めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

015 東條という男

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「えへへー。楽しみだね、デートなんて」

 朱く染まった夕陽のせいばかりではないだろう。頬を染めた眞尋が屈託のない笑顔を圭に向けていた。
 四人になってしまった時点で、デートというよりもグループ交際だ。
 圭は言いかけるが、眞尋があまりにも嬉しそうにしているところに水を差すのもどうかと口を閉ざす。

 そんな眞尋とは正反対の表情をしていたのが委員長だった。
 圭の目から見ても、明らかな落胆の色を隠そうとしていなかった。
 どういう理由があるのか、彼女は圭だけを誘いたかったようだが、一樹に眞尋という見知った顔が加わった事は圭にしてみれば逆に安堵の材料だ。
 委員長が圭を気遣ってくれた事自体には感謝するが、こういう時こそ普段の生活を崩さないようにするのが大事なのではないかと圭は考える。

『まぁ、「委員長非公認ファンクラブ」会長の俺としてはこの機会に色々と情報集めをしたいところだな。純粋にデートを楽しんでもみたいが、この際贅沢は言ってられないしな』

 つい先程まで一緒に歩いていた一樹が、興奮を隠そうともせずに息巻いていた様子を思い出す。

(本当にあったんだ、ファンクラブ。それどころか、一樹が会長とは)

 そこそこ長い付き合いではあったが、親友の知らない顔というのも意外にあるものなのだなと再認識した圭である。

「えへへー。ほんっと、楽しみ!」

 眞尋は先程から口を開く度に同じ事を言っている。
 しかし、そんな眞尋を見ているだけで、不思議と圭も気持ちが軽くなるのを実感していた。
 これ程までに喜んでくれるのであれば、デートとまでは言わずとも、普段から遊びに誘うくらいはしておいても良かったろうかと考える。

(もっとも、ずっと緋美姉しか見ていなかったしな)

 片想いのまま過ごしていた日々を否定する気もなかったが、例の事件を機に目まぐるしく動く日常も、これはこれで悪くないと感じ始めている事を自覚していた。
 すぐには無理だとしても、いずれ圭自身の性格も明るく変われたりするのだろうか。
 今の圭には想像すら出来ない姿ではあったが。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「あれ?」

 先に声を出したのは眞尋だった。
 背丈の低い分を補おうと、爪先立ちをして目の前の光景を少しでも多く捉えようとする。
 鷸宮へと続く曲がり角を折れた二人の前に飛び込んできたのは、見覚えのあるマーキングを施した車輌。今朝も登校途中に見たばかりのものだった。

「哨戒部隊……」

 呟いた圭の眉根が自然と寄せられる。
 それも無理からぬ事で、大型車輌のコンテナは大きな口を開け放ち、様々な機材を鷸宮の境内へと吐き出していたからだった。
 圭の身長ほどもあるアンテナと思しき塊が六基、環状に外側を向いており、その中心には10メートルはあろうかという尖塔が眩しいばかりの銀一色の威容を晒していた。

 迷彩服に身を包んだ屈強な男が数人、圭の腕ほどもあるケーブルやそれを繋ぐための機材を手に走り回っている。
 既に設置完了している数基のアンテナは低い唸りを上げ、稼働状態を示すランプが点灯していた。

「…なに、これ?」

 尖塔を見上げて呟く眞尋の横で、圭はその正体を察していた。
 哨戒部隊の主な任務、そしてアンテナとくれば侵蝕者用の探査装置で間違いないだろう。
 だが、圭にとって問題なのは、このような無骨な機材を鷸宮の境内に持ち込んでいるという点だ。
 緋美佳が身を置く地に、鉄の塊を運び入れる行為そのものが気に入らない。

「これはだね、侵蝕者早期発見のための探査装置だよ」

 眞尋の呟きに応えるように、男の声が発せられた。そしてそれは圭の見立てを肯定してもいる。
 装置の異彩さに目を奪われていた二人は、その男が傍らに近付いてきた事にまったく気付かなかった。
 驚いて小さく跳ねた眞尋が圭の身体にぶつかる。

