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第五章 Side A

閑話 サムの独白 2

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サムはなにかふわふわとした温かいところで目を覚ました。もう何日も水浴びもしていない自分の強烈な体臭の向こうから石鹸のにおいがする。

「お…。目が覚めた?」

ぼーっと声がした方を見ると、整った顔立ちの茶髪をポニーテールにした女性がこちらを見ていてビクリとする。

「お前、海馬の入り江で倒れてたのよ?飼い主とはぐれてしまったの?」

話しかけながら女性が何かを鼻のあたりに近づけてくる。どうやら食べ物らしい。あまりにも腹が減っていたために頭を持ち上げてもそもそと食べた。

「やっぱり飼い犬なのかしら。人を警戒しないものね。」

夢中になって芋を食べていると首に何かをはめられた。驚いて思わずきゃいんと声をあげてしまう。首周りの違和感はどうやら首輪らしい。ー嵌められた!
まさか、この女、俺を売り飛ばす気なんじゃないか…!?

「ご飯が終わったなら、水浴びをしましょうねー。お前は臭いし、重いしで担ぐの大変だったのよ?自分で水場まで歩いてちょうだい。」

それを聞いて思わず無表情になる。嫌だ嫌だと抵抗したが、女は信じられないほどの力でサムを水場まで引きずって行った。闇魔法も全く効きやしない。
水場に待っていたのはムキムキの男たちだ。


実は、これがほぼ初めてのサムとマッチョの対面であった。

魔法使いにマッチョはいない。自然とサムの周りにはマッチョがいなかった。得体のしれない巨人たちとの遭遇で、サムは逃げ惑ったが、一番ひ弱そうな女性にがっちりとリードを握られて逃げることはできなかった。

そしてやっぱり誰にも闇魔法は効かなかった。

「さっきまでおとなしかったのに、みんなが怖いのかしら?」

「お嬢が首輪を持ってやったらどうだ?」

「お嬢がなだめてる間に俺たちが洗おう。」

「そうね。」

女はいとも簡単にサムの首輪をつかんで固定した。サムは逃げ場がなくなり大人しくマッチョたちに体を好き放題に洗われることとなる。

「おー!汚いなあ!」

「泡が真っ黒だな!洗いがいがあるな!」

「お、こいつオスだったのか!」

大事な息子も無遠慮に洗われて、サムのライフはゼロになった。

仕方なしに目の前の女の顔を観察する。よく見れば、まだあどけなく、少女と呼べる年齢の様だ。サムよりいくつか年上なだけだろう。
顔はまあ整っているが、美形軍団ウォー家の出身であるサムからすればそんなものかといった程度である。深い青色の瞳は美しく、見たことのない色だった。


洗い終わると少女に使い古しと思われるがいい匂いのするタオルでごしごしと拭かれた。容赦はないが手つきは優しく、気持ちいいなと目を細めていると、響き渡る大声で「エリー!」と呼ばれた。
どうやらこれが少女の名前らしい。

現れた姿にサムの顔が引きつる。そこにいたのは人間界一と思われる巨体に真っ赤な髪の男だった。少女が「父上」と呼ぶので、全く似ていないがどうやら親子らしい。

「昼食中に海馬に異様に懐かれる犬を保護したと報告があったが…、おお!この子か!」

少女は『お嬢』と呼ばれていたし、きっと父親は偉い人だろう。闇魔法が効けば、好待遇が望める。


父親はあっさり闇魔法にかかった。

「な、なんてかわいいんだー!!!」

父親は突然そう大声をあげると、まだ湿っているサムに思い切り抱き着いた。サムは初めてのマッチョからの抱擁にドン引きである。
でも、なんとかしばらくここにとどまることができそうだ。

父親が離れるとちょっとだけ使える風魔法で体を乾かす。しばらくの宿も確保できて、嬉しくて尻尾も揺れてしまう。
その姿を見た少女・エリーはピンときたというように言った。


「お前、ジャーマン・スピッツね!大陸にいる犬じゃないの。これは絶対に飼い犬だわ…。」

一気に気分が盛り下がる。そうですか、あなたは俺の犬種までわかっちゃいますか。

サムは、もしかしたら『大きいワンちゃん』ではなく『小さいだけの狼』である希望を捨てていなかった。自分でもジャーマン・スピッツにそっくりだと思っていても、わずかに残る”実は狼である”という希望にすがっていたのである。

その希望をエリーは見事に打ち砕いた。


こいつ、ちょっとぐらい困らせても、俺、悪くないよね?



