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第五章 Side A

2 エリーと予測不能な人事

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エリーとブラッドリーの婚約はすぐには公表されなかった。それどころか翌年のポートレット帝国との戦況を見てから最終決定することとなり、いったん保留となった。

アーチボルト領には王都から領地経営を手伝う役人が派遣され、フレデリックは軍の仕事に集中するということで手打ちとなった。アーチボルト家は国が運営に介入するからこれ以上文句を言うなという建前だ。

「どういうことなのかしらね…?」

エリーはサムの頭を撫でながら考え込む。結局、答えは出なかった。


そうして、冬のうちにアーチボルト領にやってきた役人はエリーにとって驚きの人物だった。

「伯父上!」

現れたのはすらりとしたエリーと同じ茶髪の男性だった。今までの苦労を物語るように頭頂部はやや禿げかけ、白髪も目立っていたが、その琥珀色の瞳は変わらずエリーの大好きな母と同じだ。

「エリー、元気だったかい?フレディも。」

「まさか伯父上が国からの…?しかし、伯父上は…。」

現れた人物はジョシュア・ヘインズ。エリー達の母の兄であり、現在のヘインズ伯爵である。もともと国に仕える官吏であり、セオドア殿下の失踪前は重要な役職についていたが、失踪の責任を問われ退職し、領地に帰っていた。
しがない伯爵領をそこそこ潤った伯爵領に進化させたのはこの伯父の実力が本物だという証だ。

「これほどありがたいことはありませんが、伯爵領はいいのですか?」

「もうすぐ息子に伯爵位を譲って隠居するつもりだったんだよ。かわいい甥と姪のためならもうしばらく現役を続けるさ。」

「しかし、国王陛下が伯父上を?」

伯父はセオドア殿下の件で国王陛下の不興を買っている。いまだに自慢の息子をみすみす失踪させた者たちを、彼は許していないのだ。

「いや、王太子殿下からの指令だ。本件は殿下が全権を任されているらしい。」

エリーの知らぬ間にフェイビアンは立派な王太子になっていたらしい。王太子妃との中の良さそうな様子を思い出し、やはり支える人の存在は大事なのだろうと思う。

「フレディ、早速領地の状況を引き継いでくれるかい?」

「はい。自分も手が回っていなかったのでありがたいです。」



ーーーー



「ほう、これが噂のか。」

ジョシュアはサムの頭をよしよしと撫でた。サムは特に嫌がりはしなかったが喜びもしなかった。

「噂…?」

「ああ。さっきフレディに聞いたんだよ。」

ジョシュアに代わってエリーがサムの頭を撫でると、尻尾がぷるぷるとしてやがて嬉しそうに揺れた。

「本当にエリーには懐いているんだね。」

「確かに、他で尻尾を振っているのは見たことがないですね。」

ジョシュアが訝しげにサムを見ると、サムも少し不機嫌そうな顔でジョシュアを見た。本当に人間臭い犬だ。

「ところでエリー、オルグレン公爵家のご令息との縁談があると聞いたが、海軍はやめるのか?」

「…いえ、どうやら保留になっているようで、兄にも海軍で実戦に出るようにと。」

「実戦だって!?フレディは正気なのか!?」

そう、エリーも本当にそれでいいのか、と思った。高位貴族との婚姻を控えた令嬢を戦闘に参加させるだなんて。それも、大規模な国同士の海戦である。

しかし、通常の海軍兵ならばおかしいことではない。下級生として大規模な戦闘に参加する程度のキャリアをエリーも積んでいる。

「私は海軍に所属しているのですから、覚悟はできています。兄上が思うように戦場に出れない中、私が出ることでアーチボルト家の本気を示せます。
しかし、縁談のことを思うとどうにも腑に落ちません。」

ジョシュアは「そうだな」とエリーの頭を優しくなでた。

「この子も連れて行くのかい?」

ジョシュアがサムを示す。

「いえ、さすがにそれは。」


サムの尻尾が驚いたようにだらんと垂れた。会話が全部わかっているようで、本当に頭のいい犬だと思う。



ーーーー



冬が終わりに近づくと人事異動でフリーマントル領にいた軍略部隊同期のアイザックがアーチボルト領に戻ってきた。

「ザック?早くに戻ってきたのね。」

「俺も海戦に出されることになったから、本格化する前にってことで呼び戻されたんだ。エリーもだろう?」

「うん。でも、ザックはもう一年辺境にいることになると思ってた。私たち、三年って言われてたじゃない?」

「俺も隊長が考えることはよくわからないよ。まあ、ライアンは呼び戻されなかったから、まだしばらくいることになるんじゃないかな。」

ライアンはエリーたちと同期の海馬部隊の兵である。白地に黒ブチ柄の海馬を使役していて、それがたいへんに頭の良い海馬なのだ。
将来のエース候補である。ポートレット帝国が有する”海馬殺し”によって失うわけにはいかない。

考え込むような様子のエリーにアイザックは心配そうな目を向けた。

「エリーは大丈夫?」

「え?」

「大将が死んでから、結構大変だっただろう?ちゃんと休めてる?」

エリーは驚いて目を見開いた。何も返せずにじっと見つめあっていると、足元から怒ったようにサムが吠えた。

「相変わらず、ワン公はうるさいな。」

「ザックはなぜか吠えられるのよね。」

エリーはなだめるようにサムの頭をなでる。そしてちょっと照れながらお礼を言う。

「ありがとう、ザック。」

「…おお。」

「みんな心配してくれるの。まさかザックにまで心配されると思わなかった。でも、私には兄上もいるし、サムもいるから大丈夫。」

「まあ、ならいいけど。多分俺とエリーは一緒に行動することになるから、なんかあったらいつでも言えよ?」

「…そうなの?」

「ああ。隊長が言ってた。」



ーーーー



「ああ。アーチボルト二等とスミス二等には俺の補佐に入ってもらう。」

軍略部隊の隊長であるポール・エバンズは少将に昇進していた。

「俺の伝令の仕事だ。」

海戦では特別な伝達方法で作戦を船間で共有する。敵に作戦内容を知られないように毎年その伝達方法を変えており、伝令兵と上官にはその伝達方法を暗記することが求められる。

それ自体は不満はない。

「アーチボルト二等は犬を連れて乗船しろ。」

「……は?」

「もう一回言うか?」

「い、いえ。しかし、海戦では長期で海上にいることになりますし、食糧も限られています。サムは仕事をできるわけでもないですし…。」

「構わない。その犬の不思議の術が役に立つかもしれない。」

あまり隊長らしくない気がする。

「まあ、いいじゃないか。連れてってやれば。」

アイザックまでそのようなことを言う。

「…わかりました。」


その引っ掛かりはエリーの頭に残り続けることとなる。



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