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「………………。」

 アパートの小さなシングルベッドの上に体を放り出して横になる。日曜日の、もうすぐ午後。泣き疲れて車の中で眠ってしまった僕を一晩中そのまま置いてくれて、翌日になって目覚めた頃、響さんがアパートまで送ってきてくれた。

「………………。」

 僕はボーッと宙を眺める。昨夜の様々な出来事が映画のように頭の中で繰り返されている。

 不機嫌そうに食事をする響さん。対照的に以前のままの明るさで楽しそうに食事をしながら話す大輝さん。別れ際の大輝さんの声。優しげな言葉。ずっと言いたかった恨み言を言ってしまった僕を見つめる、大輝さんの驚いたような、悲しそうな表情。追いかけてきて、僕を抱き留めてくれた響さん。温かいココア。張り裂けそうな胸の苦しさ。僕を力強く抱きしめて、髪を優しく撫でてくれていた響さん。僕を励まそうとする、響さんの低く落ち着いた、優しい声。助手席のシートを倒して、後部座席から取り出したブランケットをそっと、優しくかけてくれる響さん。目が覚めた時、僕をじっと見守ってくれていた響さんの眼差し。

「…………。」

 アパートまで送ってきてくれて、わざわざ車から降りてドアの前まで体を支えて連れて来てくれた響さん。じゃあな、今日はゆっくり寝てろよ、と僕を見下ろして、優しく見つめる響さん……

「…………響さん…」

 ベッドの上で、ぽつりとその人の名前を呼ぶ。なぜだろう。響さんの優しい声や顔を思い出すと、また涙が溢れてきた。


『……大丈夫だ、美晴。そういう辛さはそのうち絶対に解決するんだよ。時間さえ経てばな。どんな辛いことも、時間が経ったら必ず薄れていくから。辛いのは、今だけだ。……もうすぐ終わる』

『お前は可愛くて素直でいいヤツで、汚れてなくて、家事までできて。特に料理の腕前はすげぇよ。誰が放っとくよ、こんな可愛いヤツを』


(……優しいなぁ……響さんって……)

 車の中で抱きしめられている時、少しも前みたいな怖さを感じなかった。それどころか、響さんの力強い腕から、優しい指先から、なんだか温かさが体の中に染みこんでくるような、……胸の痛みが、楽になるような、そんな不思議な感覚がした。安心して、思わず眠ってしまうくらいに。

「…………。……響、さん……」

 ……今さっきまで、一緒にいて。さっき別れたばかりだというのに。
 僕はなぜだかすごく、響さんに会いたくてたまらなかった。

(……困ったな。依存しちゃってるのかな、僕。たった一晩で、あの響さんに)

 だって響さん、本当に優しいから…。辛くてたまらなかったはずなのに、響さんのおかげで、なんかもう、平気だ。平気な気がする。

(今度会ったら、ちゃんとお礼を言わなくちゃ…)

 響さんのことを考えながら、僕はまたゆっくりと眠りの世界に落ちていった。




「美晴!待たせた!悪い」
「いえ、全然。お疲れさまです」 

 それから数日後の仕事終わり。僕はまた響さんと待ち合わせをして食事に行くことになっていた。響さんが待ち合わせ場所に来た途端、僕はなんだか妙に嬉しくて体が熱くなった。

「…………あ、あの、響さん…」
「おお、何食う?久々にフレンチでもいいな」
「せっ……、先日は、……すみませんでした」
 
 僕は恥ずかしくてドキドキしながら謝った。だいぶ取り乱した姿を見せてしまった。泣いて失恋話を聞いてもらって……あろうことか抱きしめられて朝まで一緒にいてもらっちゃって……しかも車の中で。体きつかっただろうな。

「おー。気にすんな。誰にでもそんな時あるさ。寝顔が可愛かったぞ」
「っ!」
「子猿みたいで」
「なっ!なんですかそれは…」
「はははは」

 いつもの軽口なのに、可愛かったと言われた瞬間なんだかドキッとしてしまった。響さんはこないだのこと全く気にしていなさそうだ。僕は少しホッとした。



 お礼とお詫びのつもりで僕から誘ったのに、結局響さんが払うと言ってお金出させてくれない。困ったなぁ……甘やかされすぎだよ……。

「響さぁん……」
「いいんだっつってんだろ!若造が変に気ぃ遣うんじゃねーよ」
「だってぇ……、いくら何でも僕甘えっぱなしじゃないですか……申し訳ないです……」
「俺は高給取りなんだよお前と違って」
「知ってますけど……。……すみません、いつも。ありがとうございます」

 響さんはニヤリと笑って僕の頭をポンポンと優しく叩く。……その優しい手の感触になんだか胸が甘く締めつけられて……変な感じだ。

(…………え。……どうしよう、まさか、僕……)

 この感じ。いや、まさかね。まさか。今さら、そんな。

 でも意識してしまうと途端に体が熱くなってきて心臓がドクドクと早鐘を打つ。

(いやいや違う違う。こないだすっごく優しくしてもらったものだから、それで僕は……。ほ、ほら、弱っている時の人の優しさってすっごく染みるじゃない。それだよ、それ)

 響さんの横をとてとて歩きながら、僕はこれまでの響さんと僕のあらゆるやり取りをなんとなく思い出していた。
 ……だけど、なんか今思い出すと、出会った時のあの緊張した会話の時も、一緒に食事をしながら軽口をたたいてる時の、あのニヤリと生意気そうに笑う笑顔も、こないだの車の中での優しい抱擁も、なんかすっごく、……なんか……。カ、……カッコよく感じて…………。

 それに、……一度だけおうちに行った時の、あの夜……。

「…………っ!!」

 突然あの時の激しいキスを思い出した僕は心臓が爆発しそうなほどにドクンッと高く鳴って、思わず叫びそうになった。慌てて口元を押さえる。

「……?ん?どうしたんだお前。何考えてたんだよ。顔が真っ赤だぞ」
「ひっ!!え、…えぇっ?い、いえっ!……な、何でもない、です」
「……?」

 まだ不思議そうに僕の顔を覗き込む響さんと見つめあっていると、ますます頭に血が上ってクラクラしてきた。

(おっ!落ち着け!僕…!こんなのおかしい!)

 ……響さんって……

 こんなにカッコよかったっけ……。




 何度も挙動不審になりながら響さんに首をかしげられ、いつものようにアパートまで車で送ってもらい別れた。

「はぁーー……バカだなぁ僕…」

 響さんに変に思われただろうなぁ。落ち着きのない自分に呆れながらバッグを下ろし、何気なくスマホを取り出した。

「…………っ、」

 その画面を見て、僕は息を呑んだ。





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