御健勝ぶり、誠に慶ばしく存じ上げます」
うやうやしく、宮廷仕様の口調で決まり文句を並べ立てる。
家格は遥かに上であるものの、爵位は彼の方が下なので仕方がない。
「かような見苦しき身なりで参上致しましたこと、恐縮の極みで御座います。事は急を要すると判断致しましたがゆえ。どうか御容赦を」
「何だ。申してみよ」
「実は昨日捕らえられた賊は、私の研究材料なので御座います。あれが真に卿がお考えのような者であるならば、私とて手放すことに何の未練も御座いません。ですが未だ確たるものでないならば、今しばらく私に預けてはいただけないでしょうか」
「ふむ、それはそれは……」
領主が目をすがめ、考え込んだ。
それへ、控えていた執事が耳打ちをする。
領主は幾度かうなずいた後、彼に向きなおった。
「承知した。翌々日の取り調べの後、沙汰を致そう」
「何卒、よしなに」
§§§
尋問は予想に反してごく軽く、拷問の影もなかった。牢に入れられたまま、簡単な質問を二、三受けただけだ。
勘ぐりを入れていると、尋問官が去って間もなく階段を下りる複数の足音がした。やはりかと身構えるが、しかし、現れたのは牢番と茶髪の青年だった。それで、得心がいった。
金属がこすれ合う嫌な音を響かせて、牢の扉が開く。
牢番があごをしゃくった。
「ヴィセコ卿にしてみれば、僕を敵に回してまで犯罪の証拠も何もない君を拘束する利点はないからね。助けることが出来て、本当に良かったよ」
彼女の荷物が保管してあるという倉庫へ案内される道すがら、クロリス。
それへ、謝辞を述べる。
……が。
心の底から、そう思っているのだろうか。
それは、とても小さなさざ波だった。けれど一度喚び起こされてしまえば幾重にも連なり、消えることはない。
このまま放っておいてくれれば、我が身を責め苛む苦痛から、逃れることができただろうに。
彼女の中の、何かがささやいた。
その声に、耳をふさいで。
レベッカは彼女の漆黒の鎧に手を触れた。
「おい、お前はあいつの仲間なのか!」
「そんな訳ないだろう」気分を害し、憮然として答える。「君のその態度。僕が何者だか分かった上でのことなのかな」
鈍感な衛兵は胡乱げに彼をジロジロと眺めたあげく、ようやく徽章に気が付いた。
いくぶん顔を青ざめさせながら、サッと敬礼する。
「し、失礼いたしました。どうぞお通り下さい」
誰でも魔法が使えるとはいえ、それを攻撃に用いられるほど魔力が高い者は余り多くない。しかも、その数少ない人種の大多数を占めるのは高位貴族であるため、一般兵と魔法兵では後者の方が格上となる。まして都市の一般兵と国軍の魔法兵とでは天地程とはいかないまでも、かなりの身分差が存在する。すなわち、彼の言動一つでこの衛兵を首にすることも不可能ではない。
冷や汗を浮かべている衛兵に、刺を多分に含ませつつ、取り調べなくてもいいのかと揶揄する。
「はっ。魔法隊の方があのような卑しい犯罪者風情の仲間であるはずはございませんので……」
皮肉げな笑みを口辺に漂わせ、悠々と門をくぐって宿屋街を目指す。この制服を着用してさえいれば高級宿でも中級宿並の料金で泊まれるので心情としてはそちらにしたかったのだが、まずは何があってレベッカが捕まることになったのか、それを調べる必要があった。情報が伏せられている可能性も考慮すると、公の規制が及びにくい下町の方が都合がいい。
クロリスは住宅街に近い、民家を多少マシにした程度の外観の、粗末な木造宿屋のうちの一軒に入った。羊皮紙を何枚か重ねて綴じただけの簡素な台帳に署名し、二階の空いている部屋を探して荷物を置く。鎧戸を開け、薄暗い室内に明かりを取り込むと同時に空気の入れ替えをし、ようやく一息ついて肩の上の鳥に話しかける。傍目からみると頭のイカレた奴か寂しい奴にしか見えないだろうな、という考えがふと脳裏をよぎった。
「ホースケ、ちょっと頼まれてくれないかな。レベッカがどういう事になっているか、偵察してきて欲しいんだけど」
