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1章

9.灰色の涙

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「ん? ちょっと待って」

 その話を聞いていた愛斗は、何かに疑問を抱いたらしい。口からぽろりと言葉が溢れる。

「山口に住んでる……ってここもしかして、山口県!?」

 他にも突っ込むべき所があったような気もするが確かにそれは疑問点だ。東京から山口まで行くのはおよそ半日かかる。
 そこまで車で移動していたというのか。
 これには今まで誘拐された事やストーカーされた事にも黙って受け流していた愛斗もドン引きだ。

「そうだよ、愛の力は無限だからね」

 警察が捜査を断念する訳だ。こんなに遠い所に被害者がいるなんて、誰も考えないだろう。
 それにしては捜査を打ち切るのが若干早すぎる気もするが、これに関しては捜索を始めるのが遅かったのが難点だったと言ってもよい。
 また、彼からは愛というよりも執着心に近いものを感じるが、本人がそう思っているなら見てみぬふりをするべきだ。

「それでさ、結局は俺のどこが好きなんだよ」

 質問タイムのような事が長く続いているが、そう聞いている数は多くない。
 今まで誰からも告白された事もなく自分の良さというものが分からないのか、単純に気になってしまったみたいだ。

「えぇ~、知りたい?」

 その照れ臭さと謎のキャピキャピ感が混ざった返答に、俺たちは修学旅行で寝る前にするコイバナをしているのか、と愛斗は思った。
 茶化すような言い方はあまり好きではない。

「勿論、全部だよ。でも愛斗くんの弓道見た時に一目惚れしたのかもね……」

 またまた照れ臭そうに彼は言う。質問した当事者である自身にも少しばかり照れが伝染し、少しの間気まずい雰囲気が流れる。

 ──ほんと、こいつ俺の事好きだよな。

 と改めて思うのだった。
 もしかしたら、家族に会えない寂しさや甘えもされない、できない、という状況に気が狂ったのしれない。
 根付いた彼に対する恐怖や暴力の痛みを忘れた訳ではないが、今度は何だかちょっと嬉しく感じた。

 ***

 ────。
 その夜、夢を見ていた。
 昔というか、誘拐される前のまるで走馬灯のような夢を。
 多分、彼が過去の話をべらべらと話していたから影響されたのかもしれない。

 誰か見知らぬ人々の大きな悲鳴と共に、順に過去が展開されていく。
 まるで一枚一枚本のページを捲るような……否、アニメーションのエピローグのように。

 ──ああ、これは俺が怪我したときじゃないか……。

 頭の中でぼそりと呟いた。
 先輩たちの不注意によって、只、真面目に練習していた自身が怪我を負ったことを夢によって分からされたのだ。
 勿論、忘れていた訳ではないので、改めて思い出したと言った方が正しいであろう。
 赤い血が床に流れ、出来た血溜まりに死んだ顔の愛斗が映っている。反して、くすくすと嘲笑うような反省感のない先輩たちの表情。
 悲しい訳がなかった。
 怪我をしている時はずっと虚無感に襲われていた。「どうして俺が……」と。
 夢だからか、痛みは感じなかった。

 次々と場面が切り替わる。

 ──怪我が回復した後、はじめて弓道場に立ったときだ……。

 手と脚が震え、弓を持つことすら出来ない状況。
 汗が滝のように流れている顔は青白く、その後は直ぐに過呼吸気味になった。
 辛いのに涙が一滴もでてこない。
 夢だからだろうか。それとも──。

 また、場面が変わる。

 ──部活に参加できないから、朝一人で登校しているとき……。

 そう、先生のすすめから部活こそは辞めなかったが、勿論弓道をすることはできなかった。
 放課後の部活動のみ部員の手助けとして参加し、朝は部活にすら行かないという生活。
 怪我を負う前に部活に行く時は軽かった足取りが、とても重く、今では足枷がついてるように感じられる。

 この夢を見て愛斗は、自身の人生は間違えなく灰色の人生だとますます思った。
 何の刺激もない日々は愛斗からみて退屈で苦痛でしかない。

 ***

 目が覚めたとき、不意に愛斗は自分が泣いている事に気が付いた。
 突然、瞳から溢れた涙が止まらない。
 彼に気付かれぬよう、静かに小さな嗚咽を漏らしながら泣くのだ。
 泣いている最中も誰かが隣にいないことが寂しくて仕方が無かった。

 自分の冷えた姿を自分の心の中でぎゅっと抱き締める。赤子のように包まりながら。

 幾ら大人びいているとしても、まだ子供で無邪気な高校生なのだ。こんなおぞましい環境で泣くな、喚くな、という方が無理がある。
 少しだけ、ほんの少しだけだが、愛斗にとって唯一側にいる彼の存在が、恐怖から心の支えに変化していた。
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