上 下
4 / 75
第一章 Side A

4 エリーと突然の求婚者

しおりを挟む
父はあてにできないと、エリーは自分で犬の飼い主を探すための手配をした。そして、午後は海軍の見習い兵士の訓練に参加し、夕飯時に犬を連れて侯爵家に戻った。

家に帰ると、早速三つ上の兄・ウォルターがエリーのもとにやってきた。

「エリー!お前、海馬を使役しに行ったくせに、犬を連れて帰るだなんてどういうことだ!?アーチボルト家としての誇りはないのか!?」

ウォルターはこの度、正式に見習い兵から海馬部隊の一員へと昇格した。もともと調子に乗りやすい傲慢な性格であったが、昨今の情勢と近況からますます驕っている。

「海馬に群がられていた犬を保護したんです。威嚇して海馬に噛みつきでもしたら危ないですから。」

ウォルターはエリーの横にいた犬に一瞥をくれて、ふんと鼻を鳴らす。

「海馬の代わりに犬を使役するだなんて、とんだ恥さらしだな!直系のくせに海馬部隊に所属できないなんて!」

脳筋な兄ではあるが、突然に素っ頓狂なことを言い出した。私が犬を使役した?

「犬を使役するはずがないじゃないですか、兄上。名前もつけていないのに。」

「犬と同じ屋敷で暮らすだなんて、俺は絶対にごめんだからな!俺の目に触れないようにしろよ!」

そう言い捨てて兄は去っていった。


「…馬鹿だとは思っていたけれど、今のはいったい?」

侮辱して笑っているだけだろうと結論付けたエリーはこちらを見上げていた犬の頭をぽんぽんと撫でた。

「お前は必ずお家に帰してあげるから、心配しないでね。」

犬は少しバツが悪そうに視線をそらした。



翌日のこと、昨日と同様に入り江に行こうと海軍基地で準備していたエリーに父が不思議そうに声をかけてきた。

「エリー、今日も入り江に行くのか?もう犬を使役しているだろう?」

「……父上まで何を言っているのですか?」

父は困惑したように足元の犬とエリーを見比べる。

「今のお前の仕事は犬の面倒をしっかり見て、信頼関係を築くことだ。他の海馬にうつつを抜かしていると妬かれるぞ?俺のオリヴィアは俺が入り江に行くのをすごく嫌がるんだ。」

オリヴィアとは父の相棒の海馬の名前である。海馬は性別に関わらず女性の名前をつけられるのだ。

「私は犬を使役していませんよ?名前もつけていないでしょう?むしろ今、飼い主をさがしてやろうと…。」

そこに父に向けて緊急の伝令が入ってしまった。「またあとで」と言って父は去って行ってしまい、そのまま半月ほど王都へと旅立ってしまった。


その後も、海馬部隊の兵たちから次々と「犬を使役したらしいな」と声をかけられ、使役していないといくら伝えても全く伝わらない。

脳筋の多い海軍で話が伝わらないことはままあることだが、それにしても頑なに『犬を使役した』と言われ続ける。その後に続くのは嘲笑を含むねぎらいだ。

「きっと海馬にはできない働きをしてくれるだろう。」

「さすがに犬は海馬部隊には入れないが、使役はできたのだからアーチボルトの血は証明できた。」

「今日もこれから犬の散歩か。」

と、間接的なものから直接的なものまでさまざまだ。


一方の、エリーをよく知る一般兵たちは噂を聞いて確認に来てくれた。

「本当にお嬢は犬を使役したのか?」

「してないわ。名前もつけていないもの。」

名前をつけるというのは使役の最後のステップだ。名前がついていないならば、使役は完了していない。

「だよなあ?なんでこんな話が広まっているのか…。」

「大将まで信じているらしいっていうのが妙だよな…。」

「海馬を使役した側からみるとお嬢と犬の関係は使役状態なのか…。」


謎は深まるばかりだが、犬は呑気に至れり尽くせりの生活を送っている。

可能な限りエリーのそばに引っ付いている犬であったが、エリーがいない時には使用人などから餌をもらっていた。それも最初はふかし芋だったのに、最近では肉をもらっている。しかも味付きの。

元の飼い主が何をあげていたのかわからないが、これでは長生きできないのではないかとエリーは見つけるたびに取り上げるのだが、なぜか人間の食べ物を犬にあげる人が後をたたない。

