めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

012 保健室にて

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「加瀬っ!!」

 強く肩を揺すられ、圭は焦点の合っていない視線を揺り動かした。

「あ……はい?」

 気付けば圭は保健室の椅子に腰掛けており、目の前のベッドでは一樹が落ち着いた寝息を立てていた。
 そして圭に呼び掛けた継島は当惑混じりの表情を隠そうとしてはいなかった。
 おぼろげながらに思い出す。クラスメイトの山をかき分け、圭自身の手で一樹をこの保健室まで運び込んだのを。

 途中、背後から呼び掛けられる声には生返事をしていた気もするが、その内容はまるで覚えていない。
 思い返せば、まるで夢遊病者のようにさえ見えた行動だったろうが、それでも保健室に向かう足取りはしっかりとしたものだったと、不思議と覚えている部分もあった。
 無意識的に動き、その内容を覚えてもいるのに、たった今まで強く声を掛けられるまではっきりとした自我が戻ってきていなかったというのも妙な話だが、一樹が心配なばかりの今の圭には瑣末な事である。

「…加瀬。お前は、何をしたんだ?」

 不可解そうな声を投げかけられた。
 授業中の教え子の挙動はすべて見逃さないと豪語する継島から出た言葉とは思えなかったが、その目から見ても何が起きたのか正確なところは分からなかったという事なのか。

「俺は…」

 改めて圭は思い起こす。寸止めは出来ていた……筈だ。したつもりだった。
 しかし、結果として一樹は弾き飛ばされている。
 一樹が悪戯心を起こして自ら後ろに飛び跳ねたのだと仮定したとしても、だ。助走も無しに後ろ向きで飛べる距離などたかが知れている。

 それに、圭の脳裏には驚愕の表情のまま吹き飛ばされる一樹の姿が焼き付いていた。どう考えても圭自身が何かをしたとしか思えない。
 一樹の身体に触れたつもりはない。ないが、圭自身にその認識がないだけで、実際には一樹を突き飛ばしてしまっていたのではないか。

 考えれば考える程に、圭の思考は己の非を作り出そうと凝り固まってくる。

「……師範。圭の名誉のために言っておきますけど……ちゃんと寸止めは出来ていましたよ」

 押し黙るばかりの重苦しい空気に包まれた中、一樹がベッドの中で身じろいだ。

「一樹!」

 圭は身を乗り出して一樹の顔を覗き込み、その圭の横顔を暫し観察した後に継島もまた横たわる教え子へと視線を移した。

「うむ、そうだな…」

 一樹の言葉を否定こそしなかったが、その声はどこか弱々しく、自分の目撃した光景がどうしても信じられないといった風だ。

「あれは……気功ってやつか? いつのまにあんな凄いの使えるようになったんだ」

 一樹はその光景を思い起こしているのだろう。そっと目を閉じながら口を動かす。
 あの瞬間、圭の身体が静止したのを一樹自身の目で確認しているし、僅かにでも動いたり、動かそうとする気配も感じ取れなかった。
 圭の性格からしても、悪ふざけをするような、ましてや悪意ある行為に及ぶとは考えられない。
 それに、一樹を吹き飛ばした圧力は決して打撃による鋭角的なものではなかった。

 例えて言うならば、ゴム毬のような感触だったろうか。
 圭の両掌サイズほどの大きさの物が腹に押しあてられたと感じた次の瞬間には、一気に何十倍にも膨張した圧力で跳ね飛ばされた……そんな印象だ。
 実際、身体に残る痛みは吹き飛ばされた直接の力よりも、地面を転がった際の擦り傷の方が大きいくらいだ。校庭が芝生に覆われていなければ、その傷も相当な増量をされていたに違いない。

 そんな現象を一樹自身が持ち得ている語彙で表現するならば、それは『気功』でしかなかった。まるで漫画のような絵面だったろうが、他に表現のしようがない。
 圭は目を丸くし、継島は苦々しく顔を歪めた。

「いや、俺はそんなもの使えないし……」

 小さく首を振る圭だったが、言われてみればそれ以外に説明できる現象は思い付かない。
 二人の組手の始終を見ていた継島も一樹と同じ見解だったのだが、武術はこの授業でしか経験のない圭が人を吹き飛ばす程の気功を操るなど簡単には認められるようなものではなく、ただ押し黙るばかりである。

「ん…そうか。だったら別の原因か……」

 一樹があっさりと意見を引っ込め、保健室は再び静寂に包まれたが、それは一分と続かずに慌ただしい足音に打ち破られた。

「こちらですわ!」

 かなり興奮しているのか、けたたましい程の音を立てて飛び込んできたのは白衣に身を包んだ養護教諭であり、その後ろにはストレッチャーを擁した救急隊員の姿があった。
 一樹が保健室に運び込まれた際に学校側で要請したのだろう。

 圭が見守る前で即座にストレッチャーへと移された一樹は、キュルキュルと軋むタイヤの音に包まれながら保健室を後にした。
 ひらひらと手を振って寄越す動きが見えたが、身体を固定されていたために、その表情までは見られなかった。

「それじゃあ、ワシは次の授業の準備をせんといかんのでな。加瀬もあまり深く考えるな」

 運ばれる一樹の姿が見えなくなったところで継島は圭の肩を軽く叩き、体育準備室のある体育館へと去って行った。
 授業終了のチャイムが校内に鳴り響き、圭は大きく項垂れた。
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