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恋人編

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「何これ」
「招待状です」

 いや、それは分かっているけども。
 アルフレッドから手渡された招待状を無駄に手の中でもてあそぶ。
 から、早一週間。
 まだ有効な解決策は見つからない。

「ちなみに、僕の分もあります」

 アルフレッドが同じ招待状をぴらぴらと振る。
 アルフレッドに招待状が届くのは分かる。そして、その同伴で私が行くことはあるかもしれない。でもまさか、平民に招待状を送ってくる貴族がいるとは。しかも、この封蝋は王家のものだ。
 私は難しい顔で招待状を睨むが、招待状が消えてなくなるわけがない。

「……どういうおつもりかしらねぇ」

 分からない、けれど、これは拒否権などないやつだ。嫌な想像が頭をめぐる。のこのこ招待されて行った場で、アルフレッドと、王妹の婚約を発表されるのではなかろうか。流石のアルフレッドだって、王が公の場で宣言されたものを覆すのは難しい。既成事実を作ってごり押しするつもりなら、こちらで手を打つのは難しい。そして、邪魔な私をその場に立ち会わせることで、きっぱりと諦めさせるつもり…とか?
 悪趣味だわ…。
 そんなことするはずない、と言い切れるほど陛下のお人柄を知らない私は、青い顔をしてアルフレッドと見つめ合う。
 招待状の日付はさらに1週間後。社交界シーズンが終わりかけているからだろうけれど、なかなか急な日付なのもさらに怖さが増す。

「行かないわけには…」
「いかないでしょうねぇ」
「……そうよねぇ…」

 二人で深いため息を吐いた。



 それから1週間はあっという間だった。
 今日も今日とて、ルーシーに着付けを頼む。
 王家主催の舞踏会ではあるが、謁見ではないので非常に服装に悩む。今の流行など分からない。結局、アルフレッドに丸投げすることした。本日のドレスは、シルエットはすとんとすっきりしているが、肩周りにボリュームのあるパフスリーブのドレスだ。濃いオレンジ色の生地が裾に向かっていくにつれて薄い色で染められていて、裾の刺繍がよく見えるようになっている。裾に、施された薔薇の刺繍はとても繊細で見事なものである。
 しかし、素敵なドレスを前に、心は全く弾まない。浮かない顔をする私を、ルーシーが「ご武運を」と、まるで戦場に向かうかのように送り出してくれた。
 アルフレッドとしっかり手をつないで、馬車へと乗り込む。

 王宮は相変わらず華やかだった。
 煌めくシャンデリアの下に集う貴族たちの色とりどりの衣装。広いホールを埋め尽くさんばかりの人の多さに酔いそうだ。
 本日の会は開催時間が早めなので、立食で用意された食事を食べながら談笑する人も多い。王族が入室するまでの賑やかで穏やかな時間は、私たちの入室によって一変する。
 私たちが会場に入るや否や、会場は水を打ったように静かになった。あまりの変化に顔を引きつらせながら、ゆっくりと会場を見渡す。ここにいる貴族は皆、私たちを取り巻く噂を知っているということだろう。

「あら、アルフレッド様ではないですか。ご婚約おめでとうございます」

 こちらを伺う人たちの中、場違いに明るい声が響く。アリス嬢だ。相変わらず空気を読まない彼女にげんなりとした顔をする。アリス嬢の言葉に、会場が再びざわめいた。ほら、やっぱり、という声が聞こえてくる。
 ……頭が痛い。
 アルフレッドににこやかに話しかけ、次に私を見たアリス嬢は、にんまりと口元の笑みを深くする。

「まさか、婚約発表の場にご同行されるなんて…!ずいぶんとお顔の皮が厚いんですのね。私なら、そんな悲しいこと、とても無理だわぁ」

 うきうきと楽しそうな彼女を、アルフレッドが一切温度を含まない視線で制止する。

「決まっていない話をさも当然のように吹聴するのは止めていただけますか?それに、彼女は、招待状を持った正式な招待客です。あまり侮辱が過ぎると、王家の不興を買いますよ」

 静かなアルフレッドの声に、アリス嬢は少したじろいだ。

「いやだ、こわーい。私、王家の侮辱なんてしていません…ひどい言いがかりだわ」
「そうだ、キャボット嬢。あなたこそご婚約おめでとうございます。デイビス公爵家のご三男と婚約が調ったとか?」

 アルフレッドが自身の婚約の話を出した途端、アリス嬢はその顔を一気に引きつらせた。アルフレッドがさらに言葉を重ねる前に、「あら、あちらにお友達が」と呟きそそくさと去っていく。
 私はアリス嬢のお相手をぼんやりと頭に思い浮かべる。

「デイビスって…」
「えぇ、色狂いの賭け狂い。一人の女に縛られるなんてと、青春を謳歌していらしたジェームズ様ですよ。35歳を過ぎてやっと落ち着かれることにしたようです」

 間違ってもアリス嬢が望む相手ではないだろう。
 そうか、同世代で探すことは諦めて、家格の釣り合いを重視したのね。
 私はため息を吐く。
 何はともあれ、彼女が離れて行ってくれてよかった。エスコートにつかまった手を、そっとアルフレッドが撫でてくれる。顔を上げて、アルフレッドに頷きを返す。

 気づけば、王族が入場する時間になったようだ。王と、王妃が入場し、後に続々と王族が入ってくる。そして、席に着いた王は開口一番、高らかに宣言した。

「本日は実にめでたい発表がある。皆にぜひ祝福してもらいたい」

 王の言葉に、会場が一斉にざわめく。
 たくさんの視線がこちらを向いたのを肌で感じる。私はアルフレッドにつかまった手に力を込めた。
アルフレッドの顔も心なしか強張っている。青ざめた私たちとは対照的に、楽団が荘厳で華やかな祝いの歌を奏で始めた。
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