小料理 タヌキ屋

まんまるムーン

文字の大きさ
上 下
8 / 9

8

しおりを挟む


 私の母は、その当時当たり前だったように、短大を卒業後、2年間会社勤めをし、父と結婚した。

 結婚してからは専業主婦となり、私と弟を育てた。母は一生懸命家族の為に尽くしてきた。父の為に手の込んだ料理を作って、いくら帰りが遅くなっても待っていた。完璧な妻と母の役割をこなしていた。

 しかし、父の性格が悪いのか、完璧な母の存在が父にとって重すぎたのか、父は次第に母を疎ましく思うようになっていった。それがやがてネグレクトやDVにまで発展した。

 父にはどうやら愛人がいるようだった。家も頻繁に空けるようになっていった。

 私たちが成長して手がかからなくなると、母は時間を持て余すようになった。趣味も仕事も持ってなかった母は体調を崩すことが多くなった。たまに父が家に帰ると、症状は悪化した。このままでは母は死んでしまうのではないかと思うことさえあった。

 事態が好転したのは、父の死だった。会社の健康診断で癌が見つかって、分かりにくい場所にあったせいか、詳しく調べたらもう手遅れ状態だったのだ。それから半年後、あっという間に父は逝ってしまった。棺桶に横たわる父を、母は静かに見つめていた。頬に涙が伝っていた。

 父からあれほど精神的、肉体的に痛めつけられていたにも関わらず、夫婦というのは片割れが亡くなると悲しいのかと、娘でありながらも不思議に気持ちになった。そんな時、母が小さく呟いた。

「私は自分が臆病者で、決して自分から動こうとしなかった言い訳を、全てこの人に擦り付けていたの…」
母は頬を濡らす涙を白いハンカチで覆った。




「…自分から動かないって…お母さんは家事や育児を一生懸命やってきて、それは誇るべきことだと思うんだけど…。なんか最近、女の人に求めすぎじゃない? 仕事してください。子供産んでください。子供産んだらまた働いてください。年とっても若々しく美しくいてください。高齢になっても働き続けてください。…挙げたらキリないよ。子供産んで、立派に育てるだけでもすごくない? …まあ、私は立派に育ったとは言い難いかもしれないけど…」

「まあ、そういう風潮あるよね…。お母さんの言いたかったのは、そういうのではなくて、お母さん自身、いろんなことに挑戦してみたかったんじゃないかな? でも勇気が無くて、結局やりたい事をしなくて、でも自分が臆病で出来なかったって思いたくなくて、私は家族の為にやりたい事を我慢して良い母や妻をやってますって、ちょっと言いすぎかもしれないけど、こうなったのは父さん、あなたのせいですって。父さんがああなったのも、そういう無言の重圧からだったのかもって、母さんは思ってたのかも…」

「お母さんのこと思い出すときって、いつも優しくて、柔らかいイメージあったけど、そういう事を考えてたなんて知らなかったな…。それで…お母さん今は自分のしたいことやってるの? 趣味とか見つけたのかな?」

「姉ちゃん家にあまり帰ってこないから知らないんだな。母さん今、家政婦の仕事してるよ。」

「え! そうなの? せっかく自由な時間出来たんだから好きな趣味とかすればいいのに!」

「俺もそう思ったんだ。母さんも初めは何か趣味を始めようと思ったらしいんだけど、何個か手を出して思ったんだって。でもやっぱり自分は今まで一生懸命やってきた家事が好きなんだって。でもさ、親父もういないし、俺も大人だし、姉ちゃん一人暮らしだし、家事っていってもそんなにすること多くないだろ。それなら人に喜んでもらえてる方がいいし、お金までもらえるんだったらなおさらいいって、家政婦の派遣会社に登録したんだよ。母さん仕事が丁寧だし、評判いいらしいよ。」

「そっかぁ…。よかった。」

「母さん、姉ちゃんの事言ってた。適齢期とか年齢に惑わされないで、相手にすがってしか生きられないような生き方はしてほしくないって…」

「…お母さんの人生の重みをズッシリ感じるお言葉だね…」

「それな。」

「久しぶりに実家帰るかな。」

「たまには帰ってきなよ。」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ジャック・ザ・リッパーと呼ばれたボクサーは美少女JKにTS転生して死の天使と呼ばれる

