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第一章 Side A
4 エリーと突然の求婚者
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父はあてにできないと、エリーは自分で犬の飼い主を探すための手配をした。そして、午後は海軍の見習い兵士の訓練に参加し、夕飯時に犬を連れて侯爵家に戻った。
家に帰ると、早速三つ上の兄・ウォルターがエリーのもとにやってきた。
「エリー!お前、海馬を使役しに行ったくせに、犬を連れて帰るだなんてどういうことだ!?アーチボルト家としての誇りはないのか!?」
ウォルターはこの度、正式に見習い兵から海馬部隊の一員へと昇格した。もともと調子に乗りやすい傲慢な性格であったが、昨今の情勢と近況からますます驕っている。
「海馬に群がられていた犬を保護したんです。威嚇して海馬に噛みつきでもしたら危ないですから。」
ウォルターはエリーの横にいた犬に一瞥をくれて、ふんと鼻を鳴らす。
「海馬の代わりに犬を使役するだなんて、とんだ恥さらしだな!直系のくせに海馬部隊に所属できないなんて!」
脳筋な兄ではあるが、突然に素っ頓狂なことを言い出した。私が犬を使役した?
「犬を使役するはずがないじゃないですか、兄上。名前もつけていないのに。」
「犬と同じ屋敷で暮らすだなんて、俺は絶対にごめんだからな!俺の目に触れないようにしろよ!」
そう言い捨てて兄は去っていった。
「…馬鹿だとは思っていたけれど、今のはいったい?」
侮辱して笑っているだけだろうと結論付けたエリーはこちらを見上げていた犬の頭をぽんぽんと撫でた。
「お前は必ずお家に帰してあげるから、心配しないでね。」
犬は少しバツが悪そうに視線をそらした。
翌日のこと、昨日と同様に入り江に行こうと海軍基地で準備していたエリーに父が不思議そうに声をかけてきた。
「エリー、今日も入り江に行くのか?もう犬を使役しているだろう?」
「……父上まで何を言っているのですか?」
父は困惑したように足元の犬とエリーを見比べる。
「今のお前の仕事は犬の面倒をしっかり見て、信頼関係を築くことだ。他の海馬にうつつを抜かしていると妬かれるぞ?俺のオリヴィアは俺が入り江に行くのをすごく嫌がるんだ。」
オリヴィアとは父の相棒の海馬の名前である。海馬は性別に関わらず女性の名前をつけられるのだ。
「私は犬を使役していませんよ?名前もつけていないでしょう?むしろ今、飼い主をさがしてやろうと…。」
そこに父に向けて緊急の伝令が入ってしまった。「またあとで」と言って父は去って行ってしまい、そのまま半月ほど王都へと旅立ってしまった。
その後も、海馬部隊の兵たちから次々と「犬を使役したらしいな」と声をかけられ、使役していないといくら伝えても全く伝わらない。
脳筋の多い海軍で話が伝わらないことはままあることだが、それにしても頑なに『犬を使役した』と言われ続ける。その後に続くのは嘲笑を含むねぎらいだ。
「きっと海馬にはできない働きをしてくれるだろう。」
「さすがに犬は海馬部隊には入れないが、使役はできたのだからアーチボルトの血は証明できた。」
「今日もこれから犬の散歩か。」
と、間接的なものから直接的なものまでさまざまだ。
一方の、エリーをよく知る一般兵たちは噂を聞いて確認に来てくれた。
「本当にお嬢は犬を使役したのか?」
「してないわ。名前もつけていないもの。」
名前をつけるというのは使役の最後のステップだ。名前がついていないならば、使役は完了していない。
「だよなあ?なんでこんな話が広まっているのか…。」
「大将まで信じているらしいっていうのが妙だよな…。」
「海馬を使役した側からみるとお嬢と犬の関係は使役状態なのか…。」
謎は深まるばかりだが、犬は呑気に至れり尽くせりの生活を送っている。
