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或いは夢のようなはじまり
64 決意
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「よぅ」
爽やかな空気の中、待っていた様子の二人に挨拶の声を掛ける。
竹林の結界を通り抜け、その中にある神社の境内へと直樹は足を踏み入れていた。
いつぞやのように結界に阻まれるかとも思ったが、どうやら招かれざる客という扱いではなくなったらしい。
「相変わらず早起きなのね。今朝くらいは寝過ごしても良かったのにね?」
「まったくだ」
黒髪の少女がこれまでにない笑顔を向けてきた。
玲怏の達観したような表情は出会った頃から変わりないが、刺々しかった雰囲気は随分と丸くなっている。
誰もが美少女と認めるであろう相手に笑顔を向けられれば悪い気はしないが、直樹としては微妙なところである。
昨夜までの出来事を考慮すると、その少女の笑顔が打算を含めてのものなのではないかという思いが先に立つからだ。
「大して寝てないのはお互い様だろ? それにしても、待っててくれてるとは思わなかったな」
空は明るくなっているが、この時間でしっかりと活動しているのは新聞配達かコンビニの店員くらいではなかろうか。
来いとは言われたが、時間の指定はされていなかった。
ある程度は待つ事になるだろうと考えていた直樹だったが、予想が完全に外れて面食らっていた。
「こっちの台詞よ。予想よりも早かったから、お茶の準備ができなかったわ」
そこは嘘だな。
明らかに嘘だと分かる言葉を発する程には親しく感じて貰っているのか、それとも―――
「あー、いや! そうじゃなくて!」
頭を乱暴に掻いて、直樹は湧き起こりそうになる疑念を振り払った。
特殊な知り合い方をしたせいであると自覚しているつもりだが、そんな相手にはついつい懐疑的な見方をしてしまう。
ここに足を運んだのは、決して腹の探り合いなどではない。
この少女らとは良い関係を築く事ができると直樹は考えている。もっとも、直樹自身が偏屈な態度を捨て去ればという大前提ありきだが。
「…すまん。独り言だ」
「いいわよ。落ち着いていきましょ」
直樹の心中を察しているのだろう。少女は緩やかに微笑んだ。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね」
少女がぱんと軽く掌を合わせ、横に立つ玲怏がやれやれと息を吐いた。
玲怏の名は成り行きで耳にしていたが、そういえば少女の名は二人の会話の中でも出てきていなかったなと思い至る。
人ならざる存在を相手取る以上、迂闊に名を知られないようにする事も重要な事だと両親に聞かされた覚えがある。
「春日浦佐保よ。よろしく」
「玲怏だ」
「…新條直樹だ」
自分の事などすべて調べられているだろうとは思ったが、何事も区切りというものは必要だろうと、直樹も名乗った。
名前以上の情報も握手もなかったが、それで良いと思った。
直樹らが目指すのは、仲良し小好しのお友達ではないのだから。
「それじゃあ、早速だけど…」
黒髪の少女―――佐保が口を開く。彼女にしてみれば、ここからが本題なのだ。
「ちょっと待った!」
佐保が言葉を続けようとするのを、直樹は掌を向けて強引に割り入った。
「すまん。その前にひとつ確認しておきたいんだ」
言葉を遮られた佐保だったが、特に気分を害した様子もなく、先を促すように小首を傾げてきた。
「昨夜の鵺は……。あれは、本当に、鵺だったのか?」
戦っている時から疑問に感じていた事ではあったが、一瞬の油断が命取りの場では考えを巡らせる余裕がなかったのだ。
香月を抱えて帰った後は襲撃者に備えてのトラップ設置に時間を取られてしまったし、ロクに眠れていない状態の頭では明確な答えが出せていないのだ。
「あー、あれね…」