偵察。使い魔ならばともかく、普通の動物にできるような芸当ではない。だが、この鳥にはそれが可能らしいということが、ここ半月ほどの付き合いで判ってきた。とはいっても、使い魔のようにあからさまに言葉を発することはない。何となく考えていることが読み取れるという感じだ。感覚としては、リネスの神授魔法に近いだろうか。
ホースケは一つうなずくと、窓から飛び立っていった。
§§§
領主の御前に連行され、膝をつかされる。
きつく巻かれたロープが手に食い込む。手首から先は紫色に変色しているのではないだろうか。
「その方の顔はよく記憶しておるぞ。何故捕まったのか、身に覚えはあろうな」
「否、御座居ません」
「よくもぬけぬけと。ときに、連れの二人はどうした。一緒ではないのか?」
「彼女達は――」
どう返答しようかと迷った一瞬の間を突き、発言しようとした声に覆い被さるようにして、領主の言葉が発せられる。その目が、得たりとばかりに光ったような気がした。
「答えられぬであろうな。その方達の三文芝居にまんまと騙されたわ。報奨金を取られた上に首尾よく脱走されてしまうとは。だが、ここで捕まったが運の尽き。仲間の居場所も含め、洗いざらい吐かせてくれる!」
領主が衛兵に目配せする。レベッカは乱暴に立たされ、どつかれる。後ろから、牢の者どもを釈放せよ、という声が聞こえた。
§§§
よほど疲れていたのか、起きると辺りが緋に照らされていた。どうやら三時間ぐらい眠っていたようだ。しかし、まだ動きだすには早い。軽食でもとりながら時間を潰そうか。ついでに有益な材料も集まれば、手間が省けて良いのだが。
固い木の寝台の弊害か、体全体が凝っているような感じがした。全然休んだ気がしない。
今一つさえない頭で部屋を出、鍵を掛けながら、この宿には食堂が無いことにふと思い至った。
億劫だが、仕方ない。幸い、比較的すぐのところに数軒ほど飲食店があったはずだ。なるべく近くで済ませよう。
受付を通り過ぎざまに一応断りを入れ、床板の軋みを引きずりながら宿を出る。都合よくも、向かいに食堂があった。きっと繁盛しているに違いない。
店内の光源は『照明』ではなく蝋燭だったので、鎧戸を開け放っているとはいっても、外の涼しい空気に触れた身には室内は暑く感じられた。
なるべく蝋燭から離れた、中央付近の席に着く。
夕食には心持ち早めの時間ゆえか、客はまばらだった。その数少ない客の中には安酒をあおり、つまみの焼き串にかぶりついている労働者風の者もいる。
さて、誰にしようか。
冒険者連中に訊くのが最も確実だが、彼らはそう容易には口を割ってくれないものだ。できるだけ軽そうな奴がいい。あるいは情報の正確性を損なうかもしれない覚悟で、さまざまな人間の話を漏れ聞く機会に恵まれている店員を当たってみるというのも手かもしれない。
あれこれと思念を巡らせていると、お待たせしました、という声と共に水の入ったコップが置かれた。若い女の声だ。
顔を上げる。十四、五歳といったところか。なかなか可愛い娘だ。まだ初心なのか、目が合うと微妙にぎこちない笑みを浮かべた。
この娘にしよう。
即座に決断した。
人当たりのよい微笑を向け、
「ちょっと良いかな」
「は、はい。何でしょうか」
とまどいと不安をのぞかせて、少しうつむき加減になって応える。
「しばらくこの町に滞在しようと思っているんだけれど、なにせ土地勘がないだろう?ここら界隈について、少し教えて貰いたいんだ」
「でも……まだ仕事中なので……」
少女は、その逡巡する心の内を現すかのように視線をさまよわせ、ごにょごにょと言う。
まあ、無理もない反応だ。しかし、脈はある。
「そんなに時間は取らせないよ。まだ混むまでには猶予があるんだろう?」
チラとカウンターがある一隅に目をやる。
少女もつられてそちらに顔を向ける。
店員が二人ほど談笑していた。
「さ、座って」
