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しおりを挟む母屋に戻ると、リビングに母と安藤先生がいた。
「ノエル、どこに行ってたの?安藤先生、ノエルに厳しく言い過ぎたって、わざわざ謝りに来てくれたのよ。」
「ごめんなさい。おばあちゃんのところに行ってて…。安藤先生、私の方こそすみませんでした。」
私は安藤先生に頭を下げた。
「ママ、話があるの。私ね、工学部には行きたくない。私は英語やその他にもいろんな語学を学びたいの。だから、ママの期待には応えられません。ごめんなさい。」
私は深く頭を下げた。
「どうしたの、急に。まだ高校一年生だし、一時の気の迷いって事もあるし、今、早急に決めなくてもいいんじゃないの?」
私の決断は母にとって寝耳に水だったようで驚いていた。
「ママ、私に理系は無理なの。安藤先生に聞いてもらったらわかると思う。今まで努力を重ねて自分の限界までがんばったけど…これが限界なの。これ以上がんばっても上には行けないの。」
私がそう言うと、母は先生に聞いた。
「娘はそう言ってますけど、どう思いますか?」
「確かに今は壁にぶち当たっているみたいです。でもそれは誰にでもあることで、そこでがんばるかがんばらないかだと思います。「水滴岩を穿つ」って言うじゃないですか。さらなる努力を重ねることで、自分でも知らなかった可能性が開けることって、よくあることです。今進路を変えるのは時期尚早だと思います。」
安藤先生の言い分に母は納得しているようだった。
「安藤先生もそうおっしゃってるわ。もう少し頑張ってみたらどう?」
子供の頃から母の言葉は絶対で、私は条件反射で服従してしまう。そこに先生も加わって説得されると、自分の方が間違っていて、困難から逃げ出す臆病者のように思えてくる。そんな自分が嫌になった。ふとおばあちゃんの顔が浮かんだ。自分の気持ちを優先させなかったために、一生後悔するような傷をいまだに心に抱えている祖母。その傷をえぐられるような痛みを私に教えてくれた。私は自分の気持ちを大切にしなければいけないと思った。
「もしこのまま頑張って成績が上がったとしても、私は工学部には行きたくないの。建築にも興味が無いの。したくないことを頑張っても意味が無いと思う。私は自分のしたい勉強をします。」
私は勇気を振り絞って言った。
「いいんじゃないか?」
父が仕事を終えて家に帰ってきた。私たちの話を聞いていたようだ。
「パパはね、ノエルにうちの会社を継いでもらわなきゃならないとは思ってないんだ。もちろん継ぎたかったら継げばいいし、他にしたいことがあるんだったらその道に進めばいい。」
「パパ!ノエルは成績だってずっと良かったのよ。一時の気の迷いよ。せっかく立派な会社があるっていうのに、ヘタな進路に進んでその道で食べていけなかったらどうするの?一人っ子だし、私たちがいなくなったら、この子はどうやって生きていくのよ。無責任なこと言わないで。」
母は父を責めるように言った。
「もっと自分の娘を信じてあげようじゃないか。失敗したらその時はまた仕切りなおせばいいんだ。」
「パパ…。」
自分の気持ちが尊重された嬉しさで涙がポロリと頬を伝った。
「でも…安藤先生には引き続き来ていただくわ。文系の大学を受けるにしても勉強は必要でしょ。それを受け入れてくれるのならママも認めるわ。」
正直、安藤先生は苦手だけど、ママが認めてくれるのならばその提案は受け入れようと思った。でも、私はてっきり安藤先生は私に呆れて、もう私の勉強の相手などしたくないだろうと思ってたのだが、先生はそうでもないらしく、これからも私の勉強を見ていきたいと言っていた。
とりあえず頑張って勝ち取ったこの喜びを祖母に報告しようと、私は離れに走って行った。
「おばあちゃん、聞いて!私ね…。」
リビングのドアを開けると祖母が倒れていた。
「パパー、ママー!おばあちゃんが!おばあちゃんが!」
父はすぐに救急車を呼んで祖母は病院に運ばれた。もともと心臓が悪かったのが悪化したらしい。幸い一命は取り留めたが、そのまま入院することになった。私は祖母がこのままいなくなってしまうのではないかと思うと、怖くてたまらなくなった。いつも私の心配や恐怖心を拭い去ってくれていた祖母。どんなに不安な時でも祖母のそばに居れば安心できた。祖母は私の安全地帯だった。
「おばあちゃん…。」
眠っている祖母の顔を見ていると、涙が止まらなかった。
「ノエル、先生も大丈夫とおっしゃって下さっているんだから、一度家に帰ろう。おまえも休まなくちゃ体が持たない。」
父は私にそう言った。
「嫌だ。私はおばあちゃんが目を覚ますまでここにいる。」
父と母は困ったように顔を見合わせた。
「わかったわ。ママたちはおばあちゃんの着替えとか持ってこなきゃいけないから、これから一旦帰ってまた明日くるわ。」
そして父と母は部屋から出て行った。
窓の外を見るともう真っ暗で、空には星が出ていた。その時、何かが動いた気がして祖母を見ると、祖母の体から白いもやのような物が起き上がるようにして出てきた。そのもやは祖母の姿をしていた。祖母の魂が抜けだして、死んでしまうのではないかと思った。
「おばあちゃん!行かないで!」
私は必死に叫んだ。
祖母は声を出さずに“大丈夫。会いたい人に会いに行ってくるだけよ。”と言って、その祖母の魂は消えた。私はその時、もしかしたら夢を見ていたのかもしれない。気付くと朝になっていて、祖母は私を優しく見つめていた。
「おばあちゃん!気付いたのね!よかった。ほんとによかった。」
私は本当に安心して、涙が止まらなかった。
「心配かけてごめんね。」
祖母は私の頭を優しく撫でた。
「とてもステキな夢を見てたわ。夢の中でね、空を飛んで、和夫さんに会いに行ったの。こんなおばあさんが。笑っちゃうわよね。」
祖母のその言葉を聞いて、夕べ私が見たことは本当の事だったんだと思った。
「おばあちゃん!それ、ほんとに行ってたんだよ!私、おばあちゃんが体から出て行くの見たもん。」
私と祖母は驚いて顔を見合わせた。
「そういう事って、本当にあるのね…。ということは、来世の約束も、もしかしたら本当の事かもしれないわね…。」
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