可能な限りエリーのそばに引っ付いている犬であったが、エリーがいない時には使用人などから餌をもらっていた。それも最初はふかし芋だったのに、最近では肉をもらっている。しかも味付きの。
元の飼い主が何をあげていたのかわからないが、これでは長生きできないのではないかとエリーは見つけるたびに取り上げるのだが、なぜか人間の食べ物を犬にあげる人が後をたたない。
「お前、これは犬には良くない食べ物なのよ?元気で飼い主と再会するんだから、せめて生肉で我慢なさい。」
と生肉をあげるのだが、これには見向きもしない。…もしや、相当金持ちの家の犬だったのだろうか。
犬と出会って二週間が過ぎたころ、王都から幼馴染のブラッドリーがアーチボルト侯爵領にやってきた。
ーーーー
その日、エリーは訓練中に父に大将室に呼び出された。なぜか当然のように犬が足元をついて来るし、大将室にも入室した。
中にいたのは父とブラッドリーであった。
「ブラッド?どうしてアーチボルト領に?もうすぐ高等部が始まるでしょう?」
そう。今は夏季長期休暇の真っ最中なのだ。高等部に進学する学生は何かと忙しいはずだ。
「エリーに話があって来たんだ。いいですか、侯爵?」
「ああ。私が退室しよう。」
父はそう言ってエリーの肩をぽんとたたくと部屋を出ていった。父が立ち会わない方がいい話とはなんなのか…。エリーは困惑顔でブラッドリーを振り返った。
「ブラッド?」
「それがエリーが使役したっていう犬?」
ブラッドは冴えた目つきでじっとエリーの足元の犬を見ている。
「その話、ブラッドのところにまで広がってるの?」
エリーはため息をついて「実は…」と続けようとしたところをブラッドに遮られた。
「エリー、王立学園に帰って来いよ。」
「…どういうこと?」
「海馬を使役できなかったなら海馬部隊に入れないだろう?アーチボルト侯爵家の嫡流で海馬部隊に入れないだなんて、腫物扱いだ。
それなら王立学園の高等部に進学して、別の道を進んだ方がいいんじゃないか?」
「別の道って…、ブラッド、何言ってるの?」
王立学園の高等部を卒業する貴族令嬢が歩む道なんて、高位貴族の夫人や王族や高位貴族の令嬢の家庭教師ぐらいである。
「私に王太子妃を目指せって言っているの?」
「いや、フェイビアンには別の婚約の話がある。」
「私に高位貴族の夫人も家庭教師も務まらないわ。知ってるでしょ?私が中等部で何て言われていたのか。」
まだ15歳ではあるが、エリーは男子に負けない上背があった。成人女性の中ではいなくもない背の高さではあるが、男子に並ぶ背の高さに男子に負けない剣技など、『大女』『男女』と陰で貶されるのは仕方ないと言える。
王子妃になる話が立ち消えた後は言いたい放題だった。特に女子が。
「嫁ぐにしても武門の家や騎士や兵士だろうし、王立学園に行くよりも海軍で経験を積む方がいいわ。それに父上は私が海軍で役に立つって言ってくれているし…。」
「海軍でどう役に立つって言うんだよ?海馬も使役できないのに。」
ブラッドリーの棘のある言い方に、思わずエリーは眉をひそめた。
「海馬を使役しているのなんて海軍全体の一割にもならないわ。海馬を使役していなくてもブルテンの誇る立派な海軍兵よ。」
「たくさんいる一般兵の一人になるのと、高位貴族に嫁いで縁をつなぐのと、どちらがアーチボルト侯爵家のためになるかなんて自明だろう?」
「私をどこかの家に嫁がせたいわけ?」
ブラッドリーの神経を逆なでするような言い方にエリーも自然とイライラしてくる。フェイビアンに首席の座を譲ってからのブラッドリーはいつもこうだった。周囲に対して常にけんか腰というか、傷つけるためのように言葉を選んで詰めてくる。
足元では困ったように犬がエリーとブラッドリーを交互に見ていたが、二人は気づかなかった。
「俺が嫁にもらう。」
「…なんですって?」
「オルグレン公爵家に嫁に来てほしい。」
こいつは急に何を言い出したんだ…?