「や、これは失礼。驚かせてしまったかな」

 圭よりも頭半分程も高い男だった。
 周囲で忙しく動いている男達よりも線が細く見えたが、それは皺の少ない白衣と背丈のせいであり、その肉体は申し分ない程に鍛えられている。
 だが、今の圭にはそこまで看破する余裕もなく、他と明らかに異なった服装から特殊な立場の人間なのかと推察する程度に止まった。

「まだ小型化が進んでいない機材でね。設置に大きな場所が必要になるのだよ。
 もちろん、その土地の責任者に許可を頂いてからでないと設置できないがね。
 ……君達は、この神社の関係者かな?」

 この神社の人間と個人的な知り合いとだけ告げた。
 もちろんそれで過不足のない説明なのだが、緋美佳の名を敢えて伏せたままにしたのは、初対面の相手に個人名を引き合いに出すのが躊躇われたからだ。

「そういえば、挨拶が遅れたな。私はこの隊の指揮を任されている東條とうじょうという者だ」

 一般人に警戒心を与えないためか、東條と名乗った男の笑顔は実に穏やかなものだった。
 作り笑いという印象もなく、基本的に善人なのだろう。
 圭と眞尋もそれに反応するようにして会釈をする。

「侵蝕者……、この辺りでも出るんですか?」

 畏怖の対象である名が圭の口から出され、眞尋が微かに身を震わせた。

「……ふむ。立場上、軽はずみな事は言えないがね。出現の報を受けた時、迅速に対処するために我々は動いている」

 そして背後に控える大型トレーラーに視線を向け、こう続けた。

「この姿を見る者は、得てして自分らの日常に不安を感じてしまうようだが、こればかりは慣れてもらうしかないな。
 一般市民の生活に降りかかる危険要素を探して回る事も、大切な任務なのだよ」

 特にこの周囲が危険という訳ではない。
 そう付け加えると、東條はいくつかの指示を近くにいる男達に与えた。

「まぁ、地道な仕事は大人に任せて、君達は学生生活を充実させる事を第一に考えてくれればいいさ」

 とりあえずの指示を終えた東條が二人に向き直る。

「君達の目に私がどう映っているのかは分からないが、君達と同じくらいの頃、勉強だけは出来た学生だったんだよ」

「はぁ…」

 気のない返事をしながら、圭は逃げ出す機会を逸したような気がした。
 この流れは自慢話か説教が始まりそうな予感がする。
 眞尋の様子を窺ってみると、東條という男に不審感は覚えなかったらしく、これから始まろうかという話に耳を傾けている。やはり、すぐにこの場を脱するのは難しいようだ。

「大学も成績優秀で通ったものなのだがね。
 ……言い方を変えれば、私は勉強以外に取柄がなかったんだよ」

 どこか自虐的に口の端を歪める東條だったが、それは同時に昔を懐かしんでいる風にも見えた。

「お陰で…と言って良いのかどうか。そこそこの役職にも就けた訳だが、こうして振り返ってみれば、もっと遊ぶ努力をするべきだったんじゃないかと思う時があるのさ」

「遊ぶ努力……ですか?」

 予想していたものとは違う話になってきたようで、圭は東條という男に少しばかり興味を抱いたが、遠くから東條を呼ぶ声がその流れを遮った。

「おっと、準備が出来てしまったようだな」

 東條の予想ではまだ少し時間があったのだろう、些か残念そうに息を吐いた。

「まぁ、結局何が言いたいのかといえば、若いうちは遊び倒せという事さ。
 その事によって学業を疎かにする事はもちろん論外だが、勉強なんて学校で教えられる事をきちんと吸収していけば特に問題は無かろうというのが私の持論だ」

 白衣のポケットから取り出した白い手袋に指を通すと、東條の眼に鋭い光が宿った。
 やはり命を投じる職の人間なのだろう、その雰囲気の変貌ぶりは学生の圭達には驚きをもって受け止められる。

「君達は恋人同士なのかな?
 二人ならばどんな行動にも可能性が広がるというものさ。羨ましい限りだよ」

 二人に背を向けると、東條は呼ばれた方へと駆けてゆく。
 玉砂利が強く擦れ合い、蹴り上げられた白衣の裾が風に靡くように舞った。

「ね、恋人だって。やっぱりそう見えるのかな?」

 どこかうっとりしたように圭の腕に身を寄せてくる眞尋だった。
 釣り合う年齢の男女が二人きりで居れば大抵の人はそういった可能性を考慮するだろうと圭は考え、困ったように口を閉ざす。