少女はおずおずと腰掛けた。
「名前、何て言うの?」
「キャロル……です」
「可愛い名前だね」
ニッコリと笑う。
キャロルが頬をうっすらと紅潮させて瞳を伏せた。
こういったことに余り耐性はないようだ。これなら、そう小細工を弄さずともよさそうだ。
「まだ店に出て日が浅いの?」
「はい。あの……」上目遣いで遠慮がちに彼に問う。「どこか、わたし変だったでしょうか?」
「そんな事ないさ。ぎこちない所はあったけれど、ちゃんと応対できていたよ」
本題からはまるで関係のない会話を重ねる。そうして、キャロルの態度がだいぶくつろいできた頃。
「そういえば」
さりげなく話題を切り出す。
不自然にならない程度に声を落として、
「この街に入るときに随分じっくりと取り調べられたけれど、何かあったの?」
「ああ、あれ」キャロルが周囲に視線を走らせて、心持ち身を乗りだす。「わたしも詳しくは知らないんだけど、どうも少し前に牢に捕まっていた野盗たちが脱走したみたいなんですよ。しかもそれだけじゃなくて、リルガースの近くで死んでいるのが発見されたとか。領主様はそうは仰しゃられていないんだけれど、そのせいなんじゃないかってウワサがあるわ」
「それってもしかして、この近くの洞窟に巣くっていた奴らのことかい?」
以前レベッカから聞いた話を想起しながら尋ねる。
「そうです。なんでも、捕まえたのはわたしと同い年くらいの女神も顔負けの美少女と、絶世の美貌の貴公子のカップルだったとかで、わたしたちの間ではかなり話題になったんですよ」
余り期待はしていなかったのだが、思いがけず良い拾い物をした。彼女がもたらした情報は、おそらく真相に迫るものに違いない。
表面ではキャロルと会話を続けつつも、かれはすでに意識の大半を思索へと傾けていた。
手持ちの材料で最も黒に近いのは、リネスの王女の誘拐を野盗に命じたという依頼人――同時に、あの魔法陣を生成し、たぶん王家を壊滅させた者たちの、ごく近い関係者でもあろう――だ。しかし、そんなことを領主が知るよしもないし、そもそも大事なのはそこではない。事が起こってから約二カ月。一刻も早く蓋をしたい所に現れた、恰好の素材だ。このまま行けば…………。
冗談ではなかった。レベッカは大切な存在だ。まだ失うわけにはいかない。幸いにして、彼の生家は格式だけは無駄にある。それを拝借すれば、どうにかできるはずだ。
§§§
地下ということも手伝って、石牢の中は肌寒かった。当然装備は全部没収されたので、今は鎧下の衣服しか身に着けていない。多少の防寒性はあるが、それだけのものだ。この牢の唯一の備品である摩り切れた毛布でどうにか耐え忍ぶしかあるまい。もっとも、どの道そう長い付き合いにはならないだろうが。
(此れは、裁かれぬ罪を抱えたわたしへの裁きなのかも知れないな)
そんな考えが掠め、レベッカは自嘲気味に笑った。
§§§
翌朝、謁見には早いが失礼にはならない程度の時刻に、クロリスは領主の館へ参上した。
彼に気付いた門番が誰何の声をあげる。
「待て待て、まだ謁見の時間ではないぞ」
言い終え、おや、という表情で風になびく彼の髪を収める帽子に目を凝らした門番は、慌てて態度を改めた。
「これはこれは。かような時間にご足労、ご苦労様です。どのような御用でございましょうか」
「至急領主に会いたいんだ。話を通してくれないかな」
ひっきりなしに叩きつけてくる空気の塊に目を細めながら、クロリスは命じる。
年配の門番が困ったように顔を曇らせた。
「それは致しかねます。今しばらくお待ち頂けないでしょうか?さすれば優先して君公にお目通り頂きますので……」
クロリスは眉をはね上げた。
「へえ。このベレスフォード直々の頼みでも、断るというんだね?」
家紋――クローバーの花冠を戴く鶯――を刻印した指輪をはめた手を、無礼な門番の眼前に突きつける。
彼は気絶しそうなくらい急激に血相を変えた。
無理もない。
