死の宣告を受けて恋人になって死んだ後に恋をする物語。

おゆP

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第六話 『世界樹』の少女。(4)

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4.
「――え?」

 惨劇は瞬く間に立て続けに起きた。
 銃を持っていた手がふわりと浮かび上がり、指が勝手に動いた。
 それが長針の体感した全てだった。
 直後、アテナの体がトラックにでも撥ねられたみたいに宙を舞った。
 きらきらと真珠のような涙の粒とルビーのような真紅の雫の尾を引きながら。
 ススキの穂をまき散らしながら丸太のように転がり、数メートルほど先で止まった。
 その後を追うようにアテナの時計はあっという間に崩れ落ち、原型を失い盛り土のような残骸と化した。
『時の魔弾』が正面を向いた状態で煙を吹いていた。
 長針はその時自分の手を見るべきではなかった。
 自分の腕に覆いかぶさる形で別の何者かの手が何もない空間から生えて絡みついていた。

「なっ、なんだこれ!?」
 
 その腕が力の抜けた長針の指を操り、引き金を引かせていた。

「やぁやぁ、長針君。お疲れ様~」

 舞台袖から演者が現れるように透明のカーテンを捲って、アルトが長針の隣に突如として現れた。
 アテナとは完全に対照的な金糸で縫った黒いドレスを怪しげにはためかせながら。
 文字通りの黒幕に長針は言葉を失う。
 アルトは屈託のない笑み浮かべながら手を絡め直し、腕を組むと自分が何をしたかも意に介さず甘えるように身を寄せてきた。

「――アテナっ!」

 長針はアルトを引きはがすと全く動く気配のないアテナに無理を承知で声を投げかけた。長針は倒れたアテナのもとに駆け寄る。冷静になれと自分に言い聞かせながら、抱き起した。
 胸の中央、花飾りをあしらったように真っ赤な血が大輪を咲かせていた。

「アテナっ! おい、しっか……り、しろよ。アテナ――っ」

 結果を知っていて、けれど現実に抗いたかった。一縷の望みを信じて、けれど現実は残酷だった。
 一介の人間の命などこんなに簡単に壊れてしまうほど軽くて脆いのだ。

「くそぉおおおぉおおぉぉぉぉ!」

 噛みしめても血が出ない、吐きたくても嘔吐できない、唾さえも枯渇した口で長針は絶叫した。
 土嚢どのうのように腕にまとわりつく重みが『死』と言う概念を直接伝える。
 抱き起したアテナは穏やかな顔のまま微動だにしない。
 まるで眠り姫のように見えたが全く違っていた。
 それは呼吸をしない死体だった。
 王子様のキスでは決して目覚めない。
 しかし、長針は知っている。
 アテナが目覚めるという未来。
 王子様のキスも、心肺蘇生もなしに蘇る唯一の方法を。
 自らの体験をもって知っていた。

「――これでイーブンでしょ?」

 アルトはなぜか全く見当違いの方を向いて喋っていたがそのことを気にしている余裕が長針にはなかった。

「何言ってんだお前! 俺は、アテナを殺したんだぞ!?」
「うんうん、そんなことわかってるよ?」

 長針の方に顔を向け、心底楽しそうに言う。良い結果が出て満足しているように言う。長針とアテナの亡骸とアルトしか存在しない空間の中、再度誰かに向けて言う。

「これが人を殺した人の正しい反応だよね? 誰かさんは平気な顔して過ごしてたみたいだけど」

 何故か闖入者であるアルトが一番この場のことを理解している気がした。

「アルト、さっきから何を――っ!?」

 長針は言葉の最中、野道で熊に鉢合わせたみたいに固まった。
 目の前のそれを受け入れられなかったのだ。
 何故、ススキ野原の真ん中に壁があるのか。
 いや、壁と称して遜色ない巨大な何かが突如、発生していた。

「すごいねーどんだけでかいんだよ。なんにしても、ご苦労だったよー長針君」

 アルトは呆れた風に言って上空を見上げていた。
 今この時も巨大化していく気配に、自分と言う小さな存在が押しつぶされそうになるのを感じながら、アルトに倣って空を見上げた。
 長針の視界が、この空間の空が、一面支配されていた。
 何もなかった場所に忽然と発現したばかりのそれによって。
 余りにも大きな、巨大すぎる一本の樹木だった。
 十二本の枝を有した大樹の形をした屍時計。

