悪辣同士お似合いでしょう?

ナギ

文字の大きさ
上 下
39 / 245
本編

32

しおりを挟む
 昼食でのことを引きずるのはよろしくないのですが、わたくしの気持ちは荒れていました。
 いえ、荒れているというよりも凪いでいる。静かすぎて、気持ち悪いような。
 暗雲立ち込め、いつ雨が降り始めるかというような、そんな心持ちでした。
 こんなのでは何もできないとわたくしは部屋に引きこもることにしました。
 ひとりにしてね、用事があれば呼ぶわとツェリにも犬達にもお願いし、部屋の灯りを緩めて、長椅子に身を横たえ瞳を伏せる。やわらかなクッションの感触に小さく笑みがこぼれました。
 そこにあるのは静寂だけ。
 無為に過ごす時間がわたくしの心を落ち着かせてゆくのです。
 子を、と言われることの忌避感は簡単にぬぐえるものではなく。
 王家に平民の血をいれる。そのなんと恐ろしい事。
 わたくしは貴族のお父様の血と、平民のお母様の血とが流れています。お母様はお父様に身籠ったことを話さず姿を隠しました。しばらくして、見つかってしまいましたけれど。
 その時には、お母様は体を壊していてわたくしの世話なんてできる状態ではなかったのです。
 お義母様は、我が子らは大人となり、一人立ちし時間があったので引き取ったわたくしを育ててくださいました。育てる、ということを楽しんでらしたように思えます。
 わたくしはお母様に、貴族の作法など最低限のことは教わっておりました。きっとお母様は、いつかわたくしが引き取られることを見越していたのでしょう。
 お義母様とお母様は、主人と侍女ではあったものの仲は良かったと聞きましたし。
 血は繋がらなくともお義母様はわたくしを嫌な顔をせず受け入れてくださいました。わたくしはお母様もお義母様も好きなのです。
 けれどお母様は、わたくしが引き取られて安堵したのか、何かの糸がぷつりと切れてその後すぐに亡くなってしまいましたが。
 そのお母様と、わたくしは約束しているのです。貴族、王家に対しわたくしの血を本流に残すようなことをしないと。それはとても恐ろしい事なのよと、わたくしは言い聞かせられたのです。
 わたくしにとってそれは、幼いころのお母様の絶対の言いつけ。
 成長して、お母様の言葉は絶対ではないのだと知る機会もありました。それは古風な考え方なのだと。
 それでも、わたくしにとってお母様の言いつけを破ることは恐ろしいことに他ならないのです。
「側妃をとってくださればいいのに」
 ディートリヒ様がわたくしを王太子妃にしたのは、わたくしにこの国で何かしらの思惑と関わるものがなかったから。
 それからわたくしが愛情を求めない女で便利だったからだと知っています。どうぞ、お好きな方ができたらわたくしの事など気にせず側妃として迎えてあげてください。正妃としてのわずらわしいことは全て受けてさしあげますからと、わたくしは申し上げたのです。
 その時にお前が一番難儀な女だなと仰られたのですが、どちらかというと便利な女ではないでしょうか。
 だって、自分に寵がないことをよろしくてよと笑って、他の女の所に行くのを見送って差し上げるのですから。そして側妃の方は表に出ることもなく、ただ愛を囁かれていればいいだけになるのですよ。
 その方がディートリヒ様に愛されたいだけの方でしたら、とても幸せな事になるのでしょうし。
 わたくしはころりと体の向きを変え、クッションの一つをぎゅっと抱きしめました。
 考えるのも億劫になって、いつの間にか微睡の中。うとうとして夢と現の間にいるのはとても穏やかなものでした。
 このまま眠ってしまえるかしら、と。
 そう思った頃、何か音がしたような気がして。けれど、瞼を持ち上げる気も起きません。
 どうしようかしらと思う間に人が近づいてくる気配がありました。
 この部屋に入れるのはひとりだけ。おそらくディートリヒ様でしょう。
「アーデルハイト……寝ているのか。珍しい」
 ああ、やっぱりその声は、と思う。けれど覚醒する気が起きなくてわたくしは寝ているふりをすることにしました。
 実際、意識ははっきりとしていないので反応せずにこのまま、眠ってしまえと思ったのです。
 近くに来る気配、わたくしを覗きこんで、ふと笑われたような気がします。
「気を抜いているときは穏やかな顔をしているな」
 俺の前ではそのような顔はしないくせに、とどこか拗ねたような声色。
 ディートリヒ様はわたくしの傍らに座られたようで。余計、今すぐに起きるという事ができなくなってしまいました。
 わたくしの頭がある、枕代わりのクッションの傍。
 ぱらりと紙が捲られる音が聞こえるので書類でも読んでいるのでしょう。
 どうすれば、良いのかしら。
 しばらくじっとしていれば、この空気にも慣れてきて。
 わたくしの意識はまた眠りに沈みかけていました。
 そんな時に、するりと。
 わたくしの頭を撫で、それから髪で遊び。
 耳の縁をするりとなぞり、頬をたどり離れていったのは指先。
 今のは、何なのでしょう。
 何もなかったかのようにまた、紙を捲る音。
 ディートリヒ様の気まぐれでしょうか、戯れでしょうか。
 わたくしは深く考えるのをやめることにしました。
 考えても答えは出ないでしょうから。
 隣にディートリヒ様がいらっしゃる。それは別に嫌ではないのです。
 わたくしはこの方を嫌いではないのです。
「……俺は間違えていないだろうか」
 突然の言葉。
 そんなこと、わたくしにはわかりかねます。そもそも何を、なのかがわかりませんし。
「壊さないように大事にできているか。しかし……問うても答えはないがな、はは。王太子、ディートリヒという名は、重いなぁ」
 ああ、ご自分への問いかけでしたのね。これは何も聞かなかったが一番良いのでしょう。
 わたくしから何がです? なんて聞くことなんてありませんし。
 それにしても、こんな言葉を。
 わたくしの傍で零すなんて、ディートリヒ様はなんて、弱い。
 そういうものは誰もいないところで零すものでしょう。
 弱味、なのですから。
 わたくしなら、言葉にする前にすべて心のうちに沈めてしまいますわ。
 このまま眠っているふりを続けるとこれ以上の弱味を見せられそうです。
 わたくしは少し動いて、そしてゆっくりと瞳を開けました。
「気持ちよさそうに寝ていたな。良い夢でもみたか?」
「……夢、なんて……それより、いつからそこにおいででしたの?」
 さぁ、と笑われます。もちろんわたくしは知っていますけれど。あえてそう問いかけたのです。
 起き上がりながら笑みを向ければ、ディートリヒ様は口端を上げ、大丈夫そうだなとわたくしに投げかけました。
「何が、です?」
「お前が塞いでいるとツェリから聞いてな」
「そんなことは、なくてよ?」
「持ち直しただけだろう?」
「……意地悪ですわ。気づいても、知っていてもそういうことは、言わないのが礼儀ですのに」
 ディートリヒ様は悪いなと、そうは思っていない声色で言うのです。これもいつもの事ですが。
「何か言われたか?」
「わたくしのことを心配なさるのね」
「夫だからな」
「そうでしたわね……」
 夫なら、当たり前のこと。
 わたくしはただ、お二人にあなたとの子を楽しみにしてると言われただけですのよと告げました。
 ディートリヒ様はそうかとただ頷いて、では薬を飲むのをやめろと仰ったのです。
 薬。
 それは月の物を止めるためのもの。それをわたくしはずっと口にしているのです。
「は? やめませんわ。わたくしは身籠るつもりはありませんもの」
「いつまでもこのままではいけないだろう」
「……一度、これについてはお話をしないといけませんわね」
 わたくしは、引くつもりはありません。
 ディートリヒ様もそれはわかっていらっしゃるのでしょう。何が嫌なのだと、わたくしに投げました。
「わたくしの子がディートリヒ様の次、王位継承権の二位になることです」
「俺の子だ。そうならなければおかしい」
「でしたら、側妃を召し上げてその方にお願いしてくださいまし」
 その方の後でしたらよろしくてよと、わたくしは妥協点を告げます。
 ディートリヒ様は、そんなことはしないとすぐに返しました。
 わたくしたちは、この話については折り合いのつくところがないのです。
 わたくしが折れるか、ディートリヒ様が折れるか。
 わたくしはもちろん、折れるつもりはないのです。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