佐保が僅かに言い淀んだ。
それが答えなのだと分かってしまう。つまり――
「あれは鵺ではなかった」
佐保に代わり、玲怏が言い放った。
「あれは単なる化け猫だ。猫又か、猫又の成り損ないかまでは分からんがな」
「…そっか」
それに近い可能性の高さを考えていた直樹は、小さく息を吐く程度の反応に止まった。
残念と言えば残念だが、伝説の妖怪を相手取って善戦したなどと、身の丈に合わないにも程がある。
そもそも、文献にある通りの姿形をしている事自体に疑問を持つべきだったのだ。
人語を解していたくらいなのだ。鵺という存在が人の世でどのように語られているかを知るのに大きな苦労はなかったに違いない。
「――よし、これでスッキリした」
その言葉の通り、直樹の表情は随分と楽なものになったと佐保らには見えた。
今の直樹は一人では解決できない案件を抱え込んでいる状態ではあるが、それでも確実にひとつの疑問が解消された事は大きいのだろう。
その問題となっている案件解決のためにこそ、直樹をこの場に呼び出した佐保ではあったのだが、そんな直樹の表情を見ていると自分の思惑通りに進んでいないような気がしてならない。
次の瞬間には、こちらの予定をすっ飛ばした発言をするのではないかと思えてしまうのだ。
「旅に出るよ」
「……はい?」
思わず聞き返した声は、後に思えば恥ずかしいくらいには上擦っていたと佐保は語る。
「旅行……って訳じゃないわよね。その身体のままで?」
この男は何を言っているのだと思わずにはいられない。
呪われていると言っても過言ではない状態を脱するために設けた場だというのに、いきなり旅だなどと。
「一応、当てはあるんだ」
ひと呼吸置いて、直樹は続ける。
「ここで君らに頼るのが最も確実な選択だと分かってはいるんだ。それでも、とりあえずは自分で出来る事を試してみたいんだ」
「武者修行を兼ねてるという事か? そんな時代でもないだろう」
どちらかと言えば古い考え方をする玲怏は、疑問を口にしながらもどこか面白そうに目を細めている。
とはいえ、直樹が選択しようとしている行為は残念ながら賢いものとは言い難い。
直樹の周囲には彼よりも確実に強い者がいるし、強さを求めるのであればそこから始めるのが堅実だと分かりそうなものだ。
「言ったろ、当てがあるって。それで駄目だっったら、頭を下げに戻ってくるよ」
自らに降りかかってくる問題を話している筈なのに、どこか他人事のようにも聞こえる直樹の言葉。
随分と信頼している当てなのか、達観しきっているのか。
「彼女はどうするの?」
直樹の意志が揺るぎないものになっていると察した佐保にはそれを止める気もなかったが、そうすると別の疑問も湧いてくる。
直樹と香月は依存とまでは言わずとも、お互いを必要としている存在だと佐保は考えていた。間違った認識ではない筈だが、彼女の事はどうするつもりなのだろうか。
「あー、その事なんだけど。…あいつの事、頼めないかな?」
誤魔化し笑いを浮かべながら、直樹が頭を掻いた。
「…ふぅん、そうくるんだ?」
一緒に連れて行くなどと言い出さないあたりは真面目に考えているのだと思ったが、いちばん面倒なところを丸投げしてくるとは。
特異な能力を持つ人間を育てるというのは手が掛かる。
その者が天才であれば放っておいても勝手に伸びるものだが、天才というものは能力が発現した時点ですべてを理解できてしまうような存在だ。
香月にそのような様子は見られなかった。
能力としては非常に希有なものを持っていると認められるものの、才能としては残念ながら凡才だ。
「……んー」
佐保には珍しく、時間を掛けて考えを巡らせていた。人指し指を顎先にあて、てしてしと叩く。
もちろん、それはポーズだけで、佐保の中で考えはまとまっている。
もったいぶってみせるのは、予想外の発言をする直樹に対してのせめてもの意趣返しだ。