月狂 紫乃/月狂 四郎
ライト文芸
あらすじ  ボクシングの世界戦を目前にして不慮の事故で亡くなったリュウは、運命の女神に出会ってまさかの美少女JKへと転生する。  志崎由奈という新しい名前を得た転生JKライフでは無駄にモテまくるも、毎日男子に告白されるのが嫌になって結局ボクシングの世界へと足を踏み入れることになる。  突如現れた超絶美少女のアマチュアボクサーに世間が沸き、承認願望に飢えたネット有名人等が由奈のもとまでやって来る。  数々のいざこざを乗り越えながら、由奈はインターハイへの出場を決める。  だが、そこにはさらなる運命の出会いが待ち構えていた……。 ◆登場人物 志崎由奈(しざき ゆな)  世界戦を迎える前に死亡した悲運のボクサーの生まれ変わり。ピンク色のサイドテールの髪が特徴。前世ではリュウという名前だった。 青井比奈(あおい ひな)  由奈の同級生。身長150センチのツインテール。童顔巨乳。 佐竹先生  ボクシング部の監督を務める教師。 天城楓花(あまぎ ふうか)  異常なパンチ力を持った美少女JKボクサー。 菜々  リュウの恋人。

re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ

俊也
ライト文芸
実際の歴史では日本本土空襲・原爆投下・沖縄戦・特攻隊などと様々な悲劇と犠牲者を生んだ太平洋戦争(大東亜戦争) しかし、タイムスリップとかチート新兵器とか、そういう要素なしでもう少しその悲劇を防ぐか薄めるかして、尚且つある程度自主的に戦後の日本が変わっていく道はないか…アメリカ等連合国に対し「勝ちすぎず、程よく負けて和平する」ルートはあったのでは? そういう思いで書きました。 歴史時代小説大賞に参戦。 ご支援ありがとうございましたm(_ _)m また同時に「新訳 零戦戦記」も参戦しております。 こちらも宜しければお願い致します。 他の作品も お手隙の時にお気に入り登録、時々の閲覧いただければ幸いです。m(_ _)m

世界が終わるという結果論

二神 秀
ライト文芸
「一年後に、地球に惑星が衝突します」  突然の航空宇宙局NASAの発表から、世界が終わるまでの1年間を描いた恋愛群像劇。  発見された少しずつ接近する白き惑星。パンドラと名付けられたこの星によって世界は変わっていく。  心理学を学ぶ大学生・生田颯太(20)の視点をメインに置き、学生生活や軽音楽部のバンド活動、アルバイトをする喫茶店、家族、友人、大切な人……終わりに近づいていく世界で生きていく人々や社会の在り様の変化が描かれていく。  怒り、妬み、恐怖、逃避、無気力、失望、絶望。感情が徐々に露わになり、理性と本能で揺れ動く人々。そんな醜く、未来のない現実と真剣に向き合ったとき、若者たちは動き出す。  それは意味のないことなのかもしれない。世界が終われば何も残らないのだから。では、人は死という結果に至るのだから、どう生きるかなど無意味なものなのだろうか。  世界が終わるその瞬間、あなたはどう在りたいですか?

café R ~料理とワインと、ちょっぴり恋愛~

yolu
ライト文芸
café R のオーナー・莉子と、後輩の誘いから通い始めた盲目サラリーマン・連藤が、料理とワインで距離を縮めます。 連藤の同僚や後輩たちの恋愛模様を絡めながら、ふたりの恋愛はどう進むのか? ※小説家になろうでも連載をしている作品ですが、アルファポリスさんにて、書き直し投稿を行なっております。第1章の内容をより描写を濃く、エピソードを増やして、現在更新しております。

進め!健太郎

クライングフリーマン
ライト文芸
大文字伝子の息子、あつこの息子達は一一年後に小学校高学年になっていた。 そして、ミラクル9が出来た。

もう一度あなたに会うために

秋風 爽籟
ライト文芸
2024年。再婚したあの人と暮らす生活はすごく幸せだった…。それなのに突然過去に戻ってしまった私は、もう一度あの人に会うために、忠実に人生をやり直すと決めた… 他サイトにも掲載しています。

令和3年お盆物語

ぬるちぃるちる
ライト文芸
あらすじ 信心深い訳ではないのだけれど、 お盆のせいか、3年前に死んだ父の夢を見る。 変なの。 全4話 短編の長さの話をページ切ってすみません。 リアルタイム風なのでお盆と共にお話が終わります。 地域により差があるかもしれませんが、 13日(金)~16日(月)までがお盆のつもりです。 ホラーなのかファンタジーなのかギャグなのか何なのか解らない 書いた人感覚でほのぼの系のお話のつもりです。 カテゴリーがおかしかったら教えてください。 ※完結しました。

なりすまし

ちょこ
ライト文芸
宣伝をさせて欲しい。突然届いたそんなメールに心が騒ぐ。

処理中です...