「お前、これは犬には良くない食べ物なのよ?元気で飼い主と再会するんだから、せめて生肉で我慢なさい。」

と生肉をあげるのだが、これには見向きもしない。…もしや、相当金持ちの家の犬だったのだろうか。


犬と出会って二週間が過ぎたころ、王都から幼馴染のブラッドリーがアーチボルト侯爵領にやってきた。



ーーーー



その日、エリーは訓練中に父に大将室に呼び出された。なぜか当然のように犬が足元をついて来るし、大将室にも入室した。

中にいたのは父とブラッドリーであった。

「ブラッド?どうしてアーチボルト領に?もうすぐ高等部が始まるでしょう?」

そう。今は夏季長期休暇の真っ最中なのだ。高等部に進学する学生は何かと忙しいはずだ。

「エリーに話があって来たんだ。いいですか、侯爵?」

「ああ。私が退室しよう。」

父はそう言ってエリーの肩をぽんとたたくと部屋を出ていった。父が立ち会わない方がいい話とはなんなのか…。エリーは困惑顔でブラッドリーを振り返った。

「ブラッド?」

「それがエリーが使役したっていう犬?」

ブラッドは冴えた目つきでじっとエリーの足元の犬を見ている。

「その話、ブラッドのところにまで広がってるの?」

エリーはため息をついて「実は…」と続けようとしたところをブラッドに遮られた。


「エリー、王立学園に帰って来いよ。」

「…どういうこと?」

「海馬を使役できなかったなら海馬部隊に入れないだろう?アーチボルト侯爵家の嫡流で海馬部隊に入れないだなんて、腫物扱いだ。
それなら王立学園の高等部に進学して、別の道を進んだ方がいいんじゃないか?」

「別の道って…、ブラッド、何言ってるの?」

王立学園の高等部を卒業する貴族令嬢が歩む道なんて、高位貴族の夫人や王族や高位貴族の令嬢の家庭教師ぐらいである。

「私に王太子妃を目指せって言っているの?」

「いや、フェイビアンには別の婚約の話がある。」

「私に高位貴族の夫人も家庭教師も務まらないわ。知ってるでしょ?私が中等部で何て言われていたのか。」

まだ15歳ではあるが、エリーは男子に負けない上背があった。成人女性の中ではいなくもない背の高さではあるが、男子に並ぶ背の高さに男子に負けない剣技など、『大女』『男女』と陰で貶されるのは仕方ないと言える。

王子妃になる話が立ち消えた後は言いたい放題だった。特に女子が。

「嫁ぐにしても武門の家や騎士や兵士だろうし、王立学園に行くよりも海軍で経験を積む方がいいわ。それに父上は私が海軍で役に立つって言ってくれているし…。」

「海軍でどう役に立つって言うんだよ?海馬も使役できないのに。」

ブラッドリーの棘のある言い方に、思わずエリーは眉をひそめた。

「海馬を使役しているのなんて海軍全体の一割にもならないわ。海馬を使役していなくてもブルテンの誇る立派な海軍兵よ。」

「たくさんいる一般兵の一人になるのと、高位貴族に嫁いで縁をつなぐのと、どちらがアーチボルト侯爵家のためになるかなんて自明だろう?」

「私をどこかの家に嫁がせたいわけ?」

ブラッドリーの神経を逆なでするような言い方にエリーも自然とイライラしてくる。フェイビアンに首席の座を譲ってからのブラッドリーはいつもこうだった。周囲に対して常にけんか腰というか、傷つけるためのように言葉を選んで詰めてくる。

足元では困ったように犬がエリーとブラッドリーを交互に見ていたが、二人は気づかなかった。


「俺が嫁にもらう。」

「…なんですって?」

「オルグレン公爵家に嫁に来てほしい。」


こいつは急に何を言い出したんだ…?



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ご褒美人生~転生した私の溺愛な?日常~

紅子
恋愛
魂の修行を終えた私は、ご褒美に神様から丈夫な身体をもらい最後の転生しました。公爵令嬢に生まれ落ち、素敵な仮婚約者もできました。家族や仮婚約者から溺愛されて、幸せです。ですけど、神様。私、お願いしましたよね?寿命をベッドの上で迎えるような普通の目立たない人生を送りたいと。やりすぎですよ💢神様。 毎週火・金曜日00:00に更新します。→完結済みです。毎日更新に変更します。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

DIVA LORE-伝承の歌姫-

Corvus corax
恋愛
たとえ世界が終わっても…最後まであなたと共に 恋愛×現代ファンタジー×魔法少女×魔法男子×学園 魔物が出没するようになってから300年後の世界。 祖母や初恋の人との約束を果たすために桜川姫歌は国立聖歌騎士育成学園へ入学する。 そこで待っていたのは学園内Sクラス第1位の初恋の人だった。 しかし彼には現在彼女がいて… 触れたくても触れられない彼の謎と、凶暴化する魔物の群れ。 魔物に立ち向かうため、姫歌は歌と変身を駆使して皆で戦う。 自分自身の中にあるトラウマや次々に起こる事件。 何度も心折れそうになりながらも、周りの人に助けられながら成長していく。 そしてそんな姫歌を支え続けるのは、今も変わらない彼の言葉だった。 「俺はどんな時も味方だから。」

銀の髪に咲く白い花 ~半年だけの公爵令嬢と私の物語~

新道 梨果子
恋愛
 エイゼン国大法官ジャンティの屋敷に住む書生、ジルベルト。ある日、主人であるジャンティが、養女にすると少女リュシイを連れ帰ってきた。  ジルベルトは、少女を半年で貴族の娘らしくするようにと言われる。  少女が持ち込んだ植木鉢の花が半年後に咲いたら、彼女は屋敷を出て行くのだ。  たった半年だけのお嬢さまと青年との触れ合いの物語。 ※ 「少女は今夜、幸せな夢を見る ~若き王が予知の少女に贈る花~」「その白い花が咲く頃、王は少女と夢を結ぶ」のその後の物語となっておりますが、読まなくとも大丈夫です。 ※ 「小説家になろう」にも投稿しています(検索除外中)。

ルピナス

桜庭かなめ
恋愛
 高校2年生の藍沢直人は後輩の宮原彩花と一緒に、学校の寮の2人部屋で暮らしている。彩花にとって直人は不良達から救ってくれた大好きな先輩。しかし、直人にとって彩花は不良達から救ったことを機に一緒に住んでいる後輩の女の子。直人が一定の距離を保とうとすることに耐えられなくなった彩花は、ある日の夜、手錠を使って直人を束縛しようとする。  そして、直人のクラスメイトである吉岡渚からの告白をきっかけに直人、彩花、渚の恋物語が激しく動き始める。  物語の鍵は、人の心とルピナスの花。たくさんの人達の気持ちが温かく、甘く、そして切なく交錯する青春ラブストーリーシリーズ。 ※特別編-入れ替わりの夏-は『ハナノカオリ』のキャラクターが登場しています。  ※1日3話ずつ更新する予定です。

人たらしヒロインは無自覚で魔法学園を改革しています

ぺきぺき
恋愛
初代国王と7人の偉大な魔法使いによって建国されたルクレツェン国。そこには世界に誇る有名なルクレツェン魔法学園があった。 非魔法族の親から生まれたノエルはワクワクしながら魔法学園に入学したが、そこは貴族と獣人がバチバチしながら平民を見下す古い風習や差別が今も消えない場所だった。 ヒロインのノエルがぷんすかしながら、いじめを解決しようとしたり、新しい流行を学園に取り入れようとしたり、自分の夢を追いかけたり、恋愛したりする話。 ーーーー 7章構成、最終話まで執筆済み 章ごとに異なる主人公がヒロインにたらされます ヒロイン視点は第7章にて 作者の別作品『わがまま姉のせいで8歳で大聖女になってしまいました』の隣の国のお話です。

赤貧令嬢の借金返済契約

夏菜しの
恋愛
 大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。  いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。  クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。  王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。  彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。  それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。  赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。

アリア

桜庭かなめ
恋愛
 10年前、中学生だった氷室智也は遊園地で迷子になっていた朝比奈美来のことを助ける。自分を助けてくれた智也のことが好きになった美来は智也にプロポーズをする。しかし、智也は美来が結婚できる年齢になったらまた考えようと答えた。  それ以来、2人は会っていなかったが、10年経ったある春の日、結婚できる年齢である16歳となった美来が突然現れ、智也は再びプロポーズをされる。そのことをきっかけに智也は週末を中心に美来と一緒の時間を過ごしていく。しかし、会社の1年先輩である月村有紗も智也のことが好きであると告白する。  様々なことが降りかかる中、智也、美来、有紗の三角関係はどうなっていくのか。2度のプロポーズから始まるラブストーリーシリーズ。  ※完結しました!(2020.9.24)

芋女の私になぜか完璧貴公子の伯爵令息が声をかけてきます。

ありま氷炎
恋愛
貧乏男爵令嬢のマギーは、学園を好成績で卒業し文官になることを夢見ている。 そんな彼女は学園では浮いた存在。野暮ったい容姿からも芋女と陰で呼ばれていた。 しかしある日、女子に人気の伯爵令息が声をかけてきて。そこから始まる彼女の物語。

処理中です...