ベレスフォード公爵家といえば、リルガース王家に次ぐ格式を誇る名門である。古くはダルクトかリネスのどちらかを祖に持つとされ、およそ百五十年前に反乱を起こし興された現王家よりも長い歴史がある。その血統、そして父祖の多大なる功績による領民からの高い支持を背景に、盛期の権勢を失ってなお大きな影響力を有している、大貴族の間でも一目置かれる家柄だ。
「な、なにとぞ、しばらくお待ち下さいませ!ただいま案内の者を寄越しますゆえ」
ハチドリの羽ばたきに匹敵するのではないかという、ものすごい勢いで邸内に姿を消す。
動顛した様子の侍女につれていかれた応接室で、供された茶と茶菓子に嗜みほどに口をつけて待つことしばし。執事がわざわざ出迎えに現れた。
「ベレスフォード様、ようこそお出で下さいました。準備が整いましたゆえ、御案内致します」
執事に導かれて通されたのは、謁見の間ではなかった。
これは彼にとっても予想外の待遇だった。普段はとりわけて意識しない家門の偉大さを、ささやかながら認識する。
「久しいな、シルスェン子爵」
「御無沙汰致しております」
さらに待つこと十数分。
ようやく現れた領主を出迎え、深々と礼をとる。
「ヴィセコ卿におかれましては益々の御健勝ぶり、誠に慶ばしく存じ上げます」
うやうやしく、宮廷仕様の口調で決まり文句を並べ立てる。
家格は遥かに上であるものの、爵位は彼の方が下なので仕方がない。
「かような見苦しき身なりで参上致しましたこと、恐縮の極みで御座います。事は急を要すると判断致しましたがゆえ。どうか御容赦を」
「何だ。申してみよ」
「実は昨日捕らえられた賊は、私の研究材料なので御座います。あれが真に卿がお考えのような者であるならば、私とて手放すことに何の未練も御座いません。ですが未だ確たるものでないならば、今しばらく私に預けてはいただけないでしょうか」
「ふむ、それはそれは……」
領主が目をすがめ、考え込んだ。
それへ、控えていた執事が耳打ちをする。
領主は幾度かうなずいた後、彼に向きなおった。
「承知した。翌々日の取り調べの後、沙汰を致そう」
「何卒、よしなに」
§§§
尋問は予想に反してごく軽く、拷問の影もなかった。牢に入れられたまま、簡単な質問を二、三受けただけだ。
勘ぐりを入れていると、尋問官が去って間もなく階段を下りる複数の足音がした。やはりかと身構えるが、しかし、現れたのは牢番と茶髪の青年だった。それで、得心がいった。
金属がこすれ合う嫌な音を響かせて、牢の扉が開く。
牢番があごをしゃくった。
「ヴィセコ卿にしてみれば、僕を敵に回してまで犯罪の証拠も何もない君を拘束する利点はないからね。助けることが出来て、本当に良かったよ」
彼女の荷物が保管してあるという倉庫へ案内される道すがら、クロリス。
それへ、謝辞を述べる。
……が。
心の底から、そう思っているのだろうか。
それは、とても小さなさざ波だった。けれど一度喚び起こされてしまえば幾重にも連なり、消えることはない。
このまま放っておいてくれれば、我が身を責め苛む苦痛から、逃れることができただろうに。
彼女の中の、何かがささやいた。
その声に、耳をふさいで。
レベッカは彼女の漆黒の鎧に手を触れた。
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しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。
そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。
★ざまぁはありません。
全話予約投稿済。
携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。
報告ありがとうございます。
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