面倒な事に変わりはないのだし、せいぜい恩義を感じて貰おうではないか。
そして佐保は満面の笑みを直樹に向ける。
「そうね。それじゃあ、契約しましょう?」
爽やかな空気の中、待っていた様子の二人に挨拶の声を掛ける。
竹林の結界を通り抜け、その中にある神社の境内へと直樹は足を踏み入れていた。
いつぞやのように結界に阻まれるかとも思ったが、どうやら招かれざる客という扱いではなくなったらしい。
「相変わらず早起きなのね。今朝くらいは寝過ごしても良かったのにね?」
「まったくだ」
黒髪の少女がこれまでにない笑顔を向けてきた。
玲怏の達観したような表情は出会った頃から変わりないが、刺々しかった雰囲気は随分と丸くなっている。
誰もが美少女と認めるであろう相手に笑顔を向けられれば悪い気はしないが、直樹としては微妙なところである。
昨夜までの出来事を考慮すると、その少女の笑顔が打算を含めてのものなのではないかという思いが先に立つからだ。
「大して寝てないのはお互い様だろ? それにしても、待っててくれてるとは思わなかったな」
空は明るくなっているが、この時間でしっかりと活動しているのは新聞配達かコンビニの店員くらいではなかろうか。
来いとは言われたが、時間の指定はされていなかった。
ある程度は待つ事になるだろうと考えていた直樹だったが、予想が完全に外れて面食らっていた。
「こっちの台詞よ。予想よりも早かったから、お茶の準備ができなかったわ」
そこは嘘だな。
明らかに嘘だと分かる言葉を発する程には親しく感じて貰っているのか、それとも―――
「あー、いや! そうじゃなくて!」
頭を乱暴に掻いて、直樹は湧き起こりそうになる疑念を振り払った。
特殊な知り合い方をしたせいであると自覚しているつもりだが、そんな相手にはついつい懐疑的な見方をしてしまう。
ここに足を運んだのは、決して腹の探り合いなどではない。
この少女らとは良い関係を築く事ができると直樹は考えている。もっとも、直樹自身が偏屈な態度を捨て去ればという大前提ありきだが。
「…すまん。独り言だ」
「いいわよ。落ち着いていきましょ」
直樹の心中を察しているのだろう。少女は緩やかに微笑んだ。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね」
少女がぱんと軽く掌を合わせ、横に立つ玲怏がやれやれと息を吐いた。
玲怏の名は成り行きで耳にしていたが、そういえば少女の名は二人の会話の中でも出てきていなかったなと思い至る。
人ならざる存在を相手取る以上、迂闊に名を知られないようにする事も重要な事だと両親に聞かされた覚えがある。
「春日浦佐保よ。よろしく」
「玲怏だ」
「…新條直樹だ」
自分の事などすべて調べられているだろうとは思ったが、何事も区切りというものは必要だろうと、直樹も名乗った。
名前以上の情報も握手もなかったが、それで良いと思った。
直樹らが目指すのは、仲良し小好しのお友達ではないのだから。
「それじゃあ、早速だけど…」
黒髪の少女―――佐保が口を開く。彼女にしてみれば、ここからが本題なのだ。
「ちょっと待った!」
佐保が言葉を続けようとするのを、直樹は掌を向けて強引に割り入った。
「すまん。その前にひとつ確認しておきたいんだ」
言葉を遮られた佐保だったが、特に気分を害した様子もなく、先を促すように小首を傾げてきた。
「昨夜の鵺は……。あれは、本当に、鵺だったのか?」
戦っている時から疑問に感じていた事ではあったが、一瞬の油断が命取りの場では考えを巡らせる余裕がなかったのだ。
香月を抱えて帰った後は襲撃者に備えてのトラップ設置に時間を取られてしまったし、ロクに眠れていない状態の頭では明確な答えが出せていないのだ。
「あー、あれね…」
佐保が僅かに言い淀んだ。
それが答えなのだと分かってしまう。つまり――
「あれは鵺ではなかった」
佐保に代わり、玲怏が言い放った。
