群青の緋

竜田彦十郎

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或いは夢のようなはじまり

45 決戦・2

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 床板を抉るように蹴る音が体育館内に響いた。
 鵺が音速以上で移動できるのならば、音が聞こえた時点で直樹は生きてはいない。
 妖怪の類に物理法則が適用できるかどうかはさておくとして、鵺が飛び掛ってきた事を察知した直樹は全力でその場から飛び退く。
 目で追えなくもない速度とはいえ、それなりの距離を置かねば視認してからの対応では追いつかない。

「――ふっ!」

 短く息を吐きだしながら、木刀を構える。
 初撃への対応はタイミングが取り難いが、飛び出してきた後ならば対応は充分に可能だ。
 直樹の方から打って出る事ができないのは歯痒いが、鵺以上の速度と距離が叩き出せない以上は待ちの戦法も已む無しだ。

【――!!】

 直樹が居た場所に鵺の爪が深く食い込み、木材の破片と埃が大量に舞い上がる。
 煙幕にも似た状況。その向こう側で一瞬だけ鵺の影が止まるのが見えたが、息もつかせず飛び退いた直樹に向けて飛び掛かってくる。

(こいつ、バカなのか――?)

 直線的な動きと速度があるために、単純なカウンターのみでも攻撃力は十分に出る。
 戦闘が長引けば体力の消耗が懸念されるが、同時に体内で霊力を練る事にもなるので一長一短だ。
 人間の言葉を解するのだ。単調な攻撃では返り討ちになるくらいは考えつくだろうに、それでも鵺の攻撃は直線的だ。

(こっちが追い付けないくらい、スピードを上げようってのか?)

 考えられなくもないが、そう思わせる事がフェイントになる可能性もある。

(とにかく集中! ――さぁ、こい!!)

 交差させた木刀を自在に動かせるよう、指先の感触を確かめる。
 どんな攻撃がこようとも受け切ってみせる。そう息巻く直樹だったが――
 立ち込める煙の奥から飛び出してきた攻撃は、直樹の予想に反して弧を描いたものだった。

「――っ!?」

 直樹が驚愕したのは、攻撃の軌道が直線ではなかったからではない。それだけだったならば問題なく対処できていた筈だ。
 直樹の持つ木刀の間合いの外側から迫るのは拳だった。
 先程までの猛々しい虎模様の脚とはまったく違う。全体的に剛毛で覆われてこそいたが、細い五指を握り込んだそれは、まさしく拳であった。

(他にも仲間が!?)

 そんな存在など微塵も感じさせてはいなかったが、鵺が創り出している空間であるならば納得せざるを得ない。

「く……っそ!」

 腹を抉り、胸を砕き、顎から脳天を割らんと迫る拳を身を引いて躱す。
 直撃こそ避けたものの、凄まじい拳圧が直樹の鼻先を掠める。
 その拳は霊力を帯びていない木刀の柄頭を引っ掛け、バランスを崩した直樹を容易く弾き飛ばした。

(しくじった……!)

 鼻腔の奥に涙と血の匂いを感じながら、直樹は急いで構え直す。
 今の攻撃で木刀は手を離れてしまい、上着の裏に残っている伸縮式の警棒で凌ぐ他ない。
 当然のように、そんな直樹の劣勢を見逃す相手ではなかった。
 直樹が構え終わるのを待たず、大きな影が飛び込んでくる。

「――なっ!?」

 飛び込んできた影の姿を見て、またしても直樹は固まる。
 その四肢は猿であり、胴体は鵺と同じく狸。そして頭部は虎であった。胴体の陰で揺れる蛇の尾がちらちらと直樹を盗み見ている。
 四肢と頭部が入れ替わってこそいたが、その合成具合はどう見ても鵺そのものである。

(二匹目の鵺!?)

 反射的に最初の鵺を探そうと視線が泳いでしまい、眼前の鵺の接近を許してしまった。

(やべ…っ!)

 咄嗟に警棒でガードするも、振り抜かれた尾の一撃によって直樹は吹き飛ばされる。
 扉の外れている倉庫に突っ込み、盛大な音と共に埃を舞い上げた。

(ロッカーで助かった……!)

 背を叩き付けられたロッカーが緩衝材の役目を果たした事で、咳き込む程度の軽傷で済んだ。
 倉庫なのだし上手い具合にマットでもあればと思わなくもなかったが、待ち構えていたのがコンクリートの壁や突起物でなかっただけ僥倖と言えるだろう。

「警棒は……おシャカか」

 直角に折れ曲がった警棒だったが、代わりとなる武器が無い以上はおいそれと手放す事もできない。

【………!】

 距離を保ちつつ、鵺は倉庫内で身を起こす直樹を睨めつけている。
 その鵺の表情が――ぐにゃりと歪んだ。

「おいおい……!」

 表情を歪めた、ではなく、波打つように変形をしていた。それは顔だけでなく頭部に広がり全身にまで及ぶ。
 CG映像を見ているようなモーフィングが行われ、その頭部は蛇となって先割れした赤い舌をしゅるりと覗かせた。
 驚愕する直樹を尻目にまたしても鵺の全身は歪み、猿の頭部へと変異した。最初に見た鵺のものだ。
 鵺がもう一体出現したのではなく、身体の部位を入れ替える事によって攻撃方法を変えていたのだ。

 面倒な敵が増えた訳ではなかったのは幸いだが、結果として直樹は窮地に陥っている。
 絶体絶命という程ではないにしろ、そうなるのは時間の問題とも言える。
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