指先のぬくもり

ナギ

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契約の日

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 その日がやってくる。
 私が16の内に、精霊と契約できる唯一の日。
 契約はどこでもできるが、契約したことは国へと報告しなければならない。
 面倒だなとは思うけれど、その決まりを守らなければ罰則があるのも事実。
 私は両親に契約をしてくることを告げた。両親はわかったと返事をしただけでそれ以上、何も言ってはこない。私が何者と契約するかでさえ興味がないのだろう。
 精霊との契約は、聖堂で行われる。
 聖堂のその奥、精霊が好む場でだ。そこに入るのは私は初めてのことだ。
 ここに、ゼルジュード様とライアも来たのかと思うと、寂しさと悲しさと、燃えるような――そして淀むような何かが、私の中に沈んでいく。ただそれが綺麗な感情ではないことは間違いない。
 どろどろとして濁って淀んで。私の一番醜悪な部分をこれでもかというほどかき集めたような。
 そんな、感情だ。そしてそれは居場所を探しているようだけれど、行き場所がみつからない。
 昏く淀んだ重たい感情が私の中でうぞうぞと、這っている。
 聖堂までは一人で行く。
 ルドヴィガはそこで落ち合うと言ったからだ。精霊としての格好をしていかなければいけないからと。
「お姉さま」
 家の扉に手を駆けた瞬間、後ろからねっとりとした声が向けられた。
 振り返らずとも相手はわかる。ライアだ。
「お姉さま、どちらにいかれるんですか?」
「……聖堂に」
「聖堂に? 何故?」
「何故って、契約に……」
「お姉さまが? 何故? 必要ないでしょう?」
「え?」
「そもそもワタシ、聞いてません。お姉さまと契約する精霊がいるなんて」
 どうしてあなたに言わなきゃいけないのと言いそうになるのを飲み込んだ。
 つかつかとライアは歩み寄り、私の腕を握りこむ。
 その力は強く、私の腕には痛みがあった。
「そんなものしなくていいじゃないですか。お姉さまは家で過ごしていればいいのです、ワタシのために」
「……私を家に、閉じ込めたいの?」
「ええ! お姉さまを誰にも見せたくありませんわ」
 そう、他人に見せたくないほど、ライアは私が嫌いなのだ。
 恥ずかしい、とでも思っているのかもしれない。
 けれど私は約束をしたのだから、行かなければならない。だからその手を解こうともう一方の手を伸ばしたのに、その手もまた掴まれる。
 指先を潰すのかというほどに強い力でその手は握られていた。
「行っちゃだめよ、お姉さま」
「ライア、痛い、わ……」
「お姉さま」
 ライアと名前を呼んでもその強さが変わる事がない。
 私は乱暴に、どうにかその手を振りほどいた。
「私は行くわ、邪魔しないで」
 長居していてはまた捕まってしまうかもしれない。再び伸ばされた手から逃れるように私は家を出た。
 後ろからお姉さまと悲鳴のような声で呼んでいるけれど振り返らない。
 振り返るのが恐ろしかったからだ。
 私は急いで、約束の場所に向かう。
 聖堂に行き、契約のことを話す。するとその聖堂を管理している役人はおかしな顔をした。
 今日はそもそも、契約のできる日ではないと。
 そんなはずはないと私は自分と契約するという精霊が来ていないかを尋ねた。
 精霊は聖堂の奥にて待っているはず。そう強く何度も言うと、では確認だけとしぶしぶ折れてくれた。
 しばらく待っていると、その役人が慌てて戻ってくる。
 今日は確かに、契約ができる日のようだと。役人でさえ知らぬ日に契約を望むということは、ルドヴィガは本当に特異な存在なのかもしれないと私は思う。
 精霊が好む場所――聖域に入るにはひとつ、定められた扉からしか入れない。
 その扉は鍵がかかっているのだが、その中に誰かいるとしたら、それは精霊しかいない。
 案内されたアイラは周囲を見回す。
 自分がゼルジュードと訪れるはずだった、場所。
 聖域は八本の柱で囲まれ、光が頭上から差し込み不思議な空気を醸し出している。
 その空間の中央に、夜のような深い色の外套を纏い、見たことも無い装飾具を付けた男がいる。
 ああ、また成長したのだなと思いながらその名を呼んだ。
「ルドヴィガ」
「ああ、アイラ。早くおいで」
 邪魔されないうちに終わらせてしまおうとルドヴィガは笑む。
 それは綺麗な笑みで、背筋に薄ら寒いものを感じてしまうようなものだった。
「どうしたの? 見た事ない格好、してる」
「ああ、精霊として俺が本来纏うものだ」
「……似合っているわ」
 私の言葉にきょとんとして、そんなことを言われるとは思わなかったと。
 嬉しいなとルドヴィガは笑った。
「アイラ、俺とくなげば、もう戻れない。それでもいい?」
「どこに戻るの」
「それもそうだ」
 ルドヴィガは、何かを私に隠している。
 けれど、私はそれを問い詰めるつもりはない。知らなくていいとも思っている。
 だって、どうだっていいと思っているからだ。
 どうだっていいと、諦めているから。
 差し出された手を取って光の中に入る。
 一番、属の中で格が高いものがそれを見届ける役目らしいが、それはルドヴィガだからいらないらしい。
「お前が果てるまで俺はお前のために」
「私もルドヴィガのために」
 紡いだ言葉はもう世界に溶けた。だから消すことは適わない。
 その言葉を空にはなった瞬間、ルドヴィガの口の端が楽しそうに嬉しそうに吊り上った。
 その表情を見て、私は本当にこれでよかったのだろうかと、思った。
 この手を取ったことは間違いだったのかもしれない。
 けれどもう、そうどこにも戻る場所なんてないのだ。
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