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6.忍び寄る悪意
しおりを挟むその日、伯爵は荒れに荒れていた。
エリンが嫁いでから1ヶ月が経とうかというのに、未だ『彼女が死んだ』という報告が上がってこないからだ。
伯爵は影から送られてきた、『状況に変化なし』とだけ書かれた報告書をビリビリに破いた後、自らの書斎で、目につくものを片端からなぎ倒しながら、髪をかきむしる。そして、次に血走った眼を、侍女頭に向けた。
「くそ……っ!!お前のせいで、なぜ私がこんなにもやきもきさせられなければならないのだ!!」
そう吐き捨てるや否や、伯爵は侍女頭を容赦なく平手で打つ。脳が揺れる程の勢いで打たれた侍女頭は、呻きながらそのまま床を転がった。
「かくなる上は、お前が責任を持って死神卿の屋敷に行け。なすべき事をなすのだ!」
「そんな……!」
侍女頭は、打たれた頬を押さえ、涙を浮かべて伯爵を見上げた。
死神卿は、人を人とも思わず、気に入らないことがあると問答無用で、腰に佩いた剣で首を切るという。
噂には尾鰭が付くもの、多少大袈裟な所がある筈だ。
しかし、火のない所に煙は立たないと言う。
あのような辺境から、王都まで轟く噂が、全くの嘘と言うことがあり得るだろうか?
しかも、親兄弟、果ては妻まで死んでいるとなると、侍女頭には死神卿にまつわる噂が、ただの噂だとは到底思えなかった。侍女頭は震え上がり、伯爵の足にすがり付く。
「それだけは、どうか御容赦を……!そうだ、そうです。この役目に、適任が一人おります。積極的に、辺境伯様のご不興を買い、主人共々、首を切られてもおかしくない者が!」
侍女頭の懇願に、ふむ、と伯爵は一考する。
その者には、伯爵も心当たりがあった。元は落ちぶれた男爵家の出の者だったが、病気の親の代わりに家計を支えて働いている娘で、その境遇を憐れんだ侯爵家の奥方が、働き先を斡旋していた縁で紹介された。
つまり、伯爵にとって、目上の者の気紛れで押し付けられたメイドだったが、これが全く使えない者だった。
掃除を任せれば壺を割り、給仕をさせれば粗相をする。どれだけ罰を与えても一向に改善しない。しかし、施しで雇い入れてやったので、安易にくびにするのも、角が立つ。
どうしたものかと考えていたのだった。
「ならば、辺境伯家にはあの者をやろう。しかし、もしあいつが失敗すれば、お前の身がどうなるか、ゆめゆめ分かっておろうな」
侍女頭は黙って平伏し、伯爵が紹介状を書くのを息をひそめて見守った。
◆
夕食後、エリンにアクセルを引き渡し、書斎に戻った後も、リアムはイライラを抑えきれずにいた。エリンの部屋から戻ってきたリアムに対して、主人が言うのだ。
「あれはまだ幼い。子供の世話は荷が勝ちすぎているのだろう。手伝う人間が必要ではないのか?」
ぎりり、とリアムは唇を噛み締めた。
主人は甘すぎるのだ!
あんな礼儀知らず、甘やかせば甘やかすほど付け上がるに違いない。血管が切れそうな程の怒りでこめかみが熱くなる。
あの場では、声にも出さず抑えた怒りを、再び腹の底に静めるように首を振り、一度冷静になろうと書類に眼を通すことにした。
しばらく黙々と書類を処理した後、ある書類に、ふと手が止まる。
それを見て、リアムはうっすらと笑い、承諾の意味の判を押した。
それは、伯爵家からのメイドの紹介状だった。
どういう経緯かは分からないが、伯爵家の現在の財政状況----輿入れの際、花嫁が粗末な格好で、文字通り身一つで現れた事を鑑みても、今更送られてくるような者が、まともである筈がない。
けれどそのようなこと、リアムには関係なかった。
これでリアムは主人の要望に早急に応えることができるのだ。
少し溜飲を下げ、リアムは本日の仕事を終えることにした。
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