 ……例えば。
 例えば、隣にいるのが緋美佳だったならば。他人の目から恋人関係だと見て貰えるだろうか。
 漠然とした願望を思い浮かべてしまう圭だったが、その妄想を遮るように東條の声が飛んでくる。

「あー、君達ぃ! 避妊だけはしっかりとな!!」

「な……っ!?」

 なんて事を言いやがる。圭は一気に顔が熱くなるのを感じた。
 遊び倒せだとかなんとか、まさか全部ソッチ方面の事を言っていたとでもいうのか。
 目深に被ったヘルメットのせいで表情こそ見えなかったが、東條の周囲で黙々と作業に従事する男達も小さく肩を震わせている。
 当の東條にしてみれば軽い冗談を言ったつもりなのかも知れないが、大声でそんな事を言わなくても良いだろうに。
 たった今まで圭を見上げていた眞尋も顔を真っ赤にして俯いてしまっていた。

「…圭ちゃん」

 俯いたままの眞尋が声を震わせながら圭の袖を引く。
 その力は軽く腕を振れば零れ落ちてしまいそうな程に弱々しい。

「圭ちゃん相手なら、大丈夫……だよ?」

 眞尋の衝撃発言が圭の胸を衝いた。
 だがしかし、圭はこの時ほど自分が悪ノリできない性格で良かったと思った事はない。
 所詮は東條の冗談に乗った眞尋の悪ふざけだ。そこに便乗でもしようものならば、後でどんな手酷いツケを要求されるか分かったものではない。

「帰るぞ、バカたれ」

 実際に眞尋の言葉にどれほどの冗談が混じっていたのかは分からない。
 圭だけを追いかけてきていた眞尋の事である、例え冗談半分であったとしても半分は本気だという事になる。
 ともすれば冗談など微塵も混じっていないのかもしれなかったが、今の圭にはそれを確かめるだけの勇気はない。
 それでも紅潮する表情を隠し切れなかった気恥ずかしさもあり、圭は足早に鷸宮の前から離れてゆく。

「あぁん、待ってよ圭ちゃ~ん」

 眞尋は置いていかれまいと、慌てて圭の後を追う。
 本気で逃げられたら絶対に追い付けない程にコンパスの差があるので、そうなってしまう前に齧りついてでもその腕を捕らえねばならない。

 そんな若者二人の姿が視界から消えるまで眺めていた東條だったが、やがて唇の端を歪めるように笑みを浮かべた。

「いやいや、若さってのは良いものだねえ」

 その言葉とは裏腹に、表情一杯に広がった色は嘲笑に似たものがあった。そして瞳の奥に渦巻く、底光りするような得体の知れないひずみ。

 東條の傍らに副官を務める男が立った。
 長身の東條よりも更に一回り大きな体躯だったが、上司に対する畏敬からか、必要以上に緊張しているようにも見える。

「今の少年、行かせて宜しかったのですか。彼が例の検体では?」

 どこか曖昧な物言いではあったが、東條にはその意味するところは通じているようだった。軽く手をあげ、副官の言葉を遮る。

「なぁに、まだ自覚も無いようだし、放っておいたところで姿を消したりはするまいよ。
 それに、我々はあんな不安定要素ばかりの存在など比べるべくもない有益なものを追っている最中ではないか」

 綺麗に延ばした指先で眼鏡を押し上げる東條。
 レンズが夕陽を反射して妖しく光り、その笑顔に一層の凄みがかかる。
 表向きの場以外では滅多に表情を崩さない本当のかおを知る副官は掌が汗で滲むのを自覚した。

「しかし、目星をつけた場所の近くに彼が居るというのも、面白い偶然だな。これが運命ってやつなのかね」

 随分と作為的だがね。

 吐き棄てるように付け加え、東條は目指す物の探査を続けるべく探査装置のコンソールへと向かうのだった。
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