運命の歯車が壊れるとき

和泉鷹央
恋愛
 戦争に行くから、君とは結婚できない。  恋人にそう告げられた時、子爵令嬢ジゼルは運命の歯車が傾いで壊れていく音を、耳にした。    他の投稿サイトでも掲載しております。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

最初から間違っていたんですよ

わらびもち
恋愛
二人の門出を祝う晴れの日に、彼は別の女性の手を取った。 花嫁を置き去りにして駆け落ちする花婿。 でも不思議、どうしてそれで幸せになれると思ったの……?

転生したら冷徹公爵様と子作りの真っ最中だった。

シェルビビ
恋愛
 明晰夢が趣味の普通の会社員だったのに目を覚ましたらセックスの真っ最中だった。好みのイケメンが目の前にいて、男は自分の事を妻だと言っている。夢だと思い男女の触れ合いを楽しんだ。  いつまで経っても現実に戻る事が出来ず、アルフレッド・ウィンリスタ公爵の妻の妻エルヴィラに転生していたのだ。  監視するための首輪が着けられ、まるでペットのような扱いをされるエルヴィラ。転生前はお金持ちの奥さんになって悠々自適なニートライフを過ごしてたいと思っていたので、理想の生活を手に入れる事に成功する。  元のエルヴィラも喋らない事から黙っていても問題がなく、セックスと贅沢三昧な日々を過ごす。  しかし、エルヴィラの両親と再会し正直に話したところアルフレッドは激高してしまう。 「お前なんか好きにならない」と言われたが、前世から不憫な男キャラが大好きだったため絶対に惚れさせることを決意する。

騎士団長の欲望に今日も犯される

シェルビビ
恋愛
 ロレッタは小さい時から前世の記憶がある。元々伯爵令嬢だったが両親が投資話で大失敗し、没落してしまったため今は平民。前世の知識を使ってお金持ちになった結果、一家離散してしまったため前世の知識を使うことをしないと決意した。  就職先は騎士団内の治癒師でいい環境だったが、ルキウスが男に襲われそうになっている時に助けた結果纏わりつかれてうんざりする日々。  ある日、お地蔵様にお願いをした結果ルキウスが全裸に見えてしまった。  しかし、二日目にルキウスが分身して周囲から見えない分身にエッチな事をされる日々が始まった。  無視すればいつかは収まると思っていたが、分身は見えていないと分かると行動が大胆になっていく。  文章を付け足しています。すいません

処理中です...