ーーーー



サムはこの地に居場所を確保するためにエリーに徹底的に寄生した。ここはブルテンが誇る海軍基地であったらしく、エリーはその海軍の大将の娘なのだそうだ。
サムを襲った魔物は”海馬”と呼ばれており、海軍で使役されている。エリーは最近海軍に入隊した見習い兵で、海馬を使役するためにあの入り江に通っていたらしい。

その海馬の座を奪ってしまうことにした。

あっという間に周囲はサムをエリーの使役獣だとみなすようになった。大将がそう言っているのだから覆すことも難しいだろう。


周囲はごまかせているが、エリー本人に闇魔法が効かないのでいつか捨てられてしまう可能性はまだある。エリーはどうやら優しい性格であるようだが、サムに名前を付けてくれる気配は一向になかった。

まだ、よその家の子だと思われているのだろう。


そんなある日、エリーの下に客が来た。ブラッドと呼ばれる黒髪のクールな少年だった。その男の話というのが、まさかの”求婚”であった。

エリーはなんと”侯爵令嬢”といういいところのお嬢様だったらしい。そして少年は“公爵令息”といういいところの息子なのだそうだ。


「俺が嫁にもらう。」

「…なんですって?」

「オルグレン公爵家に嫁に来てほしい。」


こいつは急に何を言い出したんだ…?

結婚とは愛し合う二人がするものじゃないのか…?それともこんなにけんか腰なのに、こいつはエリーのことが好きだって言うのか…?

「ブラッド、聞いてたでしょう?私が学園で大女って呼ばれてたの。ブルテンの筆頭公爵家であるオルグレン家の公爵夫人が務まるはずがないわ。」

「そんなことはないだろう?エリーは努力家だし、学園での成績だって常に10位以内だったじゃないか。それに大女っていうほど大きくはない。侯爵夫人だってすらっとした美人だったじゃないか。エリーとよく似ているよ。」

容姿を褒められたエリーは顔を赤らめている。おいおい!騙されるな!エリーのブーツを甘噛みして抗議する。

「だから鍛錬をやめれば、筋肉が落ちるし、ますます夫人に似てくるだろう?すぐに誰も『大女』『男女』『怪力女』なんて呼ばなくなるさ。」


つまり、今のエリーではマッチョすぎるから無理ってこと?こいつ最悪じゃん。

エリーも同じことを思ったらしい。表情が抜け落ちた。

「お断りします。」

「………なぜ?」

「逆になぜ受けると思ったのか聞きたいわ…。」

「海馬部隊に入れないなら肩身の狭い思いをすることは目に見えてるぞ?しかもそんな…。」

少年はちらっと犬を見て嘲笑うように鼻を鳴らした。それを見て思わずぐるるとうなってしまった。

「犬が相棒なんだろう?ペットに戦場で何ができるっていうんだ。」

かっちーん!なんだこいつ!頭来たわ!俺の方があんな脳みそすっからかんの魔物より役に立つわ!闇魔法だって風魔法だって使えるんだぞ!


「それは、あなたには関係ないことよ。ブラッド。」

エリーも頭に来たのか同じことを言ってくれた。

「王立学園には戻らないし、あなたと婚約もしない。海軍でここにいる犬と一緒にできることを見つけるから。その結果、つらい思いをしてもそれはあなたには関係ない。」

エリーの言葉はサムの胸に響いた。

サムも母を追い詰める現実が耐えられなくて、家から逃げ出した。もう元居た場所には戻れない。だからここでできることを見つけるのだ。

その結果、つらい思いをしてもそれはサムの問題なのだ。


その日、エリーはサムに名前を付けてくれた。偶然にもその日はサムの15歳の誕生日だった。


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