「これが零時の屍時計『世界樹』ユグドラシルだよ」

 聖剣の様な輝きを放つ長針と短針は幹の側面に無造作に生え、まっすぐ天空を指していた。
 巨大な振り子が一往復するたびに空気が、空間が、あるいは世界が震えていた。
 荘厳にして超大な光景に長針は震え上がった。
 暴力的な物量が長針を恐怖でその場に縛り付ける。

「これがアテナの託された物……」

 この屍時計の保持者――それは依然として目を覚まさないアテナに他ならない。
 壁と思っていたのは幹で直径は軽く五メートルはあるように見えた。かつてネットで世界一大きな木を見たことがあったがそれを悠々と凌駕する大きさだった。

「……長針?」

 時計の存在感に圧倒される長針の腕の中でアテナが目を覚ました。素直に喜べることではないが、それでも長針は安心した。
 それも束の間、アテナはそそくさと起き上がり自分の屍時計を軽く仰ぐと、一人納得したように頷いた。

「これが『世界樹』ですか……」

 そして、アテナは彼女の方に向き直る。

「長針、少し離れていてください」
「アテナ? だい……何をする気なんだ?」

 長針は「大丈夫か?」と聞きかけ、アテナの言葉の中から不穏な物を感じ取った。

「不本意ですがこうなってしまった以上なすべきことは一つです」

 アテナが腕を振り上げると『世界樹』の枝の一本が鳴動して応える。まるで調教された猛獣が喉を鳴らせるみたいに。

「これより『不可視』インビジブルを回収します」

 アテナが腕を振り下ろすとその動作に呼応して巨大な枝が唸りをあげ、落下する勢いで地面に向かって降り注ぐ。
 枝は衝撃で地面をさく裂させると、獲物に迫る大蛇の勢いでススキの群れを切り裂き、地面を大きくえぐりながらのたうつ。
 一本にして津波を彷彿させる大質量がアルトめがけて猛進する。
 逃げることさえ諦めさせる破壊の権化はアルトを目前に本物の蛇が大口を開けるみたいに気根を放射状に断裂させ、殺到する。
 そして、そのままアルトを飲み込み、枝同士を編んだ球体の檻を形成する。

「――えっ!?」

 アルトを捕獲したアテナが目を奪われたのは自分のもとを去り、こともあろうに囚われたアルトのもとに走り出した長針の背中だった。

「アルト!? ――っち、このぉ!」

 長針はアルトを拘束した檻を引きはがそうと枝に手をかけたが絡み合う枝は鋼線を束ねたように固く、とても素手でどうにかなるものではなかった。
 長針は虚空に手をかざし、『時の魔弾』を現すと躊躇なく枝が束になっている部分に銃口を密着させ容赦なく渾身の力で引き金を絞った。

「撃ち抜け――っ!」

 それは概念干渉も施されていない気迫だけの一射。けれど猛る砲火の怒涛は太さが一メートルを超える枝を易々と貫通すると閃光を伴う衝撃で爆砕した。

「大丈夫か! アルト!?」

 ただの煤けた木片と化した枝をかき分け、埋もれたアルトを掘り起こすと檻の中から引きずり出した。もうそこに枝で編まれた強固な檻は見る影もなく、引き裂かれた籠のような残骸が散乱するばかりだった。

「正直この救出劇は予想しなかったっす。なんにしてもあんがと長針君」
「良かった……無事で」

 アルトは少しぐったりしながらも長針に真っ直ぐな笑顔を向けて礼を言った。長針は長針で、緊張の糸が切れて弛緩した笑みを浮かべる。
――二人揃ってアテナの存在など忘れたみたいに。

「何故……ですか? 何故その子を助けるのですか?」

 信じられないといった顔でアテナは長針に痛切をぶつけた。自分を殺させたアルトを助けた裏切りとも言える行動以上にアテナの心を締め付ける光景がそこにあったからだ。
『自分』には出来ない表情で長針に接する『自分』が羨ましいという感情を通り越して恨めしかった。