「あれは単なる化け猫だ。猫又か、猫又の成り損ないかまでは分からんがな」
「…そっか」
それに近い可能性の高さを考えていた直樹は、小さく息を吐く程度の反応に止まった。
残念と言えば残念だが、伝説の妖怪を相手取って善戦したなどと、身の丈に合わないにも程がある。
そもそも、文献にある通りの姿形をしている事自体に疑問を持つべきだったのだ。
人語を解していたくらいなのだ。鵺という存在が人の世でどのように語られているかを知るのに大きな苦労はなかったに違いない。
「――よし、これでスッキリした」
その言葉の通り、直樹の表情は随分と楽なものになったと佐保らには見えた。
今の直樹は一人では解決できない案件を抱え込んでいる状態ではあるが、それでも確実にひとつの疑問が解消された事は大きいのだろう。
その問題となっている案件解決のためにこそ、直樹をこの場に呼び出した佐保ではあったのだが、そんな直樹の表情を見ていると自分の思惑通りに進んでいないような気がしてならない。
次の瞬間には、こちらの予定をすっ飛ばした発言をするのではないかと思えてしまうのだ。
「旅に出るよ」
「……はい?」
思わず聞き返した声は、後に思えば恥ずかしいくらいには上擦っていたと佐保は語る。
「旅行……って訳じゃないわよね。その身体のままで?」
この男は何を言っているのだと思わずにはいられない。
呪われていると言っても過言ではない状態を脱するために設けた場だというのに、いきなり旅だなどと。
「一応、当てはあるんだ」
ひと呼吸置いて、直樹は続ける。
「ここで君らに頼るのが最も確実な選択だと分かってはいるんだ。それでも、とりあえずは自分で出来る事を試してみたいんだ」
「武者修行を兼ねてるという事か? そんな時代でもないだろう」
どちらかと言えば古い考え方をする玲怏は、疑問を口にしながらもどこか面白そうに目を細めている。
とはいえ、直樹が選択しようとしている行為は残念ながら賢いものとは言い難い。
直樹の周囲には彼よりも確実に強い者がいるし、強さを求めるのであればそこから始めるのが堅実だと分かりそうなものだ。
「言ったろ、当てがあるって。それで駄目だっったら、頭を下げに戻ってくるよ」
自らに降りかかってくる問題を話している筈なのに、どこか他人事のようにも聞こえる直樹の言葉。
随分と信頼している当てなのか、達観しきっているのか。
「彼女はどうするの?」
直樹の意志が揺るぎないものになっていると察した佐保にはそれを止める気もなかったが、そうすると別の疑問も湧いてくる。
直樹と香月は依存とまでは言わずとも、お互いを必要としている存在だと佐保は考えていた。間違った認識ではない筈だが、彼女の事はどうするつもりなのだろうか。
「あー、その事なんだけど。…あいつの事、頼めないかな?」
誤魔化し笑いを浮かべながら、直樹が頭を掻いた。
「…ふぅん、そうくるんだ?」
一緒に連れて行くなどと言い出さないあたりは真面目に考えているのだと思ったが、いちばん面倒なところを丸投げしてくるとは。
特異な能力を持つ人間を育てるというのは手が掛かる。
その者が天才であれば放っておいても勝手に伸びるものだが、天才というものは能力が発現した時点ですべてを理解できてしまうような存在だ。
香月にそのような様子は見られなかった。
能力としては非常に希有なものを持っていると認められるものの、才能としては残念ながら凡才だ。
「……んー」
佐保には珍しく、時間を掛けて考えを巡らせていた。人指し指を顎先にあて、てしてしと叩く。
もちろん、それはポーズだけで、佐保の中で考えはまとまっている。
もったいぶってみせるのは、予想外の発言をする直樹に対してのせめてもの意趣返しだ。
面倒な事に変わりはないのだし、せいぜい恩義を感じて貰おうではないか。
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