家に帰ると、早速三つ上の兄・ウォルターがエリーのもとにやってきた。
「エリー!お前、海馬を使役しに行ったくせに、犬を連れて帰るだなんてどういうことだ!?アーチボルト家としての誇りはないのか!?」
ウォルターはこの度、正式に見習い兵から海馬部隊の一員へと昇格した。もともと調子に乗りやすい傲慢な性格であったが、昨今の情勢と近況からますます驕っている。
「海馬に群がられていた犬を保護したんです。威嚇して海馬に噛みつきでもしたら危ないですから。」
ウォルターはエリーの横にいた犬に一瞥をくれて、ふんと鼻を鳴らす。
「海馬の代わりに犬を使役するだなんて、とんだ恥さらしだな!直系のくせに海馬部隊に所属できないなんて!」
脳筋な兄ではあるが、突然に素っ頓狂なことを言い出した。私が犬を使役した?
「犬を使役するはずがないじゃないですか、兄上。名前もつけていないのに。」
「犬と同じ屋敷で暮らすだなんて、俺は絶対にごめんだからな!俺の目に触れないようにしろよ!」
そう言い捨てて兄は去っていった。
「…馬鹿だとは思っていたけれど、今のはいったい?」
侮辱して笑っているだけだろうと結論付けたエリーはこちらを見上げていた犬の頭をぽんぽんと撫でた。
「お前は必ずお家に帰してあげるから、心配しないでね。」
犬は少しバツが悪そうに視線をそらした。
翌日のこと、昨日と同様に入り江に行こうと海軍基地で準備していたエリーに父が不思議そうに声をかけてきた。
「エリー、今日も入り江に行くのか?もう犬を使役しているだろう?」
「……父上まで何を言っているのですか?」
父は困惑したように足元の犬とエリーを見比べる。
「今のお前の仕事は犬の面倒をしっかり見て、信頼関係を築くことだ。他の海馬にうつつを抜かしていると妬かれるぞ?俺のオリヴィアは俺が入り江に行くのをすごく嫌がるんだ。」
オリヴィアとは父の相棒の海馬の名前である。海馬は性別に関わらず女性の名前をつけられるのだ。
「私は犬を使役していませんよ?名前もつけていないでしょう?むしろ今、飼い主をさがしてやろうと…。」
そこに父に向けて緊急の伝令が入ってしまった。「またあとで」と言って父は去って行ってしまい、そのまま半月ほど王都へと旅立ってしまった。
その後も、海馬部隊の兵たちから次々と「犬を使役したらしいな」と声をかけられ、使役していないといくら伝えても全く伝わらない。
脳筋の多い海軍で話が伝わらないことはままあることだが、それにしても頑なに『犬を使役した』と言われ続ける。その後に続くのは嘲笑を含むねぎらいだ。
「きっと海馬にはできない働きをしてくれるだろう。」
「さすがに犬は海馬部隊には入れないが、使役はできたのだからアーチボルトの血は証明できた。」
「今日もこれから犬の散歩か。」
と、間接的なものから直接的なものまでさまざまだ。
一方の、エリーをよく知る一般兵たちは噂を聞いて確認に来てくれた。
「本当にお嬢は犬を使役したのか?」
「してないわ。名前もつけていないもの。」
名前をつけるというのは使役の最後のステップだ。名前がついていないならば、使役は完了していない。
「だよなあ?なんでこんな話が広まっているのか…。」
「大将まで信じているらしいっていうのが妙だよな…。」
「海馬を使役した側からみるとお嬢と犬の関係は使役状態なのか…。」
謎は深まるばかりだが、犬は呑気に至れり尽くせりの生活を送っている。
可能な限りエリーのそばに引っ付いている犬であったが、エリーがいない時には使用人などから餌をもらっていた。それも最初はふかし芋だったのに、最近では肉をもらっている。しかも味付きの。
元の飼い主が何をあげていたのかわからないが、これでは長生きできないのではないかとエリーは見つけるたびに取り上げるのだが、なぜか人間の食べ物を犬にあげる人が後をたたない。
「お前、これは犬には良くない食べ物なのよ?元気で飼い主と再会するんだから、せめて生肉で我慢なさい。」
と生肉をあげるのだが、これには見向きもしない。…もしや、相当金持ちの家の犬だったのだろうか。
犬と出会って二週間が過ぎたころ、王都から幼馴染のブラッドリーがアーチボルト侯爵領にやってきた。
ーーーー
その日、エリーは訓練中に父に大将室に呼び出された。なぜか当然のように犬が足元をついて来るし、大将室にも入室した。
中にいたのは父とブラッドリーであった。
「ブラッド?どうしてアーチボルト領に?もうすぐ高等部が始まるでしょう?」
そう。今は夏季長期休暇の真っ最中なのだ。高等部に進学する学生は何かと忙しいはずだ。
「エリーに話があって来たんだ。いいですか、侯爵?」
「ああ。私が退室しよう。」
父はそう言ってエリーの肩をぽんとたたくと部屋を出ていった。父が立ち会わない方がいい話とはなんなのか…。エリーは困惑顔でブラッドリーを振り返った。
「ブラッド?」
「それがエリーが使役したっていう犬?」
ブラッドは冴えた目つきでじっとエリーの足元の犬を見ている。
「その話、ブラッドのところにまで広がってるの?」
エリーはため息をついて「実は…」と続けようとしたところをブラッドに遮られた。
「エリー、王立学園に帰って来いよ。」
「…どういうこと?」
「海馬を使役できなかったなら海馬部隊に入れないだろう?アーチボルト侯爵家の嫡流で海馬部隊に入れないだなんて、腫物扱いだ。
それなら王立学園の高等部に進学して、別の道を進んだ方がいいんじゃないか?」
「別の道って…、ブラッド、何言ってるの?」
王立学園の高等部を卒業する貴族令嬢が歩む道なんて、高位貴族の夫人や王族や高位貴族の令嬢の家庭教師ぐらいである。
「私に王太子妃を目指せって言っているの?」
「いや、フェイビアンには別の婚約の話がある。」
「私に高位貴族の夫人も家庭教師も務まらないわ。知ってるでしょ?私が中等部で何て言われていたのか。」
まだ15歳ではあるが、エリーは男子に負けない上背があった。成人女性の中ではいなくもない背の高さではあるが、男子に並ぶ背の高さに男子に負けない剣技など、『大女』『男女』と陰で貶されるのは仕方ないと言える。
王子妃になる話が立ち消えた後は言いたい放題だった。特に女子が。
「嫁ぐにしても武門の家や騎士や兵士だろうし、王立学園に行くよりも海軍で経験を積む方がいいわ。それに父上は私が海軍で役に立つって言ってくれているし…。」
「海軍でどう役に立つって言うんだよ?海馬も使役できないのに。」
ブラッドリーの棘のある言い方に、思わずエリーは眉をひそめた。
「海馬を使役しているのなんて海軍全体の一割にもならないわ。海馬を使役していなくてもブルテンの誇る立派な海軍兵よ。」
「たくさんいる一般兵の一人になるのと、高位貴族に嫁いで縁をつなぐのと、どちらがアーチボルト侯爵家のためになるかなんて自明だろう?」
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ブラッドリーの神経を逆なでするような言い方にエリーも自然とイライラしてくる。フェイビアンに首席の座を譲ってからのブラッドリーはいつもこうだった。周囲に対して常にけんか腰というか、傷つけるためのように言葉を選んで詰めてくる。
足元では困ったように犬がエリーとブラッドリーを交互に見ていたが、二人は気づかなかった。
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