「何故って、俺は……その――」

 咄嗟の行動だっただけに長針は言い訳さえできなかった。自分を突き動かした衝動は撃たれたアテナの所に駆け寄ったときと同種の抗えない反射だった。
 その歯切れの悪さがさらにアテナの不安を加速させる。答えられない無意識の行動だったということは、つまりそういうことなのだから。

「――長針は、その子の味方なのですか?」

 アテナは血で汚れたスカートの端を握りしめながら、縋るように言った。

「味方って……そんなつもりは」

 無自覚にアテナと敵対する位置に立っていたことは紛れもない事実。

「だったら、何でその子を庇ったのですか!」
「何でって、それを言うならアテナこそ何でアルトを攻撃したんだ? 引き金を引かせたのはアルトでも打ったのは俺みたいなものだろ!」

 長針はアルトを抱きかかえたままアテナを睨む。長針の剣幕の応酬にアテナは叱られた子供の用に怯む。

「違う! 長針は悪くありません……それに私は時計を回収しようとしただけで……」

 尻切れトンボな物言いで反論したアテナだが、殺された自分の方が悪者扱いされては納得がいかない。理不尽さを嘆くこともままならない。

「とにかくアルトは許してやってくれ。俺は二人がいがみ合っているところなんか見たくない!」
「長針君、ありがと。もういいよ」

 アルトは静かに長針を制すと、少しふらつきながら立ち上がりアテナと向き合った。

「アテナちゃん。長針君はね、私たちの味方だよ」

 アルトは穏やかな物言いでアテナの不安をほぐす。

「ごめんね、殺しちゃって。でも、こうしないと話が先に進まないと思ったから。このことは先延ばしすればするほどお互いにとって辛いだけだから」

 長針はアルトが何を言っているか理解できなかった。それでもアルトが何の意味もなく引き金を引かせたわけではないと分かった。

「……っ」
「アテナちゃんは屍時計を回収したいんじゃなくて私の口をふさぎたいんでしょ?」
「――何を根拠に!?」

 あからさまな動揺が暗に肯定していた。口調から余裕が消えたアテナを見てアルトはくすりと笑みを浮かべる。決して嘲笑の類ではなく思わず出た失笑だった。

「アテナちゃん素直になろ?」

 アルトからいつものお茶らけた様子は失せ、諭す口調が大人びた雰囲気を醸し出す。

「分かったような口を利かないでください」

 反対にアテナは片意地を張っているようにしか見えなかった。

「ううん、私は知ってる。あの日、、、から私はずっとアテナちゃんのそばにいたから」

 アルトは頭を振って否定し、種を明かす。

「一人で一晩中泣いていたことも、一人で周囲の目に耐えてきたことも、一人で一族の宿命に立ち向かおうと決意したことも……全部」
「ウソ……」
「だから長針君への間違ったアプローチの仕方を見たら放っておけなくなった。長針君を屋上に呼び出したあの日も私は屋上に居た」

 アルトはそう言ってどこか辛そうに目を伏せた。アテナの痛みを共有しているみたいに。

「どこかで止めに入ろうか、そう思ったけど結局私には阻むことができなかった」

 アルトは全てを見てきたからこそ、アテナの意志を尊重する形で間違えを正すことを止めてしまったのだ。

「だから、あの晩はちょっと意地悪しに行ったつもりだったんだけど……まさか少し煽っただけでここまで急に本気になるとは思ってなかった。でも、それってアテナちゃんの本気の裏返しだよね?」
「……うぅっ」

 偽りで囲まれたアテナの秘密が、本音の牙城が瓦解していく。

「真実を明かせば嫌われるかもしれない。でもね、長針君は敵にはならないと思う」

『世界樹』と言う大きな力を背にしながら、アテナは秘密が明るみに出ることを恐れる小さな女の子でしかなかった。
 会話の意味が今一つ飲み込めない長針は二人の様子を見守るしかできない。

「――ひっ!?」

 長針が何気なく向けた目線にアテナは電撃に打たれたような声を上げ、目を逸らした。
 それを見たアルトは「重症っすね~」と言って肩を竦め、一歩踏み出すと何の前触れもなく霞のように消え、すぐにアテナの正面に移動した。

「ごめんなさいの時間だよ。アテナちゃん」

 そう言ってアルトはアテナの手を引く。
 その姿はまるで姉に連れられ謝りに来る妹だった。
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