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1章

22.伝わらない想い

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 大学でも比較的誰とも会話をする事はなく、友達と呼べる人さえ一人もいない律。
 とは言え高校生までは、いつもクラスの中心にいるという程ではないが、特定の友達は居るれっきとした明るい子だった。

 では、何故このように無口で人との関わりを避けるようになってしまったかというと、やはり家族を事故で亡くしたことが一つの原因だろう。

 あれはまだ彼が高校二年生で此処のマンションへ引っ越してきたばかりの頃だ。
 その日は彼の誕生日で、家族揃って少し良い和風のレストランへ外食に行く事になっていた。

「律、早く準備しろよ~!」

 呆れたように大声で彼に声を掛けているのは、兄の有馬唯斗ありまゆいと
 因みに理久と同い年で、このナリにも関わらず、職業はきちんとした教師である。
 髪色は彼とは違って目がチカチカするくらいに明るく染められているのに加えて、学年主任に注意を受けられない程度にいくつか耳にピアスを付けている。口を開いた時に目につく八重歯も可愛らしい。

 まあ、こんなにチャラチャラした中学校の教師はあまり居ないかもしれないが。

 二人は書面上では正式な実の兄弟ではあるが、血は繋がっていない。
 だからか、二人の間にある雰囲気も兄弟というよりかは、友達同士のようだと言っても良いだろう。
 彼が兄弟のいる同級に影響を受けて兄を欲しがっていたことと、当時養護施設での虐待が相次いでいたことをきっかけに唯斗は彼が小学生の頃に養子として家にやってきたのだ。

 けれども、養子として家に来て直ぐの唯斗は、ストレスからか、それとも悪戯心からか、毎日のように家の雑貨や食器を自分の意志で壊したり。
 弟の彼を少しばかり目障りに思ったのか、殴ったり、叩いたり、等々……両親の手には追えない程に荒れていた。
 実際、養護施設でもかなりの問題児で、年下の女の子を周りの子と一緒に虐めていたらしい。

 当時の律は最低だとは思っても、如何して両親が数ある子供たちの中から素行もかなり悪いことに加えて、何を考えているのか分からない乱暴な唯斗を快く迎え入れたのか、あまり理解できなかった。

 そんな二人が兄弟として、ある程度仲が良くなったのはとある事件がきっかけだ。
 中学生になって直ぐの彼は入学式を風邪で休んだ事もあり、中々クラスに馴染むことが出来ず、酷いイジメの対象となってしまっていた。
 その内容は比較的シンプル。お金をせびられたり、暴力を振るわれたり、奴隷のように扱われるというもの。
 イジメアンケートという物が、学校から配られた事はあったけれど、彼にすればそんなモノが役に立つ筈がない。このことをアンケートにでも書いてしまったら、教師にチクった事を引き金にもっとイジメがエスカレートするに決まっている。

 そう思った律は誰にも相談できずに、苦しい日々を過ごしていたのだ。

 しかし、不思議なことにいつの日かまるでゴールテープを切ったように嫌がらせがぱったりと無くなった。始めこそは幼稚なイジメっ子たちのことだからもう飽きてくれたのだな、と思っていた。

 が、後々、唯斗直々にイジメっ子達へ注意をしていた事を知ったのだ。
 確かに注意の内容は思わず耳を塞ぎたくなる脅しに近かったものの、彼は初めて不器用な兄が自分を弟として助けてくれた事が本当に嬉しかった。
 通称、ゲイン効果というものに近いのかもしれない。

 その時からだろうか。
 心の底から段々とある感情が芽生えてきた。
 とても温かくて、人によっては生温いかもしれないが、また溜め息を吐ける程に心地よい。それは間違えなく、愛だったのである。
 また兄弟愛というものが辞書の中で存在するが、彼の唯斗に対する愛は兄弟愛ではない。
 愛を言葉にして表すのは難しいが、もし仮に言葉にするなら、純愛であろう。

 人に言った事はないが、初めての夢精で見た夢も唯斗だけが出てきた事を申し訳ないとは思いつつも、何処か鮮明に覚えている。

 ──僕が兄さんを恋愛的に好きだと言ったら、どんな反応をするのかな……。

 本当に高校生かと疑ってしまいたくなるくらいに純粋無垢で期待が膨らむ想像をいつも頭に浮かべてしまう。
 そして、誕生日の日、軽蔑されたとしても、距離を置かれることになったとしても、この想いを伝えようと決心した。

「うん、兄さん、先に車乗ってて!」

 兄弟の間で関係を持つことは正直に言えば法律上、認められてはいないのだ。
 また、世間からの冷たい視線やあることないこと言われた噂話を浴びる可能性も免れない。
 まだ"その時"が来ている訳ではないにしても、告白を心に決めるのにはとてつもなく大きな勇気が必要だっただろう。
 今日中に伝えようと決めたこの想いのせいか、彼の心臓は醜くく大きな音を立てて鳴り止まなかった。

 呼吸を整えて緊張感を悟られぬように車に乗り込む。両親と唯斗はいつも通りの笑顔で迎え入れてくれる。
 彼の笑うと三日月型にになる少し色気のある瞳が脳に焼き付いて離れない。

 そのときはまだ思ってもいなかったのだ。

 まさか、これからあんな事が起こってしまうだなんて……。

「じゃあ、出発するよ~!」

 助手席に居る母親が楽しげに彼等に呼び掛ける。
 車に乗っている最中、告白へのワクワクと緊張感、そして恐怖心から暫くは隣に座っている唯斗のことが気になって仕方がなかった。
 少し手を伸ばせば、直ぐに唯斗の肌に触れることの出来る距離。

 因みに今まで自分たちが兄弟という関係になってしまったことに嫌悪感を抱いた事はなく、寧ろそれを良かったとまで思っている。

 漫画等の沢山の娯楽では兄弟間の恋愛は当たり前のように描かれているし、もし仮に兄弟ではなく友達という関係だったら近い距離感で会話をする事も出来なかったのだ。
 無条件に一緒に狭いベッドで寝ることだって出来るし、下心有りまくりかもしれないが、風呂でさえ二人で入ることができる。

 告白をしようと決意したのも兄弟という曖昧ではない、離れられない関係性だからというのが大きかった。

「えっ……」

 けれども、車が動いて十分程経った頃だ。

 突然、不自然に暴走したトラックが彼等の乗っている車に勢い良く突っ込んで来たのである。
 信号無視なんて事はしていない。完全に相手の過失だった。

 鼓膜が破れる程に大きな音を立てて、車とトラックが接触していく。
 ガラスは車内に飛び散り、床に落ち切れなかった物は身体中に一斉に突き刺さる。
 目に血が段々と滲み、前がよく見えない。

 彼は現状が受け止めきれずに焦りながらも、唯斗の方へ必死に首を動かした。

 それから目に入った唯斗の身体は血塗れて、よく見ても顔が分からない程だ。
 両親が如何なっているかなんて考える余裕はない。何故なら彼にとって唯斗とは自分の命と変えても生かしたいくらいに大切。
 頭の中には最低限の安否を確認するという事しかなかったのだろう。

「にい……さ……ん……」

 幸いシートベルトが変形して外せないという事態はなく、取り敢えずそれを慣れた手つきで外すと声を振り絞って呟いた。
 唯斗は此方に目線を配ると、ゆっくりと口を開く。

「り……つ……だいじょ……うぶか……ょ……」

 その質問に頑張って首を上下に振る。
 他の人からしたら、こんな異常事態に何をやっているんだ、と思われるかもしれないが、彼はここで言わないともう永遠に伝えられないのではないかと感じた。
 そう、このとき彼はもう此処で死ぬのだと何処か確信していたのだ。

「兄さ……僕……兄さんが……好きなん……だ」

 顔は血塗れてしまい見ることは出来ないけれど、唯斗が微笑んだことに気付いてしまう。
 唯斗は徐々に此方へ近づき、律の側のドアを開ける。更にその仕草で、まだ命には別状のない怪我だという事が分かった。
 直ぐに病院へ行けば、二人ともまだ助かる、と。

「お……れも……好きだぞ……」

 唯斗は渋々、照れ臭そうにしながらも、そう言ってくれる。
 律の瞳には大粒の涙が溜まっていたのだろう。
 目の中に溜まっていた赤黒い血液が涙で綺麗に洗い流されていく。
 同時に自分の発している言葉の意味が伝わってないと悟ってしまった。

「ちがう、ちがうよ……。ぼく……にぃさんに、恋してるんだ……」

「ばーか、おれ……ら、きょーだ……いだろ?」

 当たり前かもしれないが否定された事実が、思ったよりも悲しくて、悔しくて、涙の流れる勢いがどんどん増していく。
 "でも好きなんだ"と言おうとしたときだった。

 何故か唯斗が勢い良く、律の身体を車外へ押し出したのだ。
 そのせいで彼は車から飛び出して道路に鈍い音を立てて転がっていってしまう。

「──っ……!!」

 不図、押し出された時の衝撃で鼻にツンとガソリンの臭いがする事に気付いた。
 このままだと車は爆発してしまい、唯斗は燃えて灰になってしまうであろう。
 車から出て今までの結論に至るまで僅か数秒ほど。混乱に陥った頭の中でも、はっきりと唯斗の助けに繋がることは冷静に分析する事ができた。

「に、兄さん……!」

 痛みなど忘れて硬いコンクリートの地面から立ち上がる。
 もしかしたら、足だけではなく腕も酷い箇所は骨折やヒビが入っていたかもしれない。
 骨が折れる痛みに耐えられるというよりは身体そのものの感覚が亡き物に近かった。

 けれども、その瞬間、助けたいという思いさえも遮って、車が彼を吹き飛ばす程に大きく爆発したのだ。
 少しの間もなく、神様は残酷であることを生まれて始めて自覚させられることとなる。

 当然のように頭の中が真っ白になった。
 目の前で何が起こっているのか、全く持って理解が出来ない。
 自分だけが如何して外にいるのか。
 先程までは分かっていた事も脳内で静かに分解されて泥に塗れ、ぐちゃぐちゃになっていく。

 状況が受け止められない彼には口を金魚のようにパクパクとさせることしか出来なかった。

「や、やだ……兄さん、兄さん、やだ、やめて」

 身体が思うように動かない、周りの音が何一つ聞こえない、そんな状況が続く。
 事故が起きて車が爆発するまで僅か一分にも満たなかったのだが、彼には三日、四日の出来事のようにとても長く感じた。

 人々の悲鳴やスマホのシャッター音だけが、その場に耳を塞ぎたくなるくらいに響いているものの、きっと律には少しも聞こえないのだろう。

 事故と爆発の衝撃での怪我で身体に限界がきたのか、意識が順に遠退いていく。

 今すぐ炎の中に飛び込まなければ、兄さんが死んでしまう……。
 そう思って、必死に伸ばした腕がぱたりと